SUPER TWILIGHT SECTION

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バスに乗り遅れ途方に暮れる筆者

「あぁ〜、列車の旅がしたい!!」
今年になってから、旅に「鉄分」が無くなっている。1月のバンコクでは、現地の鉄道に少し乗ったが、2月のオホーツクは廃線跡をバスでたどるような旅だったので、結局現地では列車に乗らなかった。3月の宮古島・那覇では、鉄道旅行は望むべくも無く、4月の香港は競馬観戦ツアーだった。それまで鉄道の旅を志向してきた私が、航空会社のマイレージを貯め始めた途端に、この変わりようである。

一方、3月に九州新幹線が開通して、南九州の鉄道事情が劇的に変化した。JRグループの路線は全線完乗(中央線・石和温泉〜酒折間を除く)している自分としては、一刻も早く現地に飛んでタイトル防衛を果たしたい。そんな思いから、2004年6月5日、日帰り車中泊の鹿児島への旅を敢行することにした。

鉄道メインの旅とはいっても、時間的な制約とANAのマイレージの関係で、往路は飛行機に乗る。株主優待券の割引を絡めてスーパーシートに乗ることにしたので、せっかくなら軽食が出る時間帯の便にしようと思い、羽田発11時30分のANA623便で旅立った。少し早めに羽田に到着し、「Signet」で生ビールを2杯ほど飲んでいたため、既に「いい気分」になっていた。よせばいいのに機内でも、軽食の松花堂弁当をつまみにワインのミニボトルを2本飲んだので、鹿児島空港に着陸するころには、一人旅に必要な「正確な判断力」が鈍っていた。スーパーシートの性質上、真っ先に降機することができ、到着ゲートを通過するまで先頭を歩いていたが、空港の建物から外に出た途端にタバコを吸いたくなった。乗るべき空港連絡バス(国分駅行き)は既に停まっていたが、「もうすぐ発車時刻だけど、どうせ東京便の乗客を待つだろうから、一服する時間はあるだろう」と勝手に判断したことがマズかった。時刻が来るとバスは悠然と出発していった。

考えてみれば、鹿児島空港は離島便のハブ空港でもあり、どこぞの地方空港のように、東京便に合わせて連絡バスが出発するというような悠長さは持ち合わせていない。だから発車時刻になれば、バスはきっちり出発していく。それに気づかなかったのは、やはり調子こいて飲みすぎたためだろう。私は仕方なく22分後に発車する13時45分発の国分駅行きバスを待った。

時間通りにバスに乗れていれば、国分から鹿児島中央の間で1時間ほど捻出できるはずだった。その時間を利用して、途中の帖佐駅の近くにある「ウェルサンピア鹿児島あいら」で温泉に浸かろうと目論んでいたが、後の祭りである。次の列車が出るまでの30分間だけ、国分駅の周辺を散策することにした。何もなかったけど…


仕方なく国分駅を出て散策に出掛ける筆者


鹿児島中央駅まで鈍行に乗車


新幹線は新八代までだが博多行きとして案内


お目当ての800系九州新幹線が登場!!

国分駅を14時37分に出る717系鈍行列車に乗ると、ここからは「列車に乗っている」か「列車を待っている」か、要素が2つしかない深みのない旅をすることになってしまった。錦江湾に浮かぶ桜島を見たことで、かろうじて鹿児島に来ているという実感はあったけどね…。

鹿児島中央駅では26分の待ち合わせで九州新幹線に乗り継いだ。温泉がダメだったので、せめて「さつま揚げ」をツマミに一杯と思っていたが、改札内のキオスクには売っていなかった。「もう飲んだらダメ」という警告と受け取り、仕方なく15時45分発つばめ16号の自由席に納まった。



西陣織のシート。掛け心地も抜群


木製のシートが並ぶ温かみのある車内


洗面所には地元八代産のいぐさの暖簾が…


出水を通過した後に一瞬だけ海が見える


わずか39分で新八代に到着。速い!!


