ひとあし先に梅雨の旅へ


菊川駅と静岡空港を結ぶデマンドバス

今年に入ってすぐ、ゴールデンウィーク中の沖縄旅行を計画した。とりあえず宿とレンタカーは押さえておかねばと思い、本部半島の海洋博記念公園の目の前にあるコンドミニアムホテル・アルマリゾートを5月3日・4日の連泊で予約。楽天トラベル経由で1泊6,500円と超繁忙期にしては破格の値段だった。しかも全室オーシャンビューということなので、3月のハワイ旅行の時のように部屋でダラダラするのもいいなぁと勝手に妄想を膨らませていた。レンタカーの方も、琉球ダイハツレンタカーで7,350円(48時間料金)で確保。あとは3月の初めに航空券を予約するだけである。

ご存じの通り、一般的な航空券の発売開始は2ヶ月前の午前9時30分から。3月3日(木)の朝はあいにく会議が入っていたが、遺憾ながらも会議中に携帯をいじくり倒し、まずは往路の静岡→那覇のプレミアムクラスをゲット。続いて復路5月5日の那覇→静岡の予約にトライしたが、キャンセル待ちとなってしまった。しかしこれで諦めてはいけない。改めて3月5日(土)朝に自宅PCから復路分だけ予約しようと試みた。電波時計を傍らに置いて、午前9時30分ちょうどに予約ボタンをクリック。やっぱりキャンセル待ちだった。これはしかり…。


ホテル前にてレンタルしたタント


FDA機の脇を通るANA783便


かつてアクアポリスが浮かんでいた海を背景に

そう思ったのには理由があった。静岡と那覇を結ぶANAの機材はボーイング737-700というやつで、プレミアムクラスは8席しかない。例えば、ゴールデンウィーク前日の4月28日に静岡→那覇を飛び、復路を最も混雑する5月5日に飛ぼうとする場合、往復とも往路の発売日である2月28日に予約できてしまう。仮に8名のグループがそんな予約をしてしまうと、ゴールデンウィーク中に静岡から那覇へ向かう乗客の帰り便に支障が出てしまうので、5月5日の那覇→静岡のプレミアムクラス8席のうち2席ないし4席は販売せずに確保しておき(その間の予約客はすべてキャンセル待ちにしておき)、2ヶ月前の3月5日以降にロイヤリティの高い順にキャンセル待ちを解いていくべきである。

結局ANAの稚拙なシートコントロールのおかげで、5月2日になってもキャンセル待ちが解消しなかったので、あきらめて復路は別途確保していた那覇→伊丹のプレミアムクラスで飛ぶことにした。

そんなこんなで、ゴールデンウィークを迎えたが、またひとつ私を悲しませるニュースが飛び込んできた。「梅雨入り:沖縄で 気象庁は30日、沖縄地方が梅雨入りしたとみられると発表した。全国で最も早い梅雨入りで、平年より9日、昨年より6日早い。4月中の梅雨入りは98年以来13年ぶり。 気象庁によると、沖縄地方は、前線や南から湿った空気が入ってくる影響で、今後1週間、曇りや雨の日が多くなる見込みだという。」(4/30付毎日新聞東京夕刊より)

5月3日(火)、ゴールデンウィーク後半戦初日の朝は、梅雨入りした沖縄を想像させるような、どんよりとした曇り空。ケチケチ旅行であるので、まずは磐田まで路線バスを利用し、磐田駅から菊川駅へ東海道線鈍行で移動。菊川駅からは「近距離路線バスなのに前日までの予約が必要」という静鉄ジャストラインの空港バスに乗車。ホームページから予想できていたが、静鉄カラーのジャンボタクシーのようなデマンドバスで、牧ノ原台地の県道を駆け上った。

静岡空港を12時35分に出発するANA783便のプレミアムクラスで那覇空港へ。復路はガチガチの満席なのに、往路は思ったより混んでいない。8席しかないプレミアムクラスも2席空きがあり、私の隣席には誰も乗ってこなかった。

2時間30分の快適な空の旅を終え、雨の那覇空港に15時10分ころ到着した。レンタカー会社のバス乗り場で、琉球ダイハツレンタカーの送迎車に乗り込み、県道を南下した。「なんか来たことがあるな」と思っていたら、去年の7月に訪れたJEF豊見城店の前を通っていた。「う〜ん、ぬーやるバーガーが食べたい…」

