週 末 、 吉 野 ヶ 里 で 。


1日1往復の特急が吉野ヶ里に停車

今年も無事に3月のダイヤ改正を終え、廃止が危惧されていた700系臨時のぞみ号がダイヤに残った。東海道・山陽新幹線では定期のぞみ号はすべてN700系に置き換えられ、2016年度まで毎年6編成ずつ700系をN700Aに置き換えていく予定なので、早々に「臨時のぞみ」もN700系になってしまうだろう。これほどまでに私が700系にこだわる理由はただひとつ、「自席でタバコを吸いたい」ということである。まぁとにかく「無くなる前に早めに乗っておく」というのが近年のセオリーであるので、ダイヤ改正後早々であるが「ひかり」と「のぞみ」を新神戸で乗り換えて、博多まですべて700系のグリーン車で往復する旅の予定を立てた。

浜松から博多までの往復は、これまで何度も700系のグリーン車利用でこなしているので詳細は割愛するが、乗るたびに「あぁ癒されるなぁ」と思う。徐々に暮れていく車窓を見ながらウィスキーをちびちびやる往路もよし、競馬中継から日曜夕方のFMが楽しめる復路もいい。酒を飲むにも、競馬を見るにもタバコは欠かせないので、やっぱり喫煙車両がありがたいと思う。また、700系とN700系では窓の大きさも違うので、車窓を楽しむという意味でも700系は秀逸である。


雨の吉野ヶ里公園駅ホームに停車中の783系


橋上駅の吉野ヶ里公園駅にも立派な入口が

金曜日の20時ころ博多に着き、ANAクラウンプラザ福岡にチェックイン。ここも博多の常宿になりつつあるホテルだが、今回は奮発してクラブフロアに連泊の予約を入れている。これまでの宿泊では入れなかった中2階のクラブラウンジにアクセスできるので、明日の朝食と夕方のカクテルタイムが楽しみである。部屋の方もそれなりに広くて快適で、これまでの倍の金額を支払った甲斐があるというものである。

さて連泊の中日の土曜日、天気は朝から生憎の雨。このまま部屋でゴロゴロしちゃおうかという誘惑に駆られたが、ゴールデンウィーク中の5月5日のサンライズ瀬戸指定席を予約するという大仕事(?)があったため10時前に博多駅に行った。幸いにも10時の時報とともに窓口嬢がキーを叩いてくれて無事に予約が入ったが、その時に窓口に流れた業務無線の声を私は見逃さなかった。「9時31分発のみどり5号の前に、9時55分発のかもめ13号を発車させまーす。かもめ13号の入線は10時5分ころでーす。」え、まだ出てないの???と思った。実は、これから向かう予定の吉野ヶ里遺跡へのアクセス方法のうち、最初に考えたのが「みどり5号」の利用で、この列車を利用すると最寄駅の吉野ヶ里公園駅に乗り換えなしで行ける。吉野ヶ里公園駅に停車する特急は1日上下各1本ずつ。毎朝9時31分発の特急を逃すと、その日はダイレクトには行けないというダイヤである。さきほども書いたとおり、5月5日の指定券発売があったので、復路に特急を利用することにして、往路は西鉄特急と路線バスを乗り継ごうかなと思っていた。そこへくだんの無線を聞き、窓口嬢にまだ発車していないことを確認。乗車券と自由席特急券を追加で発券してもらった。

ダイヤが乱れて予定していた列車に乗れなかった経験は数あれど、逆に間に合ったという経験はこれまでに一度しかない。ダイヤの乱れの原因は、車内放送によると、博多駅構内で「みどり5号」の線路を「ななつ星」が塞ぎ、信号が赤になってしまったとのことである。確かに我が「みどり5号」の進行方向左側に「ななつ星」が停まっている。ただし、既に線路を塞いでいる状態は解消されているようで、みどり5号がなかなか発車しないのは、長崎行きの特急かもめ号をなるべく定刻どおりに出発させるためのようだ。結局、みどり5号は定刻1時間遅れで博多駅を発車した。


