Spring Tour 発祥の地へ


ひかりの指定席を捨てこだまの自由席乗車

1987年4月7日、満開の桜が咲き誇る山陰線を鈍行で旅をした。それが、現在まで続くSpring Tourの始まりだった。まだ20歳の学生だったのでお金もなく、青春18きっぷを持って旅をした。浜松を4時ごろ出る大垣夜行で旅がスタートし、7時ごろ大垣で大阪方面行きの鈍行に乗り継いだ。記録を散逸させてしまったため定かではないが、彦根で新快速に乗り継いだかもしれない。ともかく京都に9時ごろに到着し、1番線の大阪寄りにある山陰線ホームから出発するディーゼルカーに乗り継いだはずだ。おそらく急行型のキハ58か一般型のキハ40・47で山陰線を西に向かったと思う。京都からどこで列車を乗り継いでいるか分からないが、福知山に12時ごろ、豊岡に13時30分ころ、浜坂に15時ころ、そして鳥取には16時ころに着いたと思われる。鳥取ではバスで砂丘を往復し、再び乗り継ぎの旅に戻ったのは18時ころ。因美線、津山線と中国山地を貫いたのは闇の中。22時半前に岡山に到着し、「四国方面」という案内を頼りに宇野線ホームへ。そこで出会ったピカピカの213系「備讃ライナー」の姿は今でも忘れられない。23時半頃宇野桟橋を出航した宇高連絡船は、1時間かけて高松桟橋へ。日付が変わった高松を0時46分に発車する高知行き夜行列車は、今は亡きレッド・トレイン50系客車。DE10を先頭にした4両編成の列車は、未明の山中を駆けずり回り、まだ夜明け前の4時半過ぎに高知駅に到着した。当時の私は、中学・高校の修学旅行で行った神戸が、足を記した最西端だったので、山陰・山陽・四国いずれも初めての場所だった。当時流行っていた、おニャン子クラブのアルバム「Side Line」にちなんで、この旅を「西のサイドライン・ツアー」と名付けた。そして28年の時が経ち、満開の桜の時期に「Spring Tour」発祥の地である山陰線を、当時のことを偲びながら旅をすることにした。

28年前とは違い、今は「小金を持っているが、ヒマはない」状態、いや「ヒマがない」のではなく、「苦痛の伴う旅をするのはまっぴら」という状態である。当然、青春18きっぷを持って、場合によっては若い人たちと椅子取り合戦をするなんていう旅をする気はさらさらない。というわけで、浜松→京都は「ひかり463号」の喫煙指定席を押さえていた。しかし早く起き過ぎた。1時間前のひかり号にも乗れるほど早い時間からホームにいたために、指定列車を待つのが苦痛になってきた。そこで、予定より30分以上早い、9時04分発のこだま633号の自由席に乗車した。520円をみすみす捨ててしまうことになるが、28年の間に価値観は変わる。こだま号の喫煙自由席は、あきらかに、ひかり号指定席よりも空いていて快適だった。京都にはもともと乗車予定だったひかり463号の3分前に到着した。

京都駅は、さまざまな国の言葉が飛び交っていた。京都に来る外国人といえば、ひと昔前は欧米人と相場が決まっていたが、今では中国系の方々が幅をきかせている。雑踏をかき分けて30番から34番ホームに向かった。目指す列車は11時25分発の「きのさき5号」。32番ホームにたどりつくと、ちょうど旧国鉄色の381系4両編成が入線してくるところだった。予想通り指定席は全て埋まっていて、グリーン車を確保しておいて良かったが、その指定されたグリーン席が、目の前に柱のある最悪の眺望の席でガックリ。もともと普通車の車両にグリーン席を配置する改造を行ったがために、シートと窓が合っていないのである。発売日に押さえていた席だったので、どんな席でも指定可能だったが、よりによってこんな席を指定するなんて運が悪い。でも、満席なので席を替わるわけにもいかない。ジレンマを抱えながら山陰線の旅がスタートした。亀岡を過ぎたあたりから、車窓にのんびりとしたムードが漂ってきた。駅ごとに桜が植樹されていて、いずれも満開である。28年前のこの旅では雨が降っていて、かえって風情のある車窓が楽しめたが、今日はここまで快晴。雨の降ってほしくない旅で雨が降り、雨でもいい時に限って快晴になるとは、春の天気も意地が悪い。しかし福知山を過ぎるころから、雲が湧きたち空が暗くなってきた。私は「いいぞ、いいぞ、その調子」と大半の同乗の輩とは反対の念を送っていた。


