精神科に訪れるこども達の質と量は社会の変遷によって 大きく変わってきました. ですから,21世紀の児童・青年期の精神科医療を語るためには 精神医学の進歩の予想と同時に,今後100年の社会の変化を予想するという, とてつもない予知能力が必要になると思われます.残念なことに私の想像力が 及ばないので,地平線までの風景を描いておいて,その彼方を想像する作業は 読者にお任せすることにいたしましょう.
20世紀の世紀末,外来には不安性障害をはじめとする神経症圏のこどもが 明らかに増えてきました.摂食障害は急増し,国もその対策に乗り出した ようです.一方で学習障害,ADHD,境界知能,アスペルガー障害など, 以前には何か目立った問題を起こさない限りは精神科の門を叩くことの なかった軽度発達障害のこどもの受診も目立つようになりました.
これらの変化は精神科の敷居が以前よりは低くなったという喜ばしい理由も あるでしょう.しかし,それにも増して社会が変化する過渡期の中で こども達の成長が困難になっていることは明らかなように思います. 例えば大人たちが作ってきた価値観にしても,ある意味では多様化し, ある意味では画一化し,こども達の成長に大きな影響を与えています. 価値が多様化していろいろな選択が可能であるということは, 裏返せば人生の選択にともなう悩みが増えたことになります. しかも選択肢は親たちの時代とは比較にならないほど広がっているので, 親たちも以前ほど当てにはなりません.一方で,価値観が画一化している側面 もみられます.こどもがどんな個性を持っていたとしても, 幼い頃には明るく元気なことが,思春期以降には性格が良く頭が良くて かっこいい(かわいい)ことが,成人してからはある程度の収入が あることを求められます.まあ,よほど恵まれた遺伝子を持っていても全て クリアすることは困難であります.大人たちの自由平等幻想も手伝って, 多くのこども達が彼らにとって達成困難なことを求められて, ありのままの自分を引き受けることが困難になっています.
こんな風だから私達の仕事が最近ますます繁盛しているのも理解できます. しかし,悪いことばかりではありませんでした.様々な治療技法が開発されて きましたし,こども達を支えるための医療・教育・福祉などを横断的に結ぶ ネットワークの必要が認識され,構築されてきています.生物学的な側面では, レット障害を惹き起こすMECP2遺伝子が同定されましたし, 自閉性障害の遺伝子座として7番染色体長腕や15番染色体長腕が疑われて きています.
さて,始まったばかりの21世紀に,こども達が幸せになり, 私達の仕事があまり繁盛しないためには何が必要なのでしょうか. 精神科医療が努力するだけでは不十分なのは明らかであります. 発達障害に関しては,学校教育に真の個別教育プログラムが浸透し, 社会が彼らをもっと理解することが必要です. 神経症圏の障害や摂食障害の一次予防は,社会そのものがこども達にとって 生きやすいものになっていくことのように思います.そして全てのこども達が, それぞれの個性を本当に認められて育っていくことが必要です.