中京競馬場から始まる旅C

陰 陽 連 絡 ・ 幾 星 霜


スタンドをバックに内馬場にて筆者

昨年暮れにシリーズものとして書き始めた「中京競馬場から始まる旅」。中京競馬場は1年に4回開催されるので、4回目の今回で最終回となる。4回も同じ競馬場の観戦記を書くとなると、特に画像に変化がつけにくく苦戦する。それでも今回は、いつものA指定席ではなくB指定席を確保したので、ペガサススタンドからの視点となり、ちょっとは変わるかなと思う。B指定席の一番上が今回取れた席。実は発売日に取れなくて、先月の函館の二の舞になるところだったが、キャンセルが出てようやく確保できた次第。B指定席はA指定席と違い、吹きっさらしなので冬は寒くて夏は暑い。7月開催の時は避けたいシートだが、贅沢を言ってはいられない。まぁそのぶん開放的なので、写真を撮るのにはガラスの映り込みや柱などの邪魔ものがなく好都合なのだけど。

第1レースは2歳未勝利戦。芝1,600メートルでスタンド右手の引込線発走である。このレースは@メルヴィンカズマとCリンクスゼロの一騎打ちと見たが、前走でこの2頭は直接対決をしており、その時は@が0.2秒差で先着している。よって@から総流しで馬連とワイドを購入した。しかしレースの方は思惑通りに行かず、軸馬は馬込みの中を追走するも見せ場なくそのまま入線し9着。一方のCは見事に差し切って勝利。軸馬の選択ミスで緒戦を落とした。

中京競馬収支表 (16.7.10開催)
レース 投資 回収 収支 累計
中京1R 2,400 0 -2,400 -2,400
中京2R 1,600 0 -1,600 -4,000
中京3R 1,400 0 -1,400 -5,400
中京4R 1,400 1,710 +310 -5,090
中京5R 2,200 1,630 -570 -5,660
中京6R 2,000 0 -2,000 -7,660
中京7R 2,700 57,460 +54,760 +47,100
中京11R 2,000 1,460 -540 +46,560
福島11R 2,000 0 -2,000 +44,560
合計 17,700 62,260 +44,560 351.8%

ペガサススタンド4階よりパドックを望む


ペガサススタンドにあるB指定席の眺望

第2レースは芝2,000メートルの3歳未勝利戦。涼しくなると出走できるレースがなくなってしまう、この時期の3歳未勝利馬にとってはぜひとも勝ちたいレースである。戦績を見るとEメイショウオニマルとFフランドルが抜け出ており、他の馬はクズばっかりと映った。そのため3連複2頭軸で総流しを決行。しかし3連複の2頭軸というやつは、ワイドを1点で的中させるのと同じで、まず当たらない。このレースでも軸馬が4着、5着と馬券圏外で、出だしから2連敗となった。

3歳未勝利戦が続いて、第3レースはダート1,200メートル。そろそろこの辺で当てておきたいところ。オッズを見ずに昨夜購入した割には軸馬が1番人気ばかりだが、このレースも戦績でLタイキラメールより馬連とワイドに7頭ずつ流した。軸馬は4角先頭も最後の直線で3頭に差されて、馬券圏外の4着。その差していった馬は11番人気、7番人気、10番人気の馬で3連単5085倍の高配当。こんな荒れたレースなら的中しなくても仕方ないとも思った。

午前中最後のレースは障害未勝利戦。こうなってくると平地レースよりも障害レースの方が簡単に見えてくる。障害未勝利戦の傾向は、<1>前走で障害レースを走っていること、<2>障害初出走の場合は、格上の平地レースを走っていた方が有利、<3>人気を背負っていること。このデータをもとにDメイショウツガルを軸に馬連、ワイドを7点ずつ購入した。レースの方は最終障害を越えたあたりで軸馬が先頭争いに加わり、そのまま差し切って勝利。3着馬はヌケたが、馬連とワイドをそれぞれ的中させ、ようやく片目が開いた。

