寝台特急 「追憶の旅路」
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浜松駅から寝台特急が発着するのはあと何回?
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追憶
浜松駅21時30分。今日も寝台特急「はやぶさ・富士」号が4番線に入線する。青とクリーム色の電気機関車を先頭に、白線をまとった青色の客車がそれに連なる。九州への長い旅路を前にした、つかの間の停車である。ブルートレインがデビューして以来約50年にわたって、毎晩こんなひとときが繰り返されてきた。しかし、こんな浜松駅での最も旅愁を感じさせる光景が、来春にも無くなってしまうと予想されている。
私がブルートレインの存在を知ったのは、国鉄の「ディスカバー・ジャパン」のCMである。山口百恵の「いい日旅立ち」をバックに九州行きの寝台特急が激走する。その格好の良さに惹かれ、中学時代は朝の浜松駅や天竜川鉄橋で、東上するブルートレインを何度も撮影したことである。
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時代は下って1989年2月。私は大学の卒業旅行のため、初めて九州行きの寝台特急に乗る。旅立ちはもちろん浜松駅。列車は宮崎行きの「富士」。カイコ棚と呼ばれたB寝台で、通過していく駅の灯りを見ながら、これから始まる九州の旅の思いを募らせながら、いつしか眠りに就いた。翌朝目覚めると、朝日にきらめく瀬戸内の海が車窓を過ぎていく。ブルートレインに乗ること自体に大感激した頃の話である。
その後、時間が有効に使えることから、仕事終わりに浜松駅から九州へ、何度も寝台特急を利用した。飛行機や新幹線に比べて旅情を感じる点も、寝台特急を使う大きな要素だった。時代の流れとはいえ、便利で哀愁のある列車が姿を消していくのは本当に惜しい。そこで、「長い間ありがとう、そしてお疲れさま」の思いを込めて、今回の九州旅行で「はやぶさ」を利用することにした。
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B寝台上段しかとれず窮屈な思いをした
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夜が明ければ富海の海が広がる
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下関では恒例の機関車交代
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博多を過ぎて車内は落ち着きを取り戻した
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結局久留米には1時間半の遅れで到着
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特急券発売開始である1ヶ月前の午前10時に、寝台を確保してもらうよう、前もって旅行代理店に依頼していたが、希望していた個室は取れず、確保できたのは「カイコ棚」の開放B寝台上段。3連休絡みということもあったが、「お別れ乗車」需要の大きさを感じる。まぁ初めて乗ったのが開放B寝台だから、当時の状況を追体験できてヨシと思わねばいけないだろう。
実際に乗ってみると、岐阜発車時点までは、私のベッドがあるボックスは私1人だけ。浜松を発車してから、例によって酒を飲みまくっていた私にとっては、ボックスを自由に使えることができて快適だった。さすがに飲み始めて2時間以上経つと睡魔が襲い、階段を登って自分のベッドに潜り込んだ。
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はやぶさとの別れ。赤いテールランプを見送る
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日田駅からプリウスでのドライブをスタート
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「日本最西端の駅」碑
ザビエル記念聖堂に立ち寄る
朝6時ころ目覚めると、私のボックスは全て埋まっていた。いや、私のところだけでなく、車輌まるごと埋まっている。おそらく京都や大阪で乗り込んできたのだろう。「これじゃ、下段の人が降りない限り、上段から下りられないなぁ」と思っていると、ほどなく「おはよう放送」が流れた。「おはようございます。今日は11月22日土曜日。ただいまの時間は6時15分。この列車は広島駅を約35分遅れて発車しています。」 なんでも、京都駅で先行する貨物列車が遅れてダイヤが乱れたらしい。通勤列車を優先するため、この後、遅れは増幅するとも放送していた。やれやれである。
私のボックスは、私を除いて家族連れであることが判明し、おいそれと階段を上り下りできる状況ではなくなってきた。しかたなく二度寝、三度寝を繰り返す。楽しみにしていた、朝日にきらめく富海付近の海も、上段ベッドからチラ見できただけ。下関の機関車付け替えの模様も、場違いな浴衣姿で見に行く始末であった。
列車の方は遅れを順調に増やしており、下関発車時点で1時間15分遅れ。小倉から乗り継ごうと思っていた日田彦山線は既に発車してしまった。「これは経路変更を頼まないといけないな」と思い、乗車券を見ると経路が「東海道、山陽、鹿児島、九大」となっており、日田彦山の文字が無い。結果オーライだった。そういうわけで、そのまま久留米まで「はやぶさ」に乗り続けることにした。
