酒 折 駅 で J R 線 完 乗
半年ぶりのE6系こまち7号で一路秋田へ

私が中学生だったころ「いい旅チャレンジ20,000キロ」という国鉄のキャンペーンが始まった。そのキャンペーンと前後して、種村直樹さんの「鈍行列車の旅」や、宮脇俊三さんの「時刻表2万キロ」を読み、私の中に国鉄全線制覇を果たしたいという思いが、ふつふつと沸き上がった。しかし、路線を制覇するごとに、せっせと起点と終点で証拠写真を撮っていたのは中学までで、高校生になると他のことに興味が移ってしまった。ふたたび鉄道旅行への思いが強まったのは1987年春のJR発足のころで、青春18きっぷを利用して「Spring Tour」の一回目に行ったのも同時期だった。

社会人になると、時間はないが金銭的に余裕が持てるようになった。青春18きっぷだけではなく、ワイド周遊券も利用するようになり、オフシーズンに数泊して周遊券のエリアを乗りつぶすという荒行をするようになった。この頃になると飛躍的に乗車区間が伸びていき、社会人5年目の1993年には、JR線のほとんどの区間を乗ってしまっていた。

JR線全線完乗を進めていくと、どの駅で全線完乗とするか考えるようになった。宮脇さんは国鉄足尾線の終点間藤駅、そして種村さんは国鉄盛線の起点盛駅と、どうしてもローカル線の起点・終点になってしまうきらいがあった。私としては、一日に何本も列車が来ないローカル線より、自分にとって何らかのゆかりがあって、できれば浜松から近いところにしたかった。というのも20歳台の私にとって、ひとりでひっそりと完乗してしまうのは、あまりにも忍びなかったからである。地元から近ければ、完乗のときには仲間を誘って賑やかにできるんじゃないかと思った。そこで、30年前に実弟が下宿をしていた甲府市内の駅、酒折を最後の駅にしようと決めた。その後、未乗区間だった酒折の東隣の駅である石和温泉から、東京方面に向かって中央東線にも乗車し、いよいよ石和温泉〜酒折間だけ未乗区間が残った形となった。

時は過ぎ、結婚相手あるいは彼女と一緒に酒折に行こうという夢も潰え去り、いよいよいつまでたっても乗れない石和温泉〜酒折間の存在が重く感じられるようになった。平成の世も来年4月で終わるという時期でもあり、また今年2018年は私が初めて酒折駅に降りてから、ちょうど30年に当たる年でもあり、年が変わる前の今回、未乗区間に乗ることに決めたのである。


車内販売で買った五目わっぱめし


由利高原鉄道矢島駅にて筆者


いまどき珍しい硬券の片道きっぷ

JR線完乗を果たすというイベントなので、ぜひホームページにもアップしたい。しかし日帰りでちゃっちゃっと行ったのでは、いかにも「やっつけ仕事」的でアップしにくい。そこで、最近少しずつ始めている第3セクターの乗りつぶしを絡めて、大人の休日倶楽部パスを使って遠方の旅に仕立てた。すなわち、秋田の由利高原鉄道鳥海山ろく線の初乗りと、酒折でのJR線完乗の二本立ての旅とした。2018年12月5日水曜日、まずは東京発8時40分のこまち7号で、一気に秋田を目指した。

それにしても、進行方向が変わる大曲から秋田まで36分も乗るのに、一人として座席を回さないのにはびっくりした。ほとんどがサラリーマン風の乗客だが、全員後ろ向きのまま平気で乗っている様は、旅という気分からはかなり外れていた。秋田で30分のインターバルの後、特急いなほ10号に乗車。ここからは本来の旅気分が味わえた。

旅の前日には、西日本の各所で最高気温25度以上の夏日となり、いまのことろ今年の冬はかなりの暖冬である。12月に入れば冬型の気圧配置になり、日本海に面した秋田〜羽後本荘の区間は、荒々しい波が打ち寄せる場所だが、この日に限っては夏のような空が広がっていた。30分ほどで羽後本荘に到着し、矢島に向かうため列車を降りた。


