Retry Spring Tour 2018
ホテルの窓から京都駅を見下ろす

西 の サ イ ド チ ェ ン ジ
先月の旅は、たった12分の遅れが大事に至ってしまった。走りながら考えるのでは、純粋に旅を楽しんだ気にならない。そこで再び「おとなびパス」を利用して、Spring Tourにリトライしてみる。といっても、先月の旅に行く前から、この旅に行くことは決まっていたんだけど…。

前回は京都へのアプローチで、臨時のぞみ号の喫煙車で燻されて大変だったので、今回はお馴染みの列車にすがってみた。それは「ひかり481号」岡山行きである。前の会社にいたころは、仕事終わりにこの列車を捕まえて、そこでタバコをくゆらせながら水割りを飲むのが楽しみだった。残念ながら昨春のダイヤ改正でN700系化され、シートでタバコを吸うことができなくなってしまった。このことをきっかけに、次発の700系こだまから名古屋で臨時のぞみに乗り継ぐパターンが定番となった。しかし禁煙を決めた今となっては、1時間少々の京都までなら空いている方で行くのが賢い選択である。そういうわけで旅立ちの「ひかり481号」が復活した。

とはいってもタバコの買い置きが無くなるまでは喫煙者なので、京都に着くまでに喫煙コーナーに行かねばならんのがかったるい。こんなんで本当に禁煙できるのだろうかと思ってしまう。2回ほど喫煙コーナーに通い、京都に到着。八条口から徒歩3分のR&Bホテルに午後8時前にチェックイン。後続のこだま+のぞみだと約1時間遅れになるので、昔から何度も書いているが、浜松〜西明石間が「のぞみ」となる「岡山ひかり」は速い。この日オンエアされた「笑ってコラえて!」で、私が翌日に訪れる浜坂へのダーツの旅が放映されるというので、チェックインは早いほどありがたかったのだ。オンエアでは大雪後の浜坂の様子が流れていた。明日はどんなだろうか?


きのさき1号グリーン車で豊岡駅へ


かばんラッピングバスでコウノトリの郷へ

翌朝は京都発7時32分の特急きのさき1号で豊岡に向かう。287系4両編成とコンパクトな特急で、城崎温泉向きの先頭車は半室グリーン車となっている。おとなびパスのグリーン車用を持っているので当然グリーン車を予約するのだが、1列+2列のシート配置のうち、1列側をついつい選んでしまう。しかし、いざ乗ってみると1列側は全席埋まっているのに、2列側は終点までガラガラということがありがちである。だったら2列側を選べばいいだろと言われそうだが、もし隣に客が来たら窮屈だなぁと思うからこそ、前後に混んでいても1列側を選んでしまうのである。もちろん今日もそのパターン。シートをリクライニングする時は、前後の人への気配りを忘れずにというやつである。

天気予報は雨だったが、今のところは降っていない。なんとか豊岡、浜坂を回るまでは本降りになって欲しくないなと思いつつ丹波路を進んだ。京都を出発してから2時間ちょっとで豊岡到着。ここで列車を降りた。駅前に出てみると、幸いにも雨は降っていない。バス停で全但バス団地線・コウノトリの郷公園行きに乗車。バスのラッピングは、かばんをイメージしたもので、いかにも豊岡らしい。駅から15分ほどでコウノトリの郷公園に到着。この旅で最初の目的地である。

コウノトリといえば、特別天然記念物にして絶滅危惧IA類、世界に2,000羽ほどしか個体がいないというわけで、実際に目にするだけでラッキーな鳥である。それが、このコウノトリの郷公園に来てみたら、公園外の田んぼにひょっこり立っていて驚いた。人工巣塔で身づくろいしていたコウノトリは、エサを見つけたらしく、田んぼに優雅に舞って行った。佐渡島のトキのようなイメージでここを訪れたが、ここではコウノトリが生活の横に息づいているということが分かった。こんなコウノトリにいたく感激し、旅が始まって間もないというにも関わらず、職場用に「こうのとり伝説」という饅頭を買ってしまい、その後の旅に少なからず影響を及ぼした。そんなコウノトリの郷公園であった。

公園を11時12分のバスで脱出し、往路と同じかばんラッピングのバスで駅に戻った。かばんの町ということで、豊岡には「かばんの自動販売機」があるとテレビで見たことがある。バスの運転手さんに聞いたところ、自販機のあるカバンストリートのそばを通り過ぎてしまっていたようで、歩いて戻るにはかなりかかるとのこと。また、コウノトリの郷公園の売店にもあったそうで、ダブルショック。思い出すタイミングの悪さを呪いつつ、そのまま豊岡駅に向かった。


