日時 | 1995年 01月07日 中山 7R 4歳新馬(芝1600m/良) 16頭立 | ||||||||||||||||||
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レース結果 |
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配当 |
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一年の計は金杯にあり。競馬ファンの間では良く使われる格言です。 競馬をする人にとって、1年は金杯から始まり、有馬記念(東京大賞典?)で終わります。 ですので、特に重要なのがこの金杯。これをとると「幸先良いスタート」が切れる…のですが。 金杯だけは、何故か曜日(土日)ではなく、毎年1月5日に行われます。 不運?な事にこの年は平日。もちろんそれでも、職場近くのWINS新橋まで買いに行ったのですが、 わずかしかない、検討時間もない昼休み。しかもものすごく混んでて、さらに1000円単位のWINS新橋。 こんな状況で、しかもサクラローレル(のせいじゃないけど)が勝って360倍の金杯なんて、 とても取れる訳ありません。という訳で仕切り直し。1月7日の土曜、初回中山2日目が、 私にとっての「95年のスタート」の日となりました。 重賞もないこの日に、しかし意気込んでWINS横浜へ行ったのには訳があります。 関屋記念で416.3倍、という猛配当の片棒を担いでくれたシスティーナが、 この日のメイン・ガーネットS(当時OP特別・ダ1800m)に出走、となれば行かない訳には行きません。 システィーナには、関屋記念の後、クリスマスS(2着オギティファニー)でも40倍強の配当を取らせてもらっていて、 仲間内では私はシスティーナ成金とまで呼ばれていました(笑)。それほどまでに好きでしたし、 また相性の良い馬でした。 で、WINSに到着した時は7Rの前。せっかく早く来たんですから、当然年明け緒戦の運試し、です。 競馬新聞を見ると、7Rは新馬戦。2日目なんで、当然出走歴のある馬なんていません。ここで何を買おうかと、 馬柱の隅々まで見ていると…目に付いたのが3騎手の名前。そう、関屋記念の日から覚え続けていた、 中舘・大塚・蛯名正です。「システィーナが出る日だし、システィーナが呼んでくれたのかも」なんて、 しょうもないことを考えながら、勝ってしまいました3頭(3人)のボックス馬券。 騎手で買ってしまった訳なので、当然実況だけを聴いても自分の買った馬かどうかは分かりません。 ですので、競馬新聞を片手に実況を聴いていると…「勝ったのはマイライフスタイル、 そして2着は粘るヒシムサシ、シンコウハツシモを捕らえきったかミスカンパニュラ」。 で、改めて競馬新聞を見て、目を疑いました。1着蛯名正、2着が大塚で、3着争いに中舘…? 結局、熾烈な鼻差の3着争いを制したのは、何と中舘騎手のヒシムサシ。終わってみれば、 何と、3頭ボックスで300倍を含め上位3頭完全的中、という信じられない快挙でした。ちなみに、1-3着は107倍、 2-3着は476倍。こんなボックスを買う方も買う方ですが(^_^;)、それがきっちり1・2・3着になってしまう競馬って一体…? 後から見返してみると、マイライフスタイルは何とあのサンデーサイレンスの全妹。 血統的には勝っても何ら不思議のない血統でした。残念ながらこの後の成績はパッとせず、 そのまま1勝で引退でしたが、その後どうなってしまったんでしょうか…? サンデーの血を50%、母親として残せる大変珍しい血統だったんですが…。 それから、同じレースでは、後にラジオたんぱ賞などを制するプレストシンボリが出ていたのに気づいたのも、 それからしばらく経ってからでした。この頃から人気(この時2番人気)を裏切っていたプレスト。 後にプレストシンボリを買わない会発足?のきっかけになったのも、実はこのレースです。 それから最後に。この日ガーネットSに出走したシスティーナですが、 圧倒的な1番人気と、久々のダートが堪えたのか、見せ場なく4着でした。 でも、馬券の方は、何とシスティーナを切って当てました(29倍)。なんて都合の良い人間なんだろう、俺って?(笑) |
この日の主な レース結果 |
後の桜花賞馬ワンダーパヒューム新馬勝ち | 4歳新馬 |
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