海 峡 − 青 函 い っ た り き た り −


遠鉄が満を持して高速バスに参入「e-Liner」

今から23年前の9月1日早暁。私は青森駅の「日本食堂」でモーニングセットを食べながら、函館行きの国鉄青函連絡船を待ちわびていた。本当なら前日の深夜便で北海道に渡るつもりが、悪天候のため欠航してしまった。その時BGMで流れていたのがシカゴの「素直になれなくて」。今でも鮮明に覚えている旅のワンシーンである。それから半年後に青函トンネルが開通し、青函連絡船は廃止。函館と大間のフェリーには、のちに乗船したことがあるが、青森〜函館間を船で渡ったという経験は後にも先にもこれ1回だけである。

今はなき青函連絡船への追体験を絡めて、国内ではここだけである龍飛岬の階段国道も訪れるべく、いわゆるシルバーウィークを利用して北に向かった。まずは羽田空港へのアプローチ。この7月から遠鉄が走らせている浜松〜横浜間の高速バス「e-Liner」に乗って、なるべく安上がりに羽田に向かう算段である。スムーズに行けば、浜松駅から横浜駅まで3時間45分。しかしそこは三連休の初日。交通集中で断続的な渋滞が発生し、最後尾の至る所で追突事故が起きていた。横浜駅に到着する予定の時刻に、まだ県内の足柄サービスエリアにいる始末。結局1時間45分遅れで横浜駅最寄のYCATに到着した。

YCATの6番のりばがe-Linerの乗降場所。そこからバス3台分前方の3番のりばが羽田空港行きのリムジンバス乗車場所なので、乗り継ぎはとってもスムーズ。バスも頻発しているので、タイミングが良ければ、さっきまで乗っていたe-Linerの直後にリムジンバスがぴったり付くという芸当が可能である(右の画像参照)。首都高速湾岸線はスムーズで、京急のリムジンバスは横浜から20分で羽田空港に到着した。

東名が渋滞して3時間遅れでも大丈夫なようにスケジュールを立てていたので、2時間弱の遅れでもびくともしない。保安検査場からANAラウンジに直行し、酒盛りを開始。函館行きのプレミアムシートでも、赤ワインのミニボトルを3本飲んだので、函館空港に降り立った頃にはもうヨイヨイだった。そんな状態なのにホテルの部屋で、ウィスキーの水割りを何杯か飲んだので、夜9時すぎには既に夢の中を彷徨っていた。

翌朝目覚めると雨が降っていた。事前に天気予報でこうなることが分かっていたとはいえ、この旅の最も大事な日に雨とはテンションが下がる。その雨をついて、ホテルから歩いて20分ほどの青函フェリーの乗り場に向かった。



青函フェリーのターミナルビル

青函フェリーはもともと貨物専業だったので、青函航路として有名な東日本フェリー(現津軽海峡フェリー)のターミナルとは別の場所にある。旅行を計画した当初はこれを知らなかったので、ホテルを七重浜の近くに予約しようと思っていた。しかしホームページ等で函館側の乗り場を確認するうちに、フェリー乗り場が分かれていることを知り、五稜郭駅近くのホテル・シャロームインを予約した次第である。

もとは貨物扱いの港であったので、発券窓口があるビルと乗船場所が歩いて5分くらいかかるところはご愛嬌。フェリーボート自体は必要にして十分な装備で、なにより船体が新しいのが嬉しい。かつての青函連絡船を彷彿とさせる桟敷席で、連絡線とほぼ同じ所要時間を過ごすことができ、満足感を得て青森の地に降り立った。


三連休初日とあって至るところで引っかかる


YCATで羽田行きに乗り継ぐと前のバスが…


フェリーへのアクセスが良いシャロームイン


青函連絡船を彷彿とさせる「あさかぜ21」


函館〜青森 4時間弱の旅路は桟敷でゴロ寝


生憎の天候だが気分転換にデッキに出た

青森港のフェリーターミナルは、函館側の小さなビルとは対照的に、中長距離フェリーのターミナルらしい立派なものだった。函館と違って青森側は、青函フェリーとともに津軽海峡フェリーも乗り入れているためである。で、そこから歩いて5分のところにあるトヨタレンタリース青森の新田店へ移動した。函館といい青森といい、街外れのフェリー乗り場と市街地との間の、雨中の行軍は大変である。

