しかしこの計画は、大坂に道場を構えていた新選組隊士谷万太郎・三十郎兄弟の 下に密告され、元治2年(1865)正月8日の夕刻、谷兄弟らは石蔵屋を襲撃し た。この日はほとんどの浪士は不在であり、本多大内蔵も逃亡した。しかし大利鼎 吉は即死し、また本多の妻は捕縛され、武器・弾薬・書類等は押収された。 これにより大坂焼き打ち計画は未然に防ぐことができた。またこの事件の後、大 和地方で浪士による不穏な動きが伝えられ、慶応元年(1865)7月、幕府の命 を受け新選組の伊東甲子太郎、富山弥兵衛、茨城司、久米部沖見、篠原泰之進らが 出張している。 ところで、土方歳三とともに副長を勤める山南敬助は、試衛館以来の近藤勇の同 志である。この山南が突然脱走するという事件が起きた。しかし近藤は、最近の山
左上写真・・・・・山南敬助切腹を日野に知らせた沖田総司の手紙 「新選組写真集」新人物往来社より
右写真・・・・・山南敬助の墓 「新選組写真集」新人物往来社より
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