D o w n U n d e r


長距離Cクラスの食事も最後だ

今年の初めに、2018年4月に期限が切れるパスポートを更新しないことを決め、貯めては使いの繰り返しだった全日空のマイルを一気に使ってしまおうと企てた。吟味の結果、行先は初訪問のオーストラリアとした。羽田〜シドニー間の直行便が就航し、ビジネスクラスは例のシートが真っ平になって、全て通路側のスタッガードシート。マイレージの利用先としては申し分ない。オーストラリアでは「インディアン・パシフィック」や「ザ・ガン」みたいな長距離鉄道に乗ろうと志したが、機中は往復とも夜行便。その上に夜行列車に乗ったのでは、オーストラリアの滞在先が書けなくなってしまうと思いやめた。次善の策として、アデレード〜メルボルン間を昼間走る「ジ・オーバーランド」号に乗ることに決め、これで2泊5日のおおよその予定が決まった。すなわち、1日目の夜に羽田を出発。2日目の朝にシドニー着。その後国内線に乗り継いでアデレードに行き、その日はアデレード市内泊。3日目の朝、「ジ・オーバーランド」に乗車し、その日の夕刻にメルボルンに着いて市内で宿泊。4日目は、メルボルンからシドニーに飛んで、その日の夜に羽田行に搭乗。5日目の朝に羽田に着いて終了という感じである。1日目は仕事終わりで大丈夫だが、最終日は休みたいので都合4日間の連休が欲しい。今の職場では初めての長期連休なので、4月ころから「11月にオーストラリアに行くので休みが欲しい」と言いはじめ、無事11月上旬に4連休をゲット。11月5日土曜日18時20分発のこだま672号から旅が始まった。

シドニー行きNH879便は羽田を22時10分に出発する。新幹線の車内と空港のラウンジで、しこたまアルコールを飲んでいるのでかなり酔っぱらっている状態。もう、すぐにでも眠りたい感じだが、シドニー便は搭乗直後の1回しか食事が出ないので、とりあえず食事が出るまでは我慢する。搭乗してからというもの、映画「シン・ゴジラ」を見ていたが(映画館に行くほどでもないが見たかった映画!)、食事が終わった後には急に眠くなり、結局最後まで通しで見られなかった。


快晴のアデレード空港に降り立ったQF751便


アデレード空港のターミナルビル

日本よりも2時間ほど早いシドニー時間ではあるが、朝の4時前に目が覚めた。「シン・ゴジラ」の続きと「君の名は。」の豪華2本立てを立て続けに見た。ワイドナショーでダウンタウンの松本氏が言っていたが、この2本の公開時期が重なってしまったため、「シン・ゴジラ」の興行収入に影響が出たとのこと。確かに2本とも割と見応えのある映画なので、同時期の公開はお互いに客を食い合ってしまたかもしれない。さて早朝から映画を2本見て、朝食代わりにカツサンドとコーヒーをもらい、トイレに行ったらもう到着の時刻。現地時間の午前10時前、シドニー国際空港に到着した。

シドニー空港国際線ターミナルからカンタス航空の国内線の乗り継ぎは、一般的な空港の乗り継ぎとは手順が逆だった。普通なら国際線ターミナルから国内線ターミナルへ、バスなりモノレールなどで移動してから、チェックイン→セキュリティチェックとなるが、ここでは国際線ターミナルでチェックイン→セキュリティチェックをし、バスで国内線ターミナルのセキュリティ内に移動した。まぁこちらの方が変に迷わなくて済む。国内線ターミナルで約2時間の待ち合わせ。その時間を利用して「ジ・オーバーランド」のリコンファームをしようとしたが、予想通り留守番電話だった。「ジ・オーバーランド」のバウチャー券の注意事項として、「出発24時間前以降にリコンファームすること。ただし平日の9時から18時の間にせよ。」とあった。それでは月曜日の朝に出る列車のリコンファームはできないじゃないかと思ったが、やっぱり電話は通じなかった。まぁリコンファームなしでも乗れないことはないと思うが、ひとつ不安材料が増えたのは確かである。