12時半ころレンタカーを借り出して、国道280号を北上した。今回借りたクルマはダイハツ・ムーヴ。青森市内から津軽半島を周遊するくらいの距離なら軽自動車で十分との見立てである。実際、海岸線のワインディングロードを走っているとかなりのアップダウンがあるため、NAの軽自動車ではキツイ上り坂があったりする。が、龍飛までの行程で自分が前のクルマに追いつくことはあっても、後ろのクルマに追いつかれることは皆無だった。それも、メーター読みで制限速度+15`を遵守した上での話である。一般道だけを走るなら軽自動車でも高級車でも変わらないという証左だった。

蟹田から県道12号・14号を走った方が龍飛に近いが、往路はあえてそのまま国道280号を北上。とはいっても、ただ海岸線を走っただけで、国道沿いにある平舘灯台もそのまま通過。灰色の津軽海峡を右に見ながらハンドルを切っていた。今別で再び国道280号線に合流。龍飛岬まで17`となった。信号がなく走りやすい国道を西に向かっていると「←青函トンネル入口公園」という小さな看板を見つけた。通り過ぎてしまったため、引き返してあらためて小道にクルマを進めた。2〜300bも行かないうちに津軽海峡線の線路があり、整備された駐車場にクルマを停めた。

青函トンネル入口公園は、その名のとおり青函トンネルの本州側入口にある公園で、公園西側に「青函隧道」と銘板が掲げられたトンネルが鎮座している。その他は、滑り台等の簡単な遊具と公衆トイレだけがあるシンプルな公園である。せっかくここまできたからにはトンネルを出入りする列車の写真を撮りたいが、トイレの壁に掲げられている通過時刻表によると、次に通過するスーパー白鳥9号まで、まだ15分くらいある。なにせ時間のない旅なので、15分といえどもボケーっと待つのは辛い。あきらめてクルマに戻りかけようとしたその瞬間、トンネルからゴーっという音が聞こえた。「もしかしたら貨物列車かも」私はカメラを構えた。しばらくすると赤い電気機関車がコンテナ車を何台も連ねてトンネルから出てきた。「EH500!」夢中でシャッターを押したものが右の画像である。実際にこのトンネルを10時間後にはくぐり抜ける。その状況の中で、青函トンネル入口で過ごしたこの数分は意義深かった。


青森側のターミナルは津軽海峡フェリーと共用


10時間後には列車で通過する青函トンネル


今回のレンタカーはダイハツ・ムーヴ


この旅のハイライト「階段国道」の案内図


住宅街の路地裏 赤い道が国道

青函トンネル入口公園から15分ほどで龍飛集落に着いた。まずは、今回の旅の目的のひとつである階段国道の攻略から取り掛かった。そもそも国道339号線は弘前から五所川原、小泊を通って龍飛岬に出て、そこから三厩にある国道280号の交点(旧三福航路乗り場)までのルートである。しかし三厩から龍飛漁港までは海岸線を走るルート、小泊から龍飛岬までのルートの終端部は尾根を走るルートであるため、両者の間には70bほどの標高差がある。互いの終端部を車道でつなげるのは困難だったため、このような珍妙な階段国道が成立したというわけである。

漁港にクルマを停めて、赤く色分けされた路地裏の小道を歩いていく。階段だけでなく、こんな1bにも満たない幅の道路も国道指定されているのにまず驚く。何回か直角に曲がった後、集落の裏山に出て、ここから階段国道がスタート。ちなみに集落裏側にある国道339号のおにぎり標識が、階段国道を紹介する写真等に最も使われているので、それを見た瞬間「あ〜ここ、ここ。」と思わずつぶやいてしまった。


「階段国道」の最も有名なアングル


階段国道の中間点にて筆者


階段国道を登りきった場所。津軽海峡が見える


ご覧あれが龍飛岬〜津軽海峡冬景色歌碑


龍飛で太宰治が宿泊した部屋


太宰治が宿泊した旧奥谷旅館(入館無料)


青函トンネル記念館で1時間半ほど滞在

階段国道を漁港側から攻略する場合は、362段の階段を登らなければいけないが、その中間点付近に整備された広場がある。多くの観光客はここで一休みということになるが、その踊り場のような空き地は、竜飛中学校の跡地とのことである。青函トンネル工事のため、家族連れでこの地に住んでいた人たちは、トンネルの完成とともにこの地を去ったのだろうか。ゆえに階段国道の中間点に中学校の跡地が残されたのだろうか…。

再び階段に取り付いて、いい加減息が切れた頃にようやく尾根側の国道339号車道に到着。ちょうど女性ライダーが記念写真を撮っているところだった。彼女は、これから階段を往復するのだろうか。それはさておき、さすがに70bも登ったので景色がいい。晴れていればもっと良かっただろうが、灰色の海も津軽海峡っぽくてなかなかである。ひとしきり海を眺めた後、すぐ近くの「津軽海峡冬景色歌碑」を眺めて、もと来た階段を下っていった。さらに上には「階段町道」なるものもあったが、もはやそれを制する体力は残っていなかった。

