Coupling With 2004年版

  
2004年1月 <For Week Ending Jan.9,1982>
@ PHYSICAL - Olivia Newton John C/W A WAITING FOR A GIRL LIKE YOU - Foreigner
このコーナーの最初を飾るチャートは、やっぱりこれでしょう。 1位「フィジカル」、2位「ガール・ライク・ユー」という組み合わせは1981年の11月28日のチャートから始まり、年が明けて1982年の1月23日まで続き、その間9週連続でチャートの上位2曲の組み合わせが変わりませんでした。驚きなのは、それがクリスマスシーズンという最もレコードが売れるシーズンを挟んでいたということ。この2曲はさも売れまくったことでしょう。さて、既述のとおり「ガール・ライク・ユー」は悲劇の2位ということで有名なのですが、その陰に隠れて「悲劇の3位」の存在があったことを忘れてはなりません。その曲は、アース,ウィンド&ファイアの「レッツ・グルーヴ」。強力な上位2曲に阻まれて、1981年12月19日から翌年1月16日まで5週連続で3位に甘んじました。この3曲の中では結構「レッツ・グルーヴ」が私は好きかも…
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2004年2月 <For Week Ending Feb.16,1985>
F CAN'T FIGHT THIS FEELING - REO Speedwagon C/W H THE BOYS OF SUMMER - Don Henley
2月といえば、まず思い出すのはREOスピードワゴンの2曲目の全米ナンバー1ヒットとなった「涙のフィーリング」。実際に頂点に立ったのは3月9日〜23日の3週間ですが、先週16位からこの週7位へとジャンプアップし、1位への足掛かりを築いています。当時の私は暗黒の受験生時代。「ひかりの春」とはいえ底冷えのする季節の中で、私はこの曲のチャートアクションに自分を投影し、来る春を夢見ていました。
一方のドン・ヘンリーは、この前の週に最高位5位を記録して、この週「赤丸」が消えランクダウンしています。この曲は昨年「The Ataris」がカバーし、全米Top20に入るスマッシュヒットを記録しました。昨年のカバー曲ではギターの音がかっこよく、ストレートなロックをしていて原曲の良さを再認識した次第です。ちなみに原曲は、キーボードの曲という印象だったような…。ドン・ヘンリーのボーカルが哀愁を帯びていて、またこれがいい味を出しています。
ドン・ヘンリーといえば、同じイーグルスのメンバーだったグレン・フライのことも気にかかりますが、この週のチャートで「The Heat Is On」が、2曲のちょうど間の8位にランクしています。「ビバリーヒルズ・コップ」のテーマ曲だったこともあり、こちらは3月16日付チャートで最高位2位まで上昇しました(1位は「涙のフィーリング」)。
この週(2/16)の1位はワムの「ケアレス・ウィスパー」、2位はフォリナーの「アイ・ワナ・ノウ」、3位はフィリップ・ベイリーとフィル・コリンズの「イージー・ラヴァー」。なかなか粒揃いのチャートでした…
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2004年3月 <For Week Ending March 18,1989>
@ LOST IN YOUR EYES - Debbie Gibson C/W E ETERNAL FLAME - Bangles
大学を卒業した年の3月が、激動的な1ヶ月で強く印象に残っています。洋楽のカウントダウン番組をラジオで聴いていたのもこの頃が最後で、社会人になってからは忙しさにかまけてヒットチャートに疎くなってしまいました。カウントダウン番組では1位の曲が当然最後にかかり、多くの場合はフルコーラス聴けるのですが、その頃カーラジオで「ロスト・イン・ユア・アイズ」を聴きながら、学生時代の思い出をたどり、将来に対する希望と不安を抱いていました。そういう意味では「ロスト・イン・ユア・アイズ」は別れの季節に、番組の終わりに聴くのに相応しい曲だったと思います。この曲は3月4日付けのビルボードHOT100で1位となり、3週連続でその座を守りました。道理で3月の曲のイメージが強いわけです。
