日時 | 1995年 09月23日 中山 11R セプテンバーS(芝1800m/良) 13頭立 | ||||||||||||||||||
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レース結果 |
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配当 |
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直線の短い中山コース。しかも芝1800mは内回りのため小回りで、1800mという短さながら、
コーナーを4回廻る、という特異なコースのため、しばしば弱い馬の逃げ切り勝ちを目にします。
そしてこの年のセプテンバーSにも、1頭の逃げ馬、というか「逃げてナンボ」の馬が登録していました。 その馬の名前はミラクルドラゴンズ。この時はまだ、この馬が、 93年の阪神3歳牝馬Sで80余倍の高配当を取らせてもらったローブモンタントの兄だとか、 マイスーパーマン・ダイユウサクの両馬と同じノノアルコ産駒だなんていう血統的穴馬背景(?)があったことなんて、 全く気が付いていなかったのですが…。 その日のメインは、阪神で行われた、今は無き重賞・サファイヤS。前年アルファキュートを本線にして、 馬券的にも、それからレース的にも(7馬身差という圧勝で)非常に気持ちのいいレースだった、 思い出のレース。もちろん、冷静に見れば大したレースではない?ので誰も一緒に行く人はいませんでしたが、 私にとっては思い出のレース、行かない訳にはいきませんでした。 前日、既にセプテンバーSの検討をしていたのですが、どう見ても、前走で既に同じクラスを勝ち上がっている、 アプローズシチー(単勝2.5倍の1番人気)で鉄板のレース。それなら…と相手に穴馬を探していた時に、 目に留まったのが、そのミラクルドラゴンズでした。「中山1800mは逃げ馬有利」と言われる中で、 典型的な逃げ馬はミラクルドラゴンズ1頭。しかもハンデ戦で斤量はなんと50kg。 巴賞の頃から弱い…もとい、人気の無い逃げ馬が好きになっていた私にとって、 これだけ条件が揃えば買わずにはいられません。といっても、単勝は何と13頭立て12番人気。 軸にするほどの勇気はなく(当然?)、本線のアプローズシチー他から数点流していただけなのですけれど。 ミラクルドラゴンズと言う馬は、当時のツインターボ、今で言うサイレンススズカのような「スピードに任せて逃げて、 後続の脚をなし崩し的に使わせる逃げ馬」ではなく、「先頭に立った後スローペースに持ち込み、 後続を引き付けて逃げ、コーナーワークを巧みに使い、最後の直線で二の脚を使って逃げ込む」という 言わばサニーブライアンタイプ(ってすごくサニーブライアンに失礼?)。 このタイプの馬が好走する時の条件はただ一つ。「後続が逃げ馬を無視(軽視)していること」です。 で、この時のミラクルドラゴンズは、単勝115倍。当然後ろの馬が意識していようもありません。 何事もなく4コーナーを廻り、上がり3Fを35.0秒で上がったミラクルドラゴンズを捕らえるには、 後ろの馬達には34秒台前半の末脚が要求された訳ですが。そんな脚を使える馬なら、準OPになんていないでしょう(笑)。 かくして4コーナー。止まると思われていたミラクルドラゴンズではなく、好位で追走していたグループが先に止まり、 直線へ向くと独走態勢。後方から1番人気・アプローズシチーと3番人気・リスクフローラが追い込んでくるが、 直線の短い中山、時既に遅し。 ただ、ミラクルドラゴンズから流した訳ではない(流せないって)私にとっては、 馬券の的中には、2着に軸のアプローズシチーが来ている必要が。というわけで、あとはひたすら「アプローズ出てこい」と祈ってました。 その甲斐あってか、2着はリスクフローラを頭差抑えてアプローズシチー。この時ほど、 1番人気がちゃんと連に絡んでくれて、嬉しかったことはなかったですね。1番人気との組み合わせですら、 183.6倍も付いたんですから。あれが2着・リスクフローラだったら、きっと痛恨のレースになっていたことでしょう。 (ちなみに1-3着は525倍。) さて、ここで万馬券を出したミラクルドラゴンズですが、翌年の春、同じ中山を舞台(船橋S)にして、 もう一度万馬券を演出し、なんと9歳にしてオープン入りしました。でも、残念ながらその時は馬券を取ることができませんでした。 だって、船橋Sは1600mで、外回りだったので…(^_^;)。ミラクルドラゴンズさん、ごめんなさいっ。もっと信じるべきでした。 |
この日の主な レース結果 |
後の菊花賞2着馬トウカイパレス900万下勝ち上がり | 函館・STV杯 |
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センタームービング500万下勝ち上がり(←っておい) | 京都・4歳上500万下 |