1992年の記録


1992年1月15日(水)〜16日(木) 尾道・南紀
(キップ)青春18キップ使用
(行程)浜松〜東海道線・山陽線〜相生〜赤穂線〜岡山〜山陽線〜尾道(市内散策)〜山陽線〜新大阪〜紀勢線夜行鈍行<車中泊>〜新宮〜紀勢線〜御坊(日ノ御崎観光)〜紀勢線〜和歌山〜和歌山線・桜井線〜奈良〜関西線〜名古屋〜東海道線〜浜松
(評)私の選んだ好きな街ランキングで堂々の第1位に輝く尾道を再度散策し てきた。夕食に尾道ラーメンを食べたのをしおに、山陽線を東上。新大阪からは 海釣り列車で名高い紀勢線夜行鈍行165系に乗車。翌日行った日ノ御崎の海が眩 しかった。

1992年2月27日(木)〜3月1日(日) 由布院・都井岬
(キップ)青春18キップ使用
(行程)浜松〜東海道線・山陽線〜岩国〜岩徳線〜徳山〜山陽線・鹿児島線〜小倉<泊>〜折尾〜筑豊線〜原田〜久留米〜久大線〜日田・由布院(散策)〜久大線〜大分〜日豊線〜宮崎<泊>〜路線バス〜都井岬(散策)〜串間〜日南線〜志布志〜ブルーハイウェイライン<船中泊>〜大阪南港〜湊町(現JR難波)〜関西線〜王寺〜和歌山線〜高田〜王寺〜関西線〜木津〜片町線〜片町〜木津〜奈良線〜京都〜東海道線〜草津〜柘植〜関西線〜名古屋〜東海道線〜浜松
(評)Sprig Tour '92は九州へ。未乗区間の筑豊線・久大線を乗り歩きながら 、日田や由布院で散策もこなすという欲張りな内容。卒業旅行の時の思い出を辿 りに行った都井岬でも草原に寝転がったりして極上の時間を過ごせた。フェリー での宿泊の翌日、関西地区の乗りつぶしもしてきた。

1992年4月3日(金)夜〜5日(日) ノスタルジックビュートレイン
(キップ)青春18キップ使用
(行程)浜松〜新幹線〜静岡〜東名バス〜東京〜新宿〜ムーンライト<車中泊>〜村上〜羽越線〜余目〜陸羽西線〜新庄〜余目〜羽越線・奥羽線〜東能代〜ノスタルジックビュートレイン〜弘前<泊>〜奥羽線〜大館〜花輪線〜好摩〜東北線〜小牛田〜陸羽東線〜古川〜新幹線〜仙台〜特急スーパーひたち〜上野〜東京〜東海道線〜浜松
(評)この旅のハイライトはなんといってもノスタルジックビュートレイン。 流れゆく夕暮れの日本海を望みつつ客車に揺られ、気分転換に最後部の展望デッ キに立つというゆったりとした時間の流れに身を委ねた。翌朝、弘前の改札口で 残り1枚の18キップと取扱説明書を取り違えていたことに気づき、弘前〜浜松の 乗車券を11720円払って買うはめになった。まぁそのおかげで651系のスーパーひ たちの車内で思いっきり酔っ払うことができたのでヨシとしよう。

1992年7月30日(金)〜8月3日(月) 九州・四国落穂拾い
(キップ)青春18キップ使用
(行程)浜松〜豊橋〜名鉄〜金山〜関西線〜天王寺〜阪和線〜鳳〜東羽衣〜鳳〜阪和線〜和歌山〜和歌山市〜和歌山〜阪和線・大阪環状線〜西九条〜桜島線〜桜島〜西九条〜大阪〜東海道線〜山科〜湖西線〜近江塩津〜北陸線〜米原〜東海道線〜京都〜ムーンライト九州<車中泊>〜厚狭〜小野田〜小野田線〜雀田〜長門本山〜雀田〜居能〜宇部〜宇部線〜小郡〜ウェストひかり〜博多〜香椎〜香椎線〜西戸崎(海の中道公園)〜香椎線〜宇美〜香椎〜博多〜地下鉄・筑肥線〜西唐津〜筑肥線〜伊万里〜山本〜唐津線〜佐賀〜長崎線・鹿児島線〜博多<泊>〜博多南線〜博多南〜博多〜篠栗線〜飯塚〜後藤寺線〜田川後藤寺〜新飯塚〜筑豊線〜若松〜若戸渡船〜戸畑〜鹿児島線〜門司港〜日田彦山線〜夜明〜久大線〜由布院(共同温泉入湯)〜大分〜別府〜フェリー<船中泊>〜八幡浜〜内子経由〜松山〜長浜経由〜宇和島(宇和島城)〜予土線〜窪川〜高知<泊>〜土讃線〜阿波池田〜徳島線〜徳島〜鳴門線〜鳴門〜路線バス(淡路島)〜岩屋〜フェリー〜明石〜山陽線・東海道線〜浜松
(評)関西地区の支線と九州・四国の未乗区間をまとめて乗りつぶした「落穂 拾い」Tourの第一弾。これでJR九州とJR四国は完乗した。乗りつぶしを延々とし ていると、だんだんと空しくなってくるのだが、京都からの湖西線で、高架線か ら夕暮れの琵琶湖に感動し、後に「TWILIGHT SECTION」というテープ作るきっか けとなった。海の中道公園では南国の真夏の太陽の照り返しに目が眩み、日田彦 山線の大行司駅での対向列車待ち合わせのひとときでは、ヒグラシの大合唱を聞 いた。振り返れば結構夏の旅っぽかった。

1992年12月10日(木)夜〜16日(水) Trans Nippon Express
(キップ)青春18キップ使用
(行程)浜松〜豊橋〜名鉄〜新名古屋〜夜行バス不知火号<車中泊>〜熊本〜鹿児島線〜水俣〜特急つばめ〜川内〜鹿児島線〜西鹿児島〜指宿枕崎線〜西大山〜指宿枕崎線〜西鹿児島〜博多<泊>〜鹿児島線・山陽線・東海道線〜米原〜北陸線〜金沢<泊>〜柏崎〜越後線〜新潟〜新津〜羽越線〜坂町〜米坂線〜米沢〜奥羽線〜秋田<泊>〜奥羽線〜青森〜海峡線〜函館〜函館線・室蘭線・千歳線〜札幌<泊>〜函館線〜滝川〜根室線〜富良野〜富良野線〜旭川〜宗谷線〜稚内<泊>〜急行宗谷〜旭川〜全日空〜名古屋〜名鉄〜豊橋〜浜松
(評)日本の最南端の駅西大山から最北端の駅稚内へ鈍行だけで向かった5日 間であった。越後線や米坂線の初乗りを含めて旅の印象はいきおい北に行くほど 強くなってくる。西大山を出た日は風は強いものの、まだ厚手のワイシャツ1枚 で外を歩けたが、米坂線あたりから北は一面の雪原が広がっていた。山形から青 森にかけては、今はなき50系客車レッドトレインの独壇場。当時放送されていた 角松敏生のFM番組を聴きながら、大いに酔っ払った。北海道に入ってからはいよ いよ冷え込みがきつくなり、もちろんコートなしでは過ごせなかった。名寄から 乗った最後の列車は、凍てつく手塩川沿いをゆったりと走り、抜海の丘を越えて 稚内の街の灯を見下ろしながら聴いたデレク&ドミノスのレイラの終盤のピアノ のコードバッキングとクラプトンのギターの泣き具合には涙がこぼれそうになっ た。
弘前にて50系客車と筆者


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