会 津 西 街 道 大 内 宿 へ


上野東京ラインを初乗車。グリーン車にて

12月という月は誕生月ということもあって、自分の中でも最も大切な月である。その1年の締めくくりの月を前に、季節を先取りするような旅に出た。目的地は会津西街道に残る宿場町、大内宿。もちろん例によって往復の経路は工夫を凝らし、初めての乗車や体験も散りばめている。それでは旅のスタートである2015年11月29日15時40分前後の浜松駅5番ホームから話を進めていこうと思う。

こだま662号東京行きの入線時刻は15時39分。一方、競馬のジャパンカップの発走時刻は15時40分。つまり車内に入ってシートに腰を下ろしたくらいがゲートオープンだった。携帯電話のワンセグ視聴なので画面が小さく、自分の本命馬がどのあたりにいるのか探しづらいが、ちょうど同枠の目立つ葦毛馬ゴールドシップの前あたりにいた。最後の直線で懸命に緑色の帽子を応援したが、コース内側が止まらない馬場状態。なかなか外からは追い込めないようだった。結局、本命馬は掲示板にすら届かず大ハズレ。ジャパンカップが終われば季節は冬。ちょっぴり寒々しくなった懐具合に似つかわしい状況設定になったと自分を慰めた。

そうこうするうちに浜松駅を列車は離れ、猛スピードで東に向かう。静岡駅で後続列車の遅れのため2分の遅延。熱海駅で3分しか接続時間がないので肝を冷やしたが、熱海到着時には定刻に回復。それでも新丹那トンネルの中で、喫煙車の15号車から乗り換え改札への階段が近い11号車まで移動し万全を期した。結局、熱海駅17時01分発の宇都宮行き快速列車には余裕で間に合い、胸を撫で下ろした。

宇都宮行きの快速アクティは、今回の旅の楽しみのひとつ。今春開通した上野東京ラインを通って、静岡県と栃木県をダイレクトに結ぶ列車にぜひ乗りたいものだと思っていた。今日はTOKYO-FMの安部礼司を聞きながら乗れるので、3時間半以上の乗車時間も、それほど苦にならないはずである。もちろん走ルンですUの横座り座席では辛いので、780円追加してグリーン席を確保。日曜日なので夕刻でもそれほど混まないと踏んで、アッパーフロアに腰を下ろした。

放送が終わった6時前、戸塚駅の手前で急に睡魔が襲い、多摩川を渡ったあたりまで記憶が無い(実は新幹線に乗ってからずーっと酒びたりであった)が、品川駅で復帰。無事に上野東京ラインを見届け東北線(宇都宮線)へ。東京から上野は駅がないため、「えっ、もう上野?」という感じだった。一回眠ってしまえば、あとは少しばかり深酒をしても、へこたれない性質なので、埼玉・栃木県内ではウイスキー水割りをがぶ飲みした。さて12月は誕生月であり、過去を振り返る月でもあるが、少しフライングして12月にヒットした昔の曲を聞いていると、酔いも手伝って思い出が頭の中でグルグルしてくる。例えばジンギスカンの「めざせモスクワ」を聞けば、SBSラジオのポピュラーベストテンで、一度フルコーラスでかかったことがあったけな…などという、どうでもいいことが思い出されるのである。カシオペアの「スウェット・イット・アウト」なら、11月30日に浜松市民会館(現教育文化会館)で、リリース直後のコンサートに行ったっけなとか…。


会津若松駅より会津西街道の旅が始まる


みどりの窓口の混乱で発車ぎりぎりだった


西若松→会津田島の片道きっぷと湯野上温泉から大内宿往復バスのセット券


湯野上温泉駅は珍しい茅葺屋根の駅舎

20時34分に宇都宮に到着。30分ちょっとの接続時間を利用して、明日のスペーシアきぬがわ6号の指定券を購入し、喫煙所で一服。走ルンですUのグリーン車は、居住性という意味では申し分ないが、タバコが吸えないのが玉にキズ。もっとも先日発表されたJR東海のリリースによると、数年で700系を置き換えるとの話で、そうなればかねてから心に決めていたとおり禁煙を実行することになる。このようなモヤモヤ感もあと数年でお別れである。

