Get Your Kicks On Route 66


11年ぶりにロサンゼルス・ユニオン駅に参上

のっけから湿っぽい話で申し訳ないが、アラフィフともなると海外旅行に行くのが億劫でいけない。以前なら愛と勇気で乗り越えられたトラブルも、このごろは言葉が通じないというハンデがつくづく身に沁みる。以前、同僚に私の英語レベルを問われたときに「津軽弁ぐらい」と答えたときがある。その意味は、相手が喋っているのはある程度意味がわかるが、自分は喋れないということだが、今ではその聞き取る能力さえ落ちてしまった。そういうわけで、1週間のアメリカ中西部のドライブを計画したが、いざ出発の日が近づくと「行きたくないなぁ」という思いがもたげてきた。それでも体力、財力、時間がきっちり揃った状態で、右側通行を長距離ドライブできるのはこれが最後かもしれない。少しばかりの悲壮感を抱いて私は旅立った。

ANAのマイレージを使って、成田→サンフランシスコをビジネスクラスで移動。そしてサンフランシスコからUA便でロサンゼルスへ。シャトルバスとメトロを乗り継いでユニオン・ステーションに着いたのは16時半ころ。LAXからユニオン・ステーションへの道のりは、11年前に一度経験しているのでまぁまぁスムーズだった。ここからアムトラックの「サウスウェスト・チーフ」というシカゴ行きの大陸横断列車に乗ってアルバカーキへ移動する。海外でも呑みテツは健在で、そんじゃアルコールとつまみを調達して列車に乗ろうと思ったが、日本のように駅の売店でアルコールがほいほい買えるわけではない。結局ビールやワインの類は見当たらず、食材だけ買って夜行列車に乗り込んだ。予約していたのはルーメットという2人用の個室寝台で、もちろん相部屋ではなく1人で使用する。車掌が回ってきてチケットをチェック。その時に夕食の時間はどうする?と聞かれた。聞き違いかもしれないが食事はチケットに含まれていると言ったような気がする。しかしもうその時には買い込んだカリフォルニア・ロールを食べてしまった後だった。もう一度食堂車に行く気もなく、それどころかラウンジカー階下にある売店でビールを調達する気も起らない。こんなことでは先が思いやられるが、完全に個室にひきこもりの状態で夜を迎えることに相成った。


アムトラック第4列車「サウスウエスト・チーフ」シカゴ行きは18時15分の発車


ルーメット(個室寝台)の座席バージョン

サマータイムなので20時を過ぎても外はまだ明るい。時差ぼけなのか、いくら飛行機の中で眠っていても、変な時間に睡魔が襲ってくる。ルーメットは昼間のうちは向かい合わせの座席で、ある程度リクライニングもするので対面の座面に足を投げ出している。これが睡魔を呼ぶ体勢らしく、ウトウトしてはハッとして起きることをたびたび繰り返している。これはいかんと思い、座面を引き出してベッドの状態にした。外が明るかろうが関係なく、そのまま本格的に眠ってしまった。目覚めると2時半。列車はアリゾナ州に入りキングマンに停車していた。今夜の宿泊地である。これからアルバカーキまで列車に乗り続けて、とって返してクルマでここに戻ってこなければならない。なんとも無駄なことだが、砂漠の真ん中のこんな田舎町に真夜中に下車したら、どんな仕打ちを受けるかわからない。せめてタバコだけでもと、列車の外に出ようとするも、カギがかかっていて出られない。ドアの窓を開けたら、ホームの警備員が飛んできて、がなり立てられた。仕方ないので、ひとしきり列車内を散策した後、部屋に戻って二度寝。その後は眠りが浅く、夜が明けるまで何度も目覚めた。

カーテンを開けたまま眠っていたので、夜が明けると必然的に目が覚める。日本の夜行列車に乗っていれば、目覚めた後、10分くらい経てばどこを走っているのか見当がつくが、当地では駅が少なく景色も変わり映えがしないので、いっこうにどこを走っているのか分からない。さきほどのキングマンで1時間遅れだったのでウインズロウを過ぎたあたりだろうか。サマータイムの時期はアリゾナとニューメキシコの間で時差があるので、時計を1時間進めなければならない。そうこうしているうちに車掌が回って来て朝食の時間はどうするかと聞いてきた。タイミングが悪いことに、乗車前に買ったパンを先ほど食べたばかり。またも食堂車に行きそびれてしまった。ただ部屋を出たところにコーヒーサーバーがあり、これは「無料」と書いてあったので、ありがたく何杯もいただいた。

