30 Years Ago Now And Then
2009

    
1979年1月27日付
第10位 September - Earth, Wind & Fire
今月から始まった、30年前のビルボードチャートを振り返るコーナーですが、1979年1月といえば私はまだ小学生。当然「ビルボード」の存在すら知らず、今回取り上げたアース、ウインド&ファイアの「セプテンバー」は、リリースからずいぶん経ってから巡り合った曲です。
この曲はちょっと変わっていて、「セプテンバー」といいながらクリスマスの頃に9月の思い出話をするという歌詞で、ヒットしたのは季節が(9月から見ると)真逆の厳冬期。ちなみに最高位は8位で、1979年2月10日付けのチャートで記録しています。
曲調はアースお得意のダンサブルなディスコチューン。この時代はサタデーナイト・フィーバーから続く空前のディスコブームが吹き荒れ、おそらくこのコーナーも、しばらくはその流れになるかと思います。まぁ気長にお付き合いくださいませ…
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1979年2月10日付
第1位 Do You Think I'm Sexy - Rod Stewart
先月も書きましたが、1978年から1981年ころにかけてのディスコブームは凄まじく、かのローリングストーンズまでディスコ調の「ミス・ユー」を1978年にリリースし、ビルボードチャート1位をかっさらっていきました。ロッド・スチュアートも同様で、彼自身1979年には既にベテランの域に達していたにも関わらず、今回紹介する「アイム・セクシー」でディスコ音楽を取り入れました。
この曲で、商業的な目論見どおり1979年2月10日付のビルボードHOT100の1位に輝き、同年3月3日付チャートまで4週連続でその座を守りました。さて「アイム・セクシー」を語るにおいて外せない出来事は、この曲の盗作問題です。当初、彼はブラジルのアーティスト ジョルジ・ベンの「タジ・マハール」が「アイム・セクシー」の盗作であると訴訟を起こしたのですが、両曲の発表年度を見ても明らかなように、逆に「アイム・セクシー」が盗作であるとして敗訴しています。
今、この曲を聞いて思うことは、特徴であるベースラインと、シンセによるストリングスが古さを感じさせるなというところですが、彼の特徴であるしわがれ声がうまくディスコ調にマッチしており、カラオケでちょっと歌いたくなってしまう曲でもあります。
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1979年3月24日付
第9位 What You Won't Do For Love - Bobby Caldwell
近頃、私の頭の中でぐるぐるリフレインされる曲、それが今月紹介するボビー・コールドウェルの「風のシルエット」です。ディスコミュージック全盛時代の1979年初頭に、そのお祭り騒ぎに疲れたちょっと大人気分の世代がこぞって聴いていたジャンルがAORですが、そのAORの王道を行っていたのがボビー・コールドウェルでした。
サックスをフィーチャーしたホーン・セクションのイントロ。そして渋い歌声。AOR好きにはたまらないパターンです。この曲のリリース後に洋楽にはまっていった私は、必ずしもこの曲をリアルタイムで聴いた訳ではないので、逆にその分古さを感じないのかもしれません。
高層ホテルのラウンジで、夜景を見ながらロック・グラスを傾けるのには最高の曲。それがこの曲でしょう。
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1979年4月14日付
第1位 What A Fool Believes - Doobie Brothers
ひと昔前マット・ビアンコがカバーし、日産ティアナのCMでヘビー・ローテーションされ新たに見直した曲です。ドゥービー・ブラザーズはトム・ジョンストン時代とマイケル・マクドナルド時代に分かれる訳ですが、後者の方では最大のヒットを記録した曲です。後に映画のテーマソングで一世を風靡したケニー・ロギンスと、マイケル・マクドナルドの共作なのですが、マイケル・マクドナルド曰く「画期的なキーボード・リフを確立した曲」ということです。なるほど、この曲は他のどの曲にも似ていない独特な雰囲気を持っています。
私は、この曲がリリースされてから2〜3年経ってから、この曲と出会っています。当時コカコーラのCM等で、ドゥービー・ブラザーズというバンド名は知っていたのですが、名前からして「どうせブルース・バンドかなんかで、自分のエリアじゃないだろう」と思っていました。しかし、この洗練されたサウンドと、マイケル・マクドナルドのシルキー・ボイスにいっぺんに魅せられてしまいました。今では、大好きなウェストコースト・ロックの中でも5本の指に入る曲となっています。
この曲は、翌年のグラミー賞で最優秀楽曲賞を受賞し、ドゥービー・ブラザーズは後期の絶頂期を迎えましたが、それは長く続かず1983年に解散してしまいました。
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1979年5月26日付
第49位 Georgie Porgy - Toto
トトといえば、私が最も愛するロック・バンドのひとつで、今回を皮切りにたびたびこのコーナーに登場することでしょう。さて、彼らのデビュー・アルバムといえば「宇宙の騎士」ですが、私がその中で一番好きな曲が、今回紹介する「ジョージー・ポージー」です。もっとも当時はローマ字読みで「ジョージー・ポーギー」と呼んでいたので、こちらの方が馴染みます。
