Coupling With 2005年版

     
2005年1月 <For Week Ending January 28,1984>
@ OWNER OF A LONELY HEART - Yes C/W B TALKING IN YOUR SLEEP - The Romantics
暖冬といわれる今年も元旦は雪景色のところが多いと思います。日本全国のほとんどの場所で雪が降っても、当地浜松地方は雪が降らないのですが、1984年の1月下旬には雪が積もりました。高校時代の頃で、オフシーズンということもあり部活はボートに乗らずに筋力トレーニングのためジムに通っていました。雪の降りしきる中、自転車でジムに行くのは正直かったるかったのですが、唯一ジムに行く楽しみがありました。それはジムで洋楽の有線放送が流れていること。ベンチプレスとかをやっていると、有線から当時のビルボードのチャート上位の曲が流れてきて、曲に乗せられてちょっと頑張っちゃったりしました。イエスの「ロンリー・ハート」もロマンティックスの「トーキング・イン・ユア・スリープ」もジムではよくかかっていました。滅多に降らない雪の思い出とあいまって、今でも旅先とかで雪景色を見ると、これらの曲を思い出します。
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2005年2月 <For Week Ending February 5,1983>
@ AFRICA - Toto C/W G ROCK THE CASBAH - The Clash
中学時代よりTOTOというバンドが好きだったのですが、1982年春に「TOTO W」というアルバムがリリースされ、私のTOTO熱は最高潮に達しました。当時そのアルバムの中で最も好きだったのが最後に収録されていた「アフリカ」でした。エスニック風のアレンジがされていたのですが、私が好きだったのはその歌詞で、いつかアフリカを旅してみたいと夢見ていました。ロックアルバムの中では異質な曲で、まさかシングルカットされるとは思ってもいませんでしたが、1982年の秋に3枚目のシングルとしてカットされ、地味ながらも一歩一歩チャートを昇り、ついに1983年2月5日付のビルボードで1位に輝きました。アルバムを持っていたにも関わらず、私は嬉しくなってシングル盤まで買ってしまったほどです。
一方のクラッシュの「ロック・ザ・カスバー」は、そのプロモーション・ビデオのイメージから中近東の砂漠のイメージがある曲です。湾岸戦争の時、現地の米軍のラジオで最初にかかった曲としても有名ですが、私は中近東でなくても、少し砂漠っぽいイメージがある場所に行くと頭の中でこの曲がリフレインしてしまいます。
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2005年3月 <For Week Ending March 21,1981>
@ KEEP ON LOVING YOU - REO Speedwagon C/W B THE BEST OF TIMES - Styx
中学生の頃の私の3大ロックバンドといえば、TOTO、ジャーニー、REOスピードワゴンでした。そのうちのひとつであるREOスピードワゴンの出世作、アルバム「Hi Infidelity」がお気に入りでした。「キープ・オン・ラビング・ユー」はそのアルバムからのファーストシングルで、この週に見事全米1位に輝きました。もっともアルバムの方はもっとバカ売れして、当時の連続1位記録を塗り替えたほどでした。ライブで演奏したら映えそうなドラマチックな曲調が耳に残ります。ケビン・クローニンの切なく甘いボーカルも光ります。
一方、切なく甘いボーカルといえばスティックスのデニス・デ・ヤングもその一人です。「パラダイス・シアター」というコンセプト・アルバムから「ベスト・オブ・タイムス」がカットされ、この週から4週連続3位をキープしました。元来、私はピアノをフィーチャーした曲が好物なのですが、案外起源はこの辺にあるのかもしれません。とにかくメロディアスなバラードでした。この曲は当時システムコンポのCMに使われていて、そのメーカーのシスコンが私の憧れでした。スティックスは来月も取り上げます。
