モーニング アイランド
夏空の下、那覇空港からRAC便で与論へ

夏の与論島。80年代に青春時代を過ごしたわれわれ世代には、字面を見ただけで「青い空、白い砂浜、エメラルドグリーンの珊瑚礁の海。リゾート気分だねぇ…」と連想してしまうが、今どきの若い人たちはピンとこないらしい。伊豆諸島の新島なんかも同様で、昔はわんさと若者が押しかけたが、今じゃ良くてサーフィン、普通は「釣りですか?」なんて聞かれてしまう島になってしまった。まぁとにかく梅雨明けを待って、与論島に旅立った。

与論島へのアクセスは空路か海路。いずれも那覇をベースにすると便利だが、1泊2日の旅程では空路以外の選択肢は現実的でない。那覇空港と与論空港の間は琉球エアコミューターが1日1往復就航し、所要時間は片道35分。与論島と沖縄本島の間は、最も近いところで22キロしか離れていないので、晴れた日には与論島から十分沖縄本島を眺められる距離である。しかし昭和の一部の時期には、この島と沖縄本島の間に国境線が引かれていた。太平洋戦争後、沖縄とともに奄美群島がアメリカ軍の統治下に置かれたが、昭和28年12月に奄美群島が沖縄に先立って日本に復帰した。沖縄が日本に返還されたのは昭和47年5月なので、18年半にわたって与論島は国境の島だったわけである。

中部空港からANA便で那覇入り。北フィンガーからJAL側の南フィンガーに、てくてく歩いてRAC便の搭乗ゲートに向かう。もとより与論行きの機材はボンバルディアDHC-8-Q300なので、搭乗ゲートはバスラウンジ。搭乗客全員を乗せたバスが機材に横付けされ、乗客はタラップを昇って、それぞれの指定された席に散らばっていった。離陸後、うとうと居眠りしていると着陸のショックがあり、あっという間に与論空港に到着。ターミナルビルの到着ゲートまで外を歩かされる、典型的な離島の空港だった。那覇を出る時には快晴だったが、島の上空だけ雲がかかっているようで、どんよりとした曇り空。そのくせ涼しいわけでもなく、グァムあたりと同様、湿気を帯びた熱気にまとわりつかれた。


プリシアリゾートの入口にて筆者

今回の旅は、明日の折り返し便で那覇に戻るわけで、まる1日の滞在。そのほとんどを過ごすことになる「プリシアリゾートヨロン」には送迎バスで運ばれた。チェックイン後、さっそく部屋へ。部屋といってもコテージタイプの一軒家の1階。玄関でサンダルを脱いでリビングに上がる。窓と平行にソファーが2脚おかれているが、窓に近い方はベッド兼用のようだ。それぞれにテーブルが備え付けられていて、これだけでも8畳ほどあり、相当広い。玄関の横には対面式のキッチンがあるが、長期滞在者しか火は使えないようだ。玄関を挟んでキッチンの向かい側にはベッドルームがあり、ツインベッドが置かれていた。ベッドルームの横は洗面所、トイレ、バスルームと続き、バスルームの窓からは海が眺められるという仕掛けになっている。リビングのサッシを出るとウッドデッキになっており、その先は芝生の庭、そして海。庭の左手には屋根付きのジャグジーが鎮座している。まさにリゾー トを満喫できる仕様。1泊朝食付きで2万円ちょっと払っただけのことはあった。

天気が回復してきたので、庭に出てパラソルを開き、ビールを飲みながらデッキチェアでくつろいだ。聞こえてくるのは波の音だけ。静かな夏の午後である。あまりにものどかすぎて、うたた寝してしまった。目覚めると太陽が少しだけ西に傾いていた。眠気覚ましを兼ねてジャグジーに入ってみた。こちらも極楽で、やっぱり気持ち良すぎてうたた寝してしまった。中部空港を離陸してからというもの、ほとんど飲んでいたので無理もないか。。。

飲んで、寝て、飲んでを繰り返すうちにトワイライトタイムになってしまった。このコテージは庭(すなわち海)が北側にあるので、半夏生のこの時期は、海から日が昇り、海に日が沈む。日没時刻は19時半ころ。実際には20時半ごろまで空が明るかった。トワイライトブルーに染まる空に宵の明星がきらめき、いつまでも夕空を眺めていた。で、エアコンの効いた部屋に戻ったわけだが、就寝前「ちょっと夜の海でも眺めてから寝よっと」と思い、夜半過ぎに庭に出てみたら驚いた。空には満点の星。そして天の川。夜になると空気が澄んでくるらしく、また地上の光も少ないので、いつも見上げている夜空とは比べようもない星空が広がるという寸法である。この星空を見られただけでも「与論島に来て良かった」と思った。