特急きのさきは381系国鉄特急色だった


山陰線の沿線はどこもかしこも満開の桜


目の前が柱のグリーン席に失望

豊岡で「きのさき5号」を捨てて、快速「山陰海岸ジオライナー」に乗り継いだ。今回の旅で事前に席を確保できていない唯一の列車だったので、方程式どおり始発から乗ろうとしたためである。14時09分の発車だったが20分も前に入線し、念願かなって余裕で席を押さえることができた。それどころか鳥取までの2時間の乗車中、乗り降りがほとんどなくボックスシート1つに1人ずつ座っているくらいの混みようだった。なにはともあれ、豊岡駅を定刻発車。キハ126と車両は新しくなったが、28年前に旅をした時間帯とシンクロし、天気もどんよりとした曇り空になったことで、より当時の状況に近づいてきた。園部あたりからmp3プレイヤーは、おニャン子クラブの「Side Line」を繰り返し流し続けていたが、2ループか3ループめで、ようやく車窓と音楽がハマってきた。2曲目の「雨のメリーゴーランド」を28年前に聴いた時は、まさに雨。2コーラスめでルリちゃんとマコちゃんのパートがあるが、彼女たちは声色が似ていると改めて思った。当時のフジテレビ笠井Dに「性格が芸能界に向いていない」とソロデビューを却下された永田ルリ子であったが、明るい性格でアイドル志向を持っていた白石麻子と組んで「うしろ指」みたいなユニットを組めば、ひょっとしてエンタメ界で生き延びていたかもしれないと、このごろそんな風に思っている。もしそうなっていれば、昨今の「出演映像カット」などという不自然な対応もなかったかもしれないのに・・・。

香住、余部、浜坂と、列車は山陰線でも乗客が少ない区間を西へ向かう。mp3プレイヤーからは何度目かの「春一番が吹く頃に」が流れてきた。この区間でこの曲を聴くために、わざわざこの時期の旅を計画したといっても過言ではない。28年前、どこの駅かは忘れたが、列車交換の待ち合わせのため停車中のキハ40(あるいは50系客車?)でこの曲を聴いた。駅前に植えられたソメイヨシノの大木から雨に濡れた花びらがチラチラと落ちていて、まるで雪のようだと思ったことを今でも鮮明に覚えている。透き通った高井の声と、鼻に抜けるような特徴的な国生の声を、歌の上手い内海がうまく仲を取り持って成立させたという、彼女たちのおニャン子卒業ソングである。彼女たちは私と同学年で、国生に至っては生年月日が同じである。そんな3人が20歳という若い時期に、しっかりと自分の道を歩んでいたことに思いをはせ、今から思えば立派だったなと感じたことである。そんな昔のことを思い出すのもウィスキーの水割りのせいかもしれない。アルコールが回って、そろそろ眠くなってきたころ、西に傾いた太陽に迎えられて鳥取駅に到着した。

鳥取から岡山へは、本来因美線・津山線が最短ルートであり、往年の急行「砂丘」号もそのルートを通っていた。しかし智頭急行が開通し、優等列車は線形のいい智頭急行経由となった。鳥取と岡山を結ぶ特急「スーパーいなば」が走るようになり、因美線・津山線はローカル輸送に徹することになった。1987年当時は、鳥取発岡山行普通列車という、おあつらえ向きの列車が走っていたが、今では最低2回は乗り継がないといけなくなった。今回の旅でも、因美線・津山線にするか、智頭急行経由にするか葛藤があったが、やはり人間というものは安きに流れるもので、特急を利用することにした。もともと疲れとアルコールで眠気全開のところに持ってきて、普通車とはいえ新しいキハ187系のシートの快適さとあいまって、居眠り連発。鳥取から上郡までは断片的にしか記憶が残っていない。山越えが終わり、山陽線に入るために進行方向が変わる上郡でようやく目覚めた。そこからは前面展望が望める特等席となり、山陽線を豪快に走る振子列車の乗り味を堪能した。まだ明るさの残る岡山には定刻18時11分に到着した。

