Route42 Perfect Touring

●アプローチ
国道42号線は、地元浜松市を起点に伊良湖〜鳥羽間の海上区間を挟み、紀伊半島の海岸線を回り込んで和歌山市を終点とする一級国道である。もっとも浜松市が起点となったのは数年前で、それまでは南紀一周の路線として名を馳せていた。海岸線のワインディングが続き一度は走ってみたい国道であった。また今年3月に新たに「CB125T」というバイクを購入したこともあり、この夏唯一の旅としてバイクによる全線完走を目指した。
8月4日朝8時半、自宅を出発。ピンク色のナンバーの125ccのバイクの悲しさでこれから和歌山まで全線一般道を走ることになる。おまけにバイクだから走行中にタバコを吸う訳にはいかない。結局1時間ごとに休憩タイムを設けることにした。1度目の休憩は二川。2度目は岡崎公園。あいかわらず国1は渋滞が激しくすり抜けに気を使う。豊明から名四国道といわれるR23に入り表定速度が上がる。3時間めのお昼の休憩は愛知・三重の県境まで行けた。四日市で国1に戻り関でR25に入る。名阪国道と呼ばれる新道は自動車専用道路のため通行不可。センターラインもない狭い旧道を行く。加太駅近くと奈良県に入った山添村のとある神社で休憩をとった。天気は上々だが直射日光が容赦なく両腕に照り付け日焼けで真っ赤になってしまった。

奈良県山添村のとある神社にて涼をとる筆者
天理から国道24号に入る。時折バイパス区間があって、そこだけはスイスイ走れるものの基本的には渋滞の連続であった。並行する高速道路がなく、かつバイパスも完全に整備されていないとなれば都市と都市を結ぶ幹線道路たる国道が混むのは自明の理といえよう。大型トラックの横をすり抜けるのも辟易としていた頃、ようやく和歌山県橋本市という看板が見えてきた。太陽は西に傾き始めていた。
和歌山市に近づくと片側2車線のバイパスが整備されており懸念されていた夕方のラッシュにもそれほどひっかからずに済んだ。今夜の宿である「サンピア和歌山」に到着したのは夕方17時半。浜松から355`を休憩込みで9時間で走破したことになる。表定速度は約40Km/h。もっとも到着した時には疲れ果て、こんなことを計算する余裕も無かったが・・・

ついに和歌山県にたどりつく

宿泊先の「サンピア和歌山」を出発!!

●本州最南端へ
明けて8月5日土曜日。宿を出ていったん逆方向の北に向かう。国道42号の終点から起点に向かってきっちり走りたかったからである。


国道42号線の終点・和歌山県庁前交差点

海南を過ぎると時折海が見え始める。渋滞は相変わらずであるが、気持ちが休まる景色である。有田で大きな川を渡り、道はその川の上流に向かって東へ進路をとる。この辺りまでくると交通の流れはかなりスムーズになっていた。


和歌山市道路元標
国道42号線の終点は和歌山県庁前の交差点である。ここは国道24号、26号の終点でもあり「和歌山市道路元標」のモニュメントが立っていた。朝8時ちょうど出発。遅くとも鳥羽17時40分の伊良湖行き最終フェリーを捕まえねばならず先を急ぐことにする。まず最初の目標は約90`先の田辺。和歌山市内では、交差点を右に曲がったり左に曲がったりしながら南下する。紀三井寺を過ぎたあたりで車線が減少し渋滞が始まる。大型トラックも多少混じるものの大半は海に向かう家族連れやサーフボードを積んだ若者たちである。普通車相手ならすり抜けもしやすい。ジモティーの原付の度胸のいいすり抜けに舌を巻きながらもそれに続いていった。
走り始めて1時間を経過したが、それほどタバコを吸いたいとも思わず、まだ疲れてもなかったので1回目の休憩をパスしてそのまま走り続けた。道路は海とはまったく無縁の谷に分け入り、やがて峠を越えて里に下りるという繰り返し。里に下りると一瞬海が見えるかなといった状況で、海岸線を走る国道42号のイメージとはおおよそかけ離れたものであった。しかし日ノ御崎や道成寺最寄りの御坊市内を抜けると状況は一変。再び海岸沿いのワインディングを走る快調なルートとなった。
田辺市の手前の南部町で給油に立ち寄り、そのまま本日1回目の休憩を海岸に面した護岸堤でとる。今日も天気は快晴で海を渡ってくる風が心地よい。しかしのんびり休憩する暇はなく10分後にはバイクに跨っていた。田辺市の手前で再び渋滞に捕まったものの、途中からバイパスが整備されており事無きを得た。田辺の南隣は白浜町。南紀沿線でも浜松から見て一番遠いと思われる温泉町である。もっとも南紀白浜温泉は国道からかなり離れており、温泉に入ることはおろか温泉街を見ることもできなかったが・・・