カップリングはバングルスの「胸いっぱいの恋」(原題 "ETERNAL FLAME″)。この曲もせつない曲調で、同じ頃ラジオでよくかかりました。3月18日付けのビルボードTOP100では6位でしたが、翌週2位になり、そして4月1日付けのチャートで堂々1位に輝きました。印象的な転調の部分を聴くと、別れの季節を思い出します。
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2004年4月 <For Week Ending April 26,1980>
A RIDE LIKE THE WIND - Christopher Cross C/W H YOU MAY BE RIGHT - Billy Joel
1979年秋のAMラジオ番組「SBSポピュラーベストテン」を聴き始めて以来25年間の長きに渡って私は洋楽ファンとして暮らしてきました。今回紹介するチャートは、私の洋楽ファン生活の初期の初期のチャートで、「ビルボード」なる全米のチャートがあるということを初めて知った頃のチャートです。
ビリー・ジョエルは、向こうのアーチストの中で初めてファンになったうちの1人で、当時発表されたロックン・ロール・アルバム「グラス・ハウス」は、私が初めて買ったレコードです。この「グラス・ハウス」のファースト・シングル・カットが「ガラスのニューヨーク(原題 You May Be Right)」で、ガラスの割れる音とともに始まるイントロは現在でも有名です。MTVがなかった頃ですが、この曲のビデオ・クリップは当時のバラエティ番組「ヤングOH!OH!」の洋楽紹介コーナーで偶然目にして、強い印象を受けました。スタジオ・ライブなのですが、ビリー・ジョエルがずり落ちてくるサングラスを再三直している仕草がずいぶんカッコよく見えたのを覚えています。「ガラスのニューヨーク」は、この次の週(5/3)から3週連続で最高位7位まで上がるスマッシュ・ヒットでしたが、同じアルバムからの2曲目のシングル・カット「ロックン・ロールが最高さ」は同年7/19のチャートで彼自身初の1位に輝いています。
さて、対するクリストファー・クロスの「風立ちぬ(原題 Ride Like The Wind)」は、彼自身のデビュー曲です。デビュー・アルバム「南から来た男」のジャケットはフラミンゴの絵で、彼自身の顔が映っていないため「覆面歌手」として、その容姿に関心が集まりました。なんといっても透きとおったハイトーン・ボイスが印象的でしたので、どんな2枚目なんだろうと想像をかき立てられましたが、いざ姿を現してみたら、髪の毛の薄い小太りのあんちゃんで、世の女性たちをがっくりさせたエピソードの持ち主です。楽曲は今聴いても古くなく、ピアノ好きの私としては、コード・バッキングのピアノの音質の良さが気に入ってます。「風立ちぬ」はこの週から4週連続で2位を記録しましたが、当時大人気のデボラ・ハリー擁するブロンディの「コール・ミー」にトップの座を阻まれて、悲劇の2位で終わっています。彼自身がトップに昇りつめたのは、やはりセカンド・シングルの「セイリング」で、同年8/30付けチャートでみごと栄冠に輝いています。翌年のバート・バカラック、キャロル・ベイヤー・セイガー、ピーター・アレンという豪華メンバーとの共作「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」の大ヒットで、彼の存在を確固たるものにしたことは有名ですね。
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2004年5月 <For Week Ending May 5,1984>
D LOVE SOMEBODY  - Rick Springfield C/W N DON'T ANSWER ME  - Alan Parsons Project
私の高校生活を語るにおいて欠かせないのが、ボート部での生活。最上級生となり、インターハイ予選の前哨戦で快勝して、「さぁ予選を勝ち上がって秋田(総体)に行くぞ!」と気合が漲っていたのが1984年の5月です。アラン・パーソンズの「ドント・アンサー・ミー」は、全ての音にエコーを効かせた、いわゆる「フィル・スペクター・サウンド」で、この頃の「夏への加速感」を表すのに欠かせない思い出の曲です。この週が最高位で、大ヒットという感じではないのですが、印象に残る名曲です。