昼休みの間に内馬場を訪れ、撮れ高を確保した後、午後のレースに突入。第5レースは新馬戦芝1,400メートル。全馬初出走の新馬戦は、データで買えず苦手だが、今回は母に注目した。出走メンバー中、唯一オープン馬を母に持つCジューヌエコールを軸に、馬連とワイドを総流し。結果は軸馬が快勝するも、2着、3着に上位人気馬を連れてきて、馬券的には取りガミになってしまった。

第6レースはみたび3歳未勝利戦。今度はダート1800メートルである。戦績をもとに3頭を抽出し、そのうちのAカフジマニッシュを軸にした。昔々のお話しだが、運転免許証がカタカナ表記だったころ、親父の運転免許証の表記は「カフシカツ」だった。加藤勝という名前は、自動的にそのように訓読みにされ、濁点を取られて、「一体誰?」みたいな表記になってしまっていた。で、冠名の「カフジ」に親近感を覚えて、この馬から馬連、ワイドを10点ずつ購入した。レースの方は軸馬が軽快に先頭でレースを進める展開。そこへM.デムーロ騎乗のCデューズワイルズがまくってきて、軸馬にちょっかいを出す展開となった。最後の直線でAは3頭に差されて4着。3着とはクビ差だっただけに、向う正面でCにちょっかいを出されなければ結果が違っていたと思う。ちなみにCは5着で軸馬と5馬身差だった。

その後の予定があり、今日は第7レースが競馬場で観戦できる最後のレースである。こちらは、前のレースで余分なことをしてくれたM.デムーロ騎乗のBシンダーズを軸馬に指名。相手を6頭に絞ったので、馬連、ワイドに加えて3連複も購入。合計27点の勝負である。レースの方は軸馬が終始好位で進め、直線で先頭に立つと余裕を持って最先着。2着、3着にも無事にヒモに入れていた馬が来て、最後のレースでようやく芯を食った当たりがでた。配当の方は電車の中で確認することにして、中京競馬場を引き上げた。

岐阜に向かう名鉄の急行電車の中で、さっそく第7レースの配当を確認。思わず「あっ」と声をあげてしまった。というのも馬連9,910円、ワイド2,420円と1,760円、そして3連複に至っては43,370円の高配当。オッズを見ずに昨夜馬券を購入していた自分にとっては、かなり衝撃的な配当だった。この後行われる中京、福島のメインレースがたとえ当たらなくても、4万円以上の収益は確定。ということは、今回の旅はタダで行って、まだオツリがくるわけだ。途端に気が大きくなって、神宮前で特急電車に乗り換えて指定席に座ろうと思ったが(360円也…セコイ!)、冷静に考えれば乗車中の急行電車の方が岐阜に先着するということで、乗り換えるのをやめた。

岐阜からは在来線で米原へ。久々に普通電車で関ケ原越えをしたが、青春18きっぷが使える期間中は難所と言われているものの、7月上旬の昼下がりなのでそれほど混まなかった。雪を被っていない伊吹山を見るのはしばらくぶりで、「夏の姿もいいじゃん」と思った次第である。

米原でJR西日本の株主優待券を使い、この先のきっぷを購入した。いろいろと注文を出す口うるさい客に、笑顔で接してくれた窓口嬢に感謝。米原から新幹線には乗れないので(JR東海の路線なので)、おとなしく新快速で大阪に向かう。競馬場を出てからノンアルコールで過ごしたが、夕刻が迫り、ラジオでは安部礼司もあるので、米原からはアルコールを解禁。ただし、「はまかぜ」に乗ってからがっつりと飲むつもりなので、あくまで控えめに…。