朝9時を過ぎて、そろそろアリゾナ州からニューメキシコ州に入っただろうと思い、時計を1時間進めて10時にした。車窓は見渡す限りの平原だったものが、山が近くに見え始め、列車のスピードが落ちたかと思ったらギャラップに到着。定刻は8時21分の発車なので、2時間遅れに広がった。タバコでも吸おうかと列車を降り、火を点けようとしたその時、車掌の笛が鳴り列車に戻れという。結局、タバコはアルバカーキまでお預けとなった。そのアルバカーキには予想外に早く到着し、1時間遅れになっていた。まだ別の駅だろうと高をくくっていたが、「アルバカーキ」の文字が見え、慌てて荷造りをして降りたほどである。

さてアルバカーキである。2年前にこの地を訪れようと思い、ロサンゼルス空港の搭乗口まで行ったが、痛恨のミスのため、アルバカーキ行きを諦めた因縁の地である(詳しくは「Final Destinetion」の項を参照)。そこでも記したが、「アメリカ横断ウルトラクイズはアルバカーキあたりが最も面白い」という信念があり、どうしても一度は訪れてみたかった街である。さっそく駅を出て、駅前の通りを北に行ったところにあるHERTZレンタカーの営業所を目指して歩き出した。


シートを引き出してベッドに仕立てた様子


面倒で食事しなかったダイニングカー


ダイニングカーの隣にあるラウンジカー


20時間後に再訪するキングマンに停車中


ロサンゼルスからアルバカーキまで、概ね州間高速道路40号線(I-40)と並走する


正午すぎ、ようやくアルバカーキ到着

ところが、あるべき場所にHERTZの営業所がない!アルバカーキのダウンタウンを1週間分の旅の荷物を背負って右往左往。グーグルマップ上の営業所の位置から数ブロック四方を探しまくったが、やっぱりない。1時間以上うろついた揚句、結局見つけることができずに駅に戻った。「これは聞くしかない!」と思い、まず駅横のバスターミナルにある案内所のお姉さんに聞いてみた。HERTZの営業所といっても「?」という反応だったので、住所を言ってみた。するとお姉さんはおもむろにPCを叩いて、グーグルマップの位置を私に見せ「ここだ」という。そこは、さっきからさんざん探してみて、その場所に見つけられなかったから聞いたのに…と思ったが、「サンキュー」とだけ言って、案内所を後にした。

それじゃ、直接HERTZの営業所に電話を掛けるしかないと思い、駅待合室の公衆電話に行った。私は海外で携帯電話を持った試しがなく、今回も電話を架けるなら公衆電話しか手段がない。ところが、この公衆電話がコインしか受け付けず、仕方がないので清涼飲料水の自販機で紙幣をコインに崩して、ようやく電話を架ける始末。HERTZに電話は繋がったが、まず全米を統括するコールセンターに繋がり、そこからようやく営業所に転送された。つたない英語で今の事態を説明しても、相手には全く理解されず、そのうち通話時間が終了し電話が切れた。「あちゃー」 もう一度同じことをやろうにも、おそらくコールセンターから転送するのに時間がかかって、全く同じ結果になりそうなのであきらめた。仕方ない。目指す営業所に行くのはやめて、駅から二番目に近いマリオットホテルの中にある営業所に行って聞いてみることにした。


アルバカーキ駅周辺でレンタカー屋を探しまくる


ホリデイ・イン・エクスプレス・キングマン


アルバカーキから約800`先のキングマンまで州間高速道路40号線をひたすら西へ


アリゾナ・カリフォルニア州境のトポックにて

マリオットはアルバカーキ駅から徒歩で5〜6分の距離。こんなに近いなら、最初からここで借りれば良かったと思ったが後の祭り。私より10歳ほど年配のベテラン・コンシェルジュさんが対応してくれ、いろんな所に電話を架けること30分。ようやく私の予約が見つかったらしく、営業所の係りのお姉さんがホテルまで迎えに来てくれた。時計を見ると15時を回っており、ただでさえ時間が惜しいところで2時間半も無駄な時間を費やしてしまった。ほんとはこのマリオットに泊まってしまおうかと思ったが、キャンセル不可で500マイル西のキングマンのホテルに予約を入れているので、泣く泣くホテルを後にした。