和歌山県南部町の海岸でひと休み

本州最南端「潮岬」への分岐点;和歌山県串本町にて
田辺の次の目標は新宮である。しかし田辺を出た時点で「新宮まで120`」の案内表示が出ており、とてつもなく遠く感じる。と同時に紀伊半島の奥深さを感じた一瞬であった。道は海岸線に取り付いたかと思えば山側に入って峠越えをしトンネルを抜けてまた海岸線に戻るという繰り返し。もともと峠越えの好きな私であるので、非力な125cc4スト2気筒のバイクを駆っていたとしても嬉々としてワインディングに挑み続けた。田辺を出て以来、道は嘘のように空いており休憩から休憩の間の1時間で55`くらい走った。さすがにワインディングを走り続けた疲労感もあって、日置川町とすさみ町の境の峠道で休憩をとることにした。
周参見から串本までは、ほぼ海岸線を走る。台風の影響で海はうねっていたが、かえってそれが海の青さを引き立てていた。浜辺近くはエメラルドグリーンで都会から離れた田舎の海なんだと改めて思った。11時半頃、本州最南端の町である串本に入る。7〜8年前に夜行列車で朝の潮岬に到着したことがある。「潮岬」の表示を見てふと思い出したことである。
●松阪への長い道程
串本を過ぎると、国道42号は徐々にではあるが北上を始める。道は海のすぐそばを走っているため、波しぶきをかぶったりした。それでもひたすら歩を進めた。
12時をまわり那智勝浦町に入ったあたりで空腹感を覚え、昼食場所を探した。太地町との境にあった、とある喫茶店に入ろうとバイクを店の駐車場に入れようとしたところで事件は起きた。駐車場は砂利敷きで、何の気なしにバイクを入れたら、前輪がその砂利に取られてバランスを失った。「ヤバイ」と思った時には既に遅く、バイクは見事にコケていた。立ちゴケと変わらぬスピードでコケたため、ランプが割れたり車体に傷が付くようなことも無かったが、ハンドルだけは曲がってしまったようだ。おかげで昼食後の走行で随分不快な思いをした。
新宮を出ると次の目標は松阪である。しかし新宮通過時点で153`の距離がある。まだまだ遠い道程である。七里御浜と呼ばれる見事なロングビーチが続き、それが途切れると熊野市である。ここの海岸には去年の春に列車で訪れている。熊野と尾鷲を分ける峠の中ほどで休憩をとり、長いトンネルを抜けて尾鷲市に入る。今日は晴れているが、日本で最も雨の多い町である。
紀伊長島を抜けると難所「荷坂峠」越えである。しかしキハ40系の気動車とは違って、125ccのバイクはこの難所を軽々と越える。峠を越えた梅ケ谷駅前で一休みした。時刻は15時を回っていた。松阪まではあと55`。1時間で行けるだろうが、やはり鳥羽のフェリーの最終にはギリギリの時間である。松阪が近づくにつれて車の量が増え、順調に走れなくなってきた。松阪市内に入り道端の距離標識を見ると「浜松まで129`」の文字が眼に入る(上の画像参照)。松阪までやってきても、まだ浜松は遠いのである。