空港から市内へは路線バスで向かう


窓の外は夜明け前のアデレード市街地


クラウンプラザ・アデレード

QF751便アデレード行きは実質2時間のフライト。半年前に最安値で押さえた便であるので、シートは3列横並びの真ん中の席。ただでさえ自分が横幅が広いのに、両隣に体格のいい地元男性が来たらどうしようかと思ったが、お隣は年配の小柄な女性でホッとした。非常口の列があてがわれたので、通常のシートピッチよりも幾分広く、これなら2時間のフライトも難行苦行というわけでもなさそうだ。睡眠不足も手伝って、機中はうたた寝をしながら過ごしたので時間も早く過ぎた。なおかつサンドイッチも配られて昼食替わりになったので、この格安フライトはかなりお得感があった。

14時過ぎにアデレード空港に到着。もちろん初訪問の都市で、私がアデレードと聞いて連想するのはF1グランプリである。1989年にアデレード市街地コースで行われたオーストラリア・グランプリは激しい雨の中のレースとなった。ロータス・ジャッドという非力なマシンで参戦していた中島悟は、若い頃から「雨のナカジマ」と言われていた得意の雨中レースで持ち味を発揮し、自身初のファステストラップを記録。自身最高位の4位でチェッカーフラッグを受けた。アデレードでは、この時のレースも含めて11回開催されており、ちょうど私がF1に興味を持っていた頃だったので(中島〜亜久里〜片山の時代)アデレードといえばF1グランプリということになったのだと思う。ちなみに今回訪問するあと2つの都市に関しては、メルボルンはかなり昔にオリンピックが開催された都市(1956年開催)、シドニーはつい最近オリンピックを開催した都市(2000年開催)というイメージである。

さて、空港からアデレード市街地への足は路線バス。前乗り前払い、後乗り後払いの整理券方式など、日本でも初めての路線バスは気を遣うのに、海外の初訪問の都市で使うのは相当勇気が要る。とりあえず20ドル紙幣をコンビニでくずして、あとは前の乗客の動きを注意深く見てマネするしかない。ところがほとんどの人がICカードで乗っている。そんななか、ようやく現金払いをしている人を見つけ、その人の後ろで同じように運転手からチケットを買った。本当はそのチケットをICカードリーダーの上部に差し込まないといけないようだが、これがどうやってもエラーになり、仕方がないのでそのまま乗車してしまった。バスは市街地に近づくにつれて満員になり、私が降りる予定の1つ手前のバス停でほとんどの人が降りた。どうやら私が今夜宿泊するクラウンプラザ・アデレードも繁華街の一角にあるようだ。

ホテルには15時半前にチェックイン。さっそく繁華街へと出掛ける。お目当てはデパートの食品売り場かスーパーマーケットで、今夜の夕食と会社の同僚へのお土産探しである。2〜3のお店に入るが、イメージと違いそそくさと退散。ランドル・モールを彷徨いながら、ホテルから5〜600メートルのところにランドル・プレイスというショッピングビルを見かけたので入ってみた。その中にColesというおあつらえ向けのスーパーマーケットを見つけ、その値付けに狂喜乱舞。空港のショップでは3〜4ドルもしたペットボトルの水が1ドル以下。オーストラリアは交通費と食費が高いなぁと思っていたので、ここの食品の安さは感激ものだった。同僚のお土産には、4ドルの袋詰めオーストラリア産のチョコレート、自分の夕食にはカップラーメンと缶詰を2つ買い、ミネラルウォーターも含めてしめて4,000円弱だった。これでお土産選びという重圧からも解放され、のびのびと旅ができると思うと嬉しくなってしまった。

その後ホテルに戻り、明朝が早出となるので、それこそ西の空にまだ薄明りが残るうちに就寝。どうも季節が反対の場所のサマータイムというのは、いつまでも明るくて調子が狂ってしまう。おかげで明朝はまだ暗いうちに目覚めてしまった。まぁこれからこの旅最大の難所があるというのも原因なのだが。

ホテルを朝6時前にチェックアウトし、前夜のシミュレーションどおりホテルの南側の通りにあるバス停へと歩いた。まだ夜明け前というのに乗車したバスは満員だったが、次のバス停(昨日のランドル・モール至近のバス停)で半分の人が降りた。そのまま1人降り、2人降りしているうちにビル街を抜け、左折そして斜め右に曲がってと、ここまでは想定どおり。斜めの道に入って2つめのバス停で降りて、前方の交差点を渡って鉄道の陸橋を越え、すぐ右に曲がれば目指すパークランズ駅へは徒歩1分である。