秋田駅から特急いなほに乗ると一気に旅気分


記録的な暖冬ゆえ夏のような空の日本海


チャレンジ20000キロのような証拠写真を撮影


羽後本荘駅と矢島駅を結ぶ羽後交通のバス


現在矢島小学校となっている八森城の大手橋


生駒氏菩提寺の龍源寺は国指定有形文化財


いまどき珍しいタブレット交換風景


乗車整理券310円で乗れる快速

羽後本荘から由利高原鉄道の鳥海山ろく線が出ているが、特急列車は接続対象ではなく、列車は1時間以上あとの14時46分まで発車しない。しかし終点の矢島駅を通る羽後交通のバスが、13時46分に発車するので、由利高原鉄道は帰りに乗ることにして、まずはバスで矢島に向かった。車内ではキャロル・キングの名盤「つづれおり」を聞いていたが、1996年に南部縦貫鉄道の終点七戸から十和田観光電鉄の十和田駅まで乗ったバスの車窓を思い出した。その時に乗った2つのローカル私鉄は、両方とも廃線となってしまった。ローカル線は思い立った時に乗らねばならないと、しみじみ思う。

45分ほど乗って矢島駅前でバスを降りた。羽後本荘から25キロくらいあるが、運賃は620円と意外なほど安い。由利高原鉄道の同区間が600円なので、おそらく由利本荘市から羽後交通にかなりの補助が出ているとみた。バスと鉄道が一体で、矢島地区の交通の便を図っているんじゃなかろうか。逆に考えると、自治体が堪えきれなくなった場合は、鉄道もバスも廃線となるということである。地元浜松でも天竜区のバスが廃止されることで、大きな問題となっている。これは決して他人ごとではない。

さて、帰りの列車まで1時間以上あるので、矢島の町歩きをすることにした。まったく予習なしで、観光インフォメーションにも寄らずに歩きだしたので、辻に立っている看板が頼りである。矢島は城下町なので、まずは城跡に行きたい。八森城は讃岐高松藩主の生駒高俊が、お家騒動で改易となった時に、堪忍料として1万石を与えられて入った城で、現在は矢島小学校となっている。小学校の西側にお濠と大手橋が残っているが、主な遺構はそのくらいである。また城の西には生駒氏の菩提寺である龍源寺があり、そこは国指定の有形文化財である。まぁ国指定有形文化財は、地元天浜線に36もあるので、それほど有難ぶるほどのものではないが…。

八森城まで行って帰ってくると、いい時間になっており、ほどなく羽後本荘方面から列車がやって来た。この列車が折り返し羽後本荘行きとなる。列車はYR-2002形というイベント用のやつで、車内はオールロングシートに長テーブルがしつらえられていた。まだ15時台で、高校生の帰宅列車なので、酒を飲むのにはちと早いが、そういうしつらえになっているので、ちびちびやり始めた。発車して20分ほどの前郷で列車交換の際、タブレット交換が見られた。第3セクターでは、こことくま川鉄道だけで見られる珍しい光景で、知識としては知っていたが、アルコールが入ってしまったのでロクな写真が撮れなかった。やっぱり飲むのにはちょっと早かったか…。

そんなこんなで、終点の羽後本荘に着く頃には、冬の日は落ち、薄暗くなっていた。30分ほどのインターバルの後、いなほ14号に乗車する。この列車からは本格的に呑みテツを開始。このごろ列車で飲むといつも思うのだが、こんなにリーズナブルに最高のシチュエーションで飲めるところは他にはないなと感じる。例えば、オーシャンビューのテラスで飲むことを考えれば、車窓で海が眺められる列車で飲む方が、景色が動く分だけ上等に思える。また高層ホテルのトップバーで夜景を見ながら飲むのでも、例えば勝沼のような夜景のきれいな路線で飲む方がリーズナブルである。そこで、列車で飲む時には、徹底的にアコモデーションを重視し、最低でもリクライニングシート、できればグリーン車の独立シートがいいなと思っている。私が列車のアコモデーションにこだわるのも、呑みテツが高じてこうなったと思える。