その他、この週のチャートで目立った曲を挙げると、2位にジョン・レノンの「ウーマン」(3週連続キープするも結局最高位2位)、8位にアバの「ザ・ウィナー」、11位にスティービー・ワンダーの「I Ain't Gonna Stand For It(邦題は「疑惑」)でした。蛇足ですが、スティービー・ワンダーの曲は20年後にエリック・クラプトンがカバーし、そのリリースの日にたまたま旅先の岡山で聞いたため、3月になると思い出す曲の1つとなっています。
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2005年4月 <For Week Ending April 16,1983>
B MR. ROBOTO - Styx C/W G SEPARATE WAYS - Journey
K-MIX(当時はFM静岡)が開局したのは1983年の4月。開局前の試験放送ではノンストップで洋楽がガンガンかかり、今までNHK-FMか雑音まじりのFM愛知しか聴けなかった加藤少年は胸をときめかせていました。その頃ヘビーローテーションでかかっていたのが、スティックスの「ミスター・ロボット」とジャーニーの「セパレイト・ウェイズ」です。「ミスター・ロボット」は、上記の「ベスト・オブ・タイムス」や「ベイブ」などに比べると否定的な意見が多いのですが、ハイハットの16ビートのスピード感が当時の私にとっては大好物でした。「ドモアリガット、ミスター・ロボット、ロボ、ロボ」というキッチュなフレーズも今となっては懐かしく、また微笑ましい感じです。
一方の「セパレイト・ウェイズ」も従来のジャーニーからは異質な感じがしました。従来のジャーニーの特徴はニール・ショーンがギターを弾きまくるという感じでしたが(特に曲の後半)、この曲はイントロからして、ジョナサン・ケインのシンセサイザーでしたし、スティーブ・ペリーのハイトーン・ボーカルを前面に出している感じがします。全米チャートでは8位が最高位で、その位置で6週間粘るという珍記録を作っていますが、日本ではそれ以上のインパクトでヒットをしていました。
当時はマイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」が空前絶後の旋風を巻き起こしていて、この日のチャートでも7週連続の1位に「ビリー・ジーン」、赤丸急上昇の5位に「ビート・イット」とトップ10に2曲を送り込んでいます。チャートの上ではしばらくロック受難の時期でした。
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2005年5月 <For Week Ending May 16,1981>
@ BETTE DAVIS EYES - Kim Carnes C/W A JUST THE TWO OF US - Grover Washington Jr.
中学・高校時代の私は、全米チャートの追っかけをしており、それこそ洋楽ならなんでも聴く「ぜネラリスト」でした。一転、大学に入ると好きなジャンルの特定のアーチストしか聴かない「スペシャリスト」になり、社会人になると時間が無くて音楽なんて聴かないせいかつになってしまいました。大学時代の「スペシャリスト」生活は、それ以前に「ゼネラリスト」の時代があって成り立っているわけで、その点、今回取り上げたグローヴァー・ワシントンJrは、よくぞ中学時代に出会ったと後から見ると思ってしまいます。
「ワインライト」というアルバムは80年代初頭のジャズ・フュージョンの雰囲気を良く表していて、今でも思い出したように聴いてしまうのですが、その雰囲気はどこにあるのだろうかと考えたところ、エレピのフューチャーとベースラインにあるんじゃないかというのが結論でした。「ジャスト・ザ・トゥ・オブ・アス」(邦題は「クリスタルの恋人たち」というとんでもないものでした…)はビル・ウィザースのボーカルをフューチャーして、ジャズ・フュージョンの曲としては異例のポップチャート2位まで上り詰めました。濃厚なボーカルとグローヴァー・ワシントンJrのサキソフォンが絡み合って、中学生で背伸びしたい年頃だった私は「アダルトな曲でイイ感じ」だと捉えていました。その後、ナベサダさんからカシオペア、スクエアと走り、大学では松岡直也さんへと突き進むフュージョン嗜好のきっかけを作った曲だったと思います。
一方、1位の「ベティ・デイビスの瞳」は1981年夏を語るには欠かせない曲で、この週に1位を獲得すると5週連続で1位。1週休んで6月27日から4週連続で1位と7月18日付けのチャートまで席捲しました。アルバムタイトル「私の中のドラマ」という名前が意味深で好きだったのを覚えています。
