旅打ちグランドツーリング


浜松特産の花にちなんだ記念馬券

昔は憧れの的だった「グランドツーリングカー(GTカー)」。今では絶滅危惧種に成り下がってしまったが、現代に当てはめてみるとプリウスこそグランドツーリングカーに相応しいと思う。4人がゆったり座れ、かつ人数分の旅行トランクを積んで高速で走ることができるという古来からの定義は十分に満たしている。と同時に、満タンで1,000`走行可能であるなど、長距離を無給油で走れ、かつ燃費が安いため、心理的にも長距離ドライブに適しているためである。

日本国内の中央・地方競馬場すべての訪問(旅打ち)を目標にしている身にとって、未訪の地である盛岡・水沢は、グランドツーリングするにも絶好の場所である。というわけで2010年4月16日(金)夕刻、遥か900`先の水沢競馬場を目指して、愛車プリウスのハンドルを握った。

浜松西インターより高速に乗ったのが19時過ぎ。毎度おなじみの豊田付近の渋滞で、通過予定時刻より少々遅れるも、東海環状道、中央道で順法速度ギリギリでプッシュし、飯田を過ぎるころには、ほぼ予定通りの時刻で運転していた。伊那谷を北上するにつれ、フロントガラスにぶつかる雨粒が、みぞれに変わり、やがて雪に変わった。電光掲示板も「伊北〜小淵沢 ユキ チェーン規制」と表示され、「これはエライことになった」とうろたえた。温暖な浜松に住む者にとって、4月のドライブといえば当然夏タイヤで、チェーンすら持たずにここまでやって来た。今更「チェーン着用」と言われても困るのである。


新井PAにクルマを置いたまま宿泊


雪が残る山と愛車プリウス(新井PAにて)

結論は「高速から下ろされたところで宿を取ろう」と決め、伊北以北も夏タイヤのまま強行突破。同じような境遇のドライバーもたくさんいて、長野道では走行車線を50`くらいで走るクルマが連なった。姨捨の坂を下り、更埴JCTでようやくチェーン規制の呪縛が解けた。松代PAで、今晩宿泊する予定のホテルに電話を入れると「本当は24時までのチェックインだが、特別に24時30分まで待ってみる。その時点で一度電話をくれ」と言われた。既に23時半を回っており、タイムリミットまで1時間弱。ホテルのある新井PAまで80`弱あるので、かなりプッシュしないと時間までに着けそうもなかった。雪から雨に変わった夜の上信越道をひたすら北上した。

結局チェックインは24時30分の1〜2分前だった。宿泊した「スーパーホテル新井・新潟」は、上信越道新井PAに隣接した「道の駅あらい」の敷地内に建っており、高速から降りることなく宿泊可能である。土日限定で高速1,000円の社会実験中は、金曜日以前に入口料金所を通っても、ここで宿泊すれば上限1,000円が適用となる。

翌17日土曜日は、上信越道から北陸道に入り、磐越道を経て東北道を北上するルートを予定していたが、磐越道が事故のため通行止め。沿線に並ぶ満開の桜を横目に見ながら通行止め解除を待ったが、磐越道と分岐する新潟中央JCTでも解除ならず。日本海東北道方面へ直進した。

先月開通したばかりの神林岩船港ICで、心ならずも一般道に合流。高速上限1,000円効果も半減した感じである。まぁ、せっかく村上に来たからにはタダでは終われない。羽越線に乗車した時には「一度ドライブしてみたいなぁ」と思っていた笹川流れに立ち寄ってみた。昨夜来の雨は上がり、青空を映した海が澄み渡っていた。「遠くに来たなぁ」と感慨深かったが、まだ行程の半分を過ぎたところ。ここからが難行苦行の始まりである。

再びハンドルを握り、国道を北上。とにかく夏タイヤで日本海から太平洋に抜けなくてはならない。ルートとしては米沢に抜ける国道113号か、鶴岡から山形道に入るかだが、いずれもチェーン規制がとられていて断念。国道7号線をひたすら北上し、夏タイヤで通れる秋田道を目指すことになった。

庄内地方を通過して秋田県に入る。仁賀保から、ようやく秋田道に合流し秋田空港を通過。水沢に行くのに何やってんだろうと思ったが、後で調べてみると、山形道より秋田道を経由した方が距離が短かった。15時過ぎに岩手県に入り、水沢競馬場は目前となった。

北陸道柏崎付近の桜並木は満開


笹川流れの桑川駅にてひと休み


青空の下、笹川流れにて筆者


秋田道西仙北PAはまだ冬の装い


昭和の雰囲気が残る水沢競馬場の入場門


水沢競馬場には新旧2つのスタンドがある


水沢競馬場の感想を一言で言うなら「昭和の雰囲気満点の競馬場」といったところだろうか。入場門横の食堂とセットで昭和の博打場の雰囲気が出ている。到着したのは第9レースの投票が締め切られた直後で、急いでゴール前に行った。なんとかゴール前の画像をカメラに収めることができた。