一方の「ラブ・サムバディ」も加速感のあるロックン・ロールで、1984年の5月を語るのには最適の曲です。リック・スプリングフィールドは1981年の「ジェシーズ・ガール」以来、軽快なロックサウンドでコンスタントにヒットを飛ばしていましたが、この曲もこの週に最高位5位を記録し、スマッシュヒットになりました。ちょっと「産業ロック」っぽい面は否めませんが、アメリカ人には受けるらしく、現在でもラスベガスのショーなどで長期の公演などをこなしている模様です。
ちなみに、この週の1位は映画「カリブの熱い夜」の主題歌であるフィル・コリンズの「アゲインスト・オール・オッズ」、2位はライオネル・リッチーの「ハロー」、3位はトンプソン・ツインズの「ホールド・ミー・ナウ」、4位はケニー・ロギンスの「フットルース」でした。
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2004年6月 <For Week Ending June 30,1984>
@ THE REFLEX - Duran Duran C/W A DANCING IN THE DARK - Bruce Springsteen
うっとうしい梅雨がある6月ですが、この時期に必ず聴きたくなる曲はブルース・スプリングスティーンの「ダンシング・イン・ザ・ダーク」。シンセのコードバッキングにタイトなドラムで始まるキャッチーなイントロが、まず耳に残る曲です。そして、「アメリカの心」といわれるブルース・スプリングスティーンのシャウトが実に素晴らしい味を出しています。この曲は惜しくも最高位2位と、デュラン・デュランの「リフレックス」とプリンスの「ビートに抱かれて」に全米1位を阻止されたが、アルバム「ボーン・イン・ザ・USA」は全世界で2000万枚、アメリカだけでも1200万枚売り上げるという大ヒットとなり、ロックの歴史に燦然と輝く名盤になっています。もちろん何十週にも渡って全米1位を記録しました。
そして、カップリングはデュラン・デュランの「リフレックス」。この曲も高校3年の時の思い出の曲で、体育祭のショウタイムでこの曲に合わせて踊った記憶があります。MTV時代の申し子と言われたデュラン・デュランは、メンバーのアイドル性と「ニューロマンティック」といわれるサウンドを武器に母国イギリスと日本の音楽シーンを席捲しましたが、ついにこの曲で全米1位を記録し、人気は世界的なものになりました。しかし翌週には新進気鋭のプリンスにその座を奪われてしまいましたが・・・。
そういう意味では、この週の1位、2位はどちらもちょっとせつなげな影がちらついています。でも、どちらも80年代の半ばに、私の青春を彩った名曲であると思います。
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2004年7月 <For Week Ending July 10,1982>
C HEAT OF THE MOMENT - Asia C/W I CAUGHT UP IN YOU - .38 Special
第1期ビルボード熱中時代ともいうべき1982年夏ですので、今月から3回にわたって1982年のチャートを取り上げます。まず7月ですが、この時期は真夏を直前に控えた胸騒ぎ感のあるチャートのような気がします。取り上げたのは4位(最高位)のエイジア「ヒート・オブ・ザ・モーメント」と10位(同じく最高位)の邦題「想い焦がれて」(38スペシャル)ですが、この週の1位は、ヒューマン・リーグ「愛の残り火」、2位は、この週も含めて5週連続5位でトップに昇りつめられなかった名曲、TOTO「ロザーナ」、3位は、同じく最高位2位だったジョン・クーガー「青春の傷あと」、5位は、のちに1位に輝くサバイバー「アイ・オブ・ザ・タイガー」とお馴染みの曲が揃っています。またTOP20圏内には、2週前に1位だったポール・マッカートニーとスティービー・ワンダーのデュエット「エボニー・アンド・アイボリー」(8位)、スティービー・ニックスのボーカルがスパイスとなっているフリートウッド・マックの「ホールド・ミー」(12位)、スティービー・ワンダーの「ドゥ・アイ・ドゥ」(13位)、2ヵ月後に1位になるスティーブ・ミラー・バンドの「アブラカダブラ」(15位)、REOスピードワゴンの「キープ・ザ・ファイア・バーニング」(16位)など、どちらかというとベテラン勢が幅をきかせていました。