明けて7月6日、日曜日。海からの日の出を眺めた後、部屋でまったり。朝の海を眺めていると渡辺貞夫さんの「モーニング・アイランド」のフレーズが浮かんだ。さっそくYou Tubeにアクセスし検索。アルバムヴァージョンのフル・コーラスがすぐに見つかった。それにしても便利な世の中になったものだ。「モーニング・アイランド」が発表された1979年当時は、その曲をエアチェックしたテープを探し出し、早送りしたり巻き戻したりして、頭出しをしてやっと聴けたのに、現在はパソコンで検索して、すぐにCD音源でその曲を聴くことができる。場合によってはさまざまなライヴ動画もOK。一方で楽曲に対する感動は小さくなってしまった感じではあるが…。


島の空港らしく外を歩いて到着ゲートに向かう


コテージタイプの施設が並ぶプリシアリゾート


画像のリビングの他、別にベッドルームもある


庭には海を眺めながら入れるジャグジー


半夏生の頃ゆえ北側の海に日が沈む


同じく北側の海から昇る太陽


トワイライトブルーに染まる頃、宵の明星が北西の空に輝く


渡辺貞夫の「モーニングアイランド」が似合う


朝食は別棟のレストランで

なにはともあれ「モーニング・アイランド」をPCで聴く。サックス奏者として 有名なナベサダさんがフルートを奏でるという名曲。朝の爽やかさとリゾート感を併せ持つサウンドで、まさに日曜日の朝、夏の島で聴くために生まれたような曲である。私がフュージョンを聞き始めたころキラ星のごとく輝いていたデイヴ・グルーシン(kb)、スティーヴ・ガッド(ds)、エリック・ゲイル(g)といったメンバーが脇を固め、今聞いても決して古くない極上の音。欲を言えば、ここにリチャード・ティーの華やかなフェンダー・ローズの音色が加われば当時のフュージョン最強のサウンドになったやもしれぬ…。

朝食後、11時のチェックアウトまで部屋でまったり。窓の外は、夏の日差しが白いパラソルとデッキチェアを照らし、その強烈なコントラストが脳裏に焼きつきそうである。すっかり見慣れたこの風景が、後になって2013年の思い出として「モーニング・アイランド」とともに浮かび上がるんだろうなぁと、ぼーっと考えていた。何をするわけでもないこんな贅沢な時間はあっという間に過ぎていき、私は部屋の鍵を閉め、チェックアウトに向かった。

メイン棟でチェックアウトの手続きをしている間に送迎バスの時刻を確認。13時20分発ということなので、まだ2時間以上ある。とりあえず併設のビーチに行こうと思い、更衣室で水着に着替えた。ビーチはプリシアリゾートの敷地を通らないとたどり着けない場所にあり、「こういうのをプライベートビーチっていうのか」と改めて思った。ビーチへの通り道にあるミコノス広場は、大理石調の建物や噴水が並び、青いタイル張りでエーゲ海のリゾートっぽい。この広場は、NMB48の最新シングル「僕らのユリイカ」のPVの舞台でもあり、待合ラウンジではエンドレスでPVが流れていた。広場から階段を下ると珊瑚礁に囲まれたビーチで、海の色は例によってエメラルドグリーン。しばらく波に揺られながらちゃぷちゃぷしていた。海水浴は久し ぶりで、おそらく2006年のゴールデンウィークに行ったフィリピンのミンダナオ島以来か???今後、海で泳ぐなんていつになるか分からないので、心ゆくまで南の島のビーチを楽しんだ。


チェックアウトまでこの景色を眺めていた


エーゲ海のリゾートっぽい「ミコノス広場」


NMB48「僕らのユリイカ」のPVの舞台になった


珊瑚礁に囲まれたプライベートビーチ


海の色はエメラルドグリーン


ミンダナオ以来久々に海水浴を楽しみました


海水浴の後はプールでクールダウン


奄美経由で鹿児島・那覇を結ぶ

ビーチにいたのは30分ほどで、残りの時間はプールサイドで過ごした。福山雅治氏が日曜夕方のトーキングFMで、「子供の頃は海のそばにプールがあるのが理解できなかったが、今ではプールから海さえ見られればそれでいい。海水は体力を奪うので長い時間は耐えられない。」としゃべっていたが、激しく同意。たまにプールに浸かりながら、大半の時間をプールサイドのデッキチェアで過ごした。プールからは、わずかに海も見える。奄美の島々に立ち寄りながら鹿児島と那覇の間を結ぶA-LINEフェリーが、ちょうど与論港に入港するため通り過ぎていくのが見えた。と、まったりしている間にタイムアップ。今度はプールのシャワー室でそそくさと着替えた。メイン棟前から送迎バスに乗り、5分ほど運ばれると、ちょうどまる一 日前に来た与論空港に到着。昨日とは違い、雲ひとつない快晴。太陽が真上から容赦なく照りつける。そこに同じバスに乗っていた見知らぬ女の子の会話が聞こえた。「夢のような時間だったね・・・」と。


真上に太陽があり影がない与論空港にて


旅の終わり〜往路同様RAC便で那覇へ

<終>

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