Spring Tour '97

佐世保〜沖縄 FENエアチェックの旅



東名浜松北バス停にて
3月7日(金)、フレックスタイムを使って16時に勤務を終了し、そのまま浜松駅 経由自動車学校前駅に直行。徒歩5分で「東名浜松北」バス停に到着した。ここ からが旅の始まりである。今回の旅では、ひとつの「コンセプト」があった。そ れは、「浜松」から出て「浜松」に戻ってくるまで「一度も鉄道を使わないっ! !」ということ。「鉄道少年」だった自分にとっては、けっこう難しい命題なの であるが「計画上」は可能であったので、「ま、いっちょやってみっか!!」て な感じである。
大学時代に何度となく利用した「東名浜松北」バス停を17:22(10分延発)に 出発した「急行 名古屋行き」は、見慣れた景色を駆け抜けて、浜名湖SAに休 憩のため立ち寄った。

「自動車学校前駅」と連絡

「浜松北」バス停発名古屋行きは、ほぼ1時間に2本の割合

暮れなずむ浜名湖を渡る

浜名湖SAにて必ず休憩する;名物「うなぎピザバーガー」

「西海路」号;名鉄BCにて

真夜中の山陽道「宮島SA」/朝の休憩は長崎道「金立SA」
.

松浦鉄道の「たびら平戸口」 駅が、日本の鉄道の再西端で あるが、JRでは 「佐世保」 駅が最西端である。
金曜日の夕方恒例の豊田IC付近の渋滞をくぐり抜け、一転スムーズな流れの 「東山動物園」付近を走り抜け、名古屋駅に着いたのは30分延着の19:52だった 。
「テルミナ」の和食処で「ちらし寿司」をサカナにビールを飲んだ後、いよい よ佐世保駅・ハウステンボス行きの夜行バス「西海路」号に乗り込んだ。満席の 上に続行便が出る盛況で、私の席は「2号車」の3列め。ちなみに1号車は「西海 路」号のオリジナル塗装、そして2号車(なぜか正番で動く)は、名鉄バスの一 般塗装であった。
20:30定刻に名鉄バスセンターを出発し、一宮インターから名神、中国道、播 但連絡道を経由して山陽姫路東ICからは山陽道である。このころには車内は消 灯しており、「眠くないのに眠らなければならない」という状況に陥っていた。 一応「3列セパレートシート」のリクライニングをフルに倒しているものの眠る 気になれず(山陽道は昨秋に自分のクルマで駆け抜けた道だから、夜の風景を観 てみたかったのさ!!)、暗くてヘッドホンステレオのカセットも替えることもで きなかった。で、結局その時聴いていた「K-MIXライト・アップ・ミックス3/6OA 分」のカセットを「睡眠学習」も含めて3回通り計6時間聴いてしまった。斎 藤和義さんと江坂さんの「掛け合い漫才」のようなトークに「笑ってはいけない 状況」にも関わらず、思わず息を潜めて笑ってしまったため、満席の乗客から一 瞬白い目で見られたような気がした・・・
バスの方は未明に九州道に入り、朝焼けのなか鳥栖JCTから長崎道へ入った。 「金立SA」でようやくバスを降りて一服することができ、武雄、有田で乗客を 降ろして8:30(20分延着)佐世保駅前バスターミナルに到着した。
.

JR佐世保駅

佐世保バスターミナルと西肥バス「松浦町国際通り」バス停
.
うとうとしただけながらも朝は爽快で、駅前の喫茶店に入ってFENをエアチ ェック(1575KHz)しながら「今日の計画」を練る。FENからは、シカゴの「素 直になれなくて」なんかが流れていて「バイクで津軽海峡を渡った時もこんなシ チュエーションがあったなぁ」などと昔のことを思い出していた。とりあえず立 てた「今日の行動計画」は、まず「佐世保公園」に行き(左の写真参照・・・「 アルバカーキ橋」)国際通りを歩き、どこかでバスかタクシーを拾い「弓張岳展 望台」でランチタイム。午後はいったん駅前付近に戻って徒歩で「させぼシーサ イドパーク」に行き佐世保バスターミナルに戻るという、なかなかの「健脚コー ス」であった。
なにせ本格的には初めて歩く街であるので「行きつ戻りつ」しながら、やっと のことで「佐世保公園」の「アルバカーキ橋」に到着した。天気は快晴!!よう やく「遠くへ来た!!」ってな感じが湧いてきた。最近では「不感症」になって しまったのか、「どこの街へ行ってもみな同じ」的感覚があったのだが、FEN から流れてくる「スペイン音楽」がそういう雰囲気にさせるのかなぁってな感じ がしていた。