次の列車やまびこ59号は、予想通り満席だった。最も空いていそうな1号車の自由席もデッキに立っている人が10人ほど。しかし入ってくる列車の窓を見ていると、B席に1席だけ空席があったので、デッキで立っている乗客を横目に車内に入り、体を縮めて空席に押し込んだ。どうやらC席に座っている人も隣の空席が気になっていたらしく、一声かけるまでも無く席を立って通してくれた。もっとも宇都宮から郡山は所要27分。新浜松から浜北まで立つのと時間的にはさほど変わらないが…。

郡山で磐西線の快速列車に乗り継ぎ。ここで立ちんぼになるのはイヤなので、在来線ホームに急いだ。待っていた列車は719系の2両編成。集団見合い方式という珍しいシート配置だが、久しく乗っていなかったので懐かしい。クロスシートの進行方向側(つまり見合いの最前線)に腰掛けたが、見合い相手は会津若松まで現れなかった。それをいいことに、前の座席に足を投げ出したり、枕木方向に寝そべってみたりとやりたい放題。結局、郡山から乗車した客の大半は会津若松まで乗り通しており、タバコを我慢して早めにシートを確保したのが正解だった。会津若松駅前のビジネスホテルに23時ころチェックインして一日目が終了した。

2日目の11月30日は10時48分の会津鉄道に乗車すればいいので、チェックアウトは遅めの10時にした。昨夜宇都宮駅で買えなかったきっぷを窓口で購入すれば、あとは発車時刻までフリータイム。駅の売店でお土産でも物色していようかなと思いつつ、みどりの窓口の行列に並んだ。先客は4〜5名ほどだったので5分ほどで買えるかなと思っていたが甘かった。機械の故障とかで1つしか窓口が開いていないところに持ってきて、ひとりひとりの対応がことごとく長い。ある客は年末の新幹線の指定席を買おうとしており、軒並み満席のため代替案を職員に叩かせまくっていた。また別の客はジパング倶楽部の割引利用で、往路日本海側、復路太平洋側の京都一周ルート。えちごトキメキ鉄道利用区間がどうしても北陸新幹線経由で出てくるらしく、対応に15分くらいかかった。結局自分のところに回ってきたのは並んでから30分以上経った後。東武線新藤原→JR線新宿の片道乗車券はあっという間に発券され、今までの時間は何だったのと思ってしまった。時計を見ると既に10時45分になろうとしていた。当然、お土産を物色する時間もなければ、一服する時間もなく、会津鉄道のディーゼルカーの待つホームに直行するしかなかった。

会津鉄道の単行ディーゼルカーは、いかにも日本の秋という風景の中をトコトコ走った。もともと只見線西若松から会津滝ノ上(現会津高原尾瀬口)に向かう国鉄会津線という盲腸線だったが、赤字ローカル線ということで第三セクター化された。しかし東武鉄道新藤原と会津高原を結ぶ野岩鉄道が開通したため都心直結となり、東京から会津へ向かうサブルート的な役割を果たすようになった。とにかく会津若松から浅草まで、同一ホーム上の一度の乗り換えで済むので、私も過去に何度か乗車している。車窓は柿が実る会津盆地から、徐々に冬枯れの山間に変わっていき、会津若松から36分で茅葺の駅舎がある湯野上温泉に到着した。

湯野上温泉駅の窓口で大内宿共通割引きっぷを購入した。これは会津鉄道の西若松から会津田島駅までの片道きっぷと、湯野上温泉と大内宿を結ぶ猿游号というバスの往復きっぷがセットになって1,900円というお値打ち価格。一緒に未購入の会津田島→新藤原の片道乗車券も購入した。駅を出て左側の坂道を下ると、駐車場にマイクロバスが停まっており、きっぷを見せて乗車。11月末までの季節運行のため、この日が年内最後の運行だと女性の車掌さんが言っていた。駅から15分ほどで大内宿に到着。帰りのバスまで1時間弱の散策タイムである。

大内宿は会津若松と日光を結ぶ会津西街道(会津の人は下野街道と呼ぶ)の宿場町で、鉄道からも国道からも数キロ離れているため、江戸時代の茅葺家屋の町並みがそのまま残ったらしい。バスの中で車掌さんから情報を得て、まず宿場町の北端にある展望台に登り、俯瞰で町並みを撮影。茅葺屋根に残る雪が日光を反射して、ど逆光だったが構わずシャッターを押した。次に町並みを散策。セルフタイマーでアリバイ写真を撮ったり、お土産を買ったりしているうちにあっという間に時間は過ぎてしまい、長ネギを箸代わりにして食べるという蕎麦までは手が回らなかった。まぁ、もともと旅に出てその土地の名物を有難がって食べるという習慣はないので、1時間ほどの散策で十分だった。12時50分に大内宿を出るバスに乗って、湯野上温泉駅に戻った。

