留 萌 撤 退 戦
はやぶさ5号の乗客の8割は終点まで乗り通した

旅先でヒマになると、その旅のタイトルを考える。もちろん、ネットにアップするために、何かタイトルを決めねばならないので、半ば強制的にではあるが…。で、今回のタイトルは、目的地の留萌を発つ時には「13-1 ワンサイドゲーム」にしようと思っていた。浜松から留萌まで13時間かけて行き、肝心の留萌には1時間ちょっとしか居れなかったからである。しかし旅の2日目に、徐々に戦況が悪化していったため、「撤退戦」という旅行記にあるまじきタイトルをつけるに至ったのである。


台風21号が接近し、午後には新幹線が運休になる9月4日朝6時20分、浜松始発のこだま702号で出発。東京ではやぶさ5号に乗り継いで、お昼すぎに新函館北斗駅に到着した。この時間には台風21号は徳島に上陸していたが、北海道にはまだ影響はなく、時折太陽が顔をのぞかせていた。それにしても中高年の乗客が多く、スーパー北斗11号は満席である。自分もそうだから人の事は言えないが、「大人の休日パス 秋の東日本・北海道スペシャル」で旅行している人がほとんどだろう。そして新函館北斗から乗車した人は、ほとんど漏れなく札幌まで乗り通すのだった。

札幌で20数分のインターバルがあったので、いったん改札外に出た。そこで気になる案内掲示を見つけてしまった。明日5日の午前中に発車する特急列車に運休が発生するというものだ。16時30分発のカムイ29号に乗車し、気になってJR北海道のサイトにアクセスすると、明日の留萌本線は16時まで運休するとのこと。そもそも、なぜ留萌を目指すのかというと、大学時代の同級生である孝ちゃんが、現在留萌に勤務しているから。で、来年は卒業30周年ということで、1989年2月に伊豆大島に卒業旅行に行った仲良し4人組で、大島を再訪するという計画があり、その打ち合わせをするということにかこつけて、留萌で飲もうということになったのだ。

台風接近ということで、留萌本線が運休となった場合のBプランとして、あらかじめ路線バスで深川に出るという計画を持っていた。しかし早々にJRが運休を決めてしまったため、Bプランひとつでは心もとない。そこで地元の孝ちゃんに、路線バスの信頼度を確かめるべく電話を掛けた。でも出ない。ちょうど勤務が終わりがけで忙しいのだろう。というわけで、いろいろと頭をめぐらしたが、JRが運休になる以上、バスも運休になる可能性が高いと判断した。そのため留萌を20時20分に発車する列車で深川に戻ることにした。留萌の到着予定は19時09分なので、留萌滞在は1時間ちょっとになってしまったが、まぁ仕方ないか…。


函館みかどの「北の駅弁屋さん」

深川で留萌本線に乗り換え。長いホームにぽつねんと待っていたのはキハ54。0系か200系新幹線の簡易リクライニングシートを再生利用した座席が並ぶ車内で、私は割と好きである。その集団見合い式のクロスシートの、テーブル付のお見合い席に陣取り、今夜の宿の手配をしたり、今後の行程を立て直したりしていた。ようやくキリがついたころ、ヘッドホンから流れてきた曲はミーシャの「エヴリシング」。すっかり暗くなった山間の駅に響く、伸びやかなボーカルにすっかり魅了されてしまった。実は9月1日放送のSBSラジオ「テキトーナイト」をダビングして今回の旅のお供にしており、たまたま「エヴリシング」が流れてきたわけである。ラジオを好きなところは、普段聞かない曲が脈略なく流れるところだが、今後「エヴリシング」を聞くたびに留萌本線のキハ54を思い出すんだろうなぁ…。

留萌駅に着くと、孝ちゃんとの挨拶もそこそこにタクシーに乗せられた。行先は蛇の目という寿司屋。なんでも「スペシャル」という名の握り寿司おまかせコースは、注文してから時間がかかるということで、ビールを頼む前にまず注文した。ネタの中では数の子がオススメらしい。というのも当地留萌は数の子の生産量が日本一だからとのこと。帰りに留萌駅でゆるキャラ「KAZUMOちゃん」を撮影したが、これももちろん数の子がモチーフである。