デビュー・アルバムからは3枚目のシングル・カットで、ビルボードTop100では最高位が48位と振るいませんでしたが、「ホールド・ザ・ライン」とともに、このアルバムを代表する曲で、彼らのコンサートでは必ずセットリストに入っていたものでした。ハードな「ホールド・ザ・ライン」と対照的に、この曲はデイヴィッド・ペイチの織り成すピアノのリフが軽快で、極上な軽音楽に仕上がっています。
初夏の朝、特に日の出前に聞くとぴったりな曲で、たまには5時前に起きて爽快な朝を過ごすのはいかがでしょうか…
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1979年6月16日付
第4位 Just When I Needed You Most - Randy Vanwarmer
邦題が「アメリカン・モーニング」。先月に続いて初夏の早朝にお似合いの曲が登場です。もっともこの曲が日本でヒットした当時(日本でのヒットはちょっとタイムラグがあるのですが…)、私はほとんどの場合この曲を夜に聴いていました。それもAMラジオで…。夜のAMラジオは混信して、曲の隙間に(特に間奏の部分で)いろいろなノイズが入ってくるのですが、それも今となっては味わいのある思い出になっています。
ランディ・ヴァンウォーマーさんは、惜しくも2004年に白血病で亡くなり、私が彼の曲で知っているのもこの曲だけですが、彼の爽やかで柔らかなボーカルは今でも私の心を揺り動かします。
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1979年7月28日付
第87位 Don't Stop Till You Get Enough - Michael Jackson
2009年6月25日、「ポップスの王様」と呼ばれたマイケル・ジャクソンが亡くなりました。享年50歳。リアルタイムでアルバム「スリラー」旋風をもろに被った私にとっては、「ひとつの時代が終わったなぁ」という感慨を覚えました。そのマイケル・ジャクソンの数あるヒット曲の中で、最初にリアルタイムで聞いたのが今回取り上げる「今夜はドント・ストップ」です。
ジャクソン5〜ジャクソンズのメイン・ボーカルとしてローティーンの頃から注目を集めていたマイケルですが、プロデューサーにクインシー・ジョーンズを迎え本格的に曲作りを始めたのが1979年のアルバム「オフ・ザ・ウォール」です。次作「スリラー」に比べるとブラック・コンテンポラリー色が強く、マイケル自身が10代後半から20歳そこそこであったことを考えると、ずいぶんアダルトなアルバムを作ったものだと感じます。で、アルバムに先駆けて1979年7月にリリースしたシングルが「今夜はドント・ストップ」です。こちらは打ち込みのリズムがフィーチャーされたディスコナンバーで、当時中学1年生だった自分には「こんな曲もあるんだ」と感じさせるほど斬新な曲だったことを覚えています。
この項で紹介している1979年7月28日付ビルボードHOT100でチャートに初登場し、1979年10月13日付同チャートで見事全米1位に輝いています。この曲と、アルバム「オフ・ザ・ウォール」の成功があったことが、次のモンスターアルバム「スリラー」に繋がっているという点で、記憶にとどめたい曲だと思います。
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1979年8月11日付
第11位 I Was Made For Lovin' You - Kiss
1979年の夏ともなると、ほとんどリアルタイムで聴いていた曲が多くなってきます。この「ラヴィン・ユー・ベイビー」もそんな曲のひとつで、洋楽やロックに目覚めた加藤少年のお気に入りだった曲です。私が知る限り、顔を白塗りにしてメイクを施したバンドの嚆矢で、後のヴィジュアル系バンドに多大な影響を及ぼしていることは確かです。
さて「ラヴィン・ユー・ベイビー」ですが、当時のディスコ・ブームはすさまじく、それまで(容姿は別として)本格的なハード・ロック・バンドだったキッスもその波に飲み込まれ、ディスコ・ロック系の楽曲としてこれをリリースしました。ビルボードでの最高位は11位と、それほど芳しいものではないのですが、そのキャッチーなサビが人々の印象に残ったのか、2〜3年前のキャノンのカメラCMにも採用されるほどでした。私もこの曲がヒットしていた当時、そのサビを口ずさみながら自転車で塾から帰宅したものでした。
キッスつながりの蛇足ですが、この日のビルボード・チャートにはピンク・レディの「キッス・イン・ザ・ダーク」が93位でランキングされています。さすがに昔日の感といった感じですが…。
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1979年9月15日付
第2位 After The Love Has Gone - Earth,Wind & Fire
9月といえば竹内まりやの「セプテンバー」かアース、ウインド&ファイアの「セプテンバー」が定番の私ですが、今回はアースの方に因んで「アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン」を取り上げてみました。この曲はディスコミュージックの代表曲である「ヴギ・ワンダーランド」が収録されているアルバム「黙示録」からのシングルカットですが、この一大ディスコ・ムーブメントの最中にあって、しっとりとしたバラードを聞かせています。
作曲は当時無名だったデヴィッド・フォスターで、この曲が全米第2位になったことで彼が世に出るきっかけとなりました。彼らしいAOR的な味付けが、背伸びしたがりの加藤少年の心を動かしたんだと思います。