囲炉裏のある駅舎の中で30分ほど待った後、いよいよ今回の旅の一番のお楽しみの時間が始まる。まずはAIZUマウントエクスプレスに乗車。先頭は白地のAT-650形という転換クロスシート車両、2両目は赤いAT-750形というリクライニングシート装備の車両で2両編成。途中駅からなので、どこでも好きな所に座れるというわけではなかったが、なんとか空席を確保。リクライニングを倒して、さっそく走る居酒屋の開店である。

特別料金不要の快速列車なので、学校帰りの高校生なども乗っているが、その分乗車区間も短く、乗車して30分ちょっとの会津田島で車内はガラガラの状態になった。それまでの席は窓配置とシートが合っていなくて、車窓を見るという点では不満だったが、ようやく窓とシート位置が合っている場所に移り、車窓を堪能した。とはいえ会津田島以南は昭和30年以降に鉄建公団が敷設した線路。直線で山間部を結んでいるのでトンネルが多くなり、面白みに欠ける車窓なのがちょっと惜しい。


湯野上温泉駅と大内宿を往復運転する猿游号


茅葺屋根に雪が残る大内宿の町並み


会津西街道と呼ばれていた当時のたたずまいに感嘆する外国人観光客も多かった


大内宿を訪問したというアリバイ写真を一枚


湯野上温泉からAIZUマウントエクスプレスで


会津鉄道ご自慢のリクライニング座席車両


西会津を出てから久々に栗橋でJR線に入る

AIZUマウントエクスプレスは、野岩鉄道と東武鬼怒川線直通なので、そのまま架線の下を走る。会津田島からは電化されているが、会津鉄道の中でもっとも輸送密度が低い区間が電化されたのは皮肉な現象である。もっとも会津鉄道より輸送密度が低い野岩鉄道は、新しく建設された区間なので高架橋といいトンネルといい新幹線のような規格の路線であり、ちょっと勿体ない気がする。そんなことを考えているうちに東武鬼怒川線に入り、終点鬼怒川温泉に到着。ホームの反対側にはゴールドのスペーシアが待っていた。

スペーシアきぬがわ6号に乗り継ぎながら「あれ?」と思った。AIZUマウントエクスプレスの車内では、車掌が巡回するものの検札は一度もなかったのである。私のように、わざわざ会津田島→新藤原の乗車券を買い足した客に報いるよう、会津鉄道はしっかり検札をしてもらいたいと思う。さて、スペーシアに乗車してシートに腰掛けると、バブル時代に設計された豪華仕様のアコモデーションに目を見張る。シートピッチはグリーン車のように広く、シートも立派な作りである。リニューアルされた上に、ゴールド車体の「日光詣」仕様なのでなおさらなのかもしれないが、これじゃ同区間を走るJRのE253系がかなり見劣りするんじゃないかと心配になってしまった。

酒も進み、居眠りもして、目覚めると馴染みのない東武線内でもあり「ここはどこ?」状態になってしまった。関東平野の真ん中を突っ切り、利根川を渡ると栗橋駅。デッドセクションを通過して、一瞬車内の蛍光灯が消える。そのまま東武線ホームとJR線ホームの間に運転停車。ここでJR東日本の乗務員に交代し、新宿を目指す。西若松でJR線と別れを告げ、5時間半後に栗橋で再びJR線へ。線路は続くよどこまでもという感じである。宇都宮線に入ってしまえば、ここはよく通った道。山手貨物線を経由して新宿駅埼京線ホームに17時19分に到着した。

東京から浜松へは、こだま号のグリーン車に乗車した。車内でおよそ1年ぶりに山下達郎の「クリスマス・イヴ」を聴いた。この時期に「クリスマス・イヴ」を聴くのなら、東海道新幹線の車内がお似合いだと思う。この感覚に同意してくれる人は私と同年代かそれ以上かな…?

JR新宿駅に到着した東武特急スペーシア

<終>

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