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2005年6月 <For Week Ending June 18,1988>
@ TOGETHER FOREVER - Rick Astley C/W A ONE MORE TRY - George Michael
1988年の4〜7月は、3年間暮らした静岡の下宿を引き払い、自宅から静岡へ鈍行列車で通学していました。当初は週に1〜2回通学すればいいやという感じで、長距離通学を選んだのですが、卒業研究が殊の外大変で、結局は毎日のように静岡に通っていました。おそらく人生のうちで最も電車に乗っている時間が長い期間で音楽を良く聴き、しばらく洋楽チャートに疎かった自分が、この時はビルボードチャートのおっかけに復帰してしまいました。
「トゥゲザー・フォーエバー」は田植えが終わった田んぼが広がる袋井付近の朝を思い出し、「ワン・モア・トライ」は夕暮れ迫る金谷駅の向かい側のホーム上にある時計の針(決まって午後6時45分くらいを指していました)を思い出します。この時代に聴いた曲は、曲ごとにその頃の一場面が付属している感じがします。
リック・アストリーの「トゥゲザー・フォーエバー」は、この週(6月18日付)のチャートで、それまで3週に渡って1位を守り続けたジョージ・マイケルの「ワン・モア・トライ」に代わってトップに立ちましたが、翌週にはデビー・ギブソンの「フーリッシュ・ビート」に1位を明け渡しました。その後1位はマイケル・ジャクソン、チープ・トリック、リチャード・マークス、スティーヴ・ウィンウッドと7月末までに次々に入れ替わり、動きの激しいチャートでした。それぞれの曲名がわかりますか?
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2005年7月 <For Week Ending July 26,1986>
A DANGER ZONE - Kenny Loggins C/W G MAD ABOUT YOU - Belinda Carlisle
トム・クルーズという人は現在でも第一線で活躍するハリウッド・スターですが、ブレークしたのは1986年公開の映画「トップ・ガン」でした。ハロルド・フォルター・マイヤーによる「トップ・ガン・アンセム」、ベルリンによる「愛は吐息のように」など現在でも語り継がれる名曲が、MTVのような画面のバックに流れ、たとえ日本語字幕がなくても楽しめる映画でした。そのテーマ曲がケニー・ロギンスの「デンジャー・ゾーン」。映画「フットルース」に次ぐ彼の映画とのタイアップの曲で、当時はロギンス&メッシーナ時代の精神はどこへ行った?など批判も多々ありました。しかし私は、たとえ「産業ロック」と言われようが、カッコイイ音楽が大好きだったので、この曲もえらく気に入ってしまいました。今でも着メロで使っているほどです。
もう1曲はベリンダ・カーライル。元ゴーゴーズということで、彼女も夏のイメージがあるのですが、この曲のサウンドも夏をイメージさせるものでした。大学時代の夏の旅に、この曲をお供に連れって行ったものです。シチュエーションや聴く音楽を工夫して当時の旅を再現しようと努めても、物事に対する感じ方が変わってしまった今では、どうしても当時の感動を再現することはできません。夏の旅は一期一会だと痛感する今日この頃です。
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2005年8月 <For Week Ending Aug. 27,1983>
@ EVERY BREATH YOU TAKE - The Police C/W M LAWYERS IN LOVE - Jackson Browne
