シリーズ“日本を走ろう”@

RX-8を駆って四国山地へ


まもなく午前1時。闇を切り裂く疾走で松山へ

鉄道旅行や洋楽など、未だに趣味といえることに関して、私が扉を開いたのは、今から34年前の中学1年生の時(1979年)。その時の担任の先生は渥美先生という奈良女子大を出たばかりの才女だった。その渥美先生がマイカーにしていたのは、赤いマツダ・ファミリアロータリークーペ。家庭訪問の時、次のクラスメイトの家を案内するために一度だけ乗せてもらったが、当時からクルマ好きだった私は、その出来事に嬉しくて興奮しまくったのを覚えている。その後、ロータリーエンジン搭載車とは不思議と縁がなく、運転はおろか、34年間一切乗ったことがなかった。で、最近になって、ひょんなところからタイムズレンタカー(旧マツダレンタカー)の松山店でRX-8が借りられることを知り、夏の旅の足として予約。かくして34年ぶりに ロータリーエンジンのクルマに乗ることになった。

いつものとおり、金曜日の仕事が終わったあと、浜松を18時37分に発車するひかり号で岡山に向かう。岡山で、松山行きの特急しおかぜに乗り換え、夜更けの瀬戸大橋を渡り、予讃線を疾走。新幹線の中でかなり飲んでいたため猛烈に眠い。せっかくグリーン車を奢っていたものの、シートをめいっぱい倒して寝台車がわりに使ってしまった。松山駅の到着は日付がとうに変わった0時52分。岡山からほとんど夢の中だったので、3時間の道のりが本当に短く感じた。


1973年以来熟成を重ねた13B型

翌朝8時、タイムズレンタカーの松山店でガンメタのRX-8を借り出した。普段乗っているプリウスと比べると、カタログ上での全長・全幅は同じようなもので、高さだけが異常に低い。乗ってみるとシート高も低く、足を投げ出すようなドライビング・ポジションとなる。さっそく走り出してみると、普通に運転している分には普通のクルマで、エンジン音もほとんど聞こえず、逆にロードノイズが気になる感じはプリウスそのものだった。また、ロータリーらしいといえばロータリーらしいのだが、エンジンブレーキがほとんど効かないため、フットブレーキかシフトダウンで速度を落とすことになる。シフトダウンにおあつらえ向きのパドルシフトが装備されていたが、マニュアルモードにしてしまうと、信号停車の際には、発進時に自動 でシフトアップしないため、忘れているとしばらくローギアで走ってしまう。後で述べるが、こんなことも燃費の悪さにつながったのかもしれない。

さて、今日の行程は国道33号線で四国山地を貫き高知県の佐川へ。その後、伊野インターから南国インターまで高知道を走り、国道32号線に降りて土佐北川駅と「杉の大杉」を訪ねる。再び大豊インターから高知道に入り、県境のトンネルを幾つも抜けて愛媛県に戻り、今治でレンタカーを乗り捨てるという総走行距離250キロのルート。予算とスケジュールの都合上、クルマを6時間しか借りていないので、けっこう忙しい行程である。まずは、松山環状線を西から南へ4分の1周し、天山交差点で右折して国道33号線に入った。

かつて松山と高知を結ぶ交通機関といえば、国鉄バスの高知松山急行線だった。四国に高速道路のない時代に、国道33号線を経由して県庁所在地どうしを結ぶ急行バスで、愛称は「なんごく号」。昭和40年代から日本国中のみどりの窓口で指定券が買えた花形路線だった。松山道、高知道といった高速道路が開通した現在では、松山と高知を結ぶ路線バスは高速バスに取って代わられ、高知松山急行線はローカルバス(一部は廃止代替バス)が細々と走る路線となった。

一方で、国道の方は改良が続き、松山側の入口にあたる砥部道路や山岳地帯を貫く三坂道路が開通。将来は高知松山自動車道となる予定である。確かに、久万高原を抜けて佐川の手前までは通行量の少なさ、あるいは信号がほとんどないということで、なんのストレスもな くドライブできた。あまりにスイスイ走れるので、沿線唯一の道の駅「みかわ」をすっ飛ばし、そのあと適当なトイレ休憩ができる場所がなくて困ったほどである。それはともかく、かつての一級国道らしく高速コーナーが続くワインディングロードで、フロントミッドシップらしいキビキビとしたコーナーリングをこなすRX-8に好印象を持ったことである。

松山を出発して2時間あまり。そろそろ疲れてきたので「道の駅」を探していたが、いっこうにそんな施設は現れない。というわけで本当の「駅」で休憩を取ることにした。日高村の中心駅である日下駅前にクルマを停めて、あらためてRX-8を眺めてみた。スポーツカーでありながら4枚ドアを持っているが、後ろのドアのヒンジはドアの後ろに付いており、いわゆる観音開きとなる。続いてエンジンルームを開けると、ほとんどがカバーされていた。このカバーの運転席側の下に13B型エンジンが収まっている。このエンジンが初めて搭載されたクルマは1973年のルーチェGT。以来改良につぐ改良を重ね、RX-8に載るエンジンは排気量やロータ半径は同一だが、その他は全く別モノといって差し支えないほど熟成されたエンジンである。いつまでも 眺めていたいところだが、時間もないのでさっさとボンネットを閉めて出発。伊野インターに向かう。土佐電鉄が併走し、高知市街は間近だということを実感した。