赤丸急上昇(懐かしい表現!)ではシカゴ「素直になれなくて」(26位)、軽快なロックサウンドのメリサ・マンチェスター「気になるふたり」(32位)、ファンカラティーナで一世を風靡したヘアカット100「渚のラブプラスワン」(43位)、イーグルス解散直後のグレン・フライ「サムバディ」(44位)、登場2週目のゴーゴーズ「ヴァケーション」(54位)、同じく2週目のアラン・パーソンズ・プロジェクト「アイ・イン・ザ・スカイ」(72位)、初登場のメン・アット・ワーク「ノックは夜中に」(83位)と挙げればキリがありません。これらの曲は次回・次々回に紹介できるかもしれません。
さて、エイジアですが、ご存知の通りイエス、キングクリムゾン、エマーソン・レイク&パーマーといったロック史に残るプログレバンドのメンバーが集まって、重厚かつポップなサウンドでヒットシーンを飾りました。ファーストシングルがこの「ヒート・オブ・ザ・モーメント」で、大げさな転調とカール・パーマーの走りまくるドラムスが印象的でした。これをきっかけにプログレに先祖がえりしたロックファンも多かったと思います。エイジア自体はプログレでもなんでもなく産業ロックだったという評価のようですが、私は好きなアーチストでした…。
一方、38スペシャルの方は南部の泥臭いロックを、爽やかなサウンドで包み込むという印象で、この「想い焦がれて」はその代表的な曲だと思います。イントロのギターのカッティングを聴くと「あぁ今年も夏がやって来た」という感慨を覚えます。日本語に訳されたチャートには付いていない“.38 Special”の「.」を初めて原書のチャートで見たときの「かっこいい!」という感動は今でも忘れません。このドットは「38口径のガン」というバンド名の由来を最もよく表していると思います。どうでもいいことのようですが・・・
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2004年8月 <For Week Ending August 21,1982>
C HOLD ME - Fleetwood Mac C/W E EVEN THE NIGHTS ARE BETTER - Air Supply
1982年8月は4週間にわたってTOP5の順位に変動がなかったばかりか、8月21日と28日のTOP10が全く同じという珍現象が起きていました。まるでビルボード誌の怠慢にも見えるようなチャートアクションですが、1位に映画「ロッキー3」のテーマであるところのサバイバー「アイ・オブ・ザ・タイガー」が7月24日から6週連続で居座り、2位にジョン・クーガーの「青春の傷あと」が4週連続で動かず(結局最高位2位)、3位は9月に入ってようやくサバイバーに代わって1週だけ頂点に立つスティーヴ・ミラー・バンド「アブラカダブラ」がチャートされていたため、上位が強力な分チャートが動かなかったのでしょう。その中であおりを食ったのがフリートウッド・マック。7月24日に4位に赤丸付きで上昇したのはいいのですが、それから6週にわたって頭を抑え続けられ、結局最高位4位ということになってしまいました。
さて、そのフリートウッド・マックの「ホールド・ミー」ですが、彼らのアルバム「ミラージュ」からのファースト・シングルでクリスティン・マクビーのボーカルに癒されます。次のシングルの「愛のジプシー」のボーカルはスティービー・ニックスがフィーチャーされていますので聴き比べてみるのも面白いでしょう。いずれにせよ熟成を重ねた作り込まれたサウンドで、アメリカ人がこよなく愛するのも無理ないなという感じです。
一方、6位にチャートされていたのがエア・サプライの「さよならロンリー・ラブ」。夏に相応しい爽快なサウンドで、ラッセル・ヒッチコックの透明感あふれるボーカルと、間奏で聴けるツインギターのフレーズが洋楽に最も熱中していた夏に私を引き戻してくれます。