国営っぽく立派な吉野ヶ里歴史公園の東口


弥生時代には庶民が暮らしていた「南のムラ」


吉野ヶ里公園の最南端はJR長崎線の線路際


プレハブ建ての展示室にたくさんの甕棺が整列


物見櫓の上から南内郭を俯瞰


北墳丘墓付近の甕棺墓列

博多と佐賀は天気が違うことも多いが、吉野ヶ里駅に着いても外は雨だった。特急で38分と連泊の中日に来るには手頃な吉野ヶ里遺跡だが、なぜか今まで訪問機会がなかった。駅から10分ほど歩くと東口に着いた。国営の公園だが、東口の銘板には国の文字はなく、「吉野ヶ里歴史公園」となっていた。プロムナードが長く入場ゲートまで行くにも骨が折れたが、とにかく420円で入場券を購入し入口へ。広大な遺跡であるので、まずは屋根のある場所で作戦を練りたい。遺跡へのアプローチ橋を渡ったあとの分かれ道で、他の見学客のほとんどが右に行くのを尻目に私は左を選び、ほどなく弥生くらし館に着いた。

入口で貰ったリーフレット兼園内マップを開いて分かったのは、吉野ヶ里歴史公園の主なスポットは、北から順に「北墳丘墓」「甕棺墓列」「北内郭」「中のムラ」「南内郭」「倉と市」「展示室」「南のムラ」「弥生歴史館」等々である。北から順に地位の高い者が暮らしていたようで、弥生歴史館の隣にある南のムラに暮らしていたのは当時の庶民だとのこと。せっかくなので、南のムラから順々に地位の高いところに向かって行くことにした。


竪穴住居の一部には人形が置かれていた


倉が並列する圧巻の眺め…倉と市ゾーンにて


市の中心にある「市楼」の前でアリバイ撮影


公園の見所〜左手前より祀堂、立柱、北墳丘墓


北墳丘墓の内部で公開中の甕棺の中身


北内郭の物見櫓から見た高床住居と主祭殿

昨年の初夏に行った青森県の三内丸山遺跡もかなり広いと思ったが、ここ吉野ヶ里遺跡はそれを凌ぐ広さだった。また、南のムラから見て行ったこともそういう印象を抱かせた原因かもしれないが、とにかく復元建造物の量と密度がハンパない。左の画像のいくつかに、それが見て取れるものがあるので参照のこと。

南のムラから水田を経由して南内郭へ。南内郭の入口前右手に展示室があったので、雨宿りを兼ねてちょっと覗いてみた。プレハブ建てで正直期待せずに入ったが、そこには遺跡発掘時に発見されたとみられる甕棺が何十個も無造作に置いてあった。昭和末期の造成工事のときに、こんな甕棺がボロボロ出てきたら工事の人たちもさぞビックリしただろうと思う。

再び雨に打たれながら遺跡見学に戻る。吉野ヶ里遺跡は環濠集落と位置づけられているが、南内郭がその特徴を端的に表している。濠が集落の周りに巡らされていて、濠の脇には木柵が切れ目なく立っている。木柵の内側の四隅には物見櫓が立ち、木柵の内側に沿って竪穴式住居が並ぶ。中心部は広場になっていて、その様子は運動会をやっている小学校のグラウンドみたいだった(運動会のテント=竪穴式住居)。

南内郭の西隣にある「倉と市」もなかなか壮観だった。高床式倉庫がこれでもかというほど並んでいて、現代なら臨海地区の倉庫群?という感じ。市楼をバックに記念撮影をし、職人たちが住んでいたという「中のムラ」を経て、ようやくクライマックスの北地区に着いた。ところで、11時20分ころ公園の東口に着いて、「帰りは13時20分の福岡空港行き高速バスが便利だけど、時間を持て余すよなぁ」とか思っていたが、かなり甘い考えだった。これから北墳丘墓や北内郭を見るというのに、バスの発車まで50分を切っていた。「これは急がねば!」 北墳丘墓の手前にある甕棺墓列の見物もそこそこに、北墳丘墓の入口に向かった。

