Spring Tour '15

T A K A R A J I M A


JALグループ最小のサーブ340B(種子島空港)

冬型の気圧配置がゆるんだ1月下旬の土曜日の昼下がり、私はハイウェイバスのプレミアムシートの乗り心地を試そうと、名古屋から東名スーパーライナーに乗った。通常横4列のシート配置のところに、通路を挟んで1席ずつ配したシートは余裕があり、浜松北バス停までの2時間余りは快適な時間だった。ほとんど横になった状態から見える車窓は、やわらかな光に包まれた空と、すっかり葉を落とした木々の梢だけ。逆光の中に立つ落葉樹を見ながら、春にお似合いの音楽を聞いていると、なんと前向きな曲ばっかりなんだろうと感じた。このところ気分的にも落ち込み、すっかり後ろ向きになってしまった自分には、ちょっと眩しい曲の数々だった。「あと2週間もすれば、Spring Tourに行ける!」春の歌に感化されて、バスを降りるころには、少し前向きになった自分がいた。

2月6日金曜日。上司に無理を言って仕事を早めに切り上げ、16時37分発のひかり477号で2015年のSpring Tourをスタート。旅立ちの曲はTスクエアの「宝島」である。私が九州に初めて渡った1988年の春、旅に持っていくため、「Spring Tour Attendants T」というカセットテープを編集した。その一曲目がこの曲で、以来、春の旅のテーマソング的な曲になっている。明るくスマートな曲調で、「さぁこれからSpring Tourが始まるぞ」というワクワク感を盛り上げてくれる。さて、上げ潮ムードに一役買っているのが700系新幹線のグリーン車。年間で最も大事な旅なので、新神戸で乗り継ぐのぞみ185号も含めて700系グリーン車を奢った。N700系が主力の東海道山陽新幹線において、シートでタバコが吸える700系の存在は貴重である。それも夕暮れのグリーン車で、ビールを飲みながら西に向かうというシチュエーションは、「永遠に続いて欲しい」と願わずにはいられない瞬間である。

新神戸でのぞみ、博多でさくらに乗り継いで、1日目は熊本に宿泊。宿泊は博多や鹿児島でも良かったが、博多の常宿は受験シーズンなのか満館。鹿児島ではチェックインが23時過ぎになりそうなので、間をとってANAクラウンプラザホテル熊本ニュースカイを予約した。朝食付きで7,776円という値段は、博多のクラウンプラザではまず出せない料金だろう。ただ寝て起きるだけの短い滞在のあと、翌朝8時04分発のさくらで鹿児島中央へ。各駅停車でも、熊本と鹿児島の間が1時間もかからないとは、便利になったものである。駅前バスターミナルより、15分の待ち合わせで南国交通の空港連絡バスに乗り継ぎ、10時前に鹿児島空港に到着した。

種子島行きのJAC便はスウェーデンのサーブ社製。サーブといえば乗用車が馴染み深いが、そちらの方はGMの子会社になり、今では資本関係もないらしい。日本で例えるなら、三菱重工の自動車製造部門だった三菱自動車が、メルセデスに身売りされたような話か(実際には破談になったが)。さて、サーブの340Bという機種であるが、私が今まで搭乗した日本の飛行機の中で最小である。横1席+2席が縦に11列並び、最後列は3席が隣り合って並ぶという路線バスのようなシート配置。予約の時点で、往復とも1人がけを選んでいたので、隣に人が来ることを心配せずに済んだ。ただ、機内に大きな荷物を置くスペースがないので、2泊分の荷物は自席の足元に置かざるを得なかった。たった30分のフライトとはいえ窮屈な思いをした。