博多駅で、ようやく同じボックスの家族連れが降り、上段の窮屈さからも、場違いな浴衣姿からも開放された。博多駅発車は1時間半遅れの11時40分。ようやくボックス独占で旅のひとときを楽しむことができた。久留米では次善の策としていた12時11分発の普通列車にも乗り継げず、仕方なく昼食後、特急「ゆふDX3号」に乗車した。
激走
日田到着は、予定より2時間半遅れの13時40分。ここからプリウスでのドライブが始まる。これだけ予定が狂ったので、予定していた平戸観光も諦めかけたが、とりあえず予定していたルートで走ってみようと決めた。日田インターから高速に入り、西日が眩しい大分自動車道、長崎自動車道を1時間、武雄北方インターで降りた。ここから平戸までは65`。15時を回っていたが、順調に行けば明るいうちにたどり着けそうである。
国道498号で低い峠を越えて伊万里へ。そこからは国道204号。海を望む快適なワインディングロードである。時折、目を見張るような絶景ポイントを通過するが、目標の平戸まではノンストップで我慢。その甲斐あって、普通鉄道最西端の駅である「たびら平戸口駅」へは16時40分ころ到着した。
最西端の駅には、本来なら鉄道を乗り継いで来るべきだと思っていたが、松浦鉄道が第三セクターであるため、なかなかその機会に恵まれなかった。それならクルマでということで、ようやく訪問が叶ったが、鉄道で来るのとクルマで来るのは感激の度合いが違う。「こんなものか」と思い、滞在5分で駅を後にした。
田平と平戸は平戸大橋を渡ってわずか10分ほどの距離。17時前に平戸市役所の駐車場に到着し、私はクルマを置いて、夕もやの平戸市内を歩き始めた。まずは、平戸の象徴的なスポット「寺院と教会の見える風景」を訪れた。日本でありながら、西洋文化の風を受けた平戸ならではの景色に、しばし見とれた。そのまま坂を登っていくと、一方の主役である聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂が建っていた。ここは平戸有数の観光スポットらしく、薄暮時にもかかわらず観光客で賑わっていた。ここも駆け足でパスし、坂を下り、平戸城の見えるスポットで小休止。入り江と、お城の風景が、どことなく尾道とダブって見えた。再び駐車場に戻ると、たそがれで散策どころではなくなっていた。平戸での滞在はわずか30分。再訪を心に決めて、再び平戸大橋を渡った。
佐世保へはナイトドライブ。AMラジオからはAFNの英語DJが流れ、異国情緒を感じる。宿泊先の佐世保ワシントンホテルでもAFNを聴きまくり、ちょっとした海外旅行気分を味わった。AFNを聴くためだけに佐世保に、また訪れたいと思う。
翌朝は、9時ころホテルを出て、西九州道から長崎道を東に戻る。鳥栖からは南進して九州道の八女インターで降りた。ここからが、今回のドライブのキモの部分である。佐世保から臼杵にクルマで向かうなら、9割以上の人が全線高速経由を選ぶだろう。そこを敢えて下道で行くことにより、プリウスの実力を試すわけである。八女から臼杵までは150`ちょっと。ほとんどが山岳道路である。
まずは国道442号を東へ。八女市内を通過し、黒木町までは平野部の田舎道。交通量は多く、スピードが上がらない。黒木を抜けると、道幅が狭い山道に変わる。八女茶の産地はこのあたりのようで、「八女茶」の看板が目につく。日向神ダムを横目に矢部村へ。北遠のどこかを走っているのではないかと錯覚するような、見慣れた風景が続く。矢部の集落を抜けると竹原峠越え。以前は「酷道」と呼ばれた道も、竹原トンネルと、その取付道路が整備され快適な道へと変わった。トンネルを抜けると大分県である。
中津江村というと、2002年ワールドカップでカメルーン代表チームがキャンプを張ったことで一躍有名になったが、そのキャンプ地が国道442号沿いにあった。山また山のとんでもない辺鄙な場所で、予備知識の無いカメルーンの若者たちは、さぞ心細かったろうと感じた。下筌ダム湖を渡り国道387号との重複区間に入る。ここから熊本県。ようやく道幅が広くなり、のどかな里山が広がる。次第に交通量が増えていき、小国町の市街地へと入る。国道212号との交差点近くに道の駅があったが、そのまま通過。後で調べると、廃止された国鉄宮原線肥後小国駅跡地に道の駅が整備されたとあり、ちょっとの間でも立ち寄っておけばと後悔した。
臼杵まではあと半分。再び国道442号の単独区間となり、黒川温泉を通過。矢部や中津江の山奥を走っていた頃とは異なり、この辺に来ると明らかに行楽ドライブのクルマが増えた。そして高原地帯となり、やまなみハイウェイと交差する瀬の本へ。ここまでノンストップで走ってきたため、さすがに疲労を感じ、行楽客で混雑するドライブインの駐車場にクルマを停めた。
昼食・仮眠の後、再びハンドルを握る。ドライブインから10分ほど走ったところに、あざみ台展望所という看板を見つけ、ちょっと立ち寄ってみた。あまり予備知識もなく寄ったが、阿蘇五岳と九重連山が見渡せる絶景の地で、思わずデジカメのシャッターを押し続けた。休日を楽しむ行楽客も、口々に「いい景色だね〜」と話していた。
あざみ台を出ると竹田への一本道。知らぬ間に、再び大分県に入っていた。竹田で二桁国道の57号線に合流し、ひと安心。ここからは急カーブもなくなり、快適なドライブが楽しめた。大野からは無料開通した中九州横断道路を経由し、スピードアップに拍車がかかる。犬飼インターで国道10号、日当で国道502号に移り、臼杵石仏には15時15分ころ到着。休憩を入れて、八女から所要4時間45分だった。
