☆☆撮影旅行四方山話

 ここでは開店以来、またはそれ以前の撮影旅行の思い出話をご紹介させて戴きます。
 ★撮影旅行に行きましょう!
  恵雅堂を始めて、一番最初に遠方に出かけたのは、開店した翌々月の2月ごろ、行き先は冬の富士山でした。
  開店してしばらくはとても忙しくそんな気にもなれなかったのですが、2月になると慣れてきて、お客さんの
  2人の「富士山でも連れて行ってよ」とのお言葉に、取りあえず3人で富士山に行く事になりました。
 
  思いの外お二人に喜んで戴き、翌年はもっとたくさんのメンバーで…と思っていたところ、翌年は新年早々オ
  ウム真理教事件・阪神淡路大震災などがあり、私の住む姫路市も震災では影響のある方が多く(私の弟も当時
  神戸在住でした)、結局その年は遠方への旅行は見送る事になりました。
 
  そのまた翌年からバスを繰り出すようになりましたが、これがまた大変でした。マイクロバスを借りるのです
  がそれにしてもある程度の人員は集めないと1人当たりの負担が多くなるため、参加メンバーに「誰でもいい
  から誘ってください」とお願い、中にはカメラなんて持った事がない人まで参加されていました。でも、それ
  がまた面白く、旅を楽しいものにしてくれていました。

  開店から現在(平成15年1月)でまる9年が過ぎ、形態は色々変わりましたが、相変わらず皆さんにお付
  き合いしていただいていることを大変嬉しく思います。
 
 ★富士山が・・・
  始めてバスを出して行ったのがやはり冬の富士山でした。いつも足かけ3日で、夜に出発するのが恒例となっ
  ています。姫路を出発した時は意気揚々でしたが、精進湖に入っても富士山はかけらも見えず、結局帰るまで
  一度も見えませんでした。「あの方向、この角度に富士山あるんですけど…」と国道139号を走りながら話
  しても誰1人信じてもらえません。しかも、45年ぶりとかの豪雪で、忍野村内もそこやかしこに道から落ち
  た車が!おまけに前輪の上の席に座っている私には「ズブ、ズブブブッ!」とチェーンが滑る音がずっと聞こ
  えているのですが、誰にも言えず1人でビビっていました。

  その時に一番困ったのは、東名がその45年ぶりの豪雪で止まってしまった事です。会社勤めの方は必ず月曜
  日には出社しないといけないので、車で暢気に…と言うわけにはいかず、結局新幹線で新富士から姫路に帰る
  事になり、富士は見えないわ電車代はかかるわ…で大変ご迷惑をかける事となってしまいました。

  それにしても静岡市内も町中で数十メートルごとに事故発生、よりによって遙々やって来た日にわざわざ45
  年ぶりの量で降るなと。
 ★またまた富士山で・・
  そのまた翌年、強気になって今度はバス会社のバスをチャーター。ところが出発が近づくにつれ参加者が激減、
  結局17、8人ぐらいとなってしまいました。今回はわざわざ下見に行く周到さで準備したというのに…(下
  見にかこつけて、たつた氏と遊びに出かけたと言うのが周りの見方でしたが)。

  その下見の時、当日までたつた氏は奥多摩で撮影をしていました。私は店を夕刻に出て、新幹線で新横浜まで
  行き、そこでたつた氏の車に拾ってもらい富士まで行きました。田貫湖に到着してまだ夜明けまで数時間ある
  ので仮眠を取る事に。数瞬後にハッと気づいた時、無情にも太陽は、高々と昇っておりました。
    
  本旅行時、姫路を出発し、福崎インター辺りから嫌な予感がしていたのですが、案の定滋賀県を抜けるのに数
  時間掛かる程の雪。幸いにも閉鎖にはならなかったのですが、朝日にぎりぎりのタイミングで現地に到着しま
  した。でも、これはバスの運転手さんが猛スピードで東名を駆け抜けてくれたおかげでした。「朝日に間にあ
  わんかったら、運転手のプライドが許さん」と。築地に向かうトラックとバトルを繰り返し走るバスは結構怖
  かったです。もちろんスピードは制限内ですが、バスは大体80キロ前後が普通だそうです。

  で、この時は近畿の大雪とは打ってかわり、富士周辺は雲一つない快晴でした。山中湖からは北アルプスまで
  綺麗に見えていると言う事で、テレビ局まで来ていました。そこで皆さんが言われたのが「何ぼ何でも、雲の
  一つもないとなぁ・」昨年とのあまりに極端な差に一同大笑い。


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