ひ と あ し 先 に 夏 の 島 へ


ホテル・レクストン徳之島に宿泊

日本には定期便が通っている空港っていくつあるんだろう。2003年にANAの修行の旅をした時に、三宅島以外のANA就航空港はすべて降りた。その後、2010年に三宅島空港を訪れたものの、噴煙のため欠航となり、完全制覇は果たせぬままだ。一方の赤い航空会社の方は南西諸島の空港が多く、こつこつと離島めぐりを繰り返している。で、今回は徳之島。日本の中では面積の広い島のひとつで、トップの本州から数えて堂々の17位。トップ20にランクしている島の中で、北方領土を除くと行ったことがないのは、今回訪問する徳之島が終われば屋久島と西表島を残すだけとなる。

今度の旅は珍しく鉄道を一切利用しない。浜松西インターまでマイカーで行き、空港連絡バスのe-wingで中部空港へ。ANA便とJAC便を鹿児島空港で乗り継ぎ、徳之島空港へ。島内は路線バスで移動するので、往復とも同じ行程の単純な経路である。既に沖縄・奄美地方は梅雨明けしており、梅雨末期の当地を抜け出し、ひとあし先に夏の島でリゾート気分を味わう算段である。

中部空港を8時10分に出発する鹿児島行きANA351便に搭乗するため、逆算して浜松西インターを5時35分に発車するバスを選択した。この便には始発の新幹線で行っても間に合わず、前泊しない限りバスかクルマを使うしかないのである。往路をe-wingにすると事故渋滞が心配で気が気ではないが、新東名が開通したことで渋滞が減り、同時に遠鉄のサイトで直近の遅れの時間を公表しているので、昔よりも安心感が出た。この日も5分早着で中部空港に到着し、ラウンジに立ち寄る時間すらあったほどである。

さて一番安い料金で予約したANA351便だが、プレミアムシートに空席があったためアップグレードポイントを利用して広いシートを確保した。アルコール飲み放題なので、できれば夕方以降の便でプレミアムシートを利用するのが理想だが、今回の旅では往路の鹿児島行きが唯一のアッパークラスが利用できる便なので、朝も早くからビールやら赤ワインをぐびぐび飲みまくった。いくら飲んでも今日のところはクルマを運転する予定がないので平気である。そうこうしているうちに、あっという間に鹿児島空港に到着した。


夏色の空の下、徳之島空港に到着


まだまだ先は長いが、いつかは全ての空港に

鹿児島空港で1時間15分の待ち合わせの後、徳之島行きJAC3793便に搭乗。鹿児島〜徳之島間は1時間10分かかるが、さっきの便で飲んだ朝酒のせいで酔っ払い、離陸した途端に眠りに落ちた。ガタンという衝撃で目が覚めたら、徳之島空港に着陸したショックだった。ほとんど真上から降り注ぐ太陽の光が眩しい。満席状態で徳之島に到着したが、12時20分発の亀津行き路線バスに乗り継いだのは私だけだった。

さて徳之島と聞いてわれわれの世代が真っ先に思い浮かべるのが泉重千代翁だろう。1979年にギネスブックで世界最長寿に認定され、1986年に満120歳で亡くなり、つい数年前まで男性の世界最長寿記録を保持していた。ところがこのコーナーで翁の事を記すため、泉重千代翁のことを調べていたところ、後年になって生年月日に疑いが生じ、記録が取り消されたとのことだった。とにかく徳之島に着いてパソコンで調べるまで、120歳で亡くなった泉重千代翁が生活していた島ということを疑わなかっただけに、15歳もサバを読んでいたという説があり、現在ではそれが定説となっていることがショックだった。

泉重千代翁のことを調べていくうちに、気になったのは翁が朝潮のファンだったということ。実は徳之島は3代目の朝潮太郎の出身地であるが、彼が好きだったのは長岡→朝汐→朝潮と名前が変わっていった4代目の朝潮だそうで(朝青龍の師匠といった方が通りが良いかも)、頭が混がらがってしまう。いずれにせよ、その朝潮なら私は長岡時代からのファンだったので、泉重千代翁と私に意外なところで共通点があった。ついでに泉重千代と聞くと、私はダディ竹千代も連想してしまうが、これ以上脱線は許されないのでこのくらいにしておく。

そんなことを考えているうちにバスは島を横断し、東シナ海側から太平洋側に移っていた。このままバスに乗っていると亀津のホテルの前に連れてかれてしまう。もちろんそれでもいいが、そうなると自宅から亀津のホテル・レクストン徳之島を単純に往復しただけになってしまうので、途中下車をしようと思っている。どうせ途中下車をするのなら、南の島っぽいビーチが良かろうと思い、あらかじめ下調べをしておいた。そのビーチは東天城中学校の向かいにあり、中学校の前にバス停があったので、降車ボタンを押したが通過してしまった。結局その次の花時名橋で降りたが、少し浜辺を戻る格好になってしまった。どうやらバス停があっても停まるバス停と停まらないバス停があるらしい。