種子島空港は初めての訪問。ゆくゆくは定期航路を持っている日本の空港全てを訪問したいと思っているが、死ぬまでに達成できるかどうか微妙なところである。空港のカウンターでレンタカーの手続きをして、さっそく種子島宇宙センターに向けて出発。離島ということで値段の安い軽自動車、ダイハツ・ムーヴのハンドルを握った。種子島は沖縄本島と同様に細長い島で、北端から南端までの距離は60Km弱もある。できれば一周したいところだが、実質滞在時間は5時間程度しかないので、宇宙センターの見学に時間がかかった場合は北部はカットする予定。島の中央部にある空港から南下していく。途中で太平洋に面したビーチがあった。熊野海水浴場という景色の良い浜辺でしばし休憩。シーズン中なら家族連れで賑わっていただろうが、季節外れの海岸は、波の音が聞こえるだけだった。

県道から外れ、ロケット打ち上げの時に閉鎖されるゲートを抜けて、いよいよ種子島宇宙センターのエリアに入る。しばらく走ると左手に赤と白に塗り分けられた鉄塔が見えてきた。ロケットの打ち上げ設備である。それを見た私は一気にテンションが上がった。どうにかして打ち上げ台に近づこうと思ったが、その鉄塔方向につながる道はすべて関係者以外立ち入り禁止となっていた。道路の傍らには、ところどころに宇宙センターの施設があったが、まるで軍事基地のように闖入者を拒んでいた。先日、HU-Aロケットを打ち上げた吉信射点を通り過ぎると、海岸方向へと降りていく道路を発見。ここにはゲートがなく、まだ先に行けそうだった。恐る恐る降りていくと、既に使われていないロケット打ち上げ施設があった。調べてみると大崎射場という中型ロケットの発射場だった。昭和50年代に日本初の人工衛星打ち上げ用ロケットN-Tを発射した場所である。ここは吉信射場と隣接していて、なおかつ標高も同レベルなので、迫力のある巨大なロケット打ち上げ設備を実感するには最適な場所だった。コンパクトカメラのズームなのでしれているが、右の4本の鉄塔がそこで撮影した打ち上げ点である。

さて、大崎射場を後にして、再び曲がりくねったアップダウンの激しい道を行く。しばらくするとロケットの丘展望台があった。ここからの吉信射点の眺めは秀逸で、世界一美しいと言われるロケット発射場という触れこみも納得である。白砂のビーチの向こう側に、青い海とコントラストをなす紅白の鉄塔群。発射点の右手には、ぽっかりと小島が浮かんでいる。曇りがちの天候だったが、奇跡的に雲が切れた幸運に感謝した。

種子島宇宙センターのエリア南部に、今回のお目当てである宇宙科学技術館がある。はやる心を抑えて、まずは敷地にあるロケットの実物大模型を見学。宇宙科学技術館の建物の横に立つロケットは、先ほどの大崎射場から打ち上げたN-Tロケット。中型ロケットとはいえ、近づくと全容が確認できないほど巨大である。そして敷地の芝生に横たわるH-Uロケット。現在JAXAの主力ロケットである。こちらは全長約50メートル。ボーイング767が全長だいたい55メートルなので、その迫力がうかがい知れよう。

さぁそれでは宇宙科学技術館に入場しよう。入場無料ということで、原子力発電所の展示館レベルを想像していたが、そんなものではなかった。陸域観測技術衛星「だいち」(ALOS)の実物大熱構造モデルや、実際に回収したロケットのフェアリングのかけら、歴代の日本のロケット模型勢揃いなど、目を見張るようなお宝の数々が展示されていた。映像シアターも充実しており、HU-Aロケットの打ち上げ映像は迫真に迫る音響で、これを観るだけでもここに来る価値があると感じた。