郊外のHERTZ営業所で手続きを終え、出てきたクルマはヒュンダイのエラントラ。予約はミドルサイズの2ドアクーペだった(あわよくばムスタングが運転したかった)ので、何が悲しくて韓国のカローラみたいなクルマを運転しないといけないのかと思ったが、もうここでこれ以上無駄な時間を使いたくない。甘んじてエラントラを運転することにした。ただ、このエラントラはカローラっぽいので運転はしやすかった。何よりもクルーズコントロールがついているので、アルバカーキ〜キングマンの500マイルの行程も思ったほど苦ではなかった。インターステート40号線をひたすら西へ。いくらサマータイムで日没が遅いとはいえ、フラッグスタッフの手前で日が暮れて、セリグマンで給油をして、時計を1時間戻してアリゾナ時間の22時半過ぎに、予約を入れていたホリデイ・イン・エクスプレス・キングマンに到着した。ANAの機内とサウスウエスト・チーフの車内で、実質2連続車中泊(機中泊)となっていたので、ホテルの部屋に入った途端に疲れがどっと出た。もっともアルバカーキでスムーズにレンタカーを借りていれば、ここまでの疲労感は無かったと思うが…。

一晩ベッドでぐっすり眠れば、悪夢のような昨日の出来事が吹っ飛び、異国のドライブに対して前向きな気持ちになった。キングマンから次の泊地であるギャラップに真っ直ぐ向かうという、お気楽な選択肢もあったが、いったん逆方向に向かいカリフォルニア州との境まで行ってから、ルート66を東へ向かうことにした。というわけで、ここでルート66のおさらいをしておく。アメリカ人にとって「母なる道」と呼ばれたルート66は、ナット・キング・コールの曲によってカリフォルニアへのドライブルートとして人気が高まった。しかしインターステート網が発達するにつれ、ルート66は廃れていき、80年代半ばに廃道となってしまった。その一方で90年代以降に「ヒストリック・ルート66」として史跡指定していく取り組みがなされ、現在ではかなりの部分を簡単にたどれるようになった。日本で言うと、ルート66は旧東海道みたいなもので、国道1号、東名高速にとって代わられた後、旧東海道ハイキングみたいな形で見直されたという経緯によく似ている。


ルート66は日本でいうと東海道


ヒストリックルート66の標識をたよりに北上


オートマンの町並みでロバが横切っていく


峠の頂上で。レンタカーはヒュンダイ・エラントラ


ピーチスプリングスの手前で貨物列車と遭遇


ピーチスプリングスの前後はルート66が北へ大きく迂回している。ほとんどが平坦な直線道路で州間高速道路40号線よりも走りやすい

さて今回の旅の目的は、ルート66をドライブすることであるが、シカゴからロサンゼルスまでの全線をドライブするには相当な日数と費用がかかるので、そのエッセンスだけ楽しむことにした。ここで先に述べたナット・キング・コールの「ルート66」=原題「(Get Your Kicks On)Route 66」の歌詞が参考になる。この曲の歌詞には沿線の地名が数多く登場する。シカゴからロサンゼルスに向かって順番に挙げていくと、セントルイス、ミズーリ州ジョプリン、オクラホマシティ、アマリロ、ニューメキシコ州ギャラップ、ウィノナ、アリゾナ州フラッグスタッフ(ここだけ歌詞が逆)、キングマン、バーストウ、サンバーナディノとなる。で、アリゾナ州にあるキングマン、フラッグスタッフ、ウィノナとニューメキシコ州のアルバカーキ以西にあるギャラップは必ず訪ねることにして、それ以外にイーグルスのテイク・イット・イージーに出てくるアリゾナ州ウィンズローの街角に立てれば完璧である。まずはキングマンのホテルに泊まったので1つクリア。次はルート66を東に向かい、フラッグスタッフが目的地である。