国道42号は松阪の北の三雲町で23号と合流

今や「国道フェリー」;伊良湖行きに乗り込む
●「国道フェリー」乗船
国道42号は松阪の北の三雲町で国道23号と合流し鳥羽に向かう。尾鷲方面から鳥羽に向かうルートとしては、かなりの迂回であるが完走を目指しているため仕方がない。伊勢までの23号線は片側2車線の道路でかなりのスピードで走ることができた。鳥羽のフェリー乗り場の到着は17時5分前。ゆうゆうと最終フェリーに間に合った。フェリーの中は冷房が効いており、炎天下の中を走り抜いた身にとっては生き返る思いであった。タバコを吸いにデッキに出ると、ちょうど真夏の太陽が沈んでいくところであった。

伊勢湾に真夏の太陽が沈んでいく

海を渡りついに「浜松」の文字が出現
●浜松と国道42号線
伊良湖以西も国道42号線となった今、伊勢湾フェリーは国道の海上区間を結ぶ「国道フェリー」の役割を担うこととなった。そういえば鳥羽のフェリー乗船口にも、誇らしげに「東京方面」の表示があった。18時半頃フェリーは伊良湖に入港し、私は再びバイクに跨った。実のところ昨日の午後から既におしりは痛く、今日になって腰痛と肩凝りまで加わり、とてもバイクに跨る気にはならなかった。しかし浜松は目前である。伊良湖からはついに「↑浜松 71Km」の表示も現れた。既に日は暮れようとしており、ここからは苦手なナイト・ツーリングである。
恋路が浜は海霧に包まれていた。その浜を見下ろしながらゆっくりと坂を下っていく。平地に下りると後はただひたすらまっすぐな道である。松岡直也の「虚栄の街」がヘッドホンから流れてくる。この曲は彼の1984年のアルバム「夏の旅」のラスト2曲めの曲である。ロック色に富んだこのアルバムの中でもハイライトを飾る哀愁を帯びたメロディアスな曲で、この曲のリード・ギターを聴くと「あぁ夏の旅も終わりなんだなぁ」と少々センチメンタルな気分になる。道路にクルマの影はなく非常に走りやすい。信号も少ないためほとんどアクセルを一定の開度にしたまま走れるのでありがたい。今朝南部町で給油して既に320`走っている。タンクは13g入るのでまだ大丈夫だとは思うが、東海道沿いに出るまではスタンドの数が少なく、せめて湖西あたりまではガソリンをもたせたいのである。
遠州灘沿いを東へ50`近く走って、ついに静岡県に戻ってきた。現在は国道42号線だが、旧国道1号線・潮見坂の上である。大型トレーラーに囲まれて坂を下ると、この旅最後の「国道42号線」の標識がある。湖西市白須賀、浜松まで18`の地点である。ここより東には42号の標識はない。とりあえずデジタルカメラに標識の画像を収めて、そのたもとにあったガソリンスタンドで9時間半ぶりに給油をした・・・
湖西市と新居町の境の浜名バイパス入口のところで、国道42号線は1号線と合流する。あとは舞阪を抜けて、篠原インターから国道257号線に入るだけである。しかし、ここで疑問が湧いてくる。1号線との重複区間は「42号」の文字が消えてもままあることであるが、257号線との重複区間は「42号」の標識が出てきてもよさそうなもの。実際、鳥羽市内ではもともとの国道167号の表示を消して「42号」の表示をしているのである。しかし浜松市内では国道257号線の標識はいくらも見かけたが、「42号」の標識は結局見つけることができなかった。浜松市を起点としている一級国道の表示が、市内に一つも無いのは不思議な現象である。ともあれ、国道42号線の起点と思われる浜松市連尺交差点に20時過ぎに到着して、今回のツーリングは終わった。鍛治町通りは歩行者天国になっており、汗まみれの自分にとって、浴衣姿の少女が少し眩しかった。
「42号」の最後の案内板

国道42号線の起点と思われる連尺交差点

Route42 Perfect Touring <END>


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