アコモ派、SLやまぐちに乗る


京都→新大阪間も「はるか」自由席で移動

アコモデーション(英:accommodation)という鉄道用語がある。アメリカでは宿泊サービス一切を指す言葉らしい。鉄道の世界では「アコモ」と略され、平たく言うと車内の座席、ベッド、供食設備、トイレ、エアコンなど快適に列車に乗るための設備のことである。私自身は「乗りテツ」を自認しているが、もっと細かくいうと鉄道趣味を始めたころからアコモデーション至上主義で、座席ならロングシート<固定クロスシート<転換(回転)クロスシート<リクライニングシートというヒエラルキーの中で生きている。こういう派閥があるのかどうか分からないが、自分では「乗りテツ・アコモ派」に属していると思っている。そのくせ観光列車には食傷気味で、気軽に乗れて自由にしていられる列車に乗って酒を飲むというのが、旅のこだわりポイントである。

さてそんなアコモ派な私に、今年気になるニュースが飛び込んできた。1979年以来走り続けてきたSLやまぐち号に、初の新造客車が導入されたということである。1979年といえば私が中学1年の時。鉄道趣味への扉を開いた年で、もちろん山口線にSLが走り始めたということも、そのころの自分にはビッグニュースだった。しかし県内に大井川鉄道というSLに関しては老舗の会社があったために、それ以来やまぐち号には乗らずに歳月が流れた。そこに降って湧いたオハ35系導入のニュース。ちょうどJR西日本の株主優待券の使い道を探していたころで、渡りに船で津和野への旅の計画を立てた。

10月の三連休の最終日は体育の日。浜松を7時49分に発車するこだま697号で出発。いつものようにエクスプレス予約の「こだま☆楽旅IC早得」を使いグリーン車で京都へ。みどりの窓口で津和野までの乗車券、特急券を発券し、あらかじめe5489で予約していたSLやまぐち号ほかのきっぷも一緒に発券してもらった。SLやまぐち号はグリーン車の事前予約もしていたけれど、それはハズレてしまったので、普通車の進行方向窓側の席を10時打ちしていたのである。もろもろのチケットの発券を終えて30番ホームへ向かう。当初の予定では10時12分のサンダーバード10号で新大阪まで移動するつもりだったが、悠々と10時発のはるか17号に間に合った。もちろん自由席に乗るので京都始発列車の方が、座席確保の点でありがたい。混雑した新快速を尻目にゆったりと新大阪に移動した。

新大阪より久々に博多行き700系臨時のぞみ号に乗車。職を変えてからほとんど平日に旅行をしているので、多客期のみ運行の博多行きのぞみ号に乗れなくなってしまった。700系は次々とN700系に置き換えられており、東京〜博多間をロングランする700系は絶滅危惧種となっている。6分前に定期列車の博多行きのぞみ15号が発車したばかりなので、乗車したのぞみ157号の喫煙指定席はガラガラの状態。三連休の真っ最中に相応しくない状態だが、思わぬ僥倖にゆったりとした気分で山陽路の旅を楽しんだ。

津和野での街歩きの予定もあるので、あくまでもアルコールは控えめに。新大阪で買った「30品目以上にぎわい弁当」をつまみに、スーパードライの500ml缶を一気に空けた。正午前のアルコールはここまで。普段乗るこだま号ではお目にかかれなくなった車内販売のお姉さんを呼び止め、ホットコーヒーを購入した。近年の合理化の進展で車内販売もめっきりお目にかかれなくなったので、私自身若いころは見向きもしなかった車内販売も、歳を重ねるたびに有難味が増している。高速で過ぎ去っていく車窓を眺めながら、紫煙をくゆらし、コーヒーを味わうという当たり前だった旅の醍醐味。このあと何年続けられるかと思うと、一瞬一瞬がいとおしい。

まだ乗っていたいと思うが、新大阪からわずか1時間57分で新山口に到着。8分の連絡でスーパーおき4号に乗り継がなければならないのでせわしない。3両編成のうち2両が指定席で、真ん中の2号車のそのまた真ん中あたりが私の予約席。窓枠が後ろにある席で、結局津和野で降りるまで隣に客が来なかったので、今朝予約した席にしては上々である。7〜8割方の席が埋まって新山口を出発。のぞみとは打って変わってゆっくりと流れる車窓に退屈し、2時間も前に飲んだビールの酔いがここで回ってきて、しばしのお昼寝タイムとなった。


マリア聖堂のステンドグラス


700系のぞみにあと何回乗れるか…


おなじみキハ187系のスーパーおき号


Songs In The Atticをお供に秋景色を行く


落ち葉が舞う乙女峠マリア聖堂にて筆者


JR西日本がSLやまぐち号のために新造した35系客車(津和野駅にて)。編成は手前より展望車付きグリーン車のオロテ35、普通車のスハ35、ナハ35、オハ35、スハテ35(展望車付き)の5両編成。