A指定席よりB指定席の方がゴールに近い


第3レース ダート戦の本場場入場シーン


第4レースの障害未勝利戦でやっと的中


昼休みの内馬場で誘導馬の散歩中


デビューしたばかりの225系100番台に熱視線


最も新しい形式の陰陽連絡特急はまかぜ


暮れなずむ車窓とともに走る


走る缶詰バーのなれの果て


宿泊先の鳥取ワシントンHプラザ

米原から快調に走って1時間。列車は京都を過ぎて混雑してきたものの、12両編成のうちの先頭車両に乗っているので、恐れていたほどでもない。さきほどからヘッドホンでは安部礼司のドラマが繰り広げられているが、合間に自分にとって「今ツボ」な曲が流れてきた。それはスターダスト・レビューの「夢伝説」。窓から差し込むやわらかな斜めの日差しが、根本要さんのボーカルに合わせるように揺れていた。この旅一番の心に残る瞬間だった。

17時42分に大阪に到着。先頭車でも写そうとホームの端に移動すると、予期せぬカメラの列に遭遇した。乗車していた電車は225系100番台という形式で、後から調べてみたら今年デビューしたばかりの車両だった。ということで日曜日の夕方ともなれば、撮りテツさんの格好の被写体となっているのだった。どうりでシートが座りやすい形状だったはずだ。しかし転換クロスシートの一部は固定されており、クロスシート部分は全て前向きになる213系や313系のシートの方が優れている面もあると感じた。

さて、ここからが旅の本番。18時04分の特急はまかぜ5号の指定席に乗車する。陰陽連絡特急としては目立たない存在の「はまかぜ」だが、車両はキハ181系の引退に伴いデビューした、陰陽を結ぶ特急型としては最新のキハ189系である。おでこの部分にヘッドライトを左右2つずつ設置し、キハ181系のイメージを踏襲している。車内はモノクラスながらシートピッチが広く快適である。大阪発車時点では指定席の乗客はわずかで、「これでよく廃止にならずに、新型車両を作ったな」と思ったが、三ノ宮、神戸、明石と停車するごとに乗客が増えていき、姫路でほぼ満員となった。静岡県民か静岡県内に用向きのある人しか乗車しないということから、夕刻に東京を発車する三島・静岡・浜松停車のひかり号を「静岡県民特急」と勝手に呼んでいるが、この「はまかぜ」はまさに「兵庫県民特急」と言えるだろう。

例によって、大阪を発車直後から車内で「走る居酒屋」状態となっている。いつも乾きもので水割りを飲んでいるが、そろそろ飽きてきたので今回は趣向を変えた。焼き鳥、コンビーフ、いわし蒲焼など、スーパーで売っている惣菜系の缶詰をぎっしりと持ち込み、「走る缶詰バー」にしようという寸法である。乾きものに比べて数段のグレードアップが感じられ満足したが、欠点は荷物が異常に重くなること。途中で買えばいいものを、家からそのまま持ってきたので、特に中京競馬場と駅の往復は大変だった。

夕暮れの山陽本線を突っ走り、姫路で小休止。進行方向が変わる間にたくさんの乗客を受け入れ、播但線に入っていく。しばらくは単線非電化の高架区間で、進行方向左手はるか遠くに姫路城が見え隠れする。高架を降りて、小駅を通過していく間にすっかり日が暮れた。福崎、寺前、生野と播但線内をこまめに停車していくが、ほんの数人が降りていくだけである。和田山で山陰線に合流。20時34分着だが、数分前には新大阪発福知山線回りの特急こうのとり19号が発車している。この列車は大阪をはまかぜ5号の直後に発車しているので、もう30分くらいどちらかの発車を変えれば乗車機会が増えるのにとも思うが、もともと2つの列車の性格が違うとJRは考えているのだろう。

豊岡で、乗客のほとんどが降りて、車内はすっかり寂しくなってしまった。せっかくなので前の席を反転させボックス席にして、サンダルを脱いで足を前のシートに投げ出した。こんなリラックスした格好になると、今までの缶詰バーの酔いが襲い掛かりすぐに眠くなる。竹野、香住、餘部といわゆる「Spring Tour発祥の地」を通過しているが、すべては夢の中のできごとだった。列車は定刻通り終点鳥取に到着。22時半前だったが、山陰の地方都市はすっかり真夜中のように静まっていた。

