ミケーネ(MYCENAE)

HISTORY OF MYCENAE
ペロポネソス半島のアルゴリス平野北端に位置するミケーネは、昔、独自の文化が栄えていました。ミケーネ文明を興したのはBC2000年頃ギリシャ北西からやってきたミケーネ人で、クレタの文化と接触し、そして吸収して文化を築いたようです。しかしBC12世紀頃から急速に衰え始め、ドーリス人の侵入によって破壊され滅びてしまった。このギリシャ史の幕開けともなる文化は時によって人々の脳裏から消え去っていた。ただひとつ、トロイの伝説の中にのみ伝えられていた。
ミケーネ文化はドイツ人のシュリーマンが19世紀に遺跡を発掘するまで、フィクションだと思われていたそうである。


シュリーマン
シュリーマンは、7才の時に父親からホメロスの英雄詩「イリアス」「オデュッセイヤ」やトロイの伝説の話を聞かされて本当の話だと確信して、いつか自分の手で発掘してやろうと心に決めていた。資金集めに仕事に励むいっぽうでヨーロッパ7か国語をマスターした。やがて、商人として成功し、莫大な資金を手にしたシュリーマンは発掘にとりかかったのであった。話がずれるが、この発掘前にシュリーマンは世界一周をしているのだが、このとき日本にも立ち寄ったそうである。話をもどそう。1871年、トロイで遺跡を発掘、1976年にはミケーネで遺跡を発掘した。彼の壮大な予想と夢はこのときにかなったのであった。ミケーネの遺跡からはおびただしい黄金の財宝が発見された。(アガメムノンの黄金のマスクが有名、今はアテネの考古学博物館に展示中)この発見によって、ホメロスの詩にある「黄金に富むミケーネ」が立証されたのであった。


みどころ
ミケーネの遺跡はほとんどが墓である。だからこそ財宝が出てきたのだが。遺跡の周りには9基の蜂の巣型の墓地がある。もっとも形をとどめているのは「アトレウスの宝庫」である。しかしここはシュリーマンが発掘する前に墓泥棒に荒されて何もなかったようである。(ということは厳密に言うとこの墓泥棒がミケーネの第一発見者になるのでは?)「アガメムノンの黄金のマスク」の出たのは城壁のなかにある円形墓地で、ここで黄金のマスクが6個発見された。
それから「ライオンの門」が遺跡の正面にある。