路線バスを途中下車して花徳里久浜ビーチへ


砂浜に群生するハマヒルガオ


リーフの向こう側に太平洋が広がる


リゾート気分を味わうためツインの角部屋を予約

ビーチの名前は花徳里久浜海水浴場。かなりボロボロではあるが、更衣室やシャワー、トイレ等の設備があって、泳いだ後には重宝しそう。さすがに私は泳がなかったが、次のバスの時間までの小半時ほど、眺めの良いビーチでたたずんだ。典型的なサンゴ礁の浜辺で、リーフの向こう側のかなり遠い場所に波が打ち寄せているところが南洋っぽい。波打ち際は砂浜で、山側にはハマヒルガオが群生していて、薄い紫色の花を咲かせていた。人の気配はなく、まるで時間が止まっているように感じた。缶ビールでも持って来れば良かったが、そこまで気が回らずちょっとうらめしい。やがて時が来て、午後の水平線を後にした。

ふたたび徳之島総合陸運の路線バスに乗り、亀津を目指す。田舎のバスではよくあることだが、乗車するやいなや運転手さんから行き先を聞かれて面食らった。「どこまで〜?」「亀津まで」「亀津のどこ〜?」「ホテル」「どっちのホテル〜?」「え〜っと小さい方…」 小さい方って、どこやねん!と自分にツッコミを入れつつ、行程の書かれた手帳を探す。実は亀津にはホテルが2つあり、私が泊まるレクストン徳之島と、グランドオーシャンリゾートが並びあっている。レクストンという名前が思い出せず、大きさ的には少し小さいので「小さい方」と言ってしまった。あらためて運転手さんに「レクストン徳之島」と告げると、「わかりました」と答え、すぐに地元の乗客との世間話に戻っていった。

14時ころホテルの前を通り過ぎて「亀津中央」というバス停に到着。チェックインが14時からなので、里久浜に寄って正解だった。通された部屋は最上階のツインの角部屋。どちらの窓からも海が眺められるので、ちょっとしたリゾート気分が味わえそうである。部屋に荷物を置いたあと、私は部屋呑みするためにスーパーに買い出しに出掛けた。歩いて5分ほどの距離だったが、離島特有の蒸し暑さのため、戻ったころには汗まみれになってしまった。


この旅唯一のまともな食事

部屋に戻ってシャワーを浴び、午後3時前から部屋呑みを始めた。よく冷えたスーパードライが旨い。つまみはスーパーの惣菜だが、品揃えに揚げ物が多く、彩りは茶色ばっかりである。ビールが空くと、次は地元徳之島の黒糖焼酎「あじや」に手を付けた。ストレートで飲むと、のどが焼けるような感じだったので、水割りでグイグイと飲み進めた。製氷機が2階の自動販売機コーナーにあるので、氷の心配をしなくていいところがまた嬉しい。

太陽が西に傾きかけたころ、窓の外に客船が見えた。ネットで調べるとマリックスラインのフェリーで、那覇を今朝7時に出港し、沖縄本島中部の本部港、与論島、沖永良部島に寄って、徳之島の亀徳港に16時30分に到着となっている。そして17時に出港して奄美大島の名瀬港に立ち寄り、明日の朝8時30分に鹿児島新港に到着というダイヤである。奄美群島と本土との主力交通は航空機で疑いないが、こうして毎日フェリーが人と物資を運んでいるんだと思うと健気な感じがする。

結局、窓の外が暗くなる前にベロンベロンに酔っ払い、そのままベッドに倒れこんでいた。そんなわけで翌朝、目が覚めたのは明るくなる前だった。徳之島の日の出時刻は、浜松よりかなり遅い5時45分ころ。太平洋に昇る朝陽を撮影して、来年の年賀状の背景に使おうと思い立ち、非常階段のドアを開けた。暑さこそそれほど感じないが、湿度は100%くらい行ってそうで眼鏡があっという間に曇った。茜色に染まっていた雲の隙間が徐々に明るくなり、無事に日の出の瞬間を撮影することができほっとした。

朝7時ころになると、昨日あれだけ飲み食いしても空腹感を覚え、1階のレストランで朝食を摂った。機内食だったり、惣菜だったりで、この旅ではまともな場所で食事をしていなかったが、ようやく朝食は伝統的な和定食を食べることができた。まぁ私の旅はホテルの朝食以外は大体まともでないことが多いけれど…。

朝食を終えて部屋に戻ると、なんとなく懐かしい雰囲気がした。2013年の7月、同じ奄美群島の与論島で味わった、南の島の朝の雰囲気。この雰囲気を味わいたくて同じ時期に同じような場所に旅してきたのである。渡辺貞夫の「モーニング・アイランド」を聴きながら、私は出発までのひとときをコーヒーの香りとともに過ごした。


惣菜を肴に徳之島の黒糖焼酎あじやを呑む


鹿児島行きマリックスラインが亀徳港に到着


思ったより大きな町だった亀津の夕暮れ


茜色の雲が印象的な日の出直前の亀徳港


来年の年賀状の画像はこれかな?


徳之島総合陸運のバスで徳之島空港に向かう

<終>

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