佐世保市内を遠望する

海上自衛隊とUSNavyが同居する街/九十九島を望む
,

地球が丸く見えた丘

日差しが眩しい「国際通り」を歩き、国道35号線沿いの市役所に程近い、とあ る「タクシー営業所」からタクシーで「弓張岳展望台」に向かった。運転手さん は昭和ヒトケタ世代で、「太平洋戦争中は、ここへは登ってこれなかったんだよ ぉ」なんて話しをしていた。「高射砲もあったし軍事機密上、こういう小高い丘 の上には登れなかったんだよねぇ」なんてことを、土地の言葉で話してもらって 参考になった。つくづく「平和な世の中で、当時は聴けなかった<敵国>の音楽が聴 けるようになってヨカッタ!!」なんてことをマジになって考えていた・・・そ んなこんなで、異国情緒が漂うこの街も「かとが好きな街ベストテン」にランク インしたようだ・・・(1位は依然として尾道、2位は岩国、3位松江)

防空壕が残っていた・・・

させぼシーサイドパーク入口/公園の目玉「鯨の像」
.

福岡ゆき「させぼ」号
弓張展望台ではコンビニで買ったお弁当を広げてちょっとしたピクニック気分 。FENからは「カウントダウントップ40」が流れていた。「カーディガンズい いね!!」なんてことをつぶやきながら、その辺を散歩していたら「高射砲台跡 」の隣に「防空壕」を見つけた。昭和50年ころ、私は小学生だったが、現在の家 のすぐ南に「防空壕」が残っていて友達と中に入って遊んだものだった。そんな 遠い日を思い出す「防空壕」だった。
弓張展望台バス停13:17発の市営バスに乗車し佐世保駅手前の戸尾町で降車。 またまた徒歩で「させぼシーサイドパーク」に向かった。ここは五島列島方面と 佐世保を結ぶ連絡船の発着場でもある。呉と「江田島」、明石と「淡路島」の関 係を思い浮かべ、またいつの日か五島にも渡ってみたいと思った・・・公園の方 は「休日の近所の家族連れ」がゆったりと過ごすってな所で「のんびりとした雰 囲気」が漂っていた。浜松でいうと佐鳴湖公園てな感じだった。
佐世保バスターミナルに着いたのは14:15頃。朝、ここに着いた時に「14:30 発福岡行き」の「させぼ」号を予約しといたから良かったものの、既に「満席」 の表示が出ていた。正直「ラッキー」と思った。

西鉄天神バスターミナル
バスは、1+2列の「グリーン車」なみのシートでゆったりとしており「トイレ 」とセルフサービスの「コーヒー・お茶」のサービス付き。博多の「天神バスタ ーミナル」まで100分、2200円で「これじゃJRの特急電車は苦戦するわな」と 感じた。西九州自動車道から長崎自動車道を経由して鳥栖から九州自動車道に入 ったようだが、午後の陽気に誘われて居眠りをぶっこいたために全然記憶にない 。目覚めたら太宰府ICを降りて国道3号線を走っていた。多少の渋滞はあった ものの「福岡高速」に入って博多湾を眺めることができ、これは鉄道ではなかな か味わえない景色であった。
結局、天神バスターミナルには10分延着の16:20に到着し「あっという間の瞬 間移動」であった。天神バスターミナルは「日本一のバス会社」西鉄の「おひざ もと」だけあって、とにかく道路を走っているのは「バス」と「タクシー」だけ じゃないの?と錯覚を起こしそうになるほどの「緑ナンバー天国」であった。バ ス停ごとに「係員」を配置して気軽に乗り場などを問い合わせできるところや「 詳しい乗り場案内(左下の写真参照)」を設置しているため私のような初めてこ こを利用する人間にとってはありがたい。「さすが西鉄」と思った。うちの会社 も見習わなくっちゃ!!

乗り場案内も充実してた

ホークスカラーの塗装バス/このバスで博多港に移動した

琉球海運わかなつおきなわ

博多港ターミナル(左:琉球海運/右:JR九州「釜山ゆき」)

わかなつおきなわ船内

博多湾に日が沈んでゆく・・・2等船室は「A寝台」なみ

「東シナ海」洋上の夜明け

この後、この太陽は「日食」のため半分欠ける。
,

NHK-BSでのモンゴル中継
博多港ターミナルは、那覇へ向かうフェリーの他「JR九州」の「ビートルU 世」、「かめりあライン」といった韓国釜山へ向かう国際航路の発着港のため税 関などがあったりして普段よく利用する長距離フェリーターミナルというよりは 「国際空港」という感じであった。3階では「結婚式の二次会」なんてのもやっ ており、ちょうどトイレで「タキシード姿」の新郎にばったり会ってしまった。 「お幸せに!!」
博多港を18:30に出港した琉球海運「わかなつおきなわ」丸は、沖縄を自転車 で回ろうという春休みの大学生で満員であった。船は博多湾をゆったりと進み、 ちょうど夕暮れ時の能古島の島影を見ながら、なんか幸せな気分になってしまっ た。

