Late Summer Cruise


難波から舞鶴港まで直通の京都交通

私がかつてファンであったおニャン子クラブの永田ルリ子さんが、「夏休みは終わらない」という曲でソロをとっていた部分に次の一節がある。「古いラジオでは次の台風、北上すると伝えてた」。今年は台風が少ないと思っていたのに、8月後半になって次々と台風が北上していく。台風が日本に影響を及ぼすと多くの交通機関がマヒするが、最も影響を受けるのがフェリーである。太平洋沿岸を航行する商船三井や太平洋フェリーは、8月20日前後は欠航が続き目を覆う状態だった。そして今回の旅で早々と予約していた新日本海フェリーも、次の台風の進路が日本海に向かうとあって欠航が心配になってきた。もしものことがあってはいけないと思い、ANAのマイルでフェリー利用の翌日である8月24日の中部〜函館の飛行機を押さえた。結局、台風は8月22日に東北地方を縦断し、フェリーの乗船日にはオホーツク海に抜け、事なきを得た。困ったのは航空券の方で、結局12月に予定していた道南駒ケ岳の旅を、来月にずらすハメになってしまった。

そして旅行当日の夕刻、会社を定刻ぴったりの17時に出て、綱渡りの乗り継ぎ。これも台風が来ていれば滅茶苦茶になっていただろうが、浜北で予定の一本前の電車を捕まえたのを皮切りに、新幹線、御堂筋線、そして難波OCATからの京都交通高速バスにもすんなりと間に合い、22時50分に無事に舞鶴フェリーターミナルに到着した。京都交通のバスは高速バスとしては短距離であるが、3列独立シートと豪華仕様。例によって水割りを飲みながら、優雅に2時間あまりを車内で過ごすことができた。

新日本海フェリーは2012年秋以来5年ぶり。前回はデラックスAのシングルユースで洋室だったので、今回は和室をチョイス。どうも一人で和室に泊まると、下宿時代の4畳半一間の生活を思い出してしまうが、窓の外は大海原というフェリーの旅なので、ちょっと違う印象を受けるかもしれず期待している。出航時刻は日付が変わった8月24日の午前0時半だが、乗用車の積み込みに時間がかかっているようで、出航を待たずに眠ってしまった。

翌朝目覚めると、能登半島沖を順調に航行中。当然のように台風の影響など微塵もなく、穏やかな海上を滑るように走っていく。今回は珍しくフェリーに乗るのに食料を買い込まなかったので、朝食を食べにレストランへ出向く。アメリカンブレックファストのお皿に、ご飯と味噌汁を付けて840円とちょっと高め。まぁ何でも値段が倍になるどこかのフェリー会社と比べれば妥当な値段設定だと思うが。

朝食が済んでしまうと途端にやることがなくなってしまった。普段は暇つぶしにネットを見ていたりするが、ここは海の上でwifiも飛んでいない。しかたなくテレビを見るが、地デジの電波は届かず見られるのはBSだけ。それにしても午前中のBSはテレビショッピングばっかり。これじゃNHKを見る人ばかりだろうなと感じた。

テレビにもさんざん飽きたころ、洋上での僚船とのすれ違いがある。山形県の庄内地方はるか沖で、小樽を昨晩出航したフェリーあかしあとの離合風景。両船とも30ノット(55.56Km/h)以上で航行しているので、ゆっくりと見えるようで注意していないと見逃してしまうのである。幸い進行方向右手、部屋の窓側ですれ違ったので、一部始終をベランダでカメラに収めることができた。

二度寝、三度寝を繰り返し、ようやくランチの時間となった。フェリーの予約と同時にランチとディナーも一緒に予約していたので、この時ばかりは部屋を出てグリルに向かわねばならない。それにしても乗船券と一緒に食事の予約なんて、北海道行きの寝台特急を意識しているとしか思えないが、その寝台特急は今春のカシオペアを最後にすべて廃止になってしまった。その需要がこちらに移ってきたわけではないが、会場のテーブルがほとんど埋まる盛況だった。