岡山で一旦改札口を出て小休止。ずっと我慢していたタバコを吸い、軽く夕食も摂った。駅に戻り改札口の上を見上げると、時刻掲示板に燦然と輝く「四国方面」の文字。28年前の旅では、この4文字にこれから向かう見知らぬ土地に想いをはせたものである。階段を下りてホームに着くと、ちょうどJR四国の2000系特急気動車が入線してくるところだった。5両編成で、前3両が高知行きの「南風23号」、後ろ2両が「うずしお27号」徳島行きである。指定席に腰を下ろすと、かなり空いていた。自由席にも空席があるほどで、このへんが指定席を確保しておくか、自由席にしておくか、さじ加減が難しいところである。前述のとおり、28年前には、宇野と高松で深夜の乗り継ぎがあったが、この列車はまっすぐ高知まで行ってしまうので楽といえば楽である。ただ、まだ新車の香りが残る213系の転換クロスシートや、異端の50系客車夜行で感じた雰囲気は微塵もなく、極めてビジネスライクな帰宅列車である。そんなムードが影響したのかしないのか、先ほどのスーパーいなば同様、走り出すと同時に居眠りをし出す始末。またも断片的な記憶となり、正気に戻ったのは高知県内に入った大杉あたりからだった。亡くなった種村直樹さんの著作の中でも、私が一番の傑作だと思っている「鈍行列車の旅」に、ここ大杉で出会った「もの言うカラス」の逸話が書かれていた。種村さんが、この逸話に出会った歳は、今の私の年齢よりもずっと若い頃である。こうして旅の模様を綴っていても、種村さんに影響を受けた面がそこかしこにあり、その影響力を40歳そこそこで発揮した彼の偉大さを感じずにはいられない。と、また物思いに耽っているうちに列車は四国の屋根を駆け下りて高知に到着。雨の夜だった。


Spring Tour発祥の地を行くジオライナー号


豊岡〜鳥取の2時間はガラガラのキハ126で


駅ごとに満開の桜が出迎えてくれる(香住駅)


新餘部橋梁には付け替えの名残のSカーブ


橋は新しくなるも餘部海岸の絶景は変わらない


鳥取からは楽をしてスーパーいなばで岡山へ

ホテル日航高知旭ロイヤルに宿泊し、翌朝は11時のチェックアウトまでゆっくり過ごした。ホテル北側の堀川(はりまや橋が架かる川)に沿って植えられているソメイヨシノは花散らしの雨に打たれていた。日本でソメイヨシノの開花が最も早い高知では、既に桜の季節も終わったようである。ホテル最寄りのバス停から空港行きのリムジンバスに乗って、高知龍馬空港へ。初めて乗るフジ・ドリーム・エアラインのエンブラエル機は、シートピッチも広く革張りシートで、隣席に他人が乗っていても快適だった。JALのコードシェア便でもあるので、JALマイルもたまり、選択肢のひとつに加えてもいいなとも思う。


28年前「四国方面」の表示に感動


乗り継ぎに飽き飽きした末、高知へ


往年の153系と見紛う115系濃黄色車


13時間の旅路の果てに雨の高知駅に到着


ホテル日航高知旭ロイヤルと散り急ぐ桜


雨の朝、部屋から見えた山は霞んでいた


鰹のたたきが並ぶ朝食バイキング

名古屋県営小牧空港に降り、久々の西春駅へ。名鉄電車に乗車し、名鉄名古屋からはミューシートを奢って、今回最後の旅気分を楽しんだ。Spring Tourということで、この旅の間ずっと過去のSpring Tourの曲を聴いていたが、ついにネタ切れ。初夏に似合う曲を聴くことにした。今の会社に在籍している間に行くSpring Tourは今回が最後になるが、季節が変わってもまだまだ旅は続いていく。そんなことを感じた瞬間だった。


最上階のレストランで優雅な朝食のひととき


高知龍馬空港からは初搭乗のFDA機で

<終>

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