ノスビューの幻影を追って
西武秋田店の上層階にある秋田ビューホテル

1990年代の初頭、白神山地が世界自然遺産に登録される少し前、五能線に「ノスタルジックビュートレイン」という列車が走り始めた。本州の北の端にある五能線は、今でこそ観光路線として認知度が高いが、ノスタルジックビュートレインが走り始めたころは、知る人ぞ知る存在だった。こちらのページにも記載されているとおり、私は1992年の春にこの列車に乗っている。春休みの土曜日にも関わらず、最後尾の指定席は閑散としており、確か私も含めて5名程度の乗車だったように思う。黄色とこげ茶色の専用色に塗られた50系客車3両を、同じく専用色のDE10が引っ張る編成である。そのうち最後尾が指定席車両で、背摺りが高くシートピッチの広いボックスシートが海側に並び、能代方の車端にはオープンデッキが付いていた。北東北 の4月上旬は結構寒いので、車内で暖をとりながら、ここぞという景色の時にデッキに出るといった過ごし方だったように思う。私が最後尾のオープンデッキ展望車両に乗車したのは、この時が最初で最後なので貴重な思い出として残っている。

時は流れて2013年。1993年には白神山地が世界自然遺産に登録されて、沿線を走る五能線も脚光を浴び始めた。50系客車によるノスタルジックビュートレインは1996年秋に運行終了したが、代わって1997年春からディーゼルカーによるリゾートしらかみが運行開始。当初1編成1往復だけであったが、折からの世界遺産ブームに乗って観光客が激増。現在ではリゾートしらかみは3編成3往復の体制となっている。今回乗車した青池編成は、初代青池編成に代わって、2010年暮れから投入されたハイブリッドシステムによる最新車両。登場から2年あまり経った今でも新車然としており、乗っていて気持ちが良かった。

リゾートしらかみ1号の秋田駅発車時刻は朝の8時25分。当然、秋田前泊となるので、ルームチャージ6,000円の条件で、駅前の秋田ビューホテルを予約した。5月31日の夜、チェックインした時にフロント氏から「当館の都合で少し大きめのお部屋に変更させていただきました。」と言われたので、「シングルからツインに変更かな?」くらいに思っていた。なので、いざ指定された部屋のドアを開いて驚いた。部屋がたくさんある。廊下がある。トイレと洗面所と風呂は別々で、それに加えてミニキッチンもあった。どうやらスイートルームにアップグレードされたらしい。あとで調べてみたら1泊10万円の部屋らしい。とにかく秋田ビューホテルの中で最も高価な部屋に通されたわけである。ちょっと残念なのは、こういう時に限って翌朝が早 く、ゆったりと部屋で過ごせないこと。それでも、こんな機会は滅多に無いのでセルフタイマーで記念写真を撮りまくった次第である。


ベッドルームからリビングを望む

精一杯ホテルライフを楽しんで翌朝8時前にチェックアウト。秋田駅3番ホームで待っていると、8時15分ころリゾートしらかみ1号が入線してきた。冒頭にも記したようにハイブリッドシステムを搭載した最新の4両編成。2号車はコンパートメントタイプのボックス席でグループ向け、1,3,4号車は回転リクライニングシートが並んでいる普通の車両だが、そのシートピッチは1,200ミリで、新幹線のグリーン席の1,160ミリよりも広い。車端部は展望室となっているほか、3号車にはイベントスペースがあり、リゾートしらかみ1号では鯵ヶ沢と五所川原の間で津軽三味線のコンサートが開かれるらしい。実はキップを買う時にその情報を得ており、「騒々しいのはイヤだなぁ」と思い、展望席が近い4号車10番A席(五能線では海側)を指名買いさせていた だいた。車内外をひと回りして自席のリクライニングを調整していると、ほどなく発車。まずは奥羽北線を走るが、東能代でスイッチバックするため山側席となり朝日が眩しい。

東能代ではスイッチバックして五能線へ入るため少し長い停車をする。この時間を利用して対向ホームで青池編成を撮影し、再び跨線橋を渡って喫煙タイムとした。手持ち無沙汰なので携帯でもチェックをしようと思い、ポケットをまさぐったら、携帯が無い! 急いで座席に戻り、シートの下を探し、携帯を鳴らしたが、やっぱり無い! 今までの旅気分は吹っ飛び、一気にブルーになってしまった。まったく、ここ2年ほどの間に3回も携帯が行方不明になっているが、まったく懲りてない感じである。列車は日本海を望む絶景ポイントを走っているが、その車窓を上の空で見つつ、ホテルと昨夜乗車したリムジンバスを運行している秋田中央交通の営業所に連絡をした。幸いホテルの部屋で見つかり事なきを得たが、何か対策をしなければま た繰り返しそうである。