覚皇山永明寺の山門


転車台そばで昼休み中のC57-1


スハテ35デッキより後方を望む

眠りから覚めると車窓は里山に転じていた。稲刈りが終わった田んぼに、地元浜松では見られなくなった稲架が点在している。澄み切った青空と百姓家。いかにも日本の秋といった風景が広がる。こんな車窓を見ながら聞きたいアルバムがあったっけ。2枚とも1981年発表のライブアルバムで、1枚はビリー・ジョエルの「ソングズ・イン・ジ・アティック」。もう1枚はジャーニーの「ライブ・エナジー」。どちらも1981年当時に聞いていたNHK-FMのラジオ番組「軽音楽をあなたに」で同じ日に紹介されている。秋のライブ盤特集みたいな企画で、2枚とも全曲がかかったと思うが、すると16時からの2時間番組が、曲をかけただけで終わってしまうような感じになってしまう…。それはさておき、振り返ってみると「ソングズ・イン・ジ・アティック」のリリースが1981年9月なので、企画としてはこのアルバムを特集したいがために、ちょっと前に(リリースは1981年2月)出たジャーニーのライブアルバムをバーター出演させた感じかと思う。いずれにせよ収録されている曲は、どの曲もスタジオ録音されたバージョンよりも格段に勝っており、この2枚のアルバムは私にとって最高のライブアルバムである。それゆえオンエアされたこの時期になると必ず聴いている。

車窓の里山風景に合うのはビリー・ジョエルの「僕の故郷」や「楽しかった日々」等のスローナンバー。「僕の故郷」のピアノによる間奏部分や、「楽しかった日々」のオーボエの音色に似たクラリネットの間奏が聴きどころである。一方のジャーニーの方はスピード感があり、津和野直前の川沿い部分によく似合う。「ホイール・イン・ザ・スカイ」や「お気に召すまま」などの代表曲は、スタジオ盤よりこちらのライブバージョンの方が洗練されており、これを聴いた後にはスタジオ録音の方に戻れない。また中学の時に大好きだった「デキシー・ハイウェイ」は、ライブバージョンしか聴いたことがなく、スタジオ録音の方も怖いもの見たさで聴いてみたかったが、旅から戻ってから調べたところ「ライブ・エナジー」が初収録で、スタジオ版は存在しないみたいだった。リリースから36年も経って初めて知る事柄もあり、人生は日々勉強である。

中学のころの音楽趣味を思い出させるのは、同じころに鉄道趣味の分野で話題だった「SLやまぐち号」に、これから初乗車するからだろうか…。津和野到着後にさっそくC57-1を見に行く。下りのSLやまぐち号は1時間前に津和野に到着しており、今の時間帯は転車台で方向転換の後、給炭・給水中だろう。駅から北へ向かい踏切を渡った左手に転車台があり、そのそばでお目当ての蒸気機関車はお昼休み中だった。転車台に乗る時間だと広場いっぱい人いきれになるだろうが、その時間を過ぎれば熱心な撮りテツさんと、ママテツ+子テツさんがちょっとばかり居残っているくらいで、落ち着いたものである。私も撮りテツさんに交じって数回シャッターを切り、今度は駅の裏側を南に向いて歩く。しばらく行くと乙女峠入口の看板があるので右折。駐車場を過ぎて上り坂にかかる。この上り坂が階段があった方がいいのではと思うほど急坂で、わずかな距離だがマリア聖堂にたどりつくまでに息が切れた。

風が吹くと、落ち葉が雪のように舞う聖堂前の広場でしばしたたずみ、意を決して元の道を引き返す。今度は覚皇山永明寺に向かう。駅の裏の道をさらに南下し、踏切のところで左折。そのまま山の方に向かっていくと永明寺である。乙女峠ほどではないが、わりと急坂である参道を登っていくと立派な山門にたどりついた。その山門をくぐって再度階段を上ると茅葺きの本堂が見えた。拝観料を払い、裏庭に進む。季節外れの暑さで、汗びっしょり。縁側に座って庭を眺めていると、徐々に汗が引いていった。帰りのSLやまぐち号が満席なので、相当な人数が津和野に入れ込んでいるはずだが、その喧噪が嘘のような静かな時間が流れていた。遠くからは機関車の汽笛が聞こえる。きっと転車台に乗っているのだろう…。