ところが、いっこうに駅は見えてこない。そのうちに工場の門などがあり、「これを真っすぐに行けば駅に出られそう」という道がことごとく私有地になっている。複雑に曲がらされ、すっかり方向がおかしくなっているにもかかわらず、「北を向いているから右に曲がれば線路に出る」と思いそのまま歩いてしまった。実際には西を向いていることを知らずに…。

やがて太陽が昇り、歩いている方角の誤りに気付いた時には、既に引き返せない状況になっていた。1分で駅にたどり着けなければ、もう1度戻って違う道を探すのが定石だが、ついつい戻るのがいやで、傷を大きくしてしまうのが人の常である。とにかく線路沿いに出たいと思っていたら、バス停を降りてから20分かかって、なんとか線路沿いに出た。駅のホームがあったので駅名標を確認すると「Miles End」とある。線路の西側の通りは行き止まりになる恐れがあったので、線路を渡って東側に出た。こちら側は公園および墓地が広がっており、南に向かえばいずれパークランズ駅に出るはずだ。しかし「ジ・オーバーランズ」のチェックインは発車1時間前にすべしとバウチャー券に書いてある。もう既に発車1時間前を切っていて、「こりゃ最悪、乗れんかもしれんな」と思いつつ歩を進めた。


迷った挙句にマイル・エンド駅に出てしまった


40分歩いてアデレードのパークランズ駅に到着


パークランズ駅の待合室と手続きカウンター


早朝のホームで出発を待つジ・オーバーランド


1926年以来「ジ・オーバーランド」の名で走る


グリーン車にあたるレッドプレミアムに乗車


出発直後にカフェカーでホットドッグをパクつく


峠を越えるとなだらかな丘と草原が広がる


オーストラリア最長の河川、マレー川を渡る


ゴルフ場のような風景から耕作地帯に入る


昼食はフィッシュ&チップス


白ワインのボトルで呑みテツ気分


日本では絶えて久しいハエタタキ

Miles End駅から歩くこと20分、ようやくパークランズ駅に到着した。既に発車時刻まで40分を切っており、カウンターのお姉さんに息を切らせながらおずおずと「May I Check In?」と尋ねてみた。お姉さんはダメとも言わずに、すぐ乗客リストをパラパラとめくり私の名前を見つけた。そして手書きの座席番号が書かれたカードを渡し、「7時25分に乗車開始ですよ」と微笑んだ。よかった〜。これで念願の「ジ・オーバーランド」に乗れる。その後に吸ったタバコの美味しかったこと…。その後に、「最初からホテルでタクシーを拾っておけば良かったのに…」とちょっとした後悔が沸き上がってきた。

乗車時間になって、なにはともあれ指定されたシートに座って一息ついた。レッドプレミアムシートという座席を予約しており、2列+1列のゆったりとしたアブレストで、日本でいうグリーン車にあたる。ちなみに普通の席も2列+2列ながらゆったりとしたシートで、通路が狭いだけのようにも見える。2つの車両の間にカフェカーが付いており、発車直後に行ってみた。売店の奥に窓に向いたカウンターと丸椅子が並んでおり、787系つばめに付いていたビュッフェに似ている。そこでホットドッグを食べ、ブラックコーヒーを飲んでいると、不知火海を見ながらつばめのビュッフェで過ごした時のことを思い出した。

座席に戻ると、列車は峠を越えて丘陵地帯を走っていた。オーストラリアらしい雄大な景色が広がってきたところで音楽を聞き始める。30年近く前のFMエアチェック音源ではあるが、オーストラリアのミュージシャンを特集した番組のもの。1曲目はメン・アット・ワークの「ノックは夜中に」。サックスの音色が心地よい。メン・アット・ワークのデビュー・アルバム「Business As Usual」からシングルカットされた2曲が全米ナンバー1ヒットになっており、ひとつは「ノックは夜中に」。そしてもうひとつはオーストラリアをちょっと卑下して歌っている「ダウン・アンダー」である。お気づきのとおり、このページのタイトルはこの曲からいただいており、意味はそのままオーストラリアである。