ルート66と並走するインターステート40号線とはルートが離れている場所は、なるべく走っておこうと思い、まずはカリフォルニア州境のトポックから本格的にドライブがスタート。いきなり茶色い「ヒストリック・ルート66」の標識が立っており、カメラに収めた。しばらくは路面が荒いものの舗装道路が続いていたが、10数マイル進んだところで路面に砂が浮き、簡易舗装みたいな道路になった。あまりスピードを出すと、浮いた石ころでレンタカーのボディを傷だらけにしかねず、ここは我慢してゆっくりと走った。そこではほとんど対向車と出会うこともなく、もしこんなところでパンクや故障などさせたら、携帯電話を持っていないだけにアウトであり、リスクの大きさをひしひしと感じた。やがて左から州道153号線が合流し、そこから路面が良くなった。本線はこちらのヒストリック・ルート66なのに、まるで153号線側が本線のような感じである。

舗装道路となった道をしばらく行くと、道が急に狭くなり、その道の両側には西部劇に出てきそうな建物がずらりと立っていた。トポックからキングマンまでのルート66沿線で、随一の観光地であるオートマンの町並みである。駐車場に入りきれない行楽客のクルマが路上駐車していて、狭い道が一層狭く感じる。それらのクルマの陰から1頭のロバが飛び出してきて、思わず急ブレーキ。間一髪で衝突を避けた。セットなのか本物なのか見分けがつかない観光地には興味はなく、オートマンはスルー。そのままドライブを続けると峠道に差し掛かった。峠を登りきったところでクルマを降り、北西方向を見下ろすと、山々の間に遠くキングマンの町が霞んで見えた。昨夜、インターステートを運転している時にも思ったが、キングマンはアリゾナの砂漠の中では大都市に見える。そういえば2年前、ダラスからの帰りに飛行機から見下ろした街の明かりも、このキングマンだったのかもしれない。てっきりラスベガスだと思っていたが、それにしてはネオンの色が少なかったのを覚えている。

さて13時前にキングマンに戻ってきたが、インターステートの案内表示を横目にさらにルート66号線を北西に向かう。ここからセリグマンへの90マイル余りはインターステートから最も迂回するルートで、旅の前から楽しみにしていた場所である。前日に列車でたどったルートとほぼ並行しており、山越えとなるインターステートよりも平坦で走りやすい。おまけに片側1車線だが、制限速度は65マイルと、インターステートより10マイル低いにすぎず、迂回してもそれほど時間的に変わらない。そして、この迂回路で最も有名な町がピーチスプリングスで、映画「カーズ」に出てくるラジエター・スプリングスのモデルになったとされている。キングマンから小1時間ほど走り、そのピーチスプリングスに到着した。

結果的には、ピーチスプリングスはそれほど見るべきものがあるわけではなく、小休止にとどめた。道沿いで最も古そうな建物を背景に記念撮影をしたが、後で調べると「ジョン・オスターマン・ガス・ステーション」という1930年前後に建てられたガソリンスタンドで、合衆国の国家歴史登録財に指定されているとウィキペディアに載っていた。そういえば観光客のほとんどが、この古ぼけたガソリンスタンドにカメラを向けていた。このことだけがピーチスプリングスを訪れた際の収穫だった。

ピーチスプリングスの町並みは見るべきものが無かったが、その前後のルート66沿線の景色は素晴らしかった。真っ直ぐに伸びる道路の先には地平線。丘にそって道路が少しだけ起伏しているのがアクセントで、北海道にもこれに近い景色があるが、これほど雄大ではない。その道を時速100`で突っ走るんだから爽快である。キングマンを出て2時間ほどでセリグマンに到着し、そのままインターステートへ。今回のドライブで最も印象に残る沿線だった。


