Spring Tour '25
遥 か な 志 布 志 へ |
![]() 宮崎駅のマルニ味噌らーめんで昼食 |
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過去の記録を調べてみたら、今回の旅先である日南線に乗り通したのは平成元年2月の大学の卒業旅行以来だった。その後も日南方面には何度か旅をしているが、都井岬に行くために串間までの利用だったり、そもそも日南線を使わずにレンタカーで行っていたりでこんなに間が空いてしまった。「大隅夏井なんて素敵な駅名だな」と思ったのは36年前のSpring Tourだったのかと驚愕しながら今年も春旅が始まった。 JR九州の株主優待制度が半額割引から「一日乗車券」配布に変わってから、朝から一日券を利用したいので前泊する行程にしている。昨年はエクスプレス予約のグリーン特典があったので、浜松から小倉までグリーン車を利用できた。今年は同じ行程を指定席で行く。ラッキーなことに隣席に乗客が座ることなく夜の新幹線の旅を4時間弱まるまる楽しむことができた。宿は昨年同様ステーションホテル小倉。駅の上に部屋があるので早朝の出発には便利である。 | ||
![]() 海が見える787系グリーン車の車窓 |
![]() 日南線を乗り通したのは卒業旅行以来 |
明けて2月17日月曜日。昨夜は飲みすぎのためよく眠れずに睡眠不足のまま小倉駅のホームに立つ。乗車するのは小倉駅始発の特急にちりん3号宮崎空港行き。787系の4両編成で先頭車の半室がグリーン車のタイプである。2号車から4号車まで編成の4分の3が自由席なので、別に自由席でも良かったのだが、なにせ1年のうちで最も重要で伝統のあるSpring
Tourであるので自由席の3倍の料金のグリーン席を奢ってしまった。まぁ宮崎まで5時間も乗車するので十分に元は取れそうでもある。 早暁の6時39分に小倉駅を発車。今日ばかりは動画などを見ずに車窓を見ながら音楽を聞く。昭和の時代から春旅のお供に持っていく「Spring Tour Attendants」をVol.1から順番に聞いていく。1曲目は「宝島」。ザ・スクエア時代のTスクエアの珠玉の名曲である。そして2曲目はアース、ウインド&ファイアの「バック・オン・ザ・ロード」。スティーヴ・ルカサーのギターソロからの流れでヴォーカルが入ってきてもソロが続くところが泣かせる。そして3曲目はフリート・ウッドマックの「愛のジプシー」。歌姫スティーヴィー・ニックスのダミ声が心地よい。この3曲を聞くと一気に春旅の気分になる。いつも思うがこのテープ(もちろん現在はMP3化している)を作った時の自分のセンスに惚れ惚れする。今はこんなこともしなくなってしまったが…。 列車は大分県に入り、国東半島の付け根の山を越えて別府湾に出る。いつもは海側に座るが、今回は1人用シートが山側であるため進行方向右側に見える別府の山々を鑑賞。硫黄で白くなった山を見て大学の卒業旅行で見た景色を思い出す。春の旅は思い出に浸る旅でもある。 大分駅を発車し、もう半分くらい来たような感じがするが、大分県と宮崎県は縦に長い。トンネルを抜けて浦の漁港という車窓を繰り返し、臼杵、津久見、佐伯と停車していく。佐伯からはいよいよ宗太郎越え。列車で白昼堂々ここを通過するのはいつ以来だろうか。重岡・宗太郎の両駅を訪ねるためにレンタカーを借りたこともあったっけ。その山越えをする前に川原木信号場で運転停車。上りの特急列車が駆け下りていった。 重岡・宗太郎の両駅を懐かしく感じながら通過し宮崎県へ。このあたりから睡眠不足のため眠気をもよおし北川駅の通過を見損なった。種村直樹さんの著書でこの北川駅が出てくるが、種村さんも北川さんも若かったなぁと思う。さて目が覚めると延岡の手前まで来ていた。延岡まで来ると宮崎もあとわずかと思うが、さにあらず。まだ1時間20分も先である。昔々リニア実験線があった美々津駅を過ぎると、その実験線が右から左にオーバークロスしていき、最後は高架の上に充電パネルを置かれるという成れの果てに悲しみを覚えた。 11時37分に宮崎駅到着。次の日南線の列車は12時30分発なので勝手知ったる宮崎駅のアミュプラザで昼食を食べた。今回はマルニ味噌ラーメンでラーメンと肉味噌丼のセット(1,000円)をいただいた。アミュプラザみやざきに入っている店は美味しいところが多くおススメ。 さて昼食を終えて再び宮崎駅のホームに戻ると発車15分前で列車も到着していないのに既に列車待ちの行列ができていた。これはヤバいと列の終わりに並んだ。果たして日南線普通列車志布志行きはキハ40の1両で入線。午前中で授業が終了した高校生がわんさと乗り込んだが、なんとか海側のボックスシートに座ることができた。 冒頭にも記したが日南線に志布志まで通しで乗るのは36年ぶり。しかし列車自体は当時と何も変わっていない。12時30分に始発の宮崎駅を発車。トンネルや切通などエンジン音が聞こえやすい場面では甲高いターボチャージャーの金属音が鳴り響く。今っぽい旅ではないが郷愁十分である。 観光客は青島で降り、高校生は油津までに降りて、残った客はほとんどが志布志まで通しの乗車。串間から先はそれこそ久々の乗車なので眠い目をこすりながら車窓を目に焼き付けた。生きている間にもう一度ここまで来ることがあるかどうか微妙な感じがする。そして15時05分に終点の志布志駅に到着。指宿枕崎線といい、この志布志線といい、本州にはない植生で興味深い車窓だった。 さて志布志駅から志布志港まで徒歩連絡。志布志駅のはす向かいのスーパーで船内で飲むためのツマミを買い込み、その隣の鉄道記念館にも立ち寄ってみた。もともと志布志機関区があった場所だそうで、C58蒸気と車掌車、そしてキハ52が展示されていた。その模様は左上の画像から動画でも見られる。 志布志フェリーターミナルまでは駅から2キロ弱。徒歩で行くとなると結構な距離だったが、出航時刻まで余裕があったのでぶらぶらしながらたどり着いた。志布志から大阪南港まで14時間。商船三井の株主優待で5,000円引きとなるので今回はデラックスルームを奢って24,300円也。船室の様子は左の画像から動画で見ていただくとして、船旅の一夜のトピックスを記したいと思う。大阪~別府航路などと異なり、志布志から大阪へは四国沖の太平洋を航行する。比較的穏やかな瀬戸内海とは異なり大平洋上は得てして海が荒れがちである。この夜も冬の季節風が吹きまくり海は大荒れ。7階にある船室の窓まで波が打ちつけられて、うるさいのなんの。酔っぱらって8時ごろにベッドにもぐりこんだが、0時すぎに波の音で起こされてしまった。 夜が明けて紀伊水道に入ると、昨夜のことは無かったかのように海が穏やかになっていた。朝日を浴びる六甲山と神戸の町並みを見ながら残りわずかとなった船旅を心行くまで楽しんだ。 |
志布志駅から志布志港への2キロ弱はプチぶらり旅。鉄道記念公園に立ち寄る |
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![]() 門鉄デフを装着したC58が鎮座 |
![]() これに乗船するためにはるばる志布志へ |
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鹿児島県の志布志港と大阪南港を結ぶさんふらわあ きりしまのデラックスルームでひきこもり |
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<終> |