Misty Town 開設20周年記念 つ づ れ お り |
本州のどん詰まり奥津軽いまべつ駅で降りる | |
当サイト「Misty Town」のメインコンテンツである「旅と音楽のこころ」で最初に取り上げた旅が、南部縦貫鉄道のレールバスと津軽鉄道のストーブ列車。1996年12月6日夜に旅立ったので今月でちょうど20年。20年前に乗車した南部縦貫鉄道も十和田観光電鉄も既にレールはなく、伝統の特急はつかり号は廃止され、秋田リレー号は無事に秋田新幹線として開業した。そんななかで20年前と同じようにストーブ列車を走らせている津軽鉄道に乗って、当サイト開設20周年記念とするのが今回の旅の趣旨である。 今年の3月に北海道新幹線が新函館北斗駅まで開業したが、同時に本州のどん詰まりの場所に新たな新幹線駅が開業した。奥津軽いまべつ駅がそれで、今回はこの駅から津軽鉄道の終点・津軽中里駅まで路線バス(こちらも新幹線と同時開業)で移動する。それにしても長ったらしい名前の駅である。「今別」か「津軽今別」で十分なように思うが、もともとこの駅に用意されていた名前は「奥津軽」。地元今別町のたっての願いで「奥津軽いまべつ」となったそうなので、長い名前もやむなしか。 | ||
その奥津軽いまべつ駅には13時46分に到着。東京駅を10時20分に発車する「はやぶさ13号」に乗ってきたが、盛岡までが速かった分、整備新幹線区間に入った途端に最高速度260キロに制限されるために、ずいぶんノロノロ運転に感じてしまう。ちなみに整備新幹線区間に入る手前の仙台〜盛岡間の平均速度は実キロ計算で263Km/h!2面2線の対向ホームであるくりこま高原駅あたりで、一度320キロで通過する新幹線を眺めてみたいものである。 20年前と同様に八戸を発車した頃から雪景色となり、海に近い奥津軽いまべつ駅でも5〜10センチほど雪が積もっていた。乗り換え時間がそれほどないので駅舎を背景に記念撮影だけして、そそくさと弘南バスの津軽中里駅行きに乗り込んだ。14時の発車時点でマイクロバスの乗客は私ひとりだけ。このバスは途中のバス停で乗車ができないので、この時点で全区間私だけの貸切運行が決定したわけである。このバスの経路について何も予習をしていなかったので、発車するとどちらに向かっているのか見当がつかなくなった。峠を越え新幹線の高架橋と何度かアンダークロスしているうちに、「あぁ、新幹線沿いに南へ向かっているんだ」と思う始末。そのうち丁字路に突き当たり、予想通り右折。新幹線沿線から見て津軽鉄道沿線は西にあたるので、これでようやく正常な方向へと進路を向けたことになる。再び峠を越える山道に入った。路面は凍結して真っ白で、「遅れて欲しくはないが、ゆっくり走って」と葛藤しながら心の声で念じた。やがて里に出て、いくつか集落を抜けるうちに「中里郵便局」という看板を見つけて目を疑った。定時では津軽中里駅に15時10分に到着することになっているが、まだ14時40分。半信半疑で乗っていると「まもなく終点津軽中里駅です」と自動放送が流れ、14時45分に駅前のバス停で降ろされた。実に25分の早着。やれやれである。15時21分にお目当てのストーブ列車が発車するので、このバスが遅れたらどうしようと、旅立つ前にはさんざん気を病んでいたが、取り越し苦労だった。 大幅にバスが早着したので、五所川原から来る下りストーブ列車をホームで迎えることができた。当然ディーゼル機関車が先頭に立っているものと思っていたがその予想は外れ、オレンジ色のディーゼルカー(津軽21形)が、1両のストーブ列車を牽引する2両編成で入線してきた。数人の乗客を降ろすと、いったんドアを閉める。そしてディーゼルカーは客車を切り離し、入れ換え作業を行う。まず終点方向の引き上げ線に向かい、客車の隣の機回し線を通過して五所川原方に停車。ポイントを切り換え、客車の五所川原方に連結して終了。機関車のこういった機回しのシーンは割と見られるが、ディーゼルカーの機回しはかなりレア度が高く、平日に来てかえってよかったと思った。 さぁようやくストーブ列車に乗り込む。今日乗車する客車はオハ46 2で、昭和29年に日立製作所で製造され、昭和58年に国鉄から津軽鉄道に譲渡された車両である。スチーム暖房の設備がないため、ストーブを客車に載せているというのは、20年前に初めて乗った時には思いつかなかった。車内に暖房用のストーブがある列車は津軽鉄道だけだろうが、62年前に製造された旧型客車を定期的に運行しているのもまた稀有な存在である。幸い15時21分発の五所川原行きストーブ列車の乗客は、私のほかには下りストーブ列車で来てすぐ折り返す中年夫婦だけだったので、車内に2つあるストーブを分け合った格好でストーブを独占できた。20年前はストーブ列車料金を取らなかったので、地元客もストーブ列車に座っていて割と混んでいた。その時にはおいそれとストーブを囲んだ席には座れない雰囲気だった覚えがある。まぁとにかく観光列車化したおかげで、12月の平日はこうして乗りやすくなったんだと思う。 