日時 | 1995年 08月06日 函館 11R 巴賞(芝1800m/良) 15頭立 | ||||||||||||||||||||||||
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レース結果 |
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配当 |
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4人の同行者のうち3人が416.3倍を取った、という相性の良い関屋記念から1年。
しかも、新潟競馬場は車でないと行けないところ(豊栄)にありますが、この年の関屋記念は福島開催。
JR東日本線の特急が乗り放題、という便利な切符を見つけたN氏、A氏、私の3名は偶然にもまた同じ時期に夏期休暇を取っていましたので、
それなら、ということで、この年は新幹線で見に行くことにしました。もちろん夢は2年連続の万馬券、です。 福島競馬場は、JRAの競馬場としては珍しく、街中(福島駅からバス)にあります。 しかも、この日(関屋記念が福島開催の最終日)を最後に、福島競馬場が改装工事に入り、 2年間開催が無くなってしまいます。そのせいかどうか分かりませんが、レース当日は街中異様な盛り上がり。 テレビ番組も、早朝から競馬番組をやっていて、1番組終わった…と思うとまた競馬番組が始まる(^_^;)、という、 競馬ファンには堪えられない構成になっています。まさに「街ぐるみ」状態でした。 そんな中、福島競馬場での競馬観戦。しかしこの日はいつになく不調。大した当たりもなくメインレースへ。 もちろん、夢は関屋記念での万馬券GETなのですが、今日の調子では苦しそう。という事で、 函館のメイン・巴賞にまで手を出しました。と言っても、やっぱり見に来たのは関屋記念でしたので、それほど気合を入れず、 逃げそうだったキクカダンディの総流し+α程度だったんですけれど。 さて、関屋記念の前に前座の巴賞がレーススタート。道中は、予想通りキクカダンディの逃げ。 4コーナーを先頭で回ったときには思わず「そのままっ」の声がでました。しかし、世の中そんなに甘くはなく、 直線に入ってアラタマワンダー・ホッカイセレスの2頭に交され、3着入線。「この競走は審議」の声も聞こえますけれど、 そう簡単に降着はないでしょう。そういう訳で「惜しかったな」の感想を心に、今度はすぐ後に発走する関屋記念に注目しました。 そして関屋記念。こちらもケイワン号が競走中止し審議となる波乱のレース。しかし、 関屋記念が終わってもまだ函館の巴賞は審議中。3着総流し馬券を持っている私にとって、 僅かな期待が。前年の関屋記念の時は早く審議が終わるのを祈る気持ちでしたが、 今年の審議は長い方が嬉しい(笑)。そして……。長い長い間の後、函館の入線順位を示していたオーロラビジョン内の電光掲示板から、 すべての、つまり1〜5着までの番号と、何と勝ちタイムまでが消えてしまいました。そして聞こえてきたアナウンスは、 「1位に入線したアラタマワンダー号は…ヤマニンリコール号の進路を妨害したため、8着に降着とします」。 それによって、総流ししたキクカダンディがなんと繰り上がり2着となりました。 ここで思わずガッツポーズ!! 2年連続関屋記念の日に万馬券獲得!! …と喜んでいると、 横でN氏の「ふざけるなよ〜」の声が。手を見ると、アラタマワンダー−ホッカイセレス(35倍強)×500円の馬券が。 そうです。私の万馬券(132.3倍×100円)より、N氏の馬券の方が儲かっていたんですね。 私には大満足の2年目の関屋記念観戦ツアーでしたが、なんかその後ずっとN氏ににらまれてた気がします。 でも、競馬ってそんなもんなんですよね。誰かの外れ馬券があるから、誰かが当たるんですからね。 同伴者でも、同じ買い方をする訳ではないですから、言ってみれば「敵」。それを痛感したレースでした。 それから最後にちょっと余談を。巴賞と言えば函館記念の前哨戦。ここでの被害者ヤマニンリコールと加害者アラタマワンダーは、 後に函館記念で再戦したのですが、そこでは今度は何とアラタマワンダーが不利を受けて、 ヤマニンリコールが2着でした。函館記念では降着はなかったのですが、私はこのアラタマワンダーの不利は、 きっとヤマニンリコールの仕返しであった、と信じています(笑) |
この日の主な レース結果 |
成田騎手、フェスティブキングで平地重賞初制覇 | 関屋記念 |
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