ピーチスプリングスで一番古そうな建物とともに


フラッグスタッフのルート66の標識を背景に筆者


「ウィノナを忘れるな」ということで古い橋へ


Take It Easy〜ウインズロー,アリゾナの街角


ウインズローの街角に立つ筆者


何もないインターチェンジに大きな看板


アリゾナとニューメキシコの州境で夕陽に染まる岩山を横目に快走中


ホリデイ・イン・エクスプレス・ギャラップ・イースト

次の目的地は「ルート66」の歌詞にある「Flagstaff,Arizona Don't Forget Winona」のフラッグスタッフとウィノナをまとめて回る。セリグマンのインターチェンジの番号が121、フラッグスタッフのルート66につながるインターチェンジの番号が191なので、差し引き70マイルで1時間弱の道のりである。向こうに行って気付いたのだが、州間高速道路のインターチェンジの番号は州ごとの通し番号で、アリゾナ州ならカリフォルニア州境のトポックが1番で、ニューメキシコ州境のラプトンが359番。番号の決め方は州境からの距離に準じていて、フラッグスタッフはカリフォルニア州境から191マイルの地点ということになる。ということは、広大なアリゾナ州を東西に貫くインターステート40号線のほぼ中間点を通過するわけで、今日の行程もほぼ半分消化したことになる。高速に入ってしまえば、件のクルコンでアクセルを踏まずに楽々移動。鼻歌まじりにフラッグスタッフに到着した。

フラッグスタッフはグランドキャニオンへの東の玄関として知られていて、時間に余裕があればグランドキャニオンにも立ち寄りたいところだが、何回か行っているのと、時間に余裕がないことで諦めた。せめてヒストリック・ルート66を忠実にたどることにする。ダウンタウンに入ると、ルート66華やかなりし頃の名所旧跡がそこかしこにあったが、時間がないのでスルー。燃料が空に近づいていたのでガソリンスタンドに立ち寄って給油した。セルフスタンドでは必ずといっていいほど日本のクレジットカードを受け付けてくれないが、ここのスタンドはZIPコードの入力なしに、あっさりと通ってしまった。ただしレシートは出てこなかったので、請求までビクビクするハメになってしまったが…。ガソリンスタンドから数10b先にヒストリック・ルート66の標識を見つけたので、それとともに記念撮影。これがフラッグスタッフを訪れた唯一の証拠となった。

ダウンタウンを通過し郊外を走ると、この旅ではすっかりお馴染みになったモーテルやらファースト・フードなどが立ち並ぶエリアとなった。そこを過ぎてしばらく行くと「タウンゼント・ウィノナ・ロード」という標識があったので右折した。どうやらルート66はもっと手前で右折しなければいけなかったようだが、「ウィノナ」とい地名が付いた通りなので、当然ウィノナに行くものだと思い、構わずにどんどん進んでいった。ところが一向にウィノナに着かない。カーナビがあれば安心だが、アルバカーキでのひと悶着の中で、本来はカーナビ付きで予約していたレンタカーにカーナビが無かったのである。いったいどっちに進んでいるのか分からず、引き返してルート66に戻った方がいいのではとも思ったが、ここは経験に基づく勘を信じて突き進む。かなり長い距離を走ったような気がしたが、右折してから10マイルほどで、見覚えのある鉄橋が忽然と現れた。ウィノナで唯一のランドマークであるウィノナ・ブリッジだった。ウィキペディアで見たとおり通行止めになっていた。ここで1枚写真を撮り、211番のインターチェンジから高速に入った。結局「ルート66」の歌詞にウィノナが出てくるのは、その前の歌詞の「アリゾナ」と韻を踏むためで、ウィノナ自体にはあまり意味がない模様。そういえば、歌詞でも「ウィノナを忘れるな」ってなっている。忘れずにちゃんと来たよってナット・キング・コールに言いたい気分だ。

次の目的地は40マイルほど東にあるウィンズロー。イーグルスの「テイク・イット・イージー」の2コーラスめの歌詞に「 Well, I'm a standin' on a corner in Winslow, Arizona」と出てくる町である。この曲を書いたジャクソン・ブラウンが、私と同じようにアリゾナをドライブしている時に、この歌詞が思い浮かんだそうな。とにかく、この有名な歌詞のおかげで、ウィンズローに「スタンディング・オン・ザ・コーナー・パーク」という公園まで出来てしまったほどである。そして2015年6月26日の夕暮れに、私もこの街角に立った。歌詞に出てくるギターを抱えた夢多き若者ではなく、夢破れた落ちぶれたオッチャンになってしまったが、「テイク・イット・イージー」を初めて聞いた中学生の頃の気持ちが甦った。それにしてもジャクソン・ブラウンは「テイク・イット・イージー」といい「孤独なランナー」といい、アメリカのハイウェイに良く似合う曲を書くもんだ。今回のドライブでもこれらの曲を何度も聴いた。そして「孤独なランナー」の原題「Runnin' On Empty」は「誰もいない道路を走る」ではなく、「燃料がカラでも走り続ける」ということだということも知った。今回の退職の時にイヤというほど「Runnin' On Empty」を実感したからである。

