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愛知県無形文化財指定 〔旧名=挙母市〕 豊田市の棒の手 宮口棒の手保存会

今から約400年前の天文23年〔1555年〕当時、尾張〔愛知郡日進村岩崎〕の岩崎城主、

・現日進市・丹羽勘助氏次〔うじつぐ〕の家臣に鎌田兵田寛信〔ひろのぶ〕と云う人があっ

て剣術に優れていた。氏次ぐは、寛信に命じて領民〔城下に住む人〕に技の伝授をさせた、

そして技量の上達したものを選んで猿投神社の祭典に演技させた、これが鎌田流棒の手

の始めである。宮口の棒の手は鎌田流です



合属

{〔ガッショク〕=〔合宿〕}=〔グル−プ〕


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猿投合属=猿投
宮口合属=宮口ほか11ヶ村
寺部合属=寺部ほか28ヶ村
広沢合属=加納ほか05ヶ村
四郷合属=四郷ほか11ヶ村
川通合属=東広瀬ほか20ヶ村
松平合属=松平.大楠ほか
08ヶ村

〔旧高橋村〕
南尾張合属=殿貝津.田籾
米野木ほか28ヶ村
北尾張合属=山口・?ヶ村
東濃合属=岐阜・・・等々

以上がいま名残をとどめている合属である、戦前は、演技前に、数日の間、
合属に分宿して、斎戒沐浴
〔さいかいもくよく〕〔飲食を慎み心身を清める〕
して、演技を競ったようです。


宮口合属は・宮口・本地・千足・打越・明知・土橋・乙尾・大林・北莇生・

南莇生・三好・下伊保・亀首・が加って一団となり棒の手を奉納した。


行装は、陣傘を冠り、わらじをうがち、陣羽織に、胸当ては自家の定紋を画

き,3尺帯を結び、ほら貝を吹きひびかせ、種ヶ島銃の空砲を交え、きんしゅ

目もあやな鞍置献馬を率いて三々五々の行列、その順位は、極めて厳格で

あったようです。


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明治23年3月29日には、名古屋別院において、明治天皇御駐輦[ごちゅうれん]

同所において、宮口の篠田文次郎及び篠田金次郎らが、鎌田流棒の手を天覧に

供した記録が愛知県紀要〔大正11年1月1日愛知県発行〕にある。


上記の資料は鎌田流宗家7代目・深田豊巳氏の好意で、その蔵書より引用しました。

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