北墳丘墓の内部は、吉野ヶ里歴史公園で唯一の発掘展示施設で、気温と湿度が年中一定に保たれている。なので、今日のようなあまり気温が上がらない日に入ると、むわっとした生温かさを感じ、メガネが曇ってしまう。吉野ヶ里遺跡にスケールでは負ける三内丸山遺跡も、このような発掘展示は至る所にあり、また発掘品の展示や映像シアターも充実している。というわけで、吉野ヶ里遺跡は天気のいい日に来る施設、三内丸山遺跡は雨や雪でもそれなりに楽しめる施設ということになるが、残念ながら訪問時の天気はそれと反対になってしまった。ま、とにかく雨でもOKの屋内展示箇所であるので、時間があればここをじっくりと見て回っても良いが、いかんせん残り時間が少なくタイムアップ。北墳丘墓を出て、南隣にある北内郭に向かった。

北内郭は高床式住居の王様の家と、現在で言うところの首相官邸(3階)と国会議事堂(2階)が一緒になったような主祭殿を物見櫓が取り囲み、その周辺に木柵があるという位置関係だった。同じ内郭でも北と南では別モノで、一方を見たからといって全て見た気になってはいけない。主祭殿の内部は公開されていて、3階には祈祷場があり、2階は集会場となっていて、それぞれ人形が置かれていた。吉野ヶ里遺跡の中では最も大きな建物で、ここの見学をしおに帰途に就くことにした。時計は13時になろうとしており、時間が余れば寄ろうと思っていた東口向かいのうどん屋さんに立ち寄る時間もない。とりあえず、来た時と同じ道をたどって東口に向かった。


主祭殿の3階は祈祷場として機能していた


主祭殿の2階では吉野ヶ里の首脳が会議中


吉野ヶ里公園の東口から直接福岡空港へ


ANAクラウンプラザ福岡のクラブラウンジ


毎晩17時半からのカクテルタイムは飲食無料

往路と同じように、復路も吉野ヶ里遺跡から福岡市内へダイレクトイン。1日1往復だけ吉野ヶ里公園前バス停に停車する高速バス(福岡空港⇔佐賀市内)に合わせての遺跡見学だったため、最後は急ぎ足になってしまった。予定通り13時15分ころにはバス停に到着し、雨の降る中で西鉄高速バスを待った。13時20分の定刻に少々遅れて見慣れた塗装のバスが到着。西工ボディB-Tの高速仕様なので、真正面から見ると普通の路線バスのように見える。もちろん乗車すればリクライニングシートが並ぶ高速バス。3〜4人しか乗っていなかったので、最前列左側の最も眺めの良いシートにらくらく座ることができた。

東脊振インターから長崎自動車道を走るが、そこまでの道すがらも一般の路線バスを思わせるバス停の多さであった。高速バスは通常、短距離客の乗車を制限するため、乗車しか扱わないバス停と降車しか扱わないバス停を設けるが、この路線では一区間でも乗車OKだった。で、高速に乗ってしまえば、福岡空港最寄りの大宰府インターまでは30分そこそこ。吉野ヶ里公園から福岡空港の所要時間も50分ほどで、特急列車には及ばないが、かなりの俊足ぶりだった。

福岡空港に到着したのが14時10分過ぎ。FDAの静岡空港行きも当然間に合う時刻で、中部空港経由で帰れば日が暮れる前に浜松に着きそうな感じである。しかし、ここで飛行機に乗ってしまうと、せっかくのクラブラウンジのカクテルアワーに行けなくなるので、当然そんな真似はしなかった。せっかく空港に来たのでお土産を物色し、地下鉄で博多に戻った。

さて、そのカクテルタイムは、クラブフロア宿泊者なら無料ということで、オープン直後は満席となるくらい盛況だった。しかしどの宿泊客も1杯飲むと部屋に戻っていき、オープンから1時間も経つと人影はまばらになった。おそらくつまみの種類の少なさが、そのような動向の原因だろうが、私はケーキでもチョコレートでも、カクテルやウィスキーが飲めるタイプなので大丈夫。トニック・ウォーターのビンを開けてしまったので、ジンやらカンパリやらウォッカをベースにして、グレープフルーツ・ジュースを混ぜるという、怪しげなカクテルをたらふく飲んだ次第である。19時ころ、さすがに酔っぱらって腰を上げると、少しフラッとした。まだまだ夜は長いのに、どうすんだ?オレ。。。
<終>

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