階段国道の尾根側には、さらに青函トンネル記念館があり、そこにはクルマで行くつもりだが、その前に海側で訪れておきたいところがある。それは太宰治の小説『津軽』で有名な「奥谷旅館」である。「ここは本州の袋小路だ。読者も銘肌せよ。‥‥そこに於いて諸君の道は全く尽きるのである。」と、さも『津軽』を読んだことのあるような感じでこの文を書いているが、これは奥谷旅館のはす向かいにある太宰治の文学碑に刻まれていた文字をそのまま写してきたものである。さして太宰治に興味のない私でも、文豪が実際に泊まった部屋を無料で見せてもらえるなら「ちょっと見ていこうか…」という気になる。奥谷旅館は、現在「龍飛岬観光案内所」になっていて、館内の見学は無料である。海側の1階にある太宰が泊まった部屋は縁側がついていて、彼はここから海を見ながら「本州のどん詰まりに来てしまったなぁ」と物想いに耽ったのだろうか…

奥谷旅館を出て、町道を登り尾根側の国道339号に出た。この町道を国道指定すれば階段国道は無かったが、地元では観光名所にせんがために階段を国道指定したという噂もある。国道を岬方向に進むと左手に青函トンネル記念館が見えてくる。次はここに立ち寄る。

青函トンネル記念館の呼び物は、海面下140bにある体験坑道見学と、そこまで通じているケーブルカー乗車である。ケーブルカーの乗車券は体験坑道ツアー込みで往復1,000円。行って帰って所要43分ということでチケット購入に逡巡したが、まぁここまで来たのだからと乗車することにした。実際にケーブルカーに乗車してみると、外が一切見えないケーブルカーというものに初めて乗ったので新鮮な体験だった。また、体験坑道内でガイドさんが青函トンネルの建設の模様や苦労話などを説明してくれるので、青函トンネルのことについて一通り勉強できる内容になっていた。鉄扉の向こう側にある龍飛海底駅まで見せてくれれば大満足だが、そうでなくても1,000円支払って海底に行く価値はあるなという感じだった。

地上に戻り、記念館の展示物を見て回ったが、こちらは体験坑道で説明を受けた程度のものしかなく、正直言って期待外れだった(ケーブルカーとは別に入場料400円を払っているからなおさら)。ただシアターで見た20分ほどの映像は、青函トンネル完成までの歴史をわかりやすく説明していて一見の価値ありといったところ。まとめると、ケーブルカーに乗車するなら記念館はスルーでOK。時間や予算の関係で記念館見学だけなら、シアターは必見という感じである。

青函トンネル記念館を出たのが16時40分。そこから急ぎ足で龍飛埼灯台と展望台を巡る。階段国道のところで触れた「階段町道」は、実はここの駐車場につながっている。クルマでくればあっという間だが、階段を登っていたらどうなっていたことやら。さて、この展望台の名前は「龍飛崎展望台」、灯台の名前は「龍飛埼灯台」、そして津軽海峡冬景色の歌詞は「ご覧あれが龍飛岬…」ということで、崎、埼、岬が脈略無く使われている。このページでは、社会一般的に最も広まっている「龍飛岬」という表現で統一しているが、一体どれが正しいのやら…


龍飛埼灯台…岬?埼?崎?


ケーブルカーで海面下140bの海底へ


海底に向け急勾配を降りていく


体験坑道ではガイドさんが詳しく説明してくれる


奥の扉を開けるとそこは海峡線龍飛海底駅


ケーブルカー乗車券の裏側は青函トンネル体験坑道の「体験証明書」になっている


体験坑道に行くなら記念館展示は通過でいい


展望台から見た岬の果て…徒歩では無理

天気が回復してきたこともあって、展望台から北海道が見えた。どす黒い雲の間から光が差し込み海峡を照らす。ちょっと荘厳な風景だった。時計を見るとまもなく17時。そろそろ龍飛岬ともお別れである…

当初の予定では、国道339号の尾根側の道を行き、十三湖、五所川原を経由して帰る予定だったが、龍飛岬で予想外の時間を費やした(約3時間)ので、青森に向けて最短距離を行くことにした。すなわち、三厩までは来た道を帰り、三厩から蟹田へは県道をショートカット。蟹田からは国道280号を南下して青森に向かうというルートである。日曜日の夕方17時といえば、日本全国どこでも「安部礼司」を聞きたい。カーラジオから途切れ途切れに聞こえる90年代のJ-POPとラジオドラマに耳を傾けながら、県道14号小国峠に挑んだ。

