船 旅 が し た い っ !


今回はバンビツァーの東京直行便を利用


団塊の世代がリタイアを迎えつつある今、お金と時間がある熟年世代を中心に、豪華クルーズの旅がブームになりつつあるらしい。もとより、お金も時間もないサラリーマンの私には無縁の世界だが、それでも日常のしがらみを離れて、ゆっくり船旅がしたいっ! で、思い浮かんだのは名古屋と苫小牧を結ぶ太平洋フェリー。この長距離フェリーには過去2回乗船していて、船上で2泊するという雄大な時の流れに感激したものである。歳を重ねるとともに時間の余裕が無くなってしまい、今回は途中の仙台から乗船の1泊だけだが、のんびりと船旅を楽しみたいと思う。

3連休の初日に当たる2008年11月1日土曜日、浜松インターのバンビツァー専用駐車場から「東京直行便」に乗車した。片道だけでも利用可能で、JRの高速バスよりも安いということで、このツアーバスは人気が高い。この日も満席で東京に向かった。

清水インターを過ぎ、さったトンネルを抜けて、きらめく駿河湾沿いを快走…と行きたいところだが、由比パーキング付近でバスは減速し始めた。トラブル発生!渋滞情報では、蒲原トンネル付近で事故があり、現場を先頭に渋滞が始まったらしい。そのうち路側帯をパトカーが抜いていき、まだ事故処理は始まったばかりだということを悟った。東武浅草駅から特急の予約をしており、一応40〜50分の余裕をみていたが、あっという間にその余裕時間を食いつぶしていった。蒲原トンネルの多重追突現場を苦々しい思いで通過し、富士川サービスエリアで臨時のトイレ休憩を余儀なくされた。富士川発車は10時40分。既に1時間半の遅れが出ている。普段高速を走らない「ど素人」が、車間距離を詰めた挙句にトンネル内で追突事故を起こしたのだろうが、私も含めてその経済的損失は計り知れない。人の振り見て我が振り直せ。私もドライバーとして高速道路を走るときには、車間距離に余裕を持たにゃいかんなと痛感した。

さて、ダメモトで東武鉄道のお客様センターに電話をしたが、発券済みの特急券は、発車前に窓口で手続きをしない限り、予約の変更は不可とのこと。首都高速の渋谷出口あたりで12時半を回り、特急券は紙クズと化した。まぁその時までには、携帯版のスパなびをいじくり倒して、次善の策を考えていたけどね…

その次善の策とは、東武〜野岩〜会津鉄道の連絡乗車券はそのまま生かして、1時間後の特急で浅草を発ち、鬼怒川温泉から鈍行列車で会津若松を目指すというもの。会津若松で3分の乗り継ぎ時間しかないが、うまくいけば予定していた仙台行きのバスにも乗れる。でも楽しみにしていた、元名鉄の特急北アルプス号が転じた、AIZUマウントエクスプレスに乗車できすにがっくり。そんなわけで、安さに目が眩んで、初っ端に高速バスを組み込む乗り継ぎを計画した、自分の素人さ加減にあきれ果てつつバスを降りた。悔やんでも仕方が無い。地下鉄宝町駅に急ごう。

都営浅草線を経由して、東武浅草駅に着いたのは13時15分ころ。浅草駅の出札窓口でもダメモトで「次の特急電車に変更できないか?」と尋ねたがすぐさま却下された。自分でも往生際の悪さに嫌気が差す。というわけで特急券を買いなおし、13時30分発の特急きぬ121号で、ようやく次の一歩を踏み出した。車内は満席で、私は通路側の席。車窓を楽しむのにも難渋するので、酒で気を紛らすことにした。最初は売店で買ったビール。次いで家から持ち込んだウイスキーのミニボトルをちびりちびり。そうこうしていると、3列ほど前に座っていた西洋人カップルの彼氏の方が、私の席に近づいてきてなにやら英語で尋ねてきた。何度か聞き直すうちに、彼らが日光に行きたいということがわかり、「この列車は日光には行かないから、下今市で乗り換えてね」と答えた。私も東武鉄道に乗るのは初めてなのに、なぜ彼は私を選んだのだろうか?そういえばニースから乗ったTGVでも同じようなことがあったっけ…。鉄道に詳しい少々オタク系の人物に見えるのかもしれない(まぁその通りなのだが…)。