メン・アット・ワーク以外にもオーストラリア出身のミュージシャンはいろいろいて、私が知った初めての洋楽の曲はオリビア・ニュートンジョンが歌っており(カントリー・ロード)、このあと触れるエア・サプライやリトル・リバー・バンド、あるいはインエクセスなど、結構自分好みのアーティストが多かったりする。それらのアーティストの曲を聴きながら、オーストラリアの大地を鉄道で旅するなんて最高だ…なんて自分に酔っていたのは初めだけだった。走っても走ってもゴルフ場のような風景が続き、やっと大河を渡ったかと思えば、今度は走っても走っても畑と牧場ばかり。さすがにこれが何時間も続くと飽き飽きしてしまうのである。


メルボルン行き近郊列車が出るアララット駅


ヒツジの群れに「メェ〜」と叫んだ娘を思う

単なる水たまりも五色沼に見えるから不思議


メルボルンが近づき通勤電車と並走する


ビル街と車両所が車窓をよぎり気分は品川


10時間半にわたる乗りテツを堪能し終着駅へ


ヨーロッパのお城のようなホテルに宿泊


大枚を投じた甲斐あってジュニアスイートにUG


メルボルン市街から高速を30分走って空港へ


メルボルン・タラマリン空港のターミナルビル


名鉄BCっぽいスカイバスの発着所

正午をとうに回ったころ、ようやくアテンダントのお兄さんがランチの注文を聞きにきた。乗りテツも飽き飽きしており、そろそろ呑みテツしようかと思っていたタイミングだったので、白ワインの750mlボトルと、つまみになりそうなフィッシュ&チップスを注文した。しばらくしてミニボトルが運ばれてくるというミスもあったが、無事に注文の品が届き自分のシートで飲み始めた。列車は100Km/h以上で走っており、窓の外はハエタタキが猛スピードで過ぎ去っていく。ハエタタキといのは鉄道電話などの通信ケーブルの電信柱で、上の画像のようにハエタタキのように見えるのでそう名付けられた。もっとも現在の日本では通信ケーブルは地中に埋められてしまったので、このようなきれいなハエタタキはほとんど見られない。昔の鉄道写真に決まって映りこんでいるアイテムで、思わず「懐かしい」と見入ってしまった。

西に日が傾きはじめ、15時30分ごろアララト駅に到着。メルボルンにはまだ250Km以上、3時間20分ほど列車に乗らねばならないが、隣のホームには近郊列車が停まっていた。V/LINEというメルボルン近を含むヴィクトリア州一帯をエリアとする交通機関が運行する列車である。こちらはメルボルンまで短絡ルートを通り、200Kmちょっとの道のりを2時間半ほどで結ぶ俊足列車で、機会があれば乗ってみたいところだが、残念ながらもうその機会はなさそう。アララト駅でしばしの停車ののち発車。ふたたび列車は牧場地帯を行く。羊の群れが列車の音に驚いて駆け出している。もっとも驚いているのは子羊だけで、親羊は悠然と草を食んでいる。もう15年くらい昔になろうか、私が会社の同僚と一緒に隣国ニュージーランドに行ったときに、こんな風景がたくさん見られた。ある後輩の女の子が羊の群れを見て「メェ〜」と叫びながら近づくと、今日と同じように羊の群れが逃げていくのが面白かった。そんな過ぎ去りし日々の思い出を辿ることができるだけでも、この列車に乗った甲斐があったというものだ。

17時過ぎに海が見えて、直後にジーロング駅に停車した。ここからは先ほどと路線が違うV/LINEの通勤電車がメルボルンとの間を結んでいる。線路が複々線になり、既にメルボルン都市圏に突入したという感じである。貨物駅や操車場などを見ながらゆっくりと列車は走り、19時少し前にメルボルン・サザンクロス駅に到着した。ちょうどラッシュ時間帯で、駅の構内で人波にもみくちゃにされた。

今日の宿はインターコンチネンタル・メルボルン・ザ・リアルトで、1泊330ドルもする高級ホテルである。サザンクロス駅からは徒歩5分くらいで、トラムが目の前を走るような繁華街の中にあるが、外観はヨーロッパのお城のよう。チェックイン後、指定された部屋に行くとジュニアスイートがあてがわれていた。IHGグループのゴールドメンバーゆえの措置かと思うが、大枚2万6千円以上を払っただけのことはある広々とした居心地のいい部屋だった。