今回は4位と6位を紹介しましたが、間に挟まっている5位の曲は来月紹介させていただきます。ちなみに7位はREOスピードワゴンの「キープ・ザ・ファイア・バーニング」、8位はベリンダ・カーライル率いるゴー・ゴーズの「ヴァケイション」、9位はベテラン、クロスビー・スティルス&ナッシュの「ウェイステッド・オン・ザ・ウェイ」、10位も大御所ポール・マッカートニーの「テイク・イット・アウェイ」でした・・・
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2004年9月 <For Week Ending September 18,1982>
@ HARD TO SAY I'M SORRY - Chicago C/W H EYE IN THE SKY - The Alan Parsons Project
7月から3回にわたって特集してきた「一番熱かった夏」1982年のビルボードチャートの最終回は、やはりこの曲でしめたいと思います。シカゴの「素直になれなくて」は12年経った今でも名曲として生き続けています。ブラスロックのグループとして1970年代を席捲してきたシカゴは、70年代終盤から80年代序盤にかけて低迷期を過ごしていました。そこで新たにデビッド・フォスターという当時は泣く子も黙るプロデューサーを迎え「シカゴ16」というアルバムをリリースしました。そこからの第一弾シングルカットがこの「素直になれなくて」です。イントロのピアノのメロディーは、夏の終わりという季節感もあって、いわゆる泣けるサウンドの真骨頂という感じです。ピーター・セテラのハイトーン・ボーカルが心地よいこの曲は9月11日のチャートで1位に輝き、2週連続でトップを守りました。シカゴはこの後、バラードのヒット曲を立て続けにリリースし、第2の全盛期を迎えました。
一方、9位の「アイ・イン・ザ・スカイ」はこの後10月16日付けのチャートで最高位3位まで上がり、3週連続でそのランクを守りました。ベースラインから始まるイントロがカッコよかったのですが、アルバムでは「シリウス」という曲からのメドレーでこの曲に入り、そのつなぎのベースラインだったということを、かなり後になってから知りました。この曲も私にとっては秋を象徴するような曲で、特に曲の終盤のギターソロが秋を感じさせます。
1982年の夏は、私の音楽人生では最高の名曲揃いでした。おそらくこれほどビルボードチャートを追いかけた年は今までになかったし、今後も現れることはないでしょう・・・
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2004年10月 <For Week Ending October 17,1981>
@ ARTHUR'S THEME - Christopher Cross C/W G WHO'S CRYING NOW - Journey
バート・バカラックという名ソングライターがいる。70年代のポップスを語る上で欠かせない人物で、カーペンターズの「遥かなる影」やBJトーマスの「雨にぬれても」の間奏部ブラスセクションに彼の特徴が最も現れています。その彼が書いているだけでもスゴイのに、ピーター・アレン、キャロル・ベイヤー・セイガーも曲作りに関わっていて、もちろんシンガーソングライターであるクリストファー・クロスもいっちょかみしていれば「ニューヨーク・シティ・セレナーデ(アーサーズ・テーマ)」が平凡な曲になるわけはありません。映画「ミスター・アーサー」は、どうということもないB級のコメディ映画でしたが、そのテーマ曲であるこの曲は超ど級の名曲で、23年後の今でもちゃんと語り継がれています。ビルボードではこの週から3週連続で1位となり、翌年のグラミー賞も獲得しました。いかにも秋を感じさせる曲です。
一方のジャーニー「クライング・ナウ」はこの前の週まで2週連続で4位(最高位)を記録していますが、それよりもこの曲が収録されているアルバム「エスケイプ」が大ヒットを記録し、彼らを名実共にスーパーバンドに押し上げました。今年はドラマで「オープン・アームス」がテーマ曲として使われ、クルマのCMでも「ドント・ストップ・ビリービン」が流れるなど、彼らの金字塔的アルバムの収録曲は色あせません。さて、「クライング・ナウ」は「エスケイプ」アルバムからの最初のシングルカットですが、圧巻はニール・ショーンのギター・ソロでしょう。曲の最終盤に1分半以上も延々と繰り広げられるギター・ソロはメロディアスで、口ギターなら今でも私は完全コピーできるくらいです。