永明寺から駅に戻ると、駅頭は黒山の人だかりとなっていた。15時26分にSLやまぐち号の改札が始まるという放送があったので、急いでお土産屋さんから駅に戻り、改札前の行列に並んだ。ホームに乗客が大勢入る前に客車内を撮影しないと、一体なんのために津和野までやって来たのか分からない。改札開始後、跨線橋を駆け上り、お目当ての新造客車の車内を撮りまくった。まずはフラれたグリーン車から。マイテ49のような展望室が付き、そこはグリーン車の乗客のためのフリースペースである。今回は乗車が叶わなかったので、もう一度チャレンジしてもいいかなと思わせるような優雅なしつらえだった。続いてオハ35風の車両が3両。オハ35なら大井川鉄道でお馴染なので、特に感慨は湧かなかった。また、この座席は実際に座ると窓側にひじ掛けがなく、実車よりも劣ってるのがマイナス点。一方で、先代の12系改造客車同様に、大型のテーブルが各ボックスに付いているのは、呑みテツにとっては嬉しい。最後に展望車付き普通車のスハテ35。当時の車両にはオープンデッキのついた普通車は存在せず、JR発足直後に五能線を走っていたノスタルジックビュートレインを思わせる。また車内のクロスシートは背ずりが木製で、窓も1ボックスあたり2枚の小窓仕様で、編成中もっともクラシックな雰囲気がする。とはいえ大井川鉄道でも背ずりが木製の客車は存在するので、本物に乗りたいなら大井川で気軽に体験できそう。以上、アコモ派を自認する私の新造客車一口プレビューは終了。ここからは初体験のSLやまぐち号の旅を堪能したい。

38年前の運転開始から憧れていた列車に乗車し、水割りを飲みながら列車の揺れに身を任せていると、「至福の時」というのはこういう事を言うのだと実感する。トンネルに入れば、LEDの電灯ながら昭和の夜汽車の雰囲気が楽しめる。また沿線のそこかしこで手を振る人がいて、こちらもそれに応じてついつい手を振ってしまうのも楽しい。40年近く山口線を往復しているのに人気は衰える気配がない。偉大な列車である。特急なら1時間で走ってしまう津和野〜新山口間を倍の時間をかけて走り、夕闇せまる新山口に到着。ほとんどの乗客は明日から仕事または学校に行かないといけないのだろうが、そんなことを気にしない大勢の家族連れが、到着後しばらく経っても列車のまわりを離れないでいた。

新山口駅からは三原での宿泊を挟んで、こだま号ばかりを乗り継いでいく。まずは700系レールスターで三原へ。山陽新幹線区間のこだま号は「おとなび会員」だとかなり安くキップが買える。例えば、新山口→三原だと自由席でも7,010円かかるが、おとなびWEB早得なら3,000円である。おかげでこだま号だと自由席より指定席の方が混んでいるということがよくあるが、今日に限っては隣席に客が来なかった。レールスターの指定席はもともと2列+2列とグリーン車並みなので、ゆったりと乗車できた。おかげで三原到着後も、もっと乗っていたい心持ちだった。

三原の宿泊先だったホテルリブマックス三原駅前は、シングルサイズの部屋に二段ベッドを入れて定員2名にした部屋だった。早朝に発つのでそれでもいいかなぁと思っていたが甘かった。ベッドの縦方向のサイズが足りず、思い切り足を伸ばせなかった。おかげでよく眠れず寝不足状態でチェックアウト。三原城跡と一体化した新幹線三原駅より旅を再開。6時17分発三原始発のこだま724号に乗車した。この列車を選んだのは訳があり、エクスプレス予約グリーンプログラム特典を有効に使うためには、この列車でないとダメなのだ。というのもこだま号でグリーン特典を利用すると、東海道区間ではこの項の冒頭に出てきた「楽旅」が差額400円で利用できるため、いかにも損である。楽旅が使えない山陽区間でグリーン特典を使おうにも、山陽こだまにはほとんどグリーン車はついていない。結局、東海道区間とまたがって利用可能な山陽区間のこだま号は、このこだま724号ただ一本である。本音を言えば、いかにも「SLやまぐち号」に乗るためにこの旅を計画したように書いてきたが、本当はグリーン特典を利用するために旅を計画し始めたのだ。というわけで、せっかくのグリーン特典である。こうなると「呑みテツ」をしなければ損だという気分になり、朝もはよからお得意の水割りをグビグビやりながら山陽路を上っていった。


津和野歴代城主の菩提寺。茅葺き屋根の本堂


裏庭を眺めながら縁側でひと休み


帰りのSLやまぐち号の運転に向け鋭意準備中


上から見るとスハテ35の二重屋根が印象的


木製の背ずりがクラシック感を醸すスハテ35


旧型客車の世界感を復元したオハ35の車内


マイテ49の豪華な車内を復元したオロテ35


2+1列のゆったりとした席が並ぶオロテ35車内


スハテ35のオープンデッキは発車前から混雑


終点新山口に到着後、DD51牽引で引き上げ


機回しの折、末期色の115系と並ぶC57


日がとっぷりと暮れた後レールスターで三原へ


二段ベッドで悪戦苦闘。Hリブマックス三原駅前


新幹線駅と一体化した三原城址の石垣


三原駅北口は石垣に掘ったトンネルが入口


三原始発の新大阪行きこだまで旅を締めくくる

<終>

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