伊野インターから南国インターまでは、つかの間の高速道路利用。せっかくなので南国SAで休憩し、本線合流時にパドルシフトを使ってフル加速してみた。ローギアに入れアクセルを踏み込むと、レッドゾーンの9,000rpmまでストレスなく一直線に回転が上がる感じ。あわててシフトすると、セカンドでも同様にレッドゾーンまで一直線。そこで法定速度を越えてしまうので、3速を飛ばして4速に入れ、アクセルを緩めた。トルクの盛り上がり感がないので「エンジンをブン回している」という感じが薄いが、スピードは滅法速い。こんなところも普段乗っているプリウス(特にモーターだけで加速した時)に似ているなと思った。


適当な「道の駅」が無く日下駅前で休憩中


RX-8の特徴である観音開きドアを開けたところ


国道33号線伊野を過ぎると土佐電鉄が併走


高知道の南国SAで休憩。このあとフル加速


一度訪ねてみたかった土佐北川駅に到着


穴内川に架かる橋の上にあるホームへの歩道


島式1面2線ホームに上る階段

南国インターで高速を降りて、今度は国道32号線を北上する。国道33号と同様にこちらも昔の一級国道。コーナーひとつひとつのRが途中で変わらないので非常に走りやすい。鼻歌気分で峠をひとつ越え、高速の高架橋をくぐると、目指す土佐北川駅は目前である。

土讃線の土佐北川駅は、普通列車しか停まらない山間の小駅である。しかし駅の構造は日本で随一といっても良い。この駅のホームは吉野川水系穴内川に架かる鉄橋上にある。まぁここまでなら日本に数駅存在するが、土佐北川駅は1面2線の島式ホームで、そのホーム幅も鉄橋上にある関係で非常に狭い。土讃線の特急「南風」号などに乗ると、豪快なこの駅の通過シーンを見るために先頭車両に出向くほどである。一度この駅で降りてみたいと思っていたが、なにせ不便な駅ゆえ(一日に上り8本、下り9本しか停車しない)今まで訪問の機会がなかった。今回クルマを使ったとはいえ、長年の夢が叶って感無量である(ちょっと大袈裟か…)。ホームに上る階段脇にある洞穴のような待合室に時刻表が掲げられていた。「次の列車は…」と 眺めると、4時間ぶりの上り列車があと10分で来る!時刻を調べずに寄ったのに、なんてラッキーなことか!

12時2分発の阿波池田行きの鈍行列車は単行ワンマン列車だった。発車時刻よりかなり早めに入線したので、「これは…!」と思っていると、案の定「南風」が轟音を上げて通過していった。このシーンを見てお腹いっぱいになり、阿波池田行きの発車を見届けてクルマに戻った。国道32号を5分ほど走ると、有名な「杉の大杉」の前を通過する。何度か来ているが、私のバイブルである種村直樹さんの「鈍行列車の旅」で情感豊かに取り上げられた舞台である。そのまま素通りするわけには行かず、美空ひばりの遺影碑ともどもありがたく拝謁させてもらった。


ホームへの階段の手前に待合室がある


トンネルとトンネルの間、橋梁上にあるホーム


鉄橋の上にあるためホーム幅はきわめて狭い


特急列車の通過交換退避中のワンマン鈍行


感慨深い「杉の大杉」との再会


大杉そばにある美空ひばり遺影碑


轟音とともに特急南風号が通過していく


今治桟橋バス停に進入するしまなみライナー


県境に架かる「しまなみ海道」多々羅大橋


ゆかりの岡山地区で活躍する213系電車

レンタル期間の6時間は長いようで短い。杉の大杉最寄の大豊インターから高速に入ったのが12時30分過ぎ。返却期限まで1時間半を切っている。長短いくつものトンネルを抜けて再び愛媛県へ。海沿いを走る予讃線と異なり、四国山地のふもとを東西に走る松山自動車道はトンネルも起伏も多い。いよ小松JCTから今治小松道路に入り、今治湯ノ浦インターへ。期限の14時には30分ほどあり、給油時間込みでもなんとか間に合いそう。15分後、タイムズレンタカー今治店の向かいにあるセルフスタンドで給油。走行距離260Kmで燃料を24.5リットル消費した。かなり条件のいい場所を走っているはずなのに、リッターあたり10キロそこそこの燃費に、ちょっとがっくり。それもハイオク限定である。このご時世でこんな燃費では、ロータリーエンジン搭載車が消滅 したのも頷ける。マツダにはスカイアクティブもあるしね。。。

今治店のお兄さんに今治桟橋まで送ってもらい、14時23分発車の中国バス「しまなみライナー」に乗車。夏日きらめく瀬戸内海を見ながら1時間半の高速バスの旅を楽しんだ。福山からはお楽しみの213系乗車。1987年の春、深夜の岡山駅から宇野行き「備讃ライナー」に乗車し、ピカピカの転換クロスシートが並ぶ車内にいたく感動してから四半世紀。213系ゆかりの岡山地区で、またその乗り味を確かめられるのはかなり嬉しい。山陽本線を快走する列車の中で、アルコールのピッチが上がったことである。しかし好事魔多し。西阿知駅を出発直後に踏切事故の影響で立ち往生。ちょうどその日の夜に「おかやま桃太郎まつり納涼花火大会」が開催されるということで、15分遅れで到着した倉敷では列車2本分の乗客が2ドアの213系6両編成に殺到。 ぎゅうぎゅう詰めの車内とあっては、四半世紀前の感慨に浸るヒマはなかった。唯一の救いは岡山から乗車する予定のひかり号を、余裕を持って1時間後の18時21分発にしていたことだった・・・。
<終>

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