この週のその他の注目曲は、3位にローリング・ストーンズの「スタート・ミー・アップ」、6位にホール&オーツの「プライベート・アイズ」、10位にリトル・リヴァー・バンドの「ナイト・アウル」が赤丸急上昇中でした。どれもリアル・タイムで聴いているだけに秋を連想してしまいます。
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2004年11月 <For Week Ending November 22,1986>
A AMANDA - Boston C/W H THE WAY IT IS - Bruce Hornsby & The Range
このところ80年代前半のチョイスが続いていたので、今月は80年代後半の1986年のチャートを紹介します。まずボストンから。「幻想飛行」「ドント・ルック・バック」と70年代後半をある意味代表するアルバムをリリースして8年、待望の3枚目はタイトルも「サード・ステージ」。「アマンダ」はその「サード・ステージ」アルバムからのシングル・カットで11月8日と15日のチャートで見事2週連続ナンバーワンに輝きました。8年ぶりとはいえ、曲調は従来のボストンを踏襲するメロディアスで骨太なものでした。特に後半部の盛り上がりはスペクタクルで、そこから一転静かにエンディングを迎えるというロマンチックな構成でした。
一方のブルース・ホンズビーは、この時代きってのメロディ・メイカーの一人です。彼の書いたドン・ヘンリーの「エンド・オブ・ジ・イノセンス」なんかに涙をした人も多いでしょう。ピアノは上手いわ、歌声は渋いわで、このころピアノメインのロックが少なかったこともあり、ピアノ好きな私はいっぺんにハマってしまいました。後半部の流れるようなピアノソロは必聴です。「ザ・ウェイ・イット・イズ」は、この週の後、順調にチャートを駆け上り12月13日付けで1位に輝いています。
いずれも20年近い昔の曲とは思えない新鮮さで、秋の夜長にじっくり聴いてみてはいかがでしょうか…
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2004年12月 <For Week Ending December 27,1980>
@ STARTING OVER - John Lennon C/W D HUNGRY HEART - Bruce Springsteen
1979年10月にSBSラジオで「ポピュラーベストテン」という番組が始まったのをきっかけに、私は洋楽の世界へと足を踏み入れたました。そういうわけで80年代全てをリアルタイムで聴けているわけですが、その80年代初頭のロックの世界の衝撃的な出来事といったら、ジョン・レノンの暗殺事件でしょう。1980年12月8日にダコタハウスから出てきたところを撃たれてしまったのですが、この事件発生と同時にニュースは世界中を駆け巡り、「スターティング・オーバー」という曲が繰り返しラジオから流れました。そもそもこの曲が入っていた「ダブル・ファンタジー」というアルバムがジョン・レノンの久々のリリースだったために1stシングルだった「スターティング・オーバー」もヒットは約束されていたようなものでしたが(現に11月15日付けのチャートでトップ10入りを果たしていましたが)、暗殺事件があったがゆえに今までジョン・レノンをよく知らなかった層(私もそのひとり)まで浸透して1位まで上り詰め、4週連続でその地位を守る大ヒットにつながった感があります。とにかく12月の声を聞くとジョン・レノンの暗殺を思い出し、この曲のイントロのベルが頭の中を駆け巡るという感じです。
一方、カップリングに挙げたブルース・スプリングスティーンの「ハングリー・ハート」も、私が彼の名前を知ったきっかけの曲であります。ご存知の通り、彼は1984年に「ボーン・イン・ザ・USA」というアルバムをリリースして、文字通り全米を代表するアーチストになったわけですが(オリンピックや大統領選にも使われるほど!)、この頃は知る人ぞ知るというような存在で、結局この曲も4週連続の最高位5位をキープしたにとどまりました。

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