離島の雰囲気満点の種子島空港は初訪問


宇宙センターへの途中で熊野海水浴場に寄る


数日前HU-Aロケットを打ち上げた吉信射点


ロケットの丘展望台にて筆者


世界一美しいと言われるロケット発射場


左の組立棟から右の射点にロケットが移動


N-Tロケット実物大模型


人工衛星ALOSの熱構造モデル


門倉岬に立つ鉄砲伝来紀功碑

子供だましと思いながらも挑戦したシュミレーションゲームも、思わずのめり込むほど興味深く、特に衛星の軌道修正を試みるゲームなどは、試行錯誤の末に思い通りの軌道を描けると、かなりの達成感を得られた。地味なところでは、模型と3D技術の融合に興味を持った。目の錯覚を利用しているんだと思うが、ボタンひとつで地球環境と無重力状態の違いを表現。見る角度を変えても、そこにちゃんと物があるとしか思えず、「こりゃどうなっているんだ」と謎が解けないままだった。まぁそんなこんなで館内にで1時間半ほど過ごしたが、あっという間に時間が経ち、もう少しじっくり見たいと思わせる施設だった。おそらく無料の展示館では、私が訪問した中では一番の施設だと思う。


迫力満点のH-Uロケット実物大模型


JAXAロゴの植込みとレンタカーのムーヴ


お色直し中の宇宙科学技術館入口


歴代の日本のロケット模型が勢揃い


竹崎射場の先にある展望所から吉信を望む


NASDAの文字が見える小型ロケット発射台


地球が丸く見える種子島最南端の門倉岬


海上国道58号は種子島を経て奄美・沖縄へ

昼飯を忘れるほど宇宙科学技術館に魅了され、館外に出た時は一種燃え尽き症候群のようになっていた。それでも、せっかく種子島まで来たからには、宇宙センターのポイントは、できるだけ回っておきたい。というわけで気を取り直して、南部エリアの東端にある竹崎射場という小型ロケット発射場にクルマを走らせた。そこには、据え置きのクレーンのようなものが設置されていた。平成初期に微小重力実験のために打ち上げた、TR-TAロケットを発射した跡地で、そのクレーンのような発射台には、懐かしいJASDAの文字が書かれていた。宇宙マニアには垂涎のシロモノかもしれないが、背景を知らない自分には「なんだこんなものか」という感じだった。それよりも、打ち上げ台の先にあった海岸の展望スポットの眺めが良かった。海の上に、吉信射場のロケットの組立棟、第2射点、第1射点が並び、HU-Aロケットはあの距離を移動したんだと実感できた。竹崎射場の見学を切り上げて、とりあえず今回の種子島宇宙センターの訪問は終了。クルマに戻り、次の目的地へ走った。

種子島といえば、いささかロケット打ち上げに霞んだ感もあるが、鉄砲伝来の地として名を馳せている。火縄銃の展示施設である種子島開発総合センター(別名鉄砲館)は北部の西之表にあるので、とても回る余裕はないが、島の最南端にある鉄砲伝来の地・門倉岬なら行くことができる。疲れた体に鞭打ってクルマを走らせた。門倉岬は想像通り、これといった施設がない茫洋とした場所で、鉄砲伝来紀功碑が立っているだけだった。こういうところでは歴史に思いを馳せるしかないが、腹は減っているは、眠いはで、とてもそんな気分になれなかった。10分も経たずに岬を後にして再びクルマを走らせた。

結局、スーパーの弁当で空腹を満たし、種子島空港手前の中種子で1時間ほどの半端な時間が余ってしまった。1時間では西之表に行っても往復するだけになると思い、ガソリンの無駄なので、おとなしく空港に戻ることにした。レンタカーを返却し、空港の待合室で無為な時間を過ごした。こんなことなら宇宙センターで、もう少し時間を使えば良かったと後悔した。ようやく搭乗時間が来て離陸すると、サーブ機は低く垂れ込めた雲の上に顔を出した。もうすっかり日が暮れたと思い込んでいたが、上空は日没前だった。3度目のSpring Tourで行った本土最南端の佐多岬上空で夕空を見ていると、それまでのくさくさした気分が晴れていった。

本土最南端の佐多岬上空で日が暮れた

<終>

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