中京競馬場から始まる旅B

最 強 の 鈍 行 専 用 編 成


中京競馬場のオケラ街道

去年の暮れから始まった「中京競馬場から始まる旅」シリーズも3回目。今年7月の開催が最終回の予定なので、いよいよ佳境に入ってきた。今回も例によってA指定席を予約して準備万端。いつものとおり在来線と名鉄を乗り継いで第1レース発走前に中京競馬場に到着した。

第1レースは9時50分発走。ダート1,800mの3歳未勝利戦である。ちなみに今日ここで観られるレースは午前中の4レースだけ。3歳未勝利戦が3レースと障害未勝利戦である。未勝利戦は概してレベルの差が激しく、すぐにでも勝てそうな馬と箸にも棒にもかからない馬に二分されるが、この日の出走馬はどれもこれもイマイチな馬が多く難解である。それでもどうにか第1レースは軸馬を決めて、馬連とワイドの流し馬券を購入。その軸馬(1番人気)は最後の直線まで先頭を走り、「これはイケる」と思ったが、坂の途中で他馬に次々と差されて5着。決まり手は「人気馬の裏切り」といったところだろうか。

続く第2レースは芝1,400m。向正面の直線の端っこからワンターンでゴールするレースである。先ほどの反省を活かして、1番人気と4番人気の2頭から流す馬連とワイドのフォーメーションを購入。軸馬のうちの1頭が猛然と追い込み、ゴール直前で3着に届いたかと思ったが、写真判定の結果4着。決まり手は「写真判定の惜しいハナ差」とでもいっておこうか。いずれにしても二連敗でがっくりである。


フルゲートの18頭の馬がレース後に散らばる


中京競馬場のランドマークの名鉄パノラマカー

中京競馬収支表 (16.3.13開催)
レース 投資 回収 収支 累計
中京1R 2,200 0 -2,200 -2,200
中京2R 4,200 0 -4,200 -6,600
中京3R 3,000 0 -3,000 -9,600
中京4R 3,800 0 -3,800 -13,200
阪神11R 2,000 380 -1,620 -14,820
中山11R 3,000 12,600 +9,600 -5,220
合計 18,200 12,980 -5,220 71.3%

10時50分発走の第3レースはダート1,200m。この辺で当てておかないと後が厳しい。今度は軸馬3頭の馬連、ワイドのフォーメーションで勝負。フォーメーションという馬券は、軸馬を増やせば増やすほど買い目が増えてしまい、買い目を減らそうとすると今度はヒモ馬の数を減らさなければならない。結局15点に収めるためにヒモ馬の数を絞ったものだから、引っ掛かるものも引っ掛からなくなってしまった。掲示板に載った馬の中で買っていたのは2頭のみ。それも3,4着では馬券にならなかった。決まり手は「かすりもしない惨敗」である。

さて、午前中最後のレースは3,000mの障害未勝利戦。もうここまで来ると当たる気がしなくなってくる。予想しているうちに気になる馬が4頭浮かんだが、そのうちの1頭に絞って総流しを決行。結果は完全な裏目で、絞った1頭(1番人気)は7着に敗退。気になっていた残りの3頭でワン、ツー、スリーという最悪の結果になってしまった。このレースの決まり手は典型的な「縦目」。タラレバは禁物であるが、もし気になっていた4頭のボックスを3連単で購入していたら、24点買いで31,880円の配当。自分の買い方の下手さ加減に腹が立った。そんなわけで中京競馬場はここでお昼休み。もう1レースやろうにも、予約済の新幹線の時刻に間に合わなくなるので終了せざるを得ない。帰り道、中京競馬場前駅までのフローラルウォーク(通称オケラ街道)の長かったこと!

名古屋から新大阪までこだま号グリーン車で移動し、例によって昼間からビールを飲んだら眠くなってしまった。大阪空港交通リムジンバスでの居眠りが気持ち良かった。それでも寝たりず、ボンバルディアQ400の機内でも、最後席なのをいいことにリクライニングを倒して爆睡。松山に着くころには充電完了。旅の方はここからが本番である。

空港から松山駅行きのバスの中で、ついでに買っていた今日の重賞の結果をチェックした。まずは阪神11レースのフィリーズレビュー。こちらは1着馬が抜けていて、2着3着のワイドのみ的中。これも人気馬どうしの決着であったため配当も控えめ。決まり手は「ヒモ抜け&ド安目」というガミリ馬券の典型だった。もう1つの重賞である中山牝馬ステークスの方は、馬連とワイドの総流し。軸馬が1着になり、まずは的中。相手も、2着こそ1番人気の馬で馬連の配当も安目だったが、3着にブービー人気の馬が来て万馬券ゲット。最後の最後で息を吹き返した感じである。「総流し引っ掛け」という、私が万馬券を当てる時の典型的な決まり手だった。

