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加古川かつめし


加古川かつめしとは、皿に盛ったご飯の上にビフカツ(またはトンカツ)をのせ、ドミグラスソースソースをかけ、茹でたキャベツを添えた料理。 兵庫県加古川市の当地グルメである。 ビフカツとご飯を一緒にして「箸で食べられる洋食」をコンセプトに創作された。 1953年頃加古川市内にあった「いろは食堂」が最初にメニューにしたといわれる。 手軽に食べられることから加古川市内の食堂や喫茶店に広まり、地域の名物料理となった。B1グランプリ2011参戦するかもしれないと噂されている。

姫路おでん

おでんと言えば、静岡おでんが有名だが、 ネタをはじめ味付けなど地域性がある。 姫路おでんは、からしは使わず、しょうが醤油につけて 食べるのが特徴だ。
おでんに、しょうが醤油をかけて食べるのは、姫路を中心に 加古川〜相生あたりまでの地域。
2011年のB−1グランプリは姫路での開催が決定。
今年は姫路おでんがブレイクするかも。

明石焼き


創作明石焼海老すり身と真だこの明石焼8皿パック


神戸名物 蛸一の明石焼(冷凍食品)

明石焼きとは約160年の歴史を持つと言われている兵庫県明石市の名物で、たこ焼の元祖(生みの親)でもある。明石焼きはたこ焼よりも軟らかく、銅の鍋とさい箸を使ってふわふわに焼き上げ、ソースではなくだし汁につけて食べる。なお、正式名称は玉子焼きだが、卵焼きと間違いやすい事などを考慮して明石焼きと表記している。玉子焼がいつ頃、どのようにしてできたかには2つの説がある。一つは明石の殿様に納めるお菓子を作る際に卵の黄身だけを使い、残りの卵白から玉子焼が生まれたという説。もう一つは天保年間(1830年〜1843年)に、江戸のべっ甲細工師、江戸屋岩吉と言う人が明石に滞在中の冬の寒い日に袖の下に鶏卵を入れたところ、不注意で卵が割れて白身が流れ出し凝固した。中略 彼は卵白の研究に取り組み明石玉を完成させた。明石玉とはサンゴの模造品の事で、残った黄身と当時よく取れたタコを利用して玉子焼が生まれたとする説である。 (明石焼きネットのホームページより)「播磨のつれ小便」という言葉がある。他人のマネが上手という意味だが、県民性からみると、明石焼きを作ったのは、ひょっとしたら江戸の人だったかもしれない。

いかなごくぎ煮


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明石の漁師が“春(はる)告(つげ)魚(うお)”と呼ぶイカナゴ。くぎ煮作りは、明石の春の風物詩として定着しているが、もともとは神戸・垂水が発祥の料理とされる。明石で普及が始まったのは約20年前で、歴史は意外と浅い。昔は、明石の漁師に約3―4センチのシンコ(新子−生後数ヶ月の当歳魚)を狙う習慣自体がなく、5、6月、6〜7センチに成長したシンコを飼料用に狙うだけだった。売値はずいぶん安かったという。そこで、漁師らが目を付けたのが「くぎ煮」−イカナゴを醤油、砂糖(ザラメ)、みりん、生姜を使って甘辛く味付けしたもの−消費振興による収益アップが狙いだった。明石浦漁協婦人部や県漁連は、コープこうべなどと連携し、料理講師を養成。阪神―播磨間で料理教室を開いてPRに精を出し、少しずつ料理方法が広まった。そして、阪神・淡路大震災の後、明石や神戸の被災者らが支援へのお礼として全国にくぎ煮を送ったことが、普及に弾みをつけたという。最近は春になると、シンコの解禁日が話題になる。漁価は餌のころの約五倍に高騰。漁師たちの狙いは的中した。(神戸新聞のホームページより)明るくて軽快、金銭感覚の鋭い商人感覚のある明石人だからこそ、くぎ煮が出来たといってよい。

神戸そばめし


そばめしは、焼きそばとご飯を鉄板で炒めたソース味の焼飯。 神戸市長田区のB級グルメ。 神戸市長田区のお好み焼き店で昼食を取っていたお客さんが、 「弁当のご飯を、焼きそばと一緒に炒めて」と頼んだ事で 出来たのが、このそばめし。今では、冷凍食品でも人気に。 そういえば、「中華丼」や「天津丼」も、 東京浅草の中華料理店で、 お客さんが「ご飯の上に八宝菜やかに玉をのせて」というリクエストから出来た。 ※作り方 肉とキャベツを炒め、 次に麺を入れてソースを入れ、 焼きそばとなったものに、温かいご飯を混ぜあわせる。 その時に、コテで麺を小さく刻むようにしながら炒めていくと、 麺が短くなってくる。 さらにソースで仕上げの味つけして「そばめし」の出来上がり。

             
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