沖縄のレンタカー屋さんは本土と比べてのんびりした性格の人が多いのか、借り出しの受付に時間がかかることが多いが、琉球ダイハツの女の子はテキパキと仕事をこなし、ものの10分ほどでハンドルを握れた。沖縄自動車道へ続く那覇空港道の入口には昨年も来ているので、ナビなしでも行ける。高速に入ると多少渋滞したが、沖縄道へ入る頃にはそれも解消。時折襲ってくるスコールのような土砂降りに「ベーパーロックが起きるんじゃなかろうか」とヒヤヒヤしながらも90`くらいをキープ。16時50分ころには名護市内に入った。

名護市内の信号待ちで、ようやくナビの目的地をセット。本日の宿である「コンドミニアムホテル・アルマリゾート」への到着予定時刻は17時30分ころを示している。多少遠回りになるが海沿いの国道449号を行く。とはいっても梅雨空と海の境が判別しづらいのであるが…。本部町市街地に入ってすぐのマックスバリュで3日間分の食材を調達する。明日はレンタカーを運転しない腹積もりである。買い物に時間がかかって、ホテルの受付には17時50分ころ到着。18時までにチェックインしてほしいとのことだったので、ぎりぎり間に合い、係の人に迷惑を掛けなくて済んだ。

旅に出れば、ところ構わず酒を飲む自分にとって、クルマを運転するためとはいえ目的地までアルコールを我慢するのはちと辛かった。まず風呂に浸かって、汗をかいた後に待望のオリオンビールのプルトップを開ける。「ぷはー」至極の時である。コンドミニアムタイプのこの部屋は、キッチンが付いていて、冷蔵庫やら電子レンジなど食生活にまつわるものはなんでもある。さっそくスーパーで買った焼き鳥を電子レンジで温めた。「ツマミも旨い!」


海洋博公園の遊歩道。晴れていればねぇ…


1975年の海洋博当時の姿を残す「水の階段」


海洋博公園の北端にあるエメラルドビーチ


水着を持ってきたものの寒くて泳げなかった


エメラルドビーチより美ら海水族館を望む


美ら海水族館よりエメラルドビーチを望む


海側から見た沖縄美ら海水族館


こちらは美ら海水族館の正面ゲート


政府出展という言葉が昭和っぽい


無料開放の熱帯ドリームセンター入口にて


温室に入るとファレノプシスがお出迎え

結局その晩は、自分好みの濃さで作ったハイボールでとことんまで飲みまくった。ベッドに入った時間もよく覚えていないが、翌朝は5時台に目が覚めた。窓の外は相変わらずの雨。ネットをチェックしながら朝食を摂り、これ以上時間を潰せないぞと感じたのが朝8時。ちょうど向かいにある海洋博記念公園の南ゲートが開く時刻であった。「午後になると土砂降りになるみたいだから、小雨のうちに公園を散歩してしまおう。」そう決めると行動は速い。5分後には公園の中を歩いていた。

沖縄の海洋博が開催されたのは1975年。沖縄が本土復帰を果たしてから3年後のことである。既に小学生だった私が「沖縄海洋博」と聞いてすぐに連想するのが、海上に浮かぶ「アクアポリス」という人工島である。そのアクアポリスは海洋博が終わった後も海に浮かび続け、レストランが開設されるなど、ある程度は利用されたらしい。しかし長年にわたって潮風にさらされ続け、サビでボロボロになったアクアポリスは、費用の問題でメンテナンスがいき届かなくなり、1993年に閉鎖。その後も海に浮かび続けていたが、2000年に上海へ渡りスクラップにされたという。この話を書いているうちに思い浮かんだのが、清水の海釣り公園にあったメガフロート。先月、福島第1原発事故のため汚染された水を貯めるために清水を離れたが、同じような構造物の両者がたどる末路はいずれも悲しい物語である。

さて海洋博公園にアクアポリスはもうないが、アクアポリスに渡る橋の痕跡くらいはあるのではと思い、夕陽の広場周辺を探してみた。痕跡は見つけられなかったが、せめてもの慰みになんとなく雰囲気が似ているアクアタウンを背景に記念撮影をしてみた(画像参照)。

夕陽の広場を出発した後は、海沿いをたどった。海岸遊歩道のウッドデッキの先には、三方を海に囲まれたベンチがあり、晴れた午後にここでビールでも飲んだら最高だったのにと、ちょっと悔しい思いをした。続いて海洋博の時に整備されたという水の階段の脇を通り、美ら海水族館の下を歩いて公園最北端のエメラルドビーチに到着した。