鳥取駅近くの鳥取ワシントンホテルプラザで一泊し、翌朝は7時04分発のスーパーまつかぜ1号に乗車するため、早々にチェックアウト。まさに眠るだけのために利用したホテルだったが、7月上旬の日の出が早い時期なので、それなりに部屋の窓から眺望が楽しめて、泊まった甲斐があったというもの。

下り特急始発のスーパーまつかぜ1号は、月曜の朝ということでサラリーマンが多めだったが、自由席を増結しているので立客が出るほどではなかった。単線非電化主体の鳥取〜米子間92.7`を、1時間そこそこで結ぶキハ187系は俊足である。折しも参院選投票日の翌朝であり、鳥取と島根が合区となった関係で、各候補者はキハ187系のお世話になったんだろうなと勝手に想像していた。


兵庫県民特急は姫路でほぼ満員になる


夕空の下、はるか遠くに望める姫路城


4時間以上かけて鳥取へ。降りたのは2名だけ


ホテルの部屋より鳥取駅方面を望む


トレインビューの部屋で上り列車を見送る


全国的にも珍しい非電化高架の鳥取駅


鳥取〜米子間92.7`を1時間で結ぶ187系特急


パノラマグリーン車連結の特急やくも8号


伯備線に入るとすぐに大山が左手に見える


江尾駅にてサンライズ出雲の通過待ち


やくも同士のすれ違いは30分に1回と頻繁


大カーブは制御なし自然振子電車の真骨頂

米子からは381系の特急やくも8号に乗車。パノラマグリーン車連結の旧スーパーやくも編成である。そのグリーン車の最後列に陣取り、シートを逆向きにして、過ぎ去っていく車窓を存分に楽しもうという魂胆である。381系といえば制御なし自然振り子式列車という日本で唯一の存在である。やくもの車両は昭和48年から製造開始された381系の中でも最末期に製造された車両で揃えられているが、それでも昭和57年製と誕生から36年も経過している。

JR西日本はこの381系のリニューアルに対して多額の投資をしたため、もう数年はこのままの状態で走りそうだが、最古参級の特急車両であることは間違いない。素人目にはさっさと車両を置き換えてしまえばいいのにと思うが、いろいろな事情が絡んでそうもいかないらしい。まずは、陰陽連絡の最重要線区である伯備線がカーブの多い山岳線区なので、振り子車両は必須条件である。一方で、振り子式電車の新造はここ15年ほど止まっており、カーブの通過速度は若干落ちるがコストが安い、空気ばね車体傾斜方式の導入が中心となっている。というわけで貴重な振り子式車両である381系が、古いながらも珍重されているわけである。まぁいずれにせよ、いつまでもつか分からないので、今後381系に乗る時には「これが最後かもしれない」と覚悟を決めて乗る必要がある。

さて、この特急やくもの真骨頂といえば、大カーブでの車体の傾斜である。特にS字カーブでは豪快な乗り味が楽しめる。そういう意味ではカーブが続く伯備線は格好の舞台である。停車駅では必ずと言っていいほど僚友の下りやくもとすれ違い、江尾駅では東京を前夜に出発したサンライズ出雲と交換。存分に楽しませてくれて、大枚はたいてグリーン車に乗った甲斐があったというもの。さてさて、楽しい時間はあっという間に過ぎ去って10時35分に終点の岡山に到着。先頭車に回ってクハ381の顔をしげしげと眺めてみた。おでこに燦然と輝く国鉄特急のシンボルマーク。幾星霜を経て陰陽連絡の重責を担ってきた誇りを感じた。

さて、これでここ何回か続けてきた国鉄特急型車両を追っかける旅はひとまず終了。そろそろ船旅に出るか、それともセンチメンタル・ジャーニーで過去に浸るか。まぁ次回「夏の旅」を乞うご期待ということで…。

終点岡山に到着し、陰陽連絡特急の旅は終了

<終>

旅と音楽のこころへもどる

競馬にイプゥーへもどる