たった1両のストーブ列車に、男性の車掌さん、女性のアテンダントさん、そして女性の車内販売担当さんが3人乗務していて、発車前からストーブに石炭をくべたり、スルメを売りに来たりで、目の前をいったりきたり。車販さんは夫婦連れの方に行ってしまい世間話をしていたので、ヒマを持て余したアテンダントさんが私の担当になった。津軽の人は無口な印象があるが、この方はマシンガンのように話し続け、私が口を出せないほどだった。おかげでこの旧型客車も今年リニューアルされて、シートを張り替え、窓から隙間風が入ることも少なくなったという情報を得ることができた。おしゃべりは金木駅到着まで続き、そこで新たな乗客を迎え入れるとようやく解放された。アテンダントさんは隣席のシルバー夫婦とおしゃべりをし始め、それは終点まで続いた。そのおしゃべりをBGMに車窓を眺めていると、雪が激しくなっており、強風と相まって地吹雪のようになっていた。もっとも本格的な地吹雪はこんなもんじゃないだろうと思うが。 |
新幹線開通と同時に開設された路線バス |
奥津軽いまべつ駅舎を背景に筆者 |
津軽中里行きバスはアイスバーンの道を往く |
雪雲の合間に青空が顔をのぞかせる |
|
20年前とは様子がだいぶ変わった津軽中里駅 |
ディーゼルカーを先頭にストーブ列車が入線 |
|
五所川原方にDCを連結 スルメを購入しストーブで炙る 45分ほどの短い旅を終えて、20年ぶり2度目のストーブ列車は終点五所川原に到着した。車齢からして、おそらくこれで乗ることはないなと思いつつ、惜別の思いで跨線橋よりシャッターを切った。旅は五能線へと移っていく。当初の計画では五所川原と青森を結ぶ高速バスに乗車しようと計画していたが、新青森で余裕のある接続時間が取れず、結果リスクを背負いきれないので断念。五能線と奥羽北線の普通列車を乗り継いでいくことになった。高校生の帰宅時間にあたっているので、かなり混むかと恐れていたが、キハ40の2両編成はボックスあたり1〜2名の乗車でおさまった。これならゆっくり20年前の思い出をたどれる。BGMはその時に聞いた思い出のアルバム、キャロル・キングの「つづれおり」。タイトルチューンの「つづれおり」の冒頭で、彼女は「私の人生は、つねに変わりゆくつづれ織り」みたいな感じで歌っているが、この20年間を思い起こしてみると、私の人生も20年で変わらないようで変わっているんだと感じた。もっとも私の方は「つづれおり」ではなくて「つづらおり」の人生だったような気がするが。
|
入れ換えのためいったん引き上げ線に入線 |
1両だけぽつんとホームに残されたストーブ列車 |
ディーゼルカーは機回し線を通って客車の前に |
旧型客車を運行していること自体が貴重 |
|
がらがらの車内でストーブにあたる筆者 |
暖房スチームが効かないためのストーブか |
|
画像では伝わらないがかなりの地吹雪 |
五所川原駅に到着し短い旅は終わった |
|
川部駅に入線する悪名高き「走るンです」 |
H5系は初乗車。シンボルマークがかっこいい |
|
仙台までの乗車でも、盛岡以北と盛岡以南の走りっぷりの違いを見せつけられた。仙台には19時29分到着。このままこの列車を乗り続けていくと、東京には21時04分着。21時30分発のラス前ひかりに間に合い、浜松には22時48分着。ということは自宅に今日中に着いてしまう。「ストーブ列車も日帰り乗車できるのか!」という事実に愕然とした。 わざわざ仙台に泊まったのは、ANAホリデイ・イン仙台にアワードで泊まれることと、高速バスの仙台・新宿号に乗りたかったからである。それに今年いっぱいまでIHGリワーズ・クラブのゴールド資格なので、アワード宿泊でも結構いい部屋にアップグレードしてくれるんじゃないかという期待もあった。その結果、最上階の角部屋があてがわれたが、目の前のマンションが邪魔で眺望という点ではイマイチだった。 翌朝は9時すぎにチェックアウト。仙台駅東口を9時30分に発車するJRバス東北の仙台・新宿4号に乗車した。車内は独立3列シートで、早割インターネット割引料金は2,910円。ただし仙台〜新宿間は6時間弱かかる。まぁ急ぐ旅ではないので、これで十分。途中3回も休憩があるので、そのたびごとにタバコも吸えるしね。この日は定員の半分ほどの乗車だったので、最前列真ん中の席に移って、前面展望をゆったり楽しんだ。ただ昼間から水割りを飲み過ぎて、王子駅で降りる時には胸やけがキツかった。 京浜東北線、新幹線と乗り継ぐたびに日常へと近づいていく。開設20周年記念と銘打った割にはストーブ列車に乗るだけという、なんだか中身の薄い旅となってしまったが、旅は続いていく。次回は年末の押し迫ったところで、昼間っから次の行程を考えることなく思いっきり列車の中で飲める旅を予定している。ここらへんが一番贅沢な旅じゃなかろうかと、このごろ感じている。 |
仙台からは3列シートでゆっくりと帰郷する |
|
<終> |