安部礼司が終わる頃、蟹田を抜けて蓬田村に入った。今夜は急行はまなす号乗車で車中泊であるので、できればひとっ風呂浴びたい。というわけで、行きがけに見つけた「蓬田村ふれあいセンターよもぎ温泉」に立ち寄った。階段国道や雨中の行軍でハードな一日だったので、夜行乗車前に汗を流すことができ、身も心もスッキリした。


雲の間に北海道が見えた龍飛崎展望台


夜行列車乗車前に蓬田村の温泉で入浴


JRの貴重な急行列車「はまなす」

レンタカー屋さんにクルマを返してから、急行はまなす号乗車までの3時間は、ファミレスでちびちび飲みながら過ごした。1人で飲みながら時間を潰したい場合、ファミレスの喫煙席は空いていてかつ店員からもほって置かれるので好都合である。そんなこんなで22時過ぎに店を出て、青森駅の改札を抜けると、早くも「はまなす」の入線時刻がせまっているらしい。酔っ払ったカラダに鞭打って、DE10を先頭に入線してくるシーンやら、先頭のED79電機やら、最後尾のテールマークを撮影するためにホームを駆けずり回った。

今夜の寝床は、のびのびカーペット車に押さえているが、自分専用の区画が狭い桟敷席では、おちおち飲んでいられない。というわけで一旦自由席に腰を落ち着けた。この14系客車の簡易リクライニングシートには学生時代の思い出がある。昭和60年ごろ、スキーシーズンの週末になると、三島から高山線方面へ快速の夜行列車として「飛騨スキー号」が運行された。それに使用されていた車両が14系客車で、この列車の簡易リクライニングシートに座って浜松まで帰省したものである。普通乗車券だけでリクライニングシートに乗れるなんて、当時は夢のような話だったが、それから20数年経た今でも、当時と変わらぬアコモデーションで毎日走っているというのも奇跡のような話である。ウィスキーの水割りをちびちび飲りながら、すっかりくたびれた簡易リクライニングシートに身を預けて、学生の頃を想うひととき。至福の夜であった。

つい10時間ほど前に入口に立った青函トンネル突入の瞬間は、入る直前の景色をきっちり覚えているため、真夜中でもはっきりと確認できた。しかし壁を隔てた場所に立った龍飛海底駅は、対向列車のため、うまく確認できなくて残念。0時半ころ青函トンネルを抜け、再び北海道に入ったことをしおに、カーペットカーに移動した。

カーペットカーの寝心地は良かったが、駅に着くたびに車内放送が入り、そのたびに起こされてしまう。そうこうしているうちに東室蘭、苫小牧を発着し、空が白み始めた。南千歳で降りるため、私は寝床から抜け出した。


行き止まりの青森駅にDE10牽引で入線


懐かしい思い出がある14系客車列車


青函トンネル用ED79もかなりくたびれた感じ


青函連絡船の桟敷席代用のカーペットカー

当初の計画では千歳駅からバスで新千歳空港に向かう予定だったが、40分もバスを待つのはかったるいと思い、南千歳から歩いて空港に向かうことにした。南千歳駅は、ご存知のとおり昔は千歳空港駅といっていたので、ターミナル移転後の新千歳空港にも、それほど遠くないだろうと思っていたが甘かった。たっぷり30分ほど歩いて、ようやく空港ターミナルビルに到着した。それでも、クルマか列車でしか行けないものと思っていた新千歳空港まで、歩道がちゃんと整備されていることが分かり収穫だった。

新千歳から羽田へ始発の飛行機で飛び、東京駅の八重洲南口に向かった。そして、この旅最後のお楽しみ、東名ハイウェイバスのプレミアムシートに腰を落ち着けた。往復で東名バスを乗り比べる形になったが、たとえ1,200円余計に出費しても、私ならプレミアムシートを選ぶと思う。下の画像のとおり、ほとんど水平にリクライニングし、ぐるりと一周するカーテンでプライバシーが完全に保たれる。私はこのシートでうたた寝を繰り返しながら、津軽海峡を行ったり来たりした今回の旅を振り返っていた…


1,200円追加のプレミアムシート


深夜のカーペットカー〜頭隠して何とやら状態


早朝の南千歳駅で急行はまなす号との別れ


南千歳駅から歩かねばまず気づかない表札


東名スーパーライナーで浜松へ一直線

<終>

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