留萌での滞在時間は1時間ちょっとしかなく、あまりにも短い。孝ちゃんも「もてなした客のなかでは最短記録」と言っていたが、来春の大島旅行の件やメールアドレスの件、そしてこのページに掲載用の2ショット写真など、やらねばならないことはあらかたこなした。最後に日本最北端の酒蔵という触れ込みの、国稀酒造の日本酒を2杯飲んでお開きとなった。帰りもタクシーで駅まで送られて、5分ほど駅の待合室で孝ちゃんと話して、それでお別れ。往路と同じ車番の列車に乗り込み、窓を開けて孝ちゃんに手を振った。

深川まで1時間、そして函館本線の普通列車に乗り換えて岩見沢まで1時間。よせばいいのに延々と水割りを飲んで、すっかり回ってしまった。キハ54といい、深川から乗った721系電車といい、鈍行とはいえ呑みテツには格好の車両である。その日は岩見沢駅から徒歩5分の、岩見沢ホテル4条に投宿し、台風21号の来襲を待った。


はやぶさ5号の乗客はそのままスーパー北斗に


台風接近前の札幌駅は晴れ間も差していた


空知名物の「雲が低く見える空」


深川でカムイ29号から下車


留萌行きキハ54がたたずむ


留萌滞在1時間の大半は蛇の目


スペシャルという名のおまかせ


早朝の岩見沢駅に貼られた案内

翌朝は5時に目覚め、まずNHK総合にチャンネルを合わせた。午前4時ころ台風21号は留萌沖を通過し、猛スピードで北海道から離れていっている模様。外が明るくなるにつれて風も徐々に弱まっていった。続いてネットで交通関係のチェック。函館本線は正午くらいに動き出す模様で、それなら今日中に浜松まで戻れそうで、ひと安心。留萌〜深川の路線バスも始発から動いているらしく、昨夜孝ちゃんが言った「JRはすぐ運休になるけど、バスはちゃんと動く」というのは本当だった。これなら留萌に泊まって、もっと孝ちゃんと飲んでればよかったなと後悔した。

本来の行程は、はやぶさ30号14時44分発で北海道を脱出するが、もしもの事を考え、ぎりぎり今日中に浜松に戻れる17時21分発はやぶさ38号の指定席も押さえたい。そのため朝7時ころ、岩見沢駅の窓口に出掛けた。昨夜通過した台風21号の暴風はかなり強かったらしく、駅に行くまでに、普段道路上にはないごみ箱やプランターなどが転がっていた。朝から一本も列車が走っていない駅はガラガラで、みどりの窓口で手持ちのライラック指定券(運休)から、はやぶさに指定変更してもらった。

宿のチェックアウト時間は10時ということで、その時間まで情報収集をしていたが、午前9時ごろ乗車予定だったスーパー北斗10号の運休が決定。チェックアウト後、再度窓口に行き、札幌13時32分発のスーパー北斗14号の指定席を所望するも満席。スーパー北斗10号の指定券は、18時36分発のはやぶさ42号の指定券に変更してもらった。これが今日新函館北斗から東京まで行く最後の新幹線である。

さて、いつ動くか分からないJRを待つより、高速バスで札幌に出た方が賢明だと思い、高速いわみざわ号に乗車し、札幌駅に向かった。その車内で札幌16時39分発のスーパー北斗20号まで運休することを知り、愕然とした。今日中に帰るためには、函館までJR以外の手段で行かねばならなくなったからである。札幌〜函館間の高速バスは満席、飛行機もダメとなると、レンタカーを借りるしかないかなとも思ったが、乗り捨て料金を含めて借りるだけで2万円以上。プラス高速代とガソリン代がかかるとなると、飛行機で中部なり羽田なりに飛んだ方が良さそうである。高速バスの車内で確認した時には、中部空港行きの当日分はいずれも空席があったが、普通運賃ゆえ4万円以上もするため一旦保留とした。