つばめ16号の車内にて筆者


新幹線から在来線へは同じホームで乗り換え

九州新幹線「つばめ」はグリーン車なしのモノクラス6両編成である。2人×2人のシートが並ぶ車内は、700系新幹線をベースに製造されただけあって、JR西日本の「ひかりレールスター」に似ている。ただし、車内のアコモデーションは木製のシートに西陣織のシート地と純和風である。また、洗面所の暖簾は地元八代産のいぐさが使われている。走り出すと、トンネルに次ぐトンネルで、車窓はあまり期待できない。なんでも区間の6割がトンネルということで、東北新幹線の盛岡以北といい、ここといい「地下鉄新幹線」という感じである。

途中、川内に停車したが、自由席の空席は埋まらず乗車率20%程度。さすがに開通当初の騒ぎは消え、鹿児島線の末端部分に開通した新幹線らしい寂しい車内風景である。出水を通過して、進行方向左側の車窓に一瞬だけ不知火海が広がった。かつての在来線は特急でもスピードが遅かったけど、延々と海沿いの景色のいいところを走っていた。新幹線が開通した今となっては、一般の旅行者はスピードと引き換えに景色をあきらめなければならない。新幹線が開通して良かったのかどうか、ちょっと考えさせられてしまった。

鹿児島中央を出てわずか39分、つばめ16号は新八代に到着した。新幹線が着いたホームの反対側には787系の「リレーつばめ16号」が待機しており、同じホームで乗り継ぐことができる。わずか3分の待ち合わせの後、リレーつばめ16号は博多に向け築堤を下っていった。


新八代を出た「リレーつばめ」号は→


専用線の築堤を駆け下りて在来線に合流する


新八代の在来線ホームから乗車


まだ日の高い熊本駅に寝台特急が入線


九州内は「はやぶさ」のヘッドマークなし

新八代駅ホームで、ひとしきり新幹線を撮影した後、熊本行きの鈍行列車に乗るため在来線ホームに向かう。新幹線ホームと在来線ホームは斜めに交わっており、新大阪や三河安城のような趣きである。在来線に乗り継ぐには、新幹線の改札口をいったん出て、別の建物にある在来線の改札口を入らねばならない。乗り継ぎには意外と時間がかかるので注意が必要である。

815系の熊本行き鈍行列車に乗り北上すると、次第に雲の間から青空が見えてきた。ロングシートだが、展望車なみに窓が大きいので、空いていれば気分のいい電車である。30分ちょっとで熊本に到着した。いよいよ寝台特急「はやぶさ」に乗り「SUPER TWILIGHT SECTION」に突入する。


昭和50年代には「豪華」といわれた個室寝台


日付が変わって6月6日朝8時過ぎ浜松到着

晴れた6月の17時台は、九州だとまだ日が高く、昼間の続きのような感じある。さて、指定された「はやぶさ」のA寝台の個室を開けたら、ちょっと失望した。「出雲」や「あけぼの」で体験した個室寝台より狭く、TVやビデオはもとよりオーディオサービスも付いていなかった。昭和50年代初頭に「走るホテル」とか「豪華個室」とかもてはやされたオロネ25も、現代の水準では陳腐なものになっていた。

それでも気を取り直して飲み直す。昼間の酒が残っている感じもしたが、九州の遅い日暮れを見ながらバーボンの水割りをあおった。鳥栖で「さくら」連結のため38分停車しても、まだ外は明るいままである。車窓から薄明かりが消えたのは博多を過ぎた20時ころだったろうか。とにかく長い長い「スーパー・トワイライト・セクション」を堪能できた。

さすがに今日は調子こいて飲みすぎた。21時前には眠くなり、関門海峡を越えて本州に入る頃には夢の中だった。外が明るいなと思って目覚めたのは大阪の手前だった。時刻は朝4時20分。今度は、朝のトワイライト・セクションが楽しめる…。
<おしまい>

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