メニューの方は、まずサーモンとアボガドの山葵和え、とんぶり添え(小鉢)。アボガドに山葵はよく合う。次にズワイかに茶碗蒸し(蒸し物)。冷凍ものだが、こんもり盛られたズワイのほぐし身が豪華だった。そしてメニューには強肴とあったが、豚の角煮揚げ北海道ソース添えが供された。北海道ソースとは道産の牛乳ベースのクリームソースで美味しかった。続いて握り寿司五貫(食事)が出てきて、ネタは白身魚、夏いか、サーモン、蛸、玉子焼きだった。これから寿司で有名な小樽に行くが、そこでは寿司が食べられそうにないのでちょうどよかった。吸物は海老のつみれ汁、最後に甘味として黒葛餅が出てきて、しめて3,500円。メニューのタイトルは「夏の船旅ランチ〜夏・海鮮と大地のデュエット〜」ということだった。


新日本海フェリー舞鶴フェリーターミナル


舞鶴港に停泊中のフェリーはまなす


舞鶴の灯と煌々と輝く月に見送られ出港


デラックスルームA和室をシングルユースで


船内レストランの朝食

満腹感と食事中に飲んだビールのため、部屋に帰ると眠くなり万年床に横たわる。こうして下宿生活の再現は着々と進んでいるのだった。目覚めると進行方向右手に陸地が見えている。どうやら奥尻島のようだ。その1時間後には北海道本土の茂津多岬を通過。あとは積丹半島を回るだけとなり、20時間の船旅も長いようで短く感じる。


デラックスルームはバルコニーが付属


フォワードサロンより進行方向を望む


毎日午前10時15分、庄内はるか沖の日本海で繰り広げられるフェリーはまなすとあかしあの離合風景


時速60`で進む高速フェリーどうしのすれ違いなので、まごまごしていると見損なってしまうので注意


ランチ(左より)サーモンとアボガドの山葵和え、ズワイかに茶碗蒸し、豚の角煮揚げ、握り寿司・海老のつみれ汁、黒糖くず餅

そうこうするうちにディナーの予約時間となり再度グリルへ。ランチと比べるとお客が少なかった。料理を順に追っていくと、まずお造りとして、平目いくら添え、海老、北寄貝 殻盛りあしらいが出てきた。糖尿病患者のくせで、海藻やダイコンなどの刺身のつままで平らげた。続いて強肴として海鮮包み焼きが出てきた。中身は鮭、ホタテ、ジャガイモ、シメジなどで、煮汁が抜群に旨かった。どうにかして汁を飲み干そうと思ったが、周囲の目を気にしてそれができなかったのが残念である。次に肉料理として、牛肉と野菜のレモンジュレ添えが運ばれてきた。こんもりと盛られた菜っ葉で牛肉が見えず、画像は菜っ葉をちょっとどかして撮影している。その後、食事・香の物として白飯、いかの山椒漬け、また椀として栗カニの鉄砲汁がいっぺんに出てきた。ここでも貧乏性を発揮して、カニの身をひとつずつ食べて、時間を浪費した。最後に水菓子としてメロンが出てきて終了。メロンを一切れ食べた後に、あわてて撮影したのはご愛敬である。ディナーのタイトルは「夏船旅会席〜日本海と大地の恵み〜」となっており、しめて4,500円。赤ワインのハーフボトルとともに、美味しくいただいた。


16時過ぎに北海道奥尻島に最接近


茂津多岬を通過しあとは積丹半島を回るだけ


ディナー(左より)赤ワイン(別注)、お造り(平目、海老、北寄貝)、海鮮包み焼き、牛肉と野菜のレモンジュレ添え、栗かにの鉄砲汁・いか山椒漬け、メロン

食事が終わって船尾のデッキに出ると、既に太陽はとっぷりと沈んでおり、水平線に名残のグラデーションを残すのみだった。乗船する前は「部屋のベランダで松岡直也でも聞きながら、リゾート気分を満喫しよう」などと考えていたが、実際には前述のとおり下宿生活の再現をしただけだった。まぁ、これも船旅のひとつのスタイルということで、現実を受け入れることにした。