里山に囲まれたコウノトリの郷公園正門にて


非公開エリア手前の湿地は棚田のよう


人工巣塔で身づくろい中のコウノトリ


兵庫県但馬地方の要衝である豊岡駅


コウノトリ文化館内の剥製展示

豊岡駅からは「はまかぜ1号」で浜坂に向かう。大阪を発着するが、主に兵庫県内のみを走り、私は「兵庫県民特急」と呼んでいる。姫路より播但線を走るが、昔から播磨地方(姫路周辺)と但馬地方(豊岡周辺)の結びつきは強く、3往復の特急が播磨と但馬を結んでいる。地方の鉄道が斜陽化する状況の中で、新型車両を導入するくらいなので、単なる「カニカニ特急」ではない。

それでもこの時期はカニ目当ての乗客が多く、城崎温泉であらかた降りてしまった。その後はいわゆる県境エリアとなり、車内の雰囲気はゆるーい感じになる。昨年4月にSpring Tour 30年ということで、山陰線のこの区間で、おニャン子クラブの「サイド・ライン」を聴くことがメインの旅をした。一応その旅で、おニャン子に関しては一段落させたのだが、やはりこの時期に、この区間に乗れば「サイド・ライン」を聞かないわけにはいかない。というわけで浜坂を挟んで鳥取までループで聴き続けた。その時に思ったのは、「サイド・ライン」をこの時期に聴くと、天浜線でも山陰線のように感じるのではないかということ(特に曇りや雨の日)。天浜線も山陰線も里山を縫うように走り、ときどき海(湖)が見えるという点では車窓が似ている。ならば、わざわざ遠くまで出かけなくても、近場で山陰線の雰囲気を楽しめるのではないか? 「サイド・ライン」というアルバムは「どこでも山陰線」だと思った。

余部橋梁を過ぎて、終点の浜坂に到着。次の鳥取方面は接続が悪く、1時間11分の待ち合わせ。予定通り、この時間を利用して日本海を見に行こうと思う。ここで雨が降っていると出不精になり、駅の待合室でスマホをいじってよしとなってしまうが、幸いにも雨が上がっていた。駅前広場からまっすぐに伸びる道を歩き、三差路で「味原川沿いの古い町並み→」みたいな案内板があり、それにしたがって右折。しばらく歩いてまた案内板があり左折。すると郵便局の手前に小川が流れており、それが味原川だった。浜坂では何度か降りているが、ここに来るのは初めてだった。古い石垣が川を取り囲んでおり、お城とお濠のように見える立派なものである。浜坂のお城は山城なので、もちろんこんな海の近くの平坦地に城はない。北前船の寄港地は隣の諸寄だし、浜坂にこんな立派な石垣を築ける豪商・豪農がなぜいたのか不思議である。

味原川沿いの町並み保存地区を過ぎて、河口の方に歩いていくと、やがて日本海に突き当たる。2007年のゴールデンウィークにここを訪れ、あまりの人気(ひとけ)の無さに「ここも同じ日本か」と感じ入った場所である。その後、この海岸を含む東西120キロが「山陰海岸ジオパーク」と認定され今に至っている。とはいえ、それがきっかけで当地の観光客が爆発的に増えたとは言えない状況で、11年前の5月と同様に誰もいない海だった。逆に言えば、どんなピークシーズンだろうが、ここに来ればゆっくりできそうで、私にとってはオススメの場所だったりする。

浜坂海岸から駅に戻る時、方向が分からなくなり地元の人に道を尋ねながら戻った。スマホを見れば解決するが、見知らぬ人に道を尋ねるのもオツである。昨夜、当地のダーツの旅がオンエアされたが、番組のディレクターもそんな感じで取材を楽しんだのだろう。

駅に戻ってほどなくすると、鳥取行きの鈍行列車が入線してきた。キハ121系の単行で、旅客移動の少ない県境列車に相応しい。たった1両でもワンボックスに1人ずつ座っているような状態で、気ままに足を伸ばせた。シートが固いことを除けば、実に優雅な時間を過ごすことができた。途中、トワイライトエクスプレス瑞風が停車することで一躍脚光を浴びた東浜駅にも停車したが、運航日でなければ普段着の駅の様子が垣間見え、これはこれで興味を引いた。

鳥取からは再び特急乗継の旅となる。まずはスーパーまつかぜ7号に乗車。鳥取〜米子間の乗車となるが、92.7Kmを1時間3分で走破し、表定速度は88.3Km/hとビックリするほど速い。単線非電化の線路ではあるが、伝統ある幹線でもあり、線路状況は良好である。100キロ以上のスピードで駅のポイントを通過しても、ビクともしない。カーブでは振り子機能が働き、これまた豪快な走りである。とにかく山陰の都市間を速く結ぼうとする姿勢は立派であり、評価に値する。