昼間なら、格好の呑みテツスポットである笹川流れを、真っ暗やみのまま通過し新潟県に入る。村上や新発田あたりもいいが、やっぱり高架線の上から新潟市街の夜景を見ながら飲むとテンションが上がる。そうこういっているうちに3時間の乗車時間は過ぎ去り、20時過ぎに新潟駅に到着した。このあとは、特急型車両のE653系に乗車券と310円の乗車整理券だけで乗れる「らくらくトレイン信越号」で直江津に向かう。静岡県内のホームライナーのように、乗車整理券に座席が指定されていないので、勝手が分からず入線のかなり前から待っていたが、横並びの2席を1人で使うような混み具合だった。ちなみに入線は20時40分ころである。この列車は新潟〜直江津を2時間ちょっとで結んでいる快速列車で、もちろんこの列車でも飲み続けた。さすがに終点で降りた時には、かなり酔っぱらっていたが、ホテルが駅前なので無事に自分の部屋にたどり着いた。まぁアルコールの影響で、睡眠はかなり浅かったが…。


矢島駅で出発を待つイベント対応列車YR-2002


16時すぎ、早くも暮れゆく田園地帯を疾走


特急しらゆきの編成が夜の新潟駅5番線に入線


ホテルセンチュリーイカヤは直江津駅の目の前


重要な一日となる二日目は直江津よりスタート


堂々の6両編成で入線のトキめき鉄道ET127系


ホームドアがあるので撮影はこれが精一杯


大宮〜新宿間は湘南新宿ラインのグリーン車で


最後の一区間を前に意気込む筆者


完乗列車は6両編成の211系甲府行

翌12月6日は、私にとって重要な一日である。まずは直江津から、えちごトキめき鉄道で上越妙高に向かう。大人の休日倶楽部パスでは、この路線もフリーで乗れる。上越妙高からは、北陸新幹線で一気に大宮に向かう。長野で9分も停車し、後続の速達列車かがやき号に道を譲るという、こだま号のような列車だが、それでも大宮の到着は抜かれた列車の16分後と結構速い。大宮で湘南新宿ラインに乗り換え、JREポイント引き換えのグリーン券を使って、一気に新宿へ。ここで30分ほどのインターバルタイムとなる。

新宿駅の中央線特急ホームで待っていると、入線してきた列車は、昨年暮れにデビューした新型車両のE353系。かいじ号に乗るので、てっきりE257系が来るものと思っていたので、うれしい誤算だった。さすがに最新鋭の列車は快適で、ちゃんとコンセントも付いている。携帯の充電はともかく、パソコンをいじれてしまうので、滅多に乗らない甲府以東の中央線の車窓がおろそかになってしまった。新宿を発車した時点では雨模様だったが、大月を出たくらいから青空が見え始め、完乗するにはいい状況になってきた。


かいじ105号は新型のE353系でもちろん初乗車


いよいよ最後の駅である酒折駅に到着


30年前は憧れだった211系でついにJR線完乗


酒折駅の駅名標横でバンザイをする筆者

13時02分に、かいじ105号は石和温泉駅に到着し、いよいよ残り一駅となった。これまで数回来ている石和温泉駅でも、駅名標を入れて記念撮影をするのは初めてで、これもJR線完乗の日ならではの行動である。特急を降りてから35分の待ち合わせ時間があり、さすがに持て余したが、これもまた嬉しいひとときである。

13時37分の甲府行き普通列車は、211系の6両編成だった。思えば、私が再びJR線の完乗を目指した学生時代は、211系のシルバーの車体は憧れの対象だった。特に浜松〜大垣間で快速運用に入った0番台は、ブルーの帯が格好よかった。そういえば石和温泉駅での待ち時間にも、対向列車で211系0番台を見かけたのも偶然だろうか…。

石和温泉から乗車して、わずか3分。列車は酒折駅1番線に到着した。時刻は13時40分、この瞬間に私のJR線完乗が達成された。予想していたことだが、特になんの感慨もなく「こんなものか」と感じた。まっとうに生きていれば、25年前に達成していたことを、ここまで引き延ばしてきたことに、多少の後悔を感じたことである。

酒折駅で、記念撮影をした後、19分後に到着した後続列車で甲府駅に向かった。甲府にはとりたてて用はないので、改札を出入りした後に、すぐに身延線ホームに向かった。静岡行きの特急ふじかわ10号に乗り、毎度おなじみの371系のリクライニングシートに身を沈めた。甲府駅を発車し、中央東線と別れ、善光寺駅を通過するころ、遠くに見える酒折の町を見て、ようやく感慨が深まってきた。またいつの日か、あらためて酒折を訪れたいと思う。それが5年先になるのか、10年先になるのか分からないが…。

30年前に比べるとモダンな駅舎を背景に筆者

<終>

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