「尾崎 豊」と出逢えた人生
★ Act2.『3枚の宝物』


【卒業】

高校を卒業した私は、予備校に通う事になった。高校生活で勉強よりも真剣で大事だった吹奏楽部。そこ
で私は、毎日音楽と過ごしていた。
当然、勉強の方は2の次、3の次。志望大学に入れなかったのも当然だったといえる。後悔はなかった。
予備校の1年間は、勉強と欲望のジレンマでイライラする日々が続いた。夏頃からは、尾崎の曲もプッツ
リ聴かなくなった。友達とも付き合いはなかった。まったく勉強しないで絵や詩を書くだけの日もあった
し、狂ったように数式を解く日もあった。
そんな予備校時代が終わりそうな頃、尾崎の噂を耳にした。
その曲名は「卒業」。聴いてみたかった。どんな曲なのか、どんな詩なのか。でも、私はレコードを買う
のをやめた。ほんとうに、この毎日を卒業してから聴こう・・・そんな風に考えることができたから。
そして、私は理数系の短大に進むことになる。



【回帰線】

予備校を無事卒業し、大学への入学も決まり、やっと精神的に余裕を持った春、尾崎の2ndアルバムが発
売されていた事を大塚のレコード店で知った。
なにげなく、よく行くレコード店で尾崎のLPを探していたら、色の違うLPが並んでいた。「え?」と
思い、手に取ってみたそのアルバム名は「回帰線」。その場で購入し、他の用事を急いで済ませ、都電に
飛び乗った。
今ならCDなのですぐに開封して歌詞を見る事もできるが、当時はまだLPだったため、いくらなんでも
都電の中でジャケットを取り出す勇気もなかった。

家に帰ると、まずLPに針を落としてから歌詞カードを見ようとした。その瞬間、スピーカーからはアッ
プテンポなロックンロールが流れてきた。1stアルバムの尾崎のイメージからは想像できなかった音。歌
詞よりも、まずそのメロディーに驚いてしまった。
聴きながら、歌詞を読む。幸い買わなかった「卒業」も入っている。A面を聴き終えたところで、もう1
度歌詞に目を通す・・・
B面に裏返す前に、もう1度聴きたい曲があった。「ダンスホール」。慎重に針を落とす。
曲が始まる・・・・1stアルバムより歌詞に惹き付けられている自分がいた。B面に裏返す。静かに歌詞
カードだけを目で追って聞き惚れる。耳から入るメロディーと、目から入り、頭で考えている歌詞が複雑
な心境を創り上げていく。

B面が終わった後、迷わずにかけ直した曲があった。2回目に聴くその曲は、メロディーと歌詞が微妙な
バランスで自分の中に落ち着いていく。そして、3回目、4回目・・・
時は既に夕方になっていた。薄暗い部屋。その中で、灯りもつけずに同じ曲を何回も聴き直した。
・・・何回目かわからないその曲を聴いているうちに、涙が溢れてきた。気が付くと静かな真っ暗な部屋
で、歌詞カードを見つめながら泣いている自分がいた。

その曲が、それからしばらくの間は不動のNo.1となった「シェリー」だった。



【壊れた扉から】

学生生活は、楽しい。特に大学なんて、間の講義が抜ければ暇はいっぱいある。
短大生活中、ふとした事から、女子プロレスラーの卵と友達になった。もちろん私よりも年下で、まだ1
4歳だったが、彼女とは仲良くなった。それは、彼女が尾崎のファンだったから。

初めての、尾崎ファンの友達。うれしかった。

彼女の名前は、JUN。お父さんがアメリカ人のハーフである。今は有名になっているアジャ・コングと
同期。彼女もハーフだったし、もう1人麗文という、中国人のクォーターもいて、何かと3人で話題にな
っていた。
女子プロの世界は、厳しいらしい。それまで、プロレスなんて見たこともなかったし、バカにさえしてい
たが、そんな自分を恥ずかしく思った。プロテストを受けるため、毎日努力していた彼女を支えていたの
が尾崎の曲だった。私も力になりたかった。
応援しに、事務所へ差し入れに行く。しかし、先輩の目がある所では受け取ってはいけないらしい。その
頃有名だったC・Gというペアのファンが周りにたむろしている。知らない世界に踏み込んでしまった気
がした。

そんな彼女に送った尾崎の曲がある。
「回帰線」が出て、またすぐにリリースされた、「壊れた扉から」。初めて聴いた時には、「回帰線」の
様な衝撃はなかったが、好きな曲が詰まっていた。
その中の「失くした1/2」と、彼女が好きだった「僕が僕であるために」である。
その後、彼女はプロテストに合格し、女子プロ界にデビューした。試合の前にはこの2曲を聴いてから挑
んでいたと聞いた。
そして・・・彼女はたった1度の挫折で、女子プロから去って行った・・・
私は力になることができなかったのだろうか?
今でも、それが悔しくて仕方ない・・・そして、「失くした1/2」は、その後の私のベストソングとな
っていく・・・



【十代の最後】

年が明け、私は20歳の誕生日を迎えた。何が変わるわけでもなかったし、自分の中でも何も変わらない
と信じていた。
そんな時、尾崎の活動停止の噂を耳にした。ショックだった。新しい彼の作品がいつ聴けるかわからなく
なったから。だから、3枚のアルバムは特別なアルバムとなった。心の支えだった、と言ってもいい。私
の十代の宝物。
それまでの私は、尾崎の、いわゆるアクティブなファンではなかったかもしれない。コンサートに行った
事もなく、ファンクラブにも入らず、おっかけの様な情報収集もしていなかった。周りに尾崎を知ってい
る人がいなかったせいもあるだろう。また、1人でコンサートに行く勇気がなかったせいもある。
というより、私の中では尾崎豊はもっと自分の中で暖めたい存在だった。それまでに、ファンになった歌
手や、ファンクラブに入ってたアイドルも、もちろんいた。けど、尾崎は私の中ではそういう対象にはし
たくなかった。ファンクラブ自体が無意味にも思えていた。その時代の私にとっては、尾崎の「歌」、そ
れだけが全てでよかったのかもしれない。
それでも、私は胸を張って言える。尾崎のファンであったと。そして、二十代になっても聴き続けると。
十代のうちのたった2年間だけだったけど、それまでの18年間より、ずっと大切なものを手に入れた気
がする。それに気が付いて、私は私の中で十代と二十代に区切りをつけた。

そして、思った。・・・彼が活動を始めたら今度こそコンサートに行こう、と。



To be continued...

 次回は、Act3.『再活動と逮捕』







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