部屋に戻ると、既に小樽の街灯が見えており、いよいよ船旅も最終盤。フェリーの速度が落ち、船首を岸壁に向け、しずしずと小樽港に入港。多少早着し、20時40分ころ下船。そのまま徒歩で今夜の宿であるグランドパーク小樽へ向かった。チェックイン後、部屋から港の方向を見ると、今の今まで乗っていたフェリーはまなすが停泊しているのが見えた。なんか小樽に連泊し、宿だけ夜になってから移動したように感じた。そのフェリーはまなすは、23時半ころ再び舞鶴に向けて出航していった。働き者のフェリーに感心する。さて、 フェリーであれだけゴロゴロと過ごしたので、真夜中を過ぎても一向に眠くならず、いったん寝付いてもたびたび目が覚めた。結局、日の出前の朝4時過ぎには起きてしまった。


ディナーを終えるととっぷりと暮れていた


5年前に僚船あかしあで記念撮影した場所


小樽の灯が見え下船準備


小樽フェリーターミナル


小樽港到着直後のフェリーはまなす


グランドパーク小樽の部屋よりフェリーはまなす


23時半、舞鶴に向け出港するフェリーはまなす


コーヒーを飲みつつ朝のトワイライトセクション

小樽フェリーターミナルには、今まさに新潟からの新日本海フェリーが着岸しようとしている。時刻は午前4時30分。その後、徐々に夜が明けはじめ、コーヒーを飲みながら赤みが増していく空を眺めていた。まさに朝のトワイライトセクション。ヒルトン小樽の頃からヨットハーバーを眼下に眺められる、このホテルの眺望がお気に入りだったが、水平線から太陽が昇る瞬間は初めて見られた。もちろん撮影もバッチリで「これで年賀状の画像に悩まなくて済む」と、なんと気の早い、どうでもいいことが心に浮かんだ。

さて、小樽駅を11時30分に出発する快速エアポートの指定券を持っているので、小樽でのタイムリミットは11時すぎである。既に予定は決めており、9時01分に小樽築港駅を出る電車で小樽駅まで移動。駅前で路線バスに乗り換え、手宮方面へ向かった。バスに乗車すること10分、小樽市総合博物館に到着した。

1987年9月に小樽を初めて訪れて以来、何度か小樽に来ているが、ここ小樽市総合博物館は初めてである。もともと鉄道系の博物館は少し苦手で、大宮も梅小路も名古屋にも行ったことがないが、結論から言えばここは「来て良かった」と思えるほど満足した。北海道の鉄道が開業した時に、最初に走った蒸気機関車8両のうちの1台である「しづか号」や、重文である旧手宮機関庫は「あぁこんなものか」と思ってしまったが、広大な敷地に点在する車両の数々に心を奪われてしまった。

ディーゼル機関車ではDD13が懐かしかった。1984年に廃止された清水港線で1日1本の混合列車の先頭に立っていたのがDD13。今を去ること40年近く前の中学1年の時に、友人たちと清水港線に乗りに行って以来のご対面である。

ディーゼルカーはどれもこれも懐かしい面々であるが、中でもレールバスのキハ03に心を奪われた。tomixのNゲージの中で、ごく初期にレールバスキハ製02が製品化され、手持ちの1980年のカタログにも載っていた。そのレールバスの北海道仕様がキハ03で、模型とそっくりの顔立ち(当たり前だが)にいたく感動した。

貨車群の中ではワフやヨ太郎などの車掌車に目が行った。他の車両とは異なり車内に立ち入ることはできなかったが、それでも窓から車内の様子をじっくり観察できて有意義だった。

そしてここに来たお目当ては、客車群の中のマニ30である。現金輸送荷物車ということで、現役時代はその存在を秘匿されてきた車両だが、2004年に廃車となり手宮に運ばれてきた。現存する車両は日本でここの1台だけの希少車である。