寂寥
臼杵石仏あるいは臼杵磨崖仏は、それこそ1989年の大学卒業旅行の時にも「訪ねてみたい場所リスト」に入っていた。それ以降、九州に何度も足を運んでいるにもかかわらず、バスの便が悪いため、未訪のまま残っていた。いわば20年来の夢が今日叶った訳である。学生時代のイメージは、山奥の崖に彫られた石仏が並んでいて、そこを見上げるように拝むみたいな感じだった。しかし実際に現地を訪ねてみると、石仏群には必ず覆屋が架けられており、イメージと違っていた。まぁ侵食されやすい軟らかい岩に彫られていて、それを保護するために屋根を架けるのは当たり前といえば当たり前なのだが…
石仏をひと通り眺めた後、「重要文化財・五輪塔」の看板を見つけ、うっそうと茂る林の中を15分ほど登っていった。「こんな山の中から、パッと開けて『五重の塔』みたいなものがあったら感動するだろうな」と思い、汗を流しながら山道を登ったが、いざ現地に着いてみると石灯籠みたいなものが2つあるだけ。失礼ながら「え、これなの」と思ってしまった。何人かいた観光客も、みな一様に戸惑いの表情だった。ちなみに、この五輪塔は平安後期に造立されたもので、刻銘のあるものとしては我が国で二番目と三番目に古いものとのこと。興味のある方はぜひどうぞ。
最後に古園石仏を拝観し、石仏群が見渡せる公園でたたずんでいると、急に旅の終わりの寂寥感に包まれた。もちろん、まだ旅は続く。別府から関西汽船で一夜を過ごし、翌朝は高速バスでゆっくり浜松に戻るのだが…。そういえば、日曜日の夕刻の曇り空。子供のころから、ちょっとセンチメンタルになる頃合だったっけ…
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夕刻になってたびら平戸口駅にたどり着いた
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普通鉄道としては依然として日本最西端の駅
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「寺院と教会の見える風景」
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どことなく尾道を思い出す平戸城と海の風景
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ライトアップが美しい夕暮れの平戸大橋
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長崎自動車道川登SAにてプリウスと筆者
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カメルーン代表はこんな山奥で心細かったろう
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あざみ台展望所より九重連山を望む
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遠くに阿蘇五岳を望む絶好のビューポイント。あざみ台展望所より
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阿蘇五岳(阿蘇の涅槃)をバックに筆者
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臼杵石仏を保護する覆屋も風景に溶け込む
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切り立った崖に彫りだされた磨崖仏
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紅葉が彩りを添える石仏の里
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臼杵石仏群のハイライト・阿弥陀如来坐像
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国指定特別史跡・重要文化財の五輪塔
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大日如来を中心とした国宝・古園石仏
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臼杵石仏全景。左が古園、右がホキ石仏群
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別府観光港では「さんふらわあ」がお出迎え
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この時期は夜明け前に大阪南港に到着
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新装オープンなったコスモフェリーターミナル
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新名神甲南PAにて高速バス東海道昼特急号
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<おしまい> |
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