米子までは日本海側を走ってきたが、ここから瀬戸内に進路を変えて博多を目指す。本州の西の端である下関がゴールだとすると、右サイドをドリブル突破して、中盤でサイドチェンジして、左サイドからゴールを目指す感じである。ジュビロ磐田がJリーグ入りした頃に、ジェラルド・ファネンブルグという選手がいたが、彼の右サイドから対角線へのサイドチェンジのパスは糸を引くようだった。今回の旅で、彼を彷彿とさせるようなサイドチェンジができるかどうか見ものである。


兵庫県民特急「はまかぜ」が豊岡駅入線


何度通っても写真を撮ってしまう余部橋梁


兵庫県の左上の隅っこにある浜坂駅


味原川沿いの石垣のある街並みは初訪問


山陰海岸ジオパークとなった浜坂サンビーチ


両運転台単行のキハ121鈍行で鳥取へ


非電化単線でもぶっ飛ばすスーパーまつかぜ


霧にかすむ高梁川を見ながらサイドチェンジ中


老兵381系のパノラマグリーン車で岡山に到着


岡山駅へ入線する「のぞみ45号」N700系


すみません確認不足です。博多にて

さてサイドチェンジに利用する列車は岡山行の「やくも24号」。パノラマグリーン車に乗るが、残念ながら逆向きの展望なので、車両の中間に乗車した。制御なし自然振子の381系なので、車両の真ん中の方が不快な揺れが少ないのである。で、米子乗車時点からアルコール解禁。酔いが進むにつれて車両の傾きなどは関係ない状態になってくるから、結局車両の真ん中だろうが端っこだろうがどっちでもよくなる。鳥取から降り始めた雨は徐々に強くなり、新見からは本降りとなった。車窓が暗くなり、墨絵のような景色が続く。そのうち平野に出て、備中高梁、倉敷と停車すれば岡山は目前。米子から2時間13分も乗車したが、酔ってしまえば瞬間移動である。

岡山で新幹線改札を抜けて「のぞみ45号」に乗り換え。本当は逆方向の今日の宿泊地・新大阪に向かっても全く困らないが、700系ひかりのグリーン車になるべく長時間乗車したいので、あえて博多に向かう。といっても定期のぞみはN700系なので、たばこが吸えるのは喫煙コーナーだけ。そういうわけで、グリーン席にもれなく付いているコンセントを利用して、ここまでの旅の画像の整理に精を出した。画像のサイズを変えたり、コントラスト調整をしているうちに、タバコを吸う間もなく、あっという間に本州脱出。博多到着直前で、作業がようやく一段落ついた。

博多駅では一応出口に向かい、改札口でUターン。すぐにホームに戻った。しかし乗車する「ひかり444号」は既に入線しており、先頭車両を撮影するのは難しくなった。それではと発車案内板を撮ったが、シャッタースピードが速すぎて、列車名も時刻も行先も判別不能の画像になってしまった。本来なら撮影後すみやかに画像を確認して、失敗していればそれなりの対応をするところだが、この時点で4時間以上飲み続けており、そんなことに気付かずに乗り込んでしまった。結局、博多にいたというアリバイ写真もなく、新大阪に戻ることになってしまった。


ホテルの窓から次々に発車する新幹線を見る


283系くろしおの背景が新大阪っぽい


【前面展望】鳳の車庫にたたずむ103系


283系クロは千鳥形のシート配置


【前面展望】283系どうしの交換風景

なにはともあれ、ひかり444号の喫煙グリーン席に座り、走る居酒屋の続きを始める。たばこを吸っては水割りを飲むの繰り返しで、コンビーフ缶をつまんでいたが、なかなか減らない。博多〜新大阪間の所要は2時間41分だが、結局つまみはこれだけで済んだ。今後禁煙するとなると、酒を飲んだ時のつまみの量が増えるんだろうなぁとも感じた。

さて、今朝は4時台に起きているし、岡山→博多で目を酷使する作業をしたので、広島付近で急に疲れが出た。ちょうど22時を回るか回らないかの時刻である。それでも喫煙可能な「走る居酒屋」に、こんな飲み頃の時間に乗れるのは一生のうちで最後と思い、眠い目をこすりながら飲み続けた。不思議なもので、ある程度睡魔を我慢すると逆に目が冴えてくるようで、岡山を出るころにはいい感じになってきた。姫路、新神戸と停車するたびに「もうちょっと乗っていたいなぁ」とさえ思えてきた。六甲トンネルを抜け、大阪の夜景が車窓に広がるころ、音楽プレイヤーからオリジナル・ラヴの「接吻」が流れてきた。雨に滲む街の灯に心が震えた。