実は、私の手持ちのNゲージ車両の中にこの車両がある。昭和50年代に東海道線を行き来していた急行荷物列車編成を再現したくて、浜松機関区のEF58を先頭に、車掌室のついたパレット車スニ41や銀1色のパレット郵便車スユ44(当時の荷物列車はほとんどパレット車で、よく貨物列車と間違われた)、10系客車の郵便車オユ10、50系客車のマニ50などとともにマニ30も編成に加えたわけである。それにしても現役時代は幻の車両といわれていたものが、鉄道模型として製品化され、こうして博物館にも展示されるとは時代の流れを感じざるをえない。

閑話休題。小樽市総合博物館と名乗っている以上、鉄道の展示だけではなくて、屋内には科学全般の展示物があったり、屋外にも鉄道以外の展示物があったりする。とはいえ広大な敷地の一角にぽつりと乗用車のガレージがあり、そのうちのひとつだけがシャッターを開けていた。中にはオート三輪やスバル360、初代カローラやサニーが展示されていたが、正直鉄道系の展示車両でお腹一杯だったので「あぁそうですか」という感じしか持てなかった。まぁ本当に古いクルマを見たかったら、近場にトヨタ博物館もあるしね。そんなわけで1時間半ほど敷地を歩き回って手宮口より退場した。手宮口と中央バスの手宮ターミナルとの間は目と鼻の先。頻発する路線バスで小樽駅に戻った。

小樽駅を11時30分発の快速エアポート120号に乗車。新千歳空港までの車窓は、前半は左手に海が広がり、後半は北海道の雄大な大地が見られるので好きな区間である。薄めの水割りをチビチビやりながら、好みの音楽を聞き、リクライニングシートに身をゆだねると幸福感に包まれる。夏の終わりに聞きたくなる曲の定番として、@マイ・エヴァー・チェンジング・ムーズ/スタイル・カウンシル、Aあなたにいて欲しい/スイング・アウト・シスター、B素直になれなくて/シカゴをプレイヤーに収録しており、順々に聞いていく。特に最後の「素直になれなくて」は北海道に初めて渡った時に耳にした曲であり、こうして道内の風景を見ながら聞くと感慨深いものがある。


手持ちのNゲージ・マニ30


朝4時半、新潟より新日本海フェリーが入港


ヨットハーバーを見下ろすホテルの部屋


旧手宮駅にある小樽市総合博物館にて筆者


北海道の鉄道史とともにあるしづか号


重文・旧手宮機関庫とターンテーブル


初期のtomix模型でお馴染みのキハ03


旧清水港線以来30数年ぶりにDD13とご対面


現金輸送車ゆえに存在を隠されてきたマニ30


手宮口の北海道鉄道発祥駅石碑

続いて大瀧詠一さんの名盤「A LONG VACATION」を聞いてみる。「君は天然色」はフィル・スペクターの音の壁を彷彿とさせ素晴らしいが、好みはさくらももこさんが「ミカンの薄切りのうた」と綴った「カナリア諸島にて」と、「雨のウェンズデイ」の2つの曲の歌詞。夏の終わりは、どうしてもセンチメンタルになってしまうが、旅の終わりと相まって「雨のウェンズデイ」を聞きながら涙をこぼしてしまった。わずか1か月後にまた北海道に来るのに、この体たらく。名曲の魔力は恐ろしい。

さて、このアルバムの最後の曲は「さらばシベリア鉄道」。この曲以外は全編に渡って夏のイメージだが、この曲に限っては厳寒期のイメージ。しかし夏の終わりの北海道で聞くと意外にしっくりくることを発見した。小樽を出発したころは快晴だったのに、千歳に近づくにつれて雲が厚くなってきた。そしてこの曲がかかる頃には雨が降り出した。どんよりとした曇り空は、季節感が少ない。また、北海道は降雪のため路肩と歩道が広く、ロシアの街並みに似ている。そんなわけで「さらばシベリア鉄道」で今回の旅を締めくくったわけである。


マニ30の荷物室。妻面にも窓がない


マニ30の警備員添乗室にはA寝台ベッド(右奥)


ほぼ鉄道ばかりの展示の中、昭和の大衆車が


小樽市内に戻るには博物館手宮口が便利

<終>

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