11時ころ札幌駅に到着し、空港行きバス乗り場に行くと、数百メートルの行列が続いていた。一番最後に並ぶといつ乗車できるか分からないので、大谷地バスターミナルからの便に乗ることにした。札幌地下鉄は動いており、南北線から東西線に大通で乗り換え大谷地へ。車内で飛行機のチケットを取ろうとするも、つい30分ほど前とは状況が大きく違っていた。中部行きは全て満席、羽田行きのプレミアムクラスに1席だけ空席があった。千歳発14時30分のANA66便である。代金は51,790円と、生まれてこのかた、国内線に支払った金額では最高額で、しかも大人の休日パスを所持しているので二重投資となる。いっそのこと明日会社を休んじゃおうかとも思ったが、サラリーマンたるもの遊びの理由で会社を休むべきではないと考え、思い直した。


簡易リクライニング装備のキハ54-500番台


大学の同級生孝ちゃんと20年ぶりの邂逅


留萌のゆるキャラ「KAZUMOちゃん」と数の子


消化不良気味ながら留萌駅で見送る孝ちゃん


デビューから30年経ったが色あせない721系


留萌泊まりの予定が岩見沢ホテル4条宿泊に


未明の強風でいろいろ散乱している岩見沢駅


JRに見切りをつけ高速いわみざわ号に乗車


函館まわりでは今日中に帰れなくなった


14時、17時、18時のはやぶさ指定券は紙屑に


空港連絡バス札幌駅前乗り場に長蛇の列発生


大谷地ターミナルで1時間待ちの末にバス乗車

大谷地バスターミナルでも、空港バスを待つ乗客が列を作っていた。それでも目見当で100人まで行かず、1時間も待てば乗れそうである。行列の一番最後に並んだのが11時45分ころ。約1時間待って12時40分発のバスに乗車できた。これで飛行機に乗り遅れたらシャレにならなかったので、ひと安心。JRが未だに動いていないので、新千歳空港の出発レーン手前で交通集中により渋滞したが、搭乗時刻の45分前には到着しラウンジで生ビールを飲むことができた。

機内は満席だったが、そこはプレミアムクラスなので優雅なもの。赤ワインを3本頼み、少しでも回収しようと努めるが、所詮スズメの涙である。羽田には少し遅れて到着するも、京急から品川でひかりに乗り継いで18時31分に浜松に到着。本来の予定よりも3時間も早く戻ってきてしまった。使わなくていいお金を使ったような気がするが、まぁそこは無事に戻ったのだから不問としよう。これが留萌撤退戦の一部始終である。

<今後の教訓>
9月5日の18時半ころ浜松に戻ったが、翌6日には北海道で最大震度7の地震が発生。北海道全土で停電が発生し、JRはおろか地下鉄も新千歳空港発着の航空便もすべて運休となった。「まぁ、いいか」と会社を休む方向に進んでいたら、翌日も北海道を脱出できなかっただろう。日程を延ばすことなく戻れる手段があるのなら、多少お金がかかってもその手段を使うべきだと、今回強く思った。

さて、遡って留萌に泊まっていたらどうなっていたか…。深川までは路線バスで出られたが、JRは止まったままだったので、結局そこから高速バスか、あるいは留萌から札幌行きの高速バスに乗るか…。旭川に出て旭川空港から脱出という手もあるが、当日そこまで気が回ったかどうか(今回同様二重投資となるので)。いずれにしても4日のうちに岩見沢まで戻ったのは正解で、もっと言えば札幌か千歳泊まりならもっと良かったかも…。

最後に、今回の旅で最も後悔したのは、高速バス車内で中部行きの飛行機のチケットを押さえておけば良かったというところ。ついでに札幌のチケットショップで株主優待券を手に入れれば、もっと支払いは抑えられたはずだ。普段、株主優待券は売るばかりで買っていないので、こんなことに気が回らなくなっている。まぁ売らずにとっておいて、旅先にいつも持っていくという選択肢もあるかな…。それはないな。。。

史上最悪の二重投資。ANA66便で帰途に就く

<終>

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