23時32分に終点新大阪に到着し、その晩はヴィアイン新大阪に株主優待割引で宿泊。翌朝、窓を開けると、次々に東京へと旅立っていくN700系が、巣立っていく鳥のように見えた。さて睡眠不足のまま、7時33分発のくろしお1号に乗車せねばならない。この列車は、その昔「オーシャンアロー」と呼ばれた283系で運行される。南紀方面の観光特急という位置づけで、先頭車は前面展望可能なパノラマグリーン車、3号車にも展望ラウンジがあり、こちらは誰でも利用できるようになっている。せっかくグリーン車用のおとなびパスであるので、ここは運転席かぶりつきの1番C席を予約している。

新大阪を発車すると、すぐに初っ端の佳境、梅田貨物線を走る。阪急のガードをくぐると単線になり、ゆっくりとなにわ筋の踏切を通過し、高架を上がって福島駅で大阪環状線と合流する。西九条手前で外回り線を渡り、内回り線に合流して天王寺へと向かう。この一連の流れを前面展望できたのは初めてだったので、いちいち感動して独り言を言っていた。

天王寺でしばらく停車して阪和線へ。鳳駅を過ぎると車庫があり、余命わずかの103系電車が出番を待っていた。日根野を過ぎると車窓が単調になり、思わず居眠り。目が覚めると紀の川を渡っていた。和歌山あたりで日が差し始め、春のうららかな気分とは裏腹に、複線区間である紀伊田辺までは、振子機能全開で飛ばしまくる。やがて車窓右手に太平洋が見えるようになり、日本海、瀬戸内海に続いて太平洋沿いにサイドチェンジを果たした。紀伊田辺を過ぎ、白浜を発車すると、列車のスピードは落ち、車内はのどかなムードに変わる。本州最南端の町である串本を過ぎれば、名勝・橋杭岩が車窓を飾り、そのうち紀伊勝浦、新宮へと進んでいく。新大阪から4時間16分の乗車だったが、列車に乗ること自体がアトラクションで、全く飽きなかった。

白浜からは路線バスの旅となる。半期に一度、三重交通の株主優待券が2枚送られてくるので、今回はそれを使って松阪に出るつもりである。まずは熊野市方面へのバスに乗車する。ひょっとしたら高速バスタイプの車両かもしれないと思ったが、実際は小型の定期車両だった。故種村直樹氏お気に入りの「外周シート」(運転席近くの進行方向左側最前列の席)に陣取り、初乗りとなる熊野市駅までの車窓を楽しんだ。小松菜奈・菅田将暉主演の映画「溺れるナイフ」のロケ地となった新熊野大橋を渡ると三重県に入る。「溺れるナイフ」を初めて見た時、「これって新宮じゃない?」と思ったが、それだけ新宮は特徴的な地形と路線を持っている。バスは熊野市まで、ほぼ七里御浜沿いを走り、太平洋は松林に遮られてほとんど見えないが、時折顔を出す海に「オッ」と思ってしまう。45分ほどでJR熊野市駅に到着し、そこで乗り換えるためバスを降りた。

熊野市からは三重交通の南紀特急バスで一気に松阪を目指す。昨秋に熊野市内の盆地にある紀伊佐田バス停まで乗車しているので、熊野市駅前からそこまでが初乗り区間となる。熊野市駅のバス停に「松阪行」の文字が無くかなり焦ったが、松阪行のバスは駅前から50メートルほど市役所方面に向かったところにある、熊野市駅前バス停から発着するのである。まぁ乗り継ぎ時間が30分もあったから事無きを得たが、これが酔っぱらっている状態だったら確実にバスに乗れなかっただろう。ほぼ定刻の13時48分ころ発車したバスは、名勝・鬼ケ城をトンネルで抜け、そこから一気に標高を稼いでいく。ほぼ片勾配で、坂を登り切ったところが紀伊佐田バス停だった。これで肩の荷が下りた。後はだらだらと車内で過ごしたが、沿線中で最後に太平洋が見える荷坂峠越えだけは逃さなかった。「A Farewell To The Seashore !」ここをこの旅の終焉の地とした。


本州最南端の串本で橋杭岩が車窓をよぎる


【前面展望】振り子列車はこんなに傾く


4時間16分の旅路を終え新宮駅にたたずむ


南国ムードの新宮駅は熊野古道の玄関口


七里御浜を行く三重交通の路線バス


熊野市駅でバスを乗り継ぐが…バス停は?


高速バスタイプの松阪行き三重交通バス


荷坂峠より太平洋を望み南紀に別れを告げる

<終>

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