競馬の方はなんとか格好がつき、バスを降りて松山駅の改札を通過。ホームの西側にある松山運転所の留置線に、さっそく今回の旅の目的であるキハ185系3100番台を発見した。キハ185系は国鉄末期の1986年に、JR四国として分社化するのを見据えて導入された特急気動車である。ステンレス製ボディに緑の帯を巻いた姿が、当時の私には輝いて見えた。その後瀬戸大橋の開通により、JR四国の看板特急として、岡山駅で新幹線に接続し四国を駆け回っていた。この頃が最も輝いていた時代だった。その後、振り子式特急の2000系気動車が導入されたのを機に、「南風」「しおかぜ」といった看板特急から運用を外れ、現在では徳島を中心とした特急運用と、かつてキハ58で運行していた普通列車の運用についている。今回の旅では後者の運用を担うキハ185系3100番台に乗車することが目的である。この車両は、特急時代のアコモデーションをほとんどそのまま活かしており、普通列車にしか使われない編成としては、現在のところ日本で最も豪華な仕様となっている。とりあえず今日は、八幡浜まで特急に乗車し、そこから乗り継いで宇和島まで、この車両に乗車する予定である。

17時30分発の宇和海23号に乗車。3両編成のうち2両が自由席という地元民の下駄替わりの特急で、制服の高校生の姿もちらほら。制御振り子付きの2000系気動車なので、内子あたりのカーブ区間でもバンバン飛ばす。松山から八幡浜まで50分で到着し、まさに瞬間移動である。このまま乗車していれば19時前に宇和島に到着するので、正直下車するのに後ろ髪を引かれる思いであったが、向かい側のホームにお目当ての列車がいるのを確認して特急を降りた。


製造から30年。引退も時間の問題

さて、宇和島行き普通列車は目論見通り「最強の鈍行専用編成」である。デッキと客室の間には自動ドアがあり、もともとは特急型であることをアピールしている。シートも前述のとおり特急時代のものをそのまま流用しているが、惜しいのはリクライニング機能を殺してしまっているところ。シートがかなり立った状態で固定されているため、なかなか体勢が決まらず苦労したところである。その他、枕カバーやカーテンなどは交換されているが、全体としては特急車両のクォリティを維持している。

なぜか全ての座席が逆向きにセットされていたので、そのうちの1つを回転してボックスを1つ作った。この車両の乗客は私1人だけで、それは終着の宇和島まで変わることはなかった。向こう側のシートに足を投げ出して、若い頃によくやった青春18きっぷの旅のような格好で、座席に身を任せた。走りの方は、もともと特急車とは思えないような鈍足で、ちょっと調子が狂ってしまう。もっとも前身のキハ58の時代は、卯之町までの33‰の急勾配では30`しか出せなかったというからマシな方である。


第4レースは障害未勝利戦。最悪の結果だった


伊丹空港で離陸を待つボンバルディアQ400


普通列車専用仕様のキハ185系3100番台


特急宇和海23号で八幡浜まで瞬間移動


八幡浜駅で出発を待つ最強の鈍行専用編成


回転式非リクライニングシートが並ぶ車内


まだまだ特急車両と遜色ない車内で筆者


駅舎の真上に立つホテルクレメント宇和島


宇和島から直行で松山空港にバス移動

卯之町は、八幡浜からも宇和島からも厳しい勾配があるにもかかわらず、比較的広い盆地が広がっており、意外な感じである。ここには歴史のある街並みがあるが、19時前後となれば当地は真夜中のようなもので、当然途中下車して街歩きをするなどもってのほかである。卯之町の隣駅である下宇和を出ると、列車は一気に宇和島に向かって下っていき、終着の宇和島には19時34分着。駅の外は夜の雨となっていた。

宇和島駅舎の真上にあるホテルクレメント宇和島は、JR四国グループのホテルであり、私のような深夜チェックイン、早朝チェックアウトをするような気ぜわしない旅人にとって「駅歩0分」のありがたいホテルである。今回も20時前にチェックインし、6時半すぎにチェックアウトしたので、宇和島での思い出はこのホテルだけである。6時46分、駅前のバス乗り場から宇和島自動車の松山空港行き直行バスに乗車。宇和島駅前発車の時点で、乗客は私を含めて2名だった。すぐに宇和島道路に入り、道の駅みまバス停で停車。乗りこむ客は0。次の卯之町営業所では乗客を1人拾って、これで松山空港までの人数は、わずか3人と確定した。バスは一路高速道路を快走する。宇和島道路から松山自動車道、そして大洲道路、ふたたび松山自動車道と次々に道路の名前が変わるが、走っている分には一本の高速道路である。内子PAでトイレ休憩の案内があるが、この停車が合理的で感心した。このバスでは、トイレに行きたい客は乗務員に申し出することで、はじめて下車が可能となる。空港行きのバスなので、乗客のほとんどは一刻も早く空港に着きたいはず。この日はトイレ休憩を申し出る乗客がおらず、内子PAで一旦停車したうえですぐに出発した。このシステムのおかげかどうかは分からないが、伊予ICで一般道に入った後、朝の通勤渋滞に巻き込まれたが、それでも空港には10分早着した。あんまり遅れると飛行機に間に合わなくなってしまう自分にとってはありがたかった。

松山空港から伊丹空港へは、往路と異なりJAL便を利用。機材も小型ジェットのCRJで、久々の搭乗となった。独特の「キュイーン」というカン高いエンジン音とともに松山空港を後にした。というわけで実質的には今年のSpring Tourはこれで終了。次の旅は民間人が行ける日本最南端の島、波照間島である。
<終>

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