とりあえずほっとして、少し早いけどランチタイム。車販のお姉さんから駅弁を買い求め、展望室に移動して箸をつけた。弁当の名は「白神鶏わっぱ弁当」。秋田駅構内で営業している関根屋が作っているとのこと。いぶりがっこ等、秋田の食材を散りばめ、東北にしては薄めの味付けで美味だった。そうこうしているうちに列車は深浦に到着。ここで、上りのリゾートしらかみ2号と交換するため6分停車。いったん改札口を出て、タバコを吸っていると、黄色とオレンジという派手なカラーリングが目を引く「くまげら」編成の2号が到着。駅名標も入れてなかなかの構図の写真が撮れた。深浦駅を発着する列車は、リゾートしらかみが3往復のほか、快速が2往復、鈍行が4往復で、一日に上下9本ずつ。日中の下り列車はリゾートしらかみ号 だけという凄まじいダイヤ。観光路線で生き残りをかけるという感じだろうか。


2号車はコンパートメント風シート


定価10万円の和風スイートにアップグレード


部屋の窓からは千秋公園のお堀が見える


五能線起点の東能代にてリゾートしらかみ


新幹線グリーン席よりもシートピッチが広い車内


八森付近から日本海が顔を出す


車内販売の弁当は関根屋「白神鶏わっぱ」


展望室で鶏わっぱを食べる筆者


深浦駅で「青池」編成と「くまげら」編成の交換


行合崎を過ぎた広戸付近では浜辺を走る


鯵ヶ沢から津軽三味線のサービス

深浦を発車すると、五能線の旅も後半戦。追良瀬、驫木、風合瀬、大戸瀬、千畳敷と駅名を言っただけで、荒々しい冬の日本海を連想させる駅が続く。今日のところは五月晴れで清々しい海の風景が続いているが…。そんな風景も鯵ヶ沢で変わり、津軽平野のりんご畑が車窓の友となる。先に述べたとおり、鯵ヶ沢で津軽三味線を弾くお兄さんが乗ってきて、3号車のイベントスペースでペケペケと弾き始めた。隣の4号車でもスピーカーとモニターで同時中継。どのみち聞かされるのなら生で見た方がいいので、3号車に行ってみたら立見も出る盛況だった。私のような乗りテツならいざ知らず、乗客のほとんどは車窓に飽き飽きしていたのね…と思った。

五所川原で津軽三味線の演者が降りて、季節はずれのストーブ列車に見送られながら出発。今度は岩木山(津軽富士)が車窓を彩る。田植えが済んだかどうかくらいの季節であり、水をたたえた田圃に映る逆さまの岩木山が美しい。その岩木山が本物の富士山のように見えるという板柳を過ぎると、長かった五能線の旅も終わり。川部で再び奥羽北線に合流し、12時44分に弘前に到着。リゾートしらかみ号の旅を終えた。

弘前でヴィッツのトランク付きの姉妹車ベルタを借り出し、ミニドライブがスタート。とりあえず東北道に乗るため黒石インターを目指す。途中、ウインズ津軽の前を通過したが、時間がないのでここは我慢。福島競馬場で昔「田舎館特別」というレースが施行されていたが、命名は当地にウインズがあるからに違いない。東北道に入ってから、ベルタの追い越し加速性能などを試しながら北上。次の浪岡インターの看板に飛行機マークが入っており、そういえば青森空港に降りたことのないことを思い出した。離着陸歴を作るのは先の話でも、陸路でターミナルビルをとりあえず表敬訪問しておきたい。浪岡で高速を降りて空港に向かった。

その後、空港の近くまで来て「何これ?」という状況に出会った。空港ターミナルへは有料道路を通らねば行けないのである。仕方なく200円支払って、少し走ると空港の駐車場。あっけない有料道路だった。ただし、駐車場は有料道路の領収証を見せれば基本料金が無料になるというシステム。こんなことをするくらいだったら、料金所のゲートで駐車料金を支払うようにすれば、駐車場の門番の人件費が要らなくなる。ただ現状では、青森市内方面からだと、空港に無料でアクセスできる迂回路が設けられているため不可能であるが…。空港ターミナルビルをざっと見て、基本料金だけで青森空港を後にした。

次の目的地である三内丸山遺跡には、青森空港からクルマで15分ほどで着いた。日本三大遺跡といえば、私が子供の頃には登呂遺跡がランクインしていたが、昭和末期以降に吉野ヶ里遺跡や、ここ三内丸山遺跡など大規模な遺跡が発掘され、ランキングが塗り替えられている。いずれにせよ、縄文時代の遺跡としては日本最大級である三内丸山遺跡を、一度は実際に見てみたいという希望が叶った。