その翌朝、私はカジノに行こうかどうか迷っていた。メルボルンにはクラウンという大きなカジノがあり、ホテルからは徒歩10分ほど。今日は12時の飛行機に乗ればよく、ひと勝負するには十分すぎるほどの時間がある。しかし2か月後にシンガポールでカジノにいけるので、今回はおとなしく空港に向かうことにした。とにかく空港に早く着いていたいというのは、ロサンゼルス空港でアルバカーキ行きに乗り遅れたトラウマが、まだ残っている証拠である。

ホテルを8時過ぎにチェックアウトし、ふたたびサザンクロス駅に向かう。空港行きのスカイバスもここから発車しており、名鉄バスセンターによく似た乗り場からダブルデッカーのバスに乗車した。バスは高速道路を30分ほど走ってメルボルン・タラマリン空港に到着。2階の最前列に座ることができたので、渋滞する上り車線を横目に見ながら観光バス気分で空港に行くことができた。

メルボルン空港では3時間弱の待ち合わせとなり、かなりヒマを持て余した。なにかしらのトラブルで飛行機に間に合わない事態になるよりはマシだが、せっかく休みを取って海外に来ているのに、こうも手持ち無沙汰なのは心情的にやりきれない。それでも空港の待合室でダラダラしているうちに搭乗時刻となり、シドニー行きQF430便に搭乗。往路同様3列シートの真ん中の席で、両サイドは屈強なオーストラリアの若者。搭乗中ずっと息苦しい思いをしたが、昼食のシチュー入りパイは美味しかった。


2階建てスカイバスの2階最前列で車窓を堪能


シドニー空港から市街環状線への2階建て電車


サーキュラキー駅と港と高層ビル群


気分はエアサプライ「ときめきの愛を」の筆者


オペラハウスと並ぶ名所のハーバーブリッジ


シドニーの春はジャカランダの花が飾る


シドニーに来たならオペラハウスを観なくては

タラマリン空港を出発して1時間半、シドニー空港に戻ってきた。着陸直前、桜のような紫色の花が街中のそこかしこに咲いており、なんて名前なんだろうと気になったが、答えはジャガランダ。日本の桜と同じく、シドニーの春のシンボルのような花だそうで、お花見をする地元民もいるとかいないとか。下から見上げるジャガランダもいいが、上空から見下ろすジャガランダの花が印象に残った。

シドニー空港での待ち合わせ時間は8時間。さっきも3時間待っているので、ここではさすがにそんなことはしない。シドニーに来たならオペラハウスとハーバーブリッジくらい見ても罰は当たるまい。そんなわけで、空港からエアポートリンクでサーキュラー・キーに行った。エアポートリンクは3列+3列の転換クロスシートで2階建て。日本の地下鉄もこんなだったらいいのにと思ってしまうが、実際に走らせたら乗降に時間がかかって使い物にならないだろう。サーキュラー・キー駅を出たら、平日というのに観光客の多さに圧倒された。人波をかきわけかきわけ、ハーバーブリッジを横目に見ながらオペラハウスが見えるところまでやって来た。

オペラハウスで印象に残っているのは、エア・サプライのラッセル・ヒッチコックが、PVだったか、イベントか(もしかしてシドニー・オリンピック?)なんかで、オペラハウスをバックに「ときめきの愛を」を歌っている映像。さっそく私もセルフタイマーを仕掛けて、それ風の画像を撮った。これをやりにオペラハウスに来たようなもので、その後オペラハウスの外側を一周し、ハーバーブリッジを見ながら佇んだりもしたが、間が持たなかった。滞在30分ほどでサーキュラー・キー界隈を後にした。

再びシドニー空港に戻って来たのは16時過ぎ。搭乗券はないし、チェックインカウンターにも人影もなく、自動チェックイン機もないということで、やることがなくなってしまった。その後18時半のチェックイン開始まで無為な時間を過ごしたのだが、つくづく今回は内容がスカスカな旅だったなと思った。年齢を重ねて臆病かつ億劫になり、たとえ時間があってもセーフティ・ファーストになってしまった。やっぱり海外旅行を辞める潮時だということなんだろう。残された海外はシンガポールと香港の2回だけ。いずれも旅打ちである。残り2回で新展開はあるや否や…?
<終>

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