既に海開きを終えたエメラルドビーチには、泳ぐ人など皆無なのにしっかりと監視員が浜辺を見張っていた。試しに足を海に浸けてみたら、冷たいのなんの。梅雨入りしていなければ最高気温も25度以上に上がり、海水浴の真似ごとくらいはできたかもしれないが、今日の天気ではとてもじゃないが無理だった。

さてエメラルドビーチが散歩の折り返し地点。さきほど通過した美ら海水族館に行ってみた。とはいっても中年男の一人旅で水族館に入館する勇気はなく、家族連れや若い男女が入口のモニュメントをバックに記念撮影しているのを横目に見ながら、遠慮がちに通過しただけであった。

海洋博公園の目玉である美ら海水族館には入らなかったが、もうひとつの目玉施設である「熱帯ドリームセンター」は入場無料の日ということで入館してみた。巨大な温室の中で熱帯植物を展示している施設で、規模は違うが伊豆洋らんパークを思い出してしまった。「遠見台」という渦巻き状の塔がランドマークになっていて、名前の通りてっぺんまで登ると海洋博公園全体が見渡せる。公園の傍らには東シナ海が広がり、そこに伊江島がぽっかりと浮かんでいる。島の前を小舟が行き交い、晴れていれば最高の景色だったと思う。まぁ梅雨だから仕方ないけどね。

熱帯ドリームセンターで小1時間見学し、海洋博公園の南端にあるホテルに戻ってきたのは午前11時過ぎ。雨に濡れた体を風呂に浸かって温め、汗をかいたところでまたオリオンビール。2日目の午後はAFNを聴きながら部屋のベランダで飲みまくった。全室オーシャンビューということで、このホテルを選んだが、あてがわれた2階からは立ち上がらないと海など見えやしない。ベランダから見える景色は、美ら海水族館に向かうクルマと、そこから帰るクルマが織りなす双方向の渋滞風景。まぁクルマを運転するお父さんから見れば、ベランダでビールを飲む自分も相当羨ましかったんじゃなかろうか…


規模は違うが伊豆洋らんパークを思い出した


ハス乗り体験開催中。85sではムリだが


ランドマークである遠見台を背景に筆者


遠見台より熱帯ドリームセンター全景を撮影


東シナ海を小船が走る。うーん晴れていれば…


南ゲートを出てコンドミニアムに戻った


オーシャンビューならぬ渋滞ビューと化した


沖縄道中城PAにてダイハツタントを撮影


伊丹空港行きのANA106便は1時間40分の出発遅延。お詫びにもらった飲食券

明けて5月5日もどんよりとした曇り空。またも早起きしてしまったため、予定より1時間半くらい早くホテルをチェックアウトした。沖縄道を南下して豊見城でクルマを返し、那覇空港に到着したのが11時30分ころだった。那覇空港の出発時刻は13時55分なので、かなり早く空港に戻ってきてしまったが、ラウンジで時間を潰せるからいいかと思っていた。

しかし、こういう時に限って想定外のことが起きるもの。出発時刻を過ぎても伊丹行き搭乗のアナウンスがない。そのうちに、「機材故障のため、搭乗予定時刻は15時ころとなる予定です。」なんて放送が入る始末。なんでも1時間以上遅れると、シグネットラウンジ利用者には1,000円分の飲食券が配布されるそうで、珍しいので使わずに持ち帰ってきた(左の画像)。

さて、それよりも心配なのは伊丹空港に着いてからのこと。1時間程度の余裕をみて、新大阪17時40分発のひかり指定席を予約していたが、どうにも間に合いそうもない。心配になってラウンジのお姉さんに尋ねてみると、親身になっていろいろと対応してくれた。が、浜松を浜松町と勘違いして、羽田空港の便に振り替える始末。結局、問題は伊丹まで持ち越され、伊丹での最終的な処理は「切符を額面で買い取る」のみだった。おかげでゴールデンウィーク最終日夕刻の上り自由席で悶絶しながら帰ることになってしまった(実は裏技を使って、ほとんど座って帰ったのだが…)。まぁなるべくゴールデンウィーク中には沖縄旅行をしないでおこうという教訓を得た3日間だった。
<おしまい>

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