スタンディング・オン・ザ・コーナー・パークを後にしようとした時に、ボランティアで案内係をやっている風なオバチャンに話しかけられたが、意味が聞き取れず、とりあえず「テーキットイージー」と答えたら、笑って「グー」っていいながら親指を立ててくれた。これが今回の旅で最も印象に残る瞬間だったかもしれない。再びI-40に戻り、夕暮れのハイウェイを一路東へ。ギャラップまでは130マイルほど。昨日に続いて今日も500マイル近くクルマを運転する。昨日もハードだったが、今日はかなり下道を走っているだけに、場合によると昨日よりも辛い行程だったのかもしれない。でも夕暮れに染まる赤い岩山を見て、その疲れは吹っ飛んだ。ニューメキシコ州に入り時計を1時間進め、夜の8時過ぎにギャラップに到着。ホリデイ・イン・エクスプレス・ギャラップ・イーストの部屋に着くと、すぐさまベッドに倒れ込んだ。


コンティネンタル・ディヴァイドにて

翌27日の行程はギャラップからアルバカーキに移動すればいいだけで、距離にして130マイルちょっと。ハイウェイで2時間弱で着いてしまう距離である。そういうわけでチェックアウト時刻である11時まで粘って、ホテルを出発。まずは昨日行きそびれたギャラップのダウンタウンを観光することにした。ルート66沿線の中でも、ギャラップは華やかな町で、往時は著名人がわんさと宿泊したというホテルが残っている。アムトラック駅の周辺には、往時そのままの町並みが残り、これぞルート66という感じだが、なんか旧東海道の松並木や一里塚を見ているような気分になる。これはルート66に飽きてきた証拠で、観光は適当に切り上げてイグニションキーを捻った。

アルバカーキまでの道のりの中で興味深いのは、太平洋側と大西洋側の分水嶺であるコンティネンタル・ディヴァイド。岐阜のひるがの高原とか、広島の芸備線とか、日本の中央分水嶺にはいくつか行ったことがあるが、アメリカ大陸ではもちろん初めてである。とはいっても、それほどたいそうなものではなく、質素な案内板とお土産屋さんが2件ほど建っているだけだったが…。


ルート66の面影を残すギャラップの街角


コンティネンタル・ディヴァイドを簡単に説明


なぜかスーパーライナー車両とすれ違う


スカイシティ・カジノでBJを6デッキ勝負


砂漠の真ん中にスロットマシンが出現


寄り道しつつもアルバカーキが見えてきた


キャンドルウッド・スイーツ・アルバカーキの朝


駅と同じく赤茶色のアルバカーキ国際空港


折り返しUA6234便となるCRJ200機


サンフランシスコの移動に重宝するBART

コンティネンタル・ディヴァイドからインターステート沿いにヒストリック・ルート66が走っており、そのままハイウェイに乗らずにしばらく走ってみた。当初は高速の側道みたいな感じだったが、徐々にハイウェイから離れていき、純然たる田舎道に変わっていった。すれ違うクルマもごく僅かで「本当にルート66なの?」って思ったが、並行する線路にダイヤ上存在しないアムトラックのスーパー・ライナーが走っていき、この道で間違いないようだった。結局40マイルほど下道を走ってグランツでI-40に合流。いい具合に時間が潰せた。