浅草から2時間弱が過ぎて、下今市で件の西洋人カップルが降りて行くのを見届けると、急に眠気が襲ってきた。白昼堂々、酔っ払うまで酒を飲んでおり、窓側の席が空いて「さぁこれから車窓を堪能しよう」という時に限ってこれである。結局、終点の鬼怒川温泉までは夢の中。乗り継いだ会津田島行きの普通電車の中でも眠気をかみ殺し、「森進一」状態だった。この電車は東武鉄道の6050系という車輌で、2ドアのセミクロスシートの近郊型である。クロスシートの部分は国鉄急行型よりもシートピッチに余裕があり、前の席に足を投げ出して、久々に列車の旅を満喫できた。車窓は次第に山深くなり、トンネルの合間にある集落の里山は紅葉真っ盛りだった。この県境の集落にも、東京のど真ん中への直通電車が毎時1本すつ走っているのかと思うと、不思議な感じがした。

福島県に入って、すっかり日が暮れた会津田島駅で乗り換え。福島、栃木の両県庁所在地からかなり離れた山村に、似つかわしくない立派な駅舎が建っていた。駅前には、なぜかジュビロ磐田のカラーリングが施されたバスが停まっていたが、浜松ナンバーではなく所沢ナンバー。ほどなく列車から降りてきたツアー客を乗せて発車していった。駅舎の中にあった土産物屋を覗いて時間をつぶし、17時31分発の会津鉄道ディーゼルカーに乗車した。

会津田島駅を出発すると、車窓は漆黒の闇の中。2両編成の列車はワンマンカーで、後ろの席に行けば行くほど空いていた。再び眠気を催した私は、夜行列車のボックスシートよろしく、体を直角に曲げてシートにごろ寝をして先を目指した。30〜40分走ると、会津若松の光が見え出し、3分の乗り継ぎに備えて心身を覚醒させた。


東京直行便は人気が高くこの日も満席


蒲原トンネル内の事故処理の模様


車内でさんざん飲みまくり鬼怒川に到着


会津高原尾瀬口ホームにて東武6050系


国鉄急行型をほうふつとさせる車内


福島県境が近づくと山は紅葉真っ盛り


なぜかジュビロカラーのバスがいた会津田島駅


会津若松行きの会津鉄道ディーゼルカー


郡山駅でやむなく東北新幹線に乗車


宮城交通のフェリーターミナル行きバス


11年ぶりに太平洋フェリー「いしかり」に乗船


仙台港フェリーターミナル停泊中のいしかり


仙台港を後にして20時間超の船旅スタート


液晶TV付きの1等船室でくつろぐ筆者


操舵輪ならぬハンドルで舵取り


複雑な機器類が並ぶ操舵室


「いしかり」の目に当たるレーダー

列車が会津若松駅に着くやいなやリュックを担いで猛ダッシュ。改札を抜けて駅前に出ると、明かりが消えて真っ暗なバス乗り場があった。ポールに顔を近づけて行き先を読み取る。「これも違う」「これも違う」結局、そこには仙台行き高速バスの乗り場は無かった。これまた真っ暗なバス案内所の横に、バス乗り場案内を見つけ、「仙台」の文字を探した。「あった!」乗り場は駅前広場ではなく、通りを挟んだ向こう側のバスターミナルだった。と同時にバスターミナルを発車していく、「仙台駅」と鼻面に掲げたJRカラーのバスが見えた。「あちゃー」間に合わなかった…。