ビルボードHot100の最高位は前述のとおり2位で、1979年9月15日と9月22日の2週間に渡ってその位置をキープしました。当時はナックの「マイ・シャローナ」が強く、6週連続で1位をキープしていたため2位に甘んじたともいえます。現在の視点から言えば「アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン」の方が圧倒的に他のアーティストにカヴァーされており、名曲が必ずしもチャートで支持されないという証左でもあります。
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1979年10月27日付
第39位 Street Life - Crusaders
秋は夕暮れ。まだ民放FM局が静岡にない時代の平日の夕方はNHK−FMの「軽音楽をあなたに」という番組をよく聴いていました。今回紹介する「ストリート・ライフ」は、その「軽音楽をあなたに」だったか、その後を引き継いだ「午後のサウンド」のどちらかで初めて耳にしたと思います。確か「気持ちのいい夕暮れを過ごそう」と題したフュージョン特集を組んでいて、パット・メセニーや渡辺貞夫さんらの曲と一緒に流れました。秋の日暮れは早く、番組終盤の18時前には窓の外はもう真っ暗で、その夕景を見ながらこの曲を聞いた状況は今でもはっきりと記憶に残っています。
後にソロとしてもスマッシュ・ヒットを記録したランディ・クロフォードの艶やかなボーカルをフィーチャーし、ジョー・サンプルが演じるエレクトリック・ピアノのコード・バッキングや流れるようなソロが絡み合うという実に気持ちのいいサウンドで、リリースから7〜8年を経過したオンエア当時でもかなり新鮮な印象を持ちました。リリースから30年を経過した現在でも、その新鮮さは変わらず、あらためてクルセイダーズの進歩的な音楽性に驚かされます。
クルセイダーズは、その後ボーカルにジョー・コッカーをフィーチャーした「明日への道標」という名曲を世に出すわけですが、「ストリート・ライフ」の成功なくしては、「明日への道標」の発表もなかったと思います。ちなみに「ストリート・ライフ」はビルボードHOT100では最高位が36位(1979年11月10日付)でしたが、ビルボード・ジャズ・チャートでの同名アルバムは20週連続1位を記録しています。
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1979年11月24日付
第1位 No More Tears - Barbra Streisand & Donna Summer
何度も書き綴っているように、1979年は前年のディスコ・ブームが残っていた年で、何が何でも「踊れる曲」がヒットしました。そんな風潮の中、歌姫バーブラ・ストライザンドがディスコ・クィーンのドナ・サマーとデュエットした「ノー・モア・ティアーズ」は、この年のディスコ・チューンではナンバーワンのヒットだったと言えます。前年の同じ頃ドナ・サマーが歌って全米1位となった「マッカーサー・パーク」よろしく出だしはスロー・テンポ。シンセドラム(これも古い)が入ると同時にアップテンポなディスコ・チューンへと変わります。
バーブラ・ストライザンドといえば映画「追憶」や「スター誕生」で主演するとともに、そのテーマ曲まで歌って大ヒットさせるなど、70年代は最も脂の乗り切った時期でした。その彼女が、当時出す曲出す曲すべてをヒットさせていたドナ・サマーと組んだのですから、まさに最強といえるでしょう。お互い負けじと声を張り上げ、大盛り上がり大会の雰囲気の中、11分43秒間(アルバム・ヴァージョン)を走りきっている感じです。曲のエンディングはカット・アウト。聴き終わると、歌っていないこちらまでゼイゼイハーハーしそうな曲でした。ちなみにこの曲のすぐ後にアース・ウインド&ファイアの「ヴギ・ワンダーランド」が続けてかかると、つながりがいいのでちょっと陶酔感に浸れます。
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1979年12月15日付
第40位 Video Killed The Radio Star - The Buggles
70年代の最後の月を紹介するということで、80年代につながる曲「ラジオ・スターの悲劇」を取り上げてみました。アメリカ・クリーブランドにあるロックン・ロールの殿堂では、MTVで最初にかかった曲として大々的にこの曲をフィーチャーしています。80年代はご存知の通りMTVによるビデオ・クリップがロックの世界を変えましたが、この曲こそ初期のプロモーション・ビデオの傑作ということで後世に名を残しました。しかしながら当時のビルボードHOT100では1979年12月15日付の最高位40位どまりでした。この日の1位はスティックスの「ベイブ」、2位はコモドアーズの「スティル」、トップ10にはルパート・ホルムズ、スティービー・ワンダー、J.D.サウザー、イーグルス、スーパー・トランプなどが並び、いずれもいい曲なのですが、現代から見ると「ラジオ・スターの悲劇」ほどはインパクトがないのが実情で皮肉な感じです。
曲調はニュー・ウェイヴなのですが、ピアノのバッキングのメロディが美しく、ピアノ好きの私としてはかなり気に入っています。歌の内容はタイトル通り、ビデオがラジオ・スターの出番を失くしたということで、80年代の音楽産業を予言しているかのようです。

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