さて私は史跡や観光地を、ほとんど下調べをせずに訪れるので、現地でお勉強が必要になる。幸い三内丸山のような大きな史跡では、ビジターセンターというか博物館が整備されており、現地調達でもある程度知識を得られる。さっそく遺跡に併設されている「縄文時遊館」に入館し、発掘品やガイド映画を見てお勉強。それによると、ここで発見されたもので最も重要なものは、大型掘立柱跡の6つの穴ぼこ。出土遺物の中でイメージリーダー的に君臨しているのが、縄文時遊館内「さんまるシアター」に鎮座する重要文化財の土偶。シアター内は撮影自由ということで、ありがたくカメラに収めることができた。


単線非電化の細い線路を展望室から眺める


五所川原には時期はずれのストーブ列車


早苗の季節にしか見られない逆さ津軽富士


今回はベルタをレンタル〜高舘PAにて


未訪問の青森空港にクルマで行ってみた


三内丸山遺跡の入口にある「縄文時遊館」


三内丸山で最も有名な土偶


屋内保存される大型掘立柱の跡

ひととおり予習が終わったので屋外へ。ゆるやかな丘を越えると、眼下に復元された建物が並んでいた。ひときわ目立つのが、件の大型掘立柱と大型竪穴式住居である。しかしガイド映像によると、復元建物の脇にある白っぽいドームの中に実物の遺構があり、このような形で公開しているのは珍しいとのこと。確かにリアルであるが、ホームページで紹介するとなると地味な構図になってしまう(上の穴ぼこの画像より、右上の2つの画像の方が絵になるでしょう…?)。結局、華やかな復元建物の画像がページを飾るというジレンマを感じてしまうのである。三連の高床式倉庫など、いろいろな遺跡で復元されているが、それでも絵的にきれいなので遺跡の紹介をするたびに掲載してしまうのである。

広大な遺跡の敷地をひと回りして縄文時遊館に戻ったが、現在公開されている遺構は集落のほんの一部で、まだまだ発掘調査中とのこと。三内丸山遺跡で2時間くらい過ごし、再度ハンドルを握った。既に夕暮れの時刻になっており、青森市内のラッシュをかいくぐってレンタカーを返却。青森駅に向かった。これまでの行程は序章に過ぎず、これからがこの旅の佳境である。

6月の日脚は長く、18時でも西日がホームを照らしている。静寂な青森駅3番ホームにディーゼルエンジンの音を響かせて、DE10に牽引された上野行き寝台特急あけぼの号が入線してきた。観光要素が大きい対北海道の列車を除けば、昔ながらの実用的なブルートレインは「あけぼの」だけになってしまった。北斗星の項でも述べているが、車齢の高い24系客車を使用する寝台特急は、いつ廃止されても不思議ではない。だから五能線をめぐる旅を計画した折には、必ず帰りはあけぼの利用と心に決めていた。加えて、鍵をかけてしまえば周りに気兼ねのいらないB寝台個室ソロを予約。部屋に入ってしまえば、途中でどれだけ酔っ払おうが、上野に着いたも同然。今夜は腰を据えて飲むことができる。

18時23分に発車。奥羽北線を南下していく。19時過ぎの弘前までは日没前、秋田県に入るまで薄明かりが残り、そこから先は闇の世界。開放寝台と違い、個室寝台なら部屋の電気を消すことで、真の夜汽車の雰囲気を楽しめる。ダウンライトを頼りにウィスキーを飲み進むと、いつしか夢かうつつか分からない状態になる。踏み切りの赤い点滅が近づき、あっという間に遠ざかっていく。大館、鷹ノ巣、二ツ井、東能代と停車駅に近づくたびに街の灯りが目立ち始め、発車すると徐々に灯りが減って、再び漆黒の闇に戻る。「いい日旅立ち」のCMが印象的だったディスカバージャパン・キャンペーンの頃から夢見ていたブルートレインの旅も、今や風前の灯火である。極上の時を心行くまで楽しみたいところだが、残念ながら睡魔には勝て ない。青森発車からちょうど3時間経過した秋田駅発車をしおに眠りに就いた。カーテンを開けたまま眠ってしまったので、空が白み始めれば自然に目覚めるだろう。。。


さんまるミュージアムは重要文化財の宝庫


縄文時代といえば土器が思い浮かぶ


この遺跡の二大復元建物のツーショット


この掘立柱はどのように利用されていたか謎


三連の高床式倉庫は遺跡に来たなって感じに


入換機のDE10を先頭に入線する「あけぼの」


18時過ぎの始発駅青森は、まだ西日が残る


1人用個室ソロに入室すればこっちのもの…

<終>

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