結局20分後の郡山駅行き高速バスに乗車。夜の磐越道を走っている間、「仙台行きのバスは今頃どこを走っているのかな」という思いが去来する。残念ながら、このバスは仙台行きではなく、郡山JCTで仙台とは逆の方向に進路をとった。会津若松駅から45分くらいで郡山ICを通過したが、そこから駅まで延々と一般道を走るのが高速バスの泣き所。郡山駅に到着する寸前で、郡山始発の仙台行き高速バスがすれ違い、「これならバスどうしを乗り継げるかも」と僅かな希望を持ったが、郡山駅バスターミナルで確認したら、すれ違ったバスが仙台行きの最終バスだった。どうも今日はこんなのばっかりである。おとなしく郡山から仙台まで東北新幹線に乗車。仙台到着は、会津若松から乗るはずだった高速バスの到着と同じ21時05分だった。朝の東名の渋滞の影響を、仙台でようやく解消したわけである。

翌朝は、青葉城あたりを散策してもいいかなと思っていたが、これまでのトラブル続きでかなり疲れており、ホテルを出てまっすぐ仙台港を目指すことにした。朝はどんよりと曇っていたが、フェリーターミナルに着く頃には快晴になっていた。青空の下、港で太平洋フェリー「いしかり」と対面し、この旅初めて「あぁ旅に出て良かったなぁ」と感じた。

「いしかり」に乗船し、案内所でルームキーを受け取り、指定された部屋のカギを開けた。部屋に入るやいなや、ソファーに身を預け、ようやく一息ついた。これからの20時間あまりは、誰にも邪魔されない時間である。デッキで潮風に当たるも良し、自室で読書をするのも良し、ボーっとテレビを見るのも自由である。

仙台港を離れ、海原をボケッと眺めていると放送が入った。なんでも操舵室の見学ができるらしい。これまで何度となくフェリーに乗ったが、実際に操舵室に入ったことは無く、私は反射的に集合場所へと向かった。操舵室では、船員さんからひととおりの説明を受けた後、僚船「きたかみ」とのすれ違いの瞬間も体験できた。まずはレーダー上に「きたかみ」が映り、その後洋上に豆粒ほどの影を発見。船影が徐々に大きくなり、やがてお互いに汽笛を鳴らしながらすれ違い、そして去っていった。なんか心がキュンとなる瞬間だった。

僚船の「きたかみ」との洋上でのすれ違い


いわき沖を仙台に向けて航行する「きたかみ」


稜線を朱色に染めて日が暮れていく


20時から船内でミニコンサートが開催された


あいにくの曇天で朝日は拝めなかったが…


朝7時ころ故郷の南海上を通過


歴史に残る名勝負となった秋の天皇賞も洋上で堪能。日曜夕方の定番である「トーキングFM」「安部礼司」も、しっかりチェック。そのうちに日が暮れて、漆黒の闇が洋上を包んだ。20時から開催された、ピアノとオカリナ奏者によるミニコンサートは、ウイスキーのグラスを傾けながら、ゆったり楽しんだ。国内航路では随一のエンターテイメント性のある空間。太平洋フェリーの面目躍如であった。コンサート終了を潮にベッドに潜り込んだ。フェリー特有の揺れも、かえって眠りには心地よく、朝までぐっすりと眠れた。

翌朝は早起きして、洋上の朝日を拝もうとデッキに出たが、あいにくの曇り空。ちょうど浜松沖を航行中で、うっすらと見える故郷の山々を眺め、その足でレストランへ。シティホテル並みのバイキングをゆっくり楽しみ、挽きたてのホットコーヒーを飲んでいると、フェリーに乗っているのを忘れさせる。ちなみに朝食込みで仙台〜名古屋間は13,500円。どちらかの都市で1泊することを思えば、かなりおトクな値段設定である。

「いしかり」はいつしか伊勢湾に入り、名古屋が近づいてきた。8時45分ころ金城埠頭先端の信号塔脇を通過。伊勢湾岸道の名港西大橋をくぐるのを見届け、下船の準備を始めた。仙台で乗船した時には「これからの大いなる時間をどう過ごそうか」と思い巡らしたが、実際はかなり短く感じた船旅だった。と同時に、次はぜひ北海道旅行で乗ってみようと心に誓った。

名港西大橋をくぐると終着は目の前

<おしまい>

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