昭和色が濃いメインスタンド


水沢ではJRAの馬券も買える


手書きの出走馬掲示板


新スタンド「テレトラック」には大型スクリーンが


ゴール板前の本馬場をバックに筆者


向正面の桜並木はまだつぼみの状態


地方競馬場らしい小さなパドック


10Rの私の本命「ハルサンヒコ」号は見事勝利

19時に仙台でつっちぃと飲む約束があるので、馬券を買ってレースを観られるのはメインレースである次の第10レースのみ。はるばる水沢までやってきて、これでは来た甲斐がないのだが仕方ない。競馬新聞を買って、赤ペンで◎印が打たれているGハルサンヒコ号を軸に3連単勝負に決めた。あとは新聞に印のある馬に全て流して、Gの1・2着付けで計60点。地方競馬ならガミることはあっても、ハズれることはあるまいという感じである。それとは別に記念馬券としてE「ドクトルガーベラ」の単勝馬券を購入。ガーベラは浜松が日本一の生産高を誇ることに因んでの購入だった。

馬券を買い終えると、次は競馬場内の探索である。水沢競馬場は右回り1周1,200bの、地方競馬場によくある小回りのダートコースである。向う正面の北上川沿いには桜並木があり、この日はまだつぼみの段階だった。スタンドは2つあり、開設以来のメインスタンドとテレトラックと呼ばれる新スタンドが建っている。メインスタンドの方は、古き良き時代の雰囲気を残し、ジャンボ焼き鳥やもつ焼きが名物となっている。新スタンドには屋内に大型スクリーンを備え、冬季などの荒天時には威力を発揮するようである。


スタート直後の直線での先手の取り合い


どこの競馬場でもゴール前は迫力がある

水沢競馬収支表 (10.4.17開催)
レース 投資 回収 収支 累計
10R 6,000 0 -6,000 -6,000
11R 3,600 980 -2,620 -8,620
合計 9,600 980 -8,620 10.2%

パドックに足を運ぶと、まず目が行くのは手書きの出走馬掲示板。園田や川崎の立派な電光掲示板を見てきた自分にとっては、逆に新鮮なアイテムだった。パドック自体はこじんまりとしていて、スタンドからも馬体が簡単にチェックできるようになっている。また、水沢競馬場にはJRAの馬券を発売しており、岩手競馬の発売をしている福島競馬場とはちょうど逆パターンになっているのが面白い。


つっちぃと飲んだ後、酔っ払いながら撮影

そうこうしているうちにメインレース発走時刻の16時30分になった。1,800bのレースということで、向正面からスタート。本命のGハルサンヒコ号は好スタートから先頭に立ち、1周めのスタンド前を快調に飛ばしていった。勝負どころの3コーナー手前でも脚色は鈍らず、逆に後続を引き離す勢い。結局、後ろの馬に影を踏ませず、ゴール板を先頭で逃げ切った。一瞬「ヨシ!」と思ったのも束の間だった。2番手以降は大混戦で、2着のA番は流していたものの、3着に追い込んだのは記念馬券で買った無印のEドクトルガーベラ。「記念馬券で買うくらいなら押さえとけよ」と自分にツッコミを入れてしまった。ドクトルガーベラが人気薄だったため、3連複でも万馬券。無理して60点も3連単を買うことはなかったと後悔した。

時間切れで水沢競馬場を後にしなければいけないのだが、せっかくここまで来てハズレ馬券を買っただけではやりきれない。というわけで携帯版のオッズパークで最終レースを購入。競馬新聞の赤ペンを信用し、今度は◎印から3連複を購入。しかも抜けがないように全頭に流してやった。このレースは、東北道を仙台に向かっている最中に結果が出たが、的中するにはしたが当然のようにガミっていた。これが水沢競馬場での全記録である。

東北道から仙台北部道路に抜け、仙台港北インター最寄りのプレミアイン仙台に18時ころチェックイン。仙石線の電車の中でつっちぃと待ち合わせることにして、中野栄発18時37分の電車に乗った。宮城野原でつっちぃと合流。仙台市内で2軒ハシゴをした。つっちぃは相変わらず忙しくしていて、近々富士宮に出張があるらしい。その時には三島在住の大学時代の親友コーヘイ君も誘って念願のうなぎを食べようと約束した。21時半ころホテルに戻り、密度の濃い一日は終わった。

翌日は、大いなる逆戻り。仙台港北インターから仙台東部道路、仙台南部道路を経由し、仙台南ICで東北道に合流。真っすぐ東京方面を目指せば100`ほど距離が短いのだが、郡山から磐越道に入る。金曜日の夜から土曜日の午前中にかけて降った雪は、沿線を4月とは思えないような景色に変えていた。雪景色の対面通行の道路を、いつもの日曜日と同様に、FMプログラムの「ハートオブサンデー」を聴きながらドライブ。トンネルが多いため番組が途切れ途切れになるのが御愛嬌だった。

新潟で通り雨にあったが、上越地方は春欄慢のうららかな日差しが降り注いでいた。昨日の朝、不安とともに出発した新井PAで昼食をとった後は、今シーズン最後になるであろう冠雪した山々を見ながら長野県内をドライブ。長野道みどり湖PAでクルマを停めて皐月賞を見届けた後は、勝手知ったる中央道伊那谷をラジオを聴きながら南下。トーキングFMや安部礼司に耳を傾けていると、知らず知らずのうちに距離を稼ぐことができ、800`超にも及ぶドライブの胸突き八丁の部分を楽に越えることができて助かった。安部礼司のエンディングテーマの頃には東名に合流。ホームタウンへは目と鼻の距離である…

上信越道から見えた妙高山は雪化粧

<おわり>

競馬にイプゥー?へもどる

旅と音楽のこころへもどる