1983年の夏のビルボードチャートを席捲したポリスの「見つめていたい」。7月9日付けのトップ100で1位に立つと、8月27日付けのチャートまで8週連続でトップを守ったのですから、1983年(私は高校2年生でした)の夏休みの思い出を紐解くと、必ずこの曲がオーバーラップしてくるのは仕方ないことかもしれません。特に部活の浜名湖遠漕で昼下がりの休憩時間に聞いた光景が思い浮かびます。彼らの最高傑作アルバム「シンクロニシティ」からのシングル・カットですが、頂点に立ったバンドが辿る道は彼らにも例外ではありませんでした。バンドは解散し、スティングの活躍はみなさんもご存知のことです。さて、ポリスはギター、ベース、ドラムのシンプルな3ピースバンドなのですが、そうは思わせない凝った音作りをしています。アコースティックな味わいのある「見つめていたい」はそのモノクロのPVともあいまって、ロックの古典といえる楽曲でした。
一方のジャクソン・ブラウン「愛の使者」は、私にとっては1983年の秋の思い出の曲です。10月の修学旅行の時に、この曲とジョージ・ベンソンの「愛のためいき」を持っていったのを思い出します。しかし実際には、最高位が9月10日、17日の両日の13位。夏の終わりにはチャートアクションが緩やかになっていたのは意外でした。考えてみればウェストコースト・ロックの代表的アーチストの彼の曲ですので、夏にヒットしていたのも頷けます。「孤独のランナー」とともにカリフォルニアの旅行の時には是非お供に連れて行きたい佳曲でした。
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2005年9月 <For Week Ending Sept. 24,1983>
@ TELL HER ABOUT IT - Billy Joel C/W A TOTAL ECLIPSE OF THE HEART - Bonnie Tyler
先月に続いて今月も1983年のチャートから。ビリー・ジョエルが渾身の力を込めて作った「ナイロン・カーテン」は冷戦下の世界情勢やベトナム戦争への反省などを織り込み、社会派の作品でしたが、そのテーマの暗さゆえ商業的にぱっとせず次作は方針を大転換しました。それがアルバム「イノセント・マン」で、ファーストシングルがいきなり1位を獲得しました。邦題「あの娘にアタック」というこの曲は、60年代のモータウンサウンドを全面的にフィーチャーした軽快なナンバーでした。特にPVはエド・サリバン・ショーを再現した作りで、ロックン・ロール・スターに扮したビリー・ジョエルのサングラス姿がかっこよかったことを覚えています。結局このアルバムは大成功を収め、翌年にかけて「アップタウン・ガール」や「夜空のモーメント」などの曲をシングル・ヒットをチャートに送り続けました。
一方のボニー・タイラー「愛のかげり」は、同時期にチャートを賑わせたエア・サプライの「渚の誓い(Making Love Out Of Nothing At All)」とともに「大げさソング」として語られる曲です。この2つの曲は同年の10月8日から10月22日付けチャートまで3週連続で1位・2位を独占しました。大体、ポップスの曲の名前に「ECLIPSE」という単語が出てきたのは、これが初めてでしたし、今後も出そうもないでしょう。曲の後半部の壮大なAメロの間奏を聴くと、私は秋の深まりを感じてしまいます。
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2005年10月 <For Week Ending Oct. 26,1985>
@ SAVING ALL MY LOVE FOR YOU - Whitney Houston C/W A PART-TIME LOVER - Stevie Wonder
1985年10月のビルボードチャートは、現在30代後半から40歳くらいの洋楽好きだったオジサン方(もちろん自分もその一人なのですが…)には懐かしい曲が目白押しです。目玉はア〜ハの「テイク・オン・ミー」で10月19日付けのビルボードHOT100で1位を獲得しています。今回取り上げているのはその翌週のチャートで、当時新人だったホイットニー・ヒューストンがデビュー・アルバムからの第2弾のシングルカット「すべてをあなたに」で自身初の全米1位に輝いた週でもあります。この後90年代にかけて多くの曲をチャートに送り込んだ彼女ですが、私としてはこの「すべてをあなたに」が最も好きな曲のひとつになっています。秋の柔らかい日差しにぴったりとはまる穏やかな曲で随分癒されます。