皆既日食中継を流すテレビ
夕方から夜にかけて「例によって」船酔い防止(?)の「迎え酒」をやっていた ため、船が五島列島沖を通過した22時ころには早々に睡魔が襲ってきて「2段ベ ッド」に潜り込んだ・・・目覚めたら「夜明け前」。ロビーにヘッドホンステレ オやらデジタルカメラを持ち込んで「日の出」を待った。今日は3/9日曜日。 久々に「日食」が見られる日である。インターネットでも、LIVE!ECLIPSE 97 (クリックするとジャンプするよっ)で「皆既日食」の模様が見られるはず である。とりあえず欠ける前の太陽を押さえようと思い、デジカメを持つ手に力 が入った(上の写真参照)。続いてNHKのBSの中継を観た。モンゴルの地上では 思うように見られなかった皆既日食も、ヘリコプターで雲の上で撮った画像は鮮 明に皆既日食を捉えていた。ちなみに奄美大島の北を航行中の「わかなつおきな わ」からは9:30ころに半分欠ける「部分日食」がばっちり見ることができた。た だ、デジカメでは望遠レンズがないためダメだったけどね。

「午後の水平線」

南の海は白い波が映える・・・日食の日の太陽が沈んでゆく

那覇空港の隣を航行中
日食騒動の後、食堂で定番の「カレー」の昼食をとった。で、午後はいつもの 日曜日同様「FM通り」を歩くことにした。既に船は奄美大島と沖縄本島の間の 西海上を航行しており、かろうじて12時からの「ヒッツ・イン・モーション」が 受信できた。FM沖縄の周波数「87.3MHz(那覇)」と「83.7MHz(今帰仁)」と の間で取れやすい方をスイッチするという「こんな苦労して聴いてどうすんだ!! 」っていう聴き方だった。で、「パブロフの犬」のように「水割り」を飲みは じめて、あっという間に「飲んだくれオヤジモード」に入っていった。そんな中 、「サンデー・ソング・ブック」で御大「大滝詠一」氏の「カナリア諸島にて」 が掛かりムードは一変。

沖縄不二ホテル室内(SGL)
「未だ見ぬ島」に思いを馳せながら、初夏のような太陽の下で「午後の水平線 」を見ながら「カナリア諸島にて」を口ずさむ・・・なんていう「この上ない幸 福感」を手に入れてしまったのであった。その後は絶好調!!特に「トーキング FM」の「イソップ!!」(ホントはスクール・ウォーズのテーマは「ヒーロー 」なんだけどね)の話題に笑いころげ、「サウンド・アドベンチャー」の「クリ ストファー・クロス」ネタにも「それって俺じゃねぇか!!」なんてツッコミを 入れていたりしていた・・・ハタからみるとかなりアブナイ人に見えたかもしん ない・・・?
夕暮れの時刻が迫り(沖縄は18:30日没)夕食後、再度デッキに上がり、よう やくステレオ受信できるようになったFEN沖縄(89.1MHz)を聴きながら夕暮れ の海を眺めていた。昔JFN系列で「USAラブ・ミラージュ」なんて番組があり 「ハーブ・アルパート」の「ルート101」のテーマ曲が好きだった。土曜日の 授業をサボッて(当時高校生)よく聴いていたものだけど、なぜか「極東放送(=FEN )」がネットされていたんだよねぇ。地方によっては中波(AM)局もネット していたような覚えもある・・・

宿の前はサンシャイン通り

那覇バスターミナル・・・偶然、私の車と同じ型が走っていた
,

花咲く国道331号(摩文仁)
リクエストした訳でもないのにFENでは「ヒア・カムズ・ザ・サン」(ビート ルズ)やら「いとしのレイラ」(デレク&ドミノス)等々の「自分の思い出の曲 」が掛かりまくり「乗りに乗ってきた」ところで那覇の夜景が見えてきた。実は 私、「沖縄」は日本全国47都道府県中、最後まで残った「訪れたことのない県 」で(理由は鉄道がないから・・・?)30歳にしてようやく「初上陸」なのであ る。「せっかくだから初上陸は海から攻めてみよう!!」と大学時代から思って いて、「10年来の夢が今ここに叶う!!」と酔っ払いながらもかろうじて思い出 した。「沖縄返還25周年の春だった」なんて、なんか「知ってるつもり」みたい だね・・・とまた「ひとりボケ・ツッコミ」が入ってしまった。
船は那覇港に入り「那覇空港」のジャンボを横目に、しずしずと那覇フェリー ターミナルに着岸した。「琉球海運」の「ターミナル内送迎バス」の運転手さん のご好意で(この方、まだ「雪」を見たことがないそうだ!!)今晩の宿泊先であ る「沖縄不二ホテル」までそのままバスで送ってもらい、19:50ころ無事チェッ クインした。その夜、FENでは「ジミヘン」特集をしていた・・・ずいぶん古い ねぇ・・・