アルバカーキの宿のチェックインタイムは15時。13時過ぎにグランツを通過し、アルバカーキまで残り75マイルほどなので、あと1時間ほど寄り道しないといけない。前夜、ネットで下調べをしている時に、ネイティブ・アメリカンの収益源がハイウェイ沿いにあるカジノであることを知り、嫌いじゃないのでカジノに立ち寄ることにした。日本のサービスエリアのような場所にホテルとカジノがあるのは驚きだが、102番のインターチェンジにあるサン・シティに入ってみた。100ドル両替して、ブラックジャックの6デッキ(シャッフルからシャッフルの間)の勝負。ほとんどディーラーとの1対1の勝負だったが、割と調子が良く15分くらいで35ドルほど浮いた。まだまだ時間があったが、勝っているところで終えるのが勝負の鉄則。次のゲームのシャッフルをしている間にテーブルを後にした。

アルバカーキの160番のインターを降りて、給油をしていたら15時を回っており、キャンドルウッド・スィーツ・アルバカーキにチェックイン。アメリカで「スィーツ」と名のつくホテルは長期滞在型で、電子レンジや流しが揃っている。近くのウォルマートで冷凍食品やら惣菜などを買い出しに行き、この旅で初めてまともな夕食にありついた感じである。そして食事を終えると、ちょっと感傷的になってしまった。旅を始める前にも思っていたが、この旅の行程でドライブを終え、アルバカーキに無事に戻ると、あとはおまけのようなサンフランシスコでの1日を残すだけ。実質的にアルバカーキで旅が終わったようなものである。日本に戻れば翌日から新しい職場で仕事をするので、来る前は「行きたくないなぁ」と思っていた旅も、今は「帰りたくないなぁ」と思ってしまうのである。そんなこんなでアルバカーキの夜は更けていった。


ホテル・ニッコー・サンフランシスコ

翌28日は、朝7時過ぎにチェックアウトし、アルバカーキ空港へ。レンタカーを無事に返して肩の荷が下りた。サンフランシスコ行きのUA6234便に搭乗するまでは良かったが、誘導路に停まったまま離陸しようとしない。おそらく順番待ちらしかったが、ゲートを離れてから離陸するまでに1時間くらい待たされた。それでも12時過ぎにはサンフランシスコ空港に到着。アメリカにいられるのもあと24時間になった。

ダウンタウンまでBARTで移動し、パウエル駅に到着すると、もの凄い人込みだった。なんでもLGBTのパレードをやっているらしく、ゲイの町サンフランシスコは全米で最大の規模だそうである。このパレードは世界各地でも同じ日に開催されていて、ソウルでは反対派の妨害で中止騒ぎになっているらしかった。ここに来るまでそんなこととは知らない私は、かなり面食らった。そそくさと今夜の宿であるホテル・ニッコー・サンフランシスコに逃げ込んだ。

チェックイン手続きの手違いで、既に先客のいる部屋に通されたが、そのことをフロントに伝えると(日本語の通じるスタッフがいて助かった!)、角部屋があてがわれた。サンフランシスコのダウンタウンにある高級ホテルの角部屋なんて、自分にとっては贅沢すぎるが、宿泊代に結構な金額を支払っているのでありがたく頂戴した。窓の下にはサンフランシスコ名物のケーブルカーが行き交い、部屋に居ながらにして、サンフランシスコで見たかったもののひとつをクリアした。

このままホテルの部屋にいても仕方ないので、見たいもののもうひとつの方を見に行くことにした。それはあまりにも有名なゴールデン・ゲート・ブリッジ。ダウンタウンから直接バスで行く方法もあるらしかったが、パレード開催中でバスが迂回していてバス停が分からない。BARTでデイリー・シティまで行き、バスに乗り換えてゴールデン・ゲートへ。トンネルを抜けると今まで映像でしか見たことのなかった有名な赤い吊り橋が見えてきた。サンフランシスコを唄った有名な曲に「霧のサンフランシスコ」があるが、その時に私の心の中に再生された曲はスコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」だった。ちょっとLGBTのパレードの影響があったのかもしれないな…。


角部屋があてがわれたホテル・ニッコーSF


LGBTの権利を訴える全米最大のパレード


SFといえばゴールデン・ゲート・ブリッジ


SF名物のケーブルカーを部屋から見下ろす


坂の町にケーブルカーは良く似合う


急坂を登っていくケーブルカーは絵になる


ついでにユニオン・スクエアにも立ち寄ってみた


サンフランシスコ空港で待機中のNH7便

<終>

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