もう1曲はスティービー・ワンダーの「パートタイム・ラバー」を取り上げてみました。この曲は対照的にハイハットの16分音符の刻みが軽快な曲で、スティービー・ワンダーの当時の曲調が良く現れています。好き嫌いはあると思いますが、私はスティックスの「ミスター・ロボット」などこういう細かい刻みのビートが好みなので、この曲がリリースされると同時に「これはイイ!」と飛びついてしまいました。先日行ったクリーブランドの「ロックン・ロール・ホール・オブ・フェイム」でも視聴ボックスで、指先や足でビートを刻みながら楽しんでしまうほどの大好きな曲のひとつであります。
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2005年11月 <For Week Ending Nov. 7,1981>
@ PRIVATE EYES - Daryl Hall & John Oates C/W E THE NIGHT OWLS - Little River Band
1981年の秋から翌年の春にかけては高校受験の勉強中で、学校から家に早く帰れることもあって洋楽をたくさん聴けた時期でした。主にはFMのエアチェックで、その頃から高校時代にかけて最もカセットテープの消費量が多かったように思います。1981年11月7日付けのビルボードTOP100の上位には、今回取り上げる「プライベート・アイズ」や「ナイト・アウル」の他にも馴染み深い名曲がずらっと並んでいます。2位にローリング・ストーンズの「スタート・ミー・アップ」、3位に昨年取り上げたクリストファー・クロスの「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」、そしてこの後熾烈なトップ争いを繰り広げるフォリナーの「ガール・ライク・ユー」とオリビア・ニュートン・ジョンの「フィジカル」がそれぞれ10位と14位にランクされ赤丸急上昇中でした。秋になると聴きたくなるビリー・ジョエルの「さよならハリウッド」のライヴバージョンも17位に入っていました。
その中で堂々の第1位に輝いたのがホール&オーツの「プライベート・アイズ」です。ホール&オーツとしては「キッス・オン・マイ・リスト」やこの曲あたりがキャッチーで聴きやすく、その後だんだんとディープな世界に行ってしまったのが惜しまれます。
一方のリトル・リバー・バンドの「ナイト・アウル」は文句なしにかっこいい曲で、同時期のエア・サプライやメン・アット・ワーク、そして少し後のイン・エクセスと並んでOZロック・ブームを巻き起こしました。ツイン・ギターと美しいハーモニーが印象的で、70年代後半にヒットした名曲「追憶の甘い日々(リミニッシング)」を彷彿とさせます。秋の夜長のお供にいかがでしょうか?
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2005年12月 <For Week Ending Dec. 5,1987>
@ HEAVEN IS A PLACE ON EARTH - Belinda Carlisle C/W B FAITH - George Michael
大学入学後、少数のアーティストを深く聴く音楽的志向に変化し、高校時代のようにヒットチャートを追い掛け回すことはなくなりました。しかし1987年の秋から年末にかけては、ビルボードチャート上に馴染みのあるメンバーは並んだこともあり、思い出深いものになっています。その中でも「ウィ・ガット・ザ・ビート」や「バケーション」などのヒットを持つゴーゴーズのベリンダ・カーライルがソロとして全米ナンバーワンを獲得した「ヘヴン・イズ・ア・プレイス・オン・アース」がお気に入りでした。特に間奏から転調へと続く流れが好きな部分です。この曲は半年後に私の就職活動のテーマソングになりました。
一方の「フェイス」は翌週の12月12日付けチャートから3週連続で1位に輝きました。元ワム!の片割れの彼ですが、ソロとしての最初の曲でいきなりの大ヒットでした。イントロのパイプオルガンはワム!時代のヒット曲「フリーダム」をフィーチャーしていました。この時期ワム!の「ラスト・クリスマス」が街によく流れていますが、一緒に同名の大ヒットアルバム「フェイス」も聞いてみてはいかがでしょうか?
この週のチャートにはスティングの「ウィル・ビー・トゥゲザー」も7位にランクされており、それ以前にデュオやバンドで、ある程度人気があった人が独立してヒット曲を飛ばすという流れがこの頃顕著に表れていたようです。

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