ようやく平和祈念公園へ

寄りたかった「静岡の塔」(We're All AloneがBGMだった)
,

富士山になぜか涙が・・・
翌日3/10は「お土産(オリオンビールも含む)」を満載した大型デイパックを 背負っての旅となった。というのも昨晩「めんどくさいからここで買っちゃえ! !」とホテルの売店で「リクエスト」のあった全てのお土産を買い揃えたからで ある。なおかつ「行き当たりばったり」のバスの乗り継ぎをしなければいけない 行程上(下調べまったくなし!!)、その荷物を担いで行かなければならない。ず いぶん「スパルタンな旅」にしちゃったなぁって思っても「後の祭り」である。
とりあえず南部の「摩文仁の丘」方面から回って、時間があったらコザに行こ うと思い「糸満」行きのバスに乗り込んだ。約1時間ほどで糸満バスターミナル に到着したのだが、そこから先の「ひめゆりの塔」方面に向かうバスが15時過ぎ までない!!バス停の路線図を穴があくほど眺め、結局バスを3本乗り継げば「摩 文仁の丘」の北東の具志頭村まで行けることが解った。それぞれのバスの時刻は 解らないものの「経験に基づくカン」を働かせて「よっしゃ、行ってしまえ!! 」と、バスに乗り込んだ・・・結局、具志頭村役場に着いたのは那覇を出て3 時 間後の12時前。天気も良く、気温も26度と初夏のような陽気で「沖縄らしくて」 いいのだが(ビーチで泳いでいる人もいた)、基本的に「早春のいでたち」の自 分にとっては、重いデイパックを背負っての国道331号のハイキングは「気が遠 くなりそうな道のり」であった。タイムリミットも迫っているし・・・

「岡山の塔」の向こう側
平和祈念公園に着いたのは歩きはじめて75分後の13時過ぎであった。既に汗を 出し尽くし「顔がしょっぱくなっている」のを感じていた。昼食をとる気力もな かったが「これが沖縄最後の食事である!!」ということを思い出し、前々から 食べたかった「ソーキそば」を食べた。でも、印象は「水がわりに飲んだオリオ ンビール」しか残っていない・・・平和祈念公園では、どうしても訪ねたかった 「静岡の塔」に立ち寄ってきた。BGMは「We're All Alone(Unplugged)」(Boz Scaggs) だった。塔の前で手を合わせ、目を開けると「富士山」が・・・なぜか涙がこ ぼれてきた・・・岡山の塔の向こう側には蒼い海が広がっていた。心が洗われる 思いであった。「もう時間がない!!」と解っていながら、立ち去りがたい場所 であった。

ANA306便は15:45発

那覇空港にてB767(ANA306)/東岡崎ゆき空港連絡バス


結局、平和祈念公園からの帰りは途中までタクシーを使うハメになった。「こ んなことなら最初っからタクシーを使っとけぇ」と思ったが、貴重な体験をした ってことで自分を納得させた。15:45発のANA306便の出航15分前に那覇空港に滑 り込み、あの重かった「デイパック」も機内持ち込みができた。(ただし頭上の 荷物入れには入らなかったけどね)
快晴であった那覇から雨の名古屋空港に降り立ったのだが、けっこう乱気流が あって「目隠しをしてジェットコースターに乗っている」ようで、なんか不思議 な感覚だった。絶叫コースターってのは「これからどうなるか」ってのがある程 度予想がつくので、私は平気なのだが(どさくさに紛れてオネェチャンの肩に手 を回しちゃったりするのだが)、真っ暗闇の中を走る「フジヤマ」なり「ピレネ ー」なんつうのはちと「おっかない」かもしれない・・・
名古屋空港17:45発の豊橋行き「空港連絡バス」にはタッチの差で間に合わず 、次善の策として、18:30発の東岡崎行きバスに乗ることにした。このバスなら 途中の東名豊田バス停で、30分後に来る「浜松駅行き最終東名バス」に乗り継げ るはずだった。が、しかしいわゆる「雨降り渋滞」に引っ掛かり結局45分の遅延。終点の東 岡崎駅からついに「名鉄電車」を使ってしまい、今回の旅の大命題「鉄道を使わ ずに浜松に戻る」も実行出来なくなってしまった。「やっぱ天候には勝てんやね ぇー」・・・豊橋で鈍行に乗り換え、浜松駅に降り立ったのは21:53であった。 「あーあ、明日は朝から仕事かぁ」・・・・・おしまい!!


旅と音楽のこころ に戻る