M a r i n e F e s t a


ふたたび函館競馬場にやって来た


中部国際空港発函館空港行きANA391便は、低空飛行で函館競馬場の上空を通過した。JRAの競馬場の中では最も直線が短く、典型的な小回り競馬場として知られているが、いざ上空から見ると、その広大な敷地面積に驚いた。また荒尾競馬場とともに海辺の競馬場として知られ、「マリーンステークス」という競走もあるくらいだ。

函館空港からは空港循環バス「とびっこ号」で、乗り換えなしに函館競馬場に到着した。前回この競馬場に来た時はしょぼくれた雨の日だったが、今日は夏空が広がり潮風が心地よい。今回の開催後にスタンド改修をするということを聞いていたので、取り壊される在来スタンドをじっくりと観察するべくB指定席(入場料込み600円)を購入した。

指定席は狭く、混んでいた。改修直前の昔ながらのスタンドで、600円という格安の入場料ということもあって、期待はしていなかったが、それにしても狭い。モニターどころか机すらない。隣の人と肩が触れ合うのがいやで、早々に指定席エリアの喫茶店に逃げ込んだ。昼休み中だったが空いており、函館名物の「いかめし」定食で1時間ほど粘った。

最初のレースは5頭立ての新馬戦。今年から「メイクデビュー函館」というレース名が付いている。函館まで来た記念に、ハズレ馬券を残すため、全馬5頭の「がんばれ馬券」(単勝+複勝のセット馬券)を購入。結果は1,2番人気が順当に来て、想定通りだったがガミってしまった。

その後はメインレースを迎えるまで、いつも通りのボロボロの状態。6レース中1レースしか的中せず、その当たったレースも取りガミで、ついにはマイナスが1万円を超えてしまった。3連複中心の馬券勝負だったが、1,2着は当たるものの3着に想定していない穴馬が来てハズレるというパターンだった。

そんなこんなでメインレース3連発。まずはここ函館の「STV杯」。2番人気の「ワルキューレ」から9頭に手広く流して、3連複36点で勝負。こんな感じで手広くいった時に限って、人気上位馬が3頭順当に入ってしまう。的中したのはいいが2,120円の配当でガミリ馬券となってしまった。

続いて小倉10レース「九州スポーツ杯」。8頭立てと少頭数ということもあり、3連単2頭軸マルチで3頭に流して18点の小額勝負。これは軸指名の2頭が順当に1,2着に入り、マルチにしたのが余分だったが、2,150円の配当。この日初めてプラス馬券を的中させた。

ちょっと上がり目気分となり、新潟11レースの「越後ステークス」に突入。ダート1,200bの準オープンクラスで、逃げ・先行から押し切る馬が有利との見立て。逃げ馬の7番人気「Cチャレンジシチー」から9頭に流す3連複36点を購入。レースの方は見立て通りCが逃げ、最後の直線で1番人気の馬に差されるものの2着を確保。3着に買い目に含めていた12番人気の馬が来て、配当25,460円の万馬券をゲット。一気に1万円のプラスに転じた。

こうなると函館10レースや小倉11レースは余裕を持って観戦でき、小倉はハズレたもののプラス8,410円の収支。函館市電に乗って、悠々と函館競馬場を後にした。

函館競馬成績表('08.7.19) 単位;円
レース 投資 回収 収支 累計
函館4R 1,000 410 -590 -590
函館5R 1,500 0 -1,500 -2,090
函館6R 1,000 0 -1,000 -3,090
函館7R 1,000 500 -500 -3,590
函館8R 2,800 0 -2,800 -6,390
小倉9R 2,100 0 -2,100 -8,490
新潟10R 1,600 0 -1,600 -10,090
函館9R 3,600 2,120 -1,480 -11,570
小倉10R 1,800 2,150 +350 -11,220
新潟11R 3,600 25,460 +21,860 +10,640
函館10R 1,500 2,070 +570 +11,210
小倉11R 2,800 0 -2,800 +8,410
合計 24,300 32,710 回収率 134.6%

指定席エリアからパドックを見下ろす


返し馬の様子。迫力のある画像が撮れる


ゴール前の混戦。予想だにしなかった馬が来る


2600bの長丁場。1周目はゆったり構える


競馬場から駅へ路面電車で


スタンドからは海が見え、伸びやかな印象


北海道の新名物スープカレーに初挑戦


フェリーターミナルへはバス移動

市電で函館駅に到着後、今度はシャトルバスで函館フェリーターミナルへ移動。18時30分出航の大間行きフェリーを待つ間、フェリーターミナルで北海道の新名物となったスープカレーに挑戦した。話の種にはいいが、私には普通のカレーの方が合っている。

大間行きのフェリーの名前は「ばあゆ」。2等船室だけのモノクラス編成だったが、指定席を奢ったらグリーン車並みの広いリクライニングシートだった。横方向に2列+2列、縦方向に3列、合計12席の小部屋に私だけの貸切状態で、テレビモニターのチャンネルをザッピングし放題。1時間40分の船の旅はあっという間に過ぎ去った。


函館と大間を結ぶカーフェリー「ばあゆ」


函館フェリーターミナルを船上から眺める


渡島半島に日が落ちる。ハードな一日を終える


指定席は合計12席のリクライニングシート


20時10分、西の空にまだ薄明かりが残る中、大間フェリーターミナルに到着。今夜の宿の、サンホテル大間のネオンサインは、町灯りの少ない大間の町では、海上から確認できるほどで、迷うことなく宿にチェックインできた。

夜が明けて、3階の展望室に行くと本州最北端の大間崎まで見渡せた。曇りベースながら青空も見えるまずまずの旅日和。ホテル目の前の上町バス停から、6時50分発の下北バスに乗車した。すぐに先ほど展望した大間崎を通過。その後も、ほとんどの区間で左手に津軽海峡を見ながら、バスはむつ市に向けて快走した。


ホテル目の前のバス停から乗車


町の灯に迎えられ大間に到着


サンホテル大間の展望室から岬を望む


本州最北端の大間崎は車窓から


海沿いの国道をむつ・恐山に向けて快走

大間〜むつ間、約2時間を休憩もなしにバスに乗っているのはしんどいなぁと思っていたら、大畑バスターミナルで時間調整を兼ねた休憩があった。バスターミナルは、7年前に廃線となった大畑線の終着駅・大畑駅舎をそのまま利用している。そこまでは日本各地によくある風景だが、ここ旧大畑駅ではディーゼルカーが動態保存されていて、毎月第3日曜日に構内のレールで運転しているとのことだった。今日は7月の第3日曜日。時間さえあれば、その模様を見て行きたかったが、残念!

それでも、せっかくなので駅構内をじっくり観察する。草叢と化しているが、確かにレールが残っており、片隅に佇む腕木式の信号機や18`ポストなどは、なかなかいい雰囲気を醸し出していた。


旧大畑駅はバスターミナルになっていた


廃止から7年。気動車が動態保存されていた


右側の建物に動態保存機が休む

約15分の小休止を終え、バスはむつ市へ向けて再出発。道路の横には、明らかに廃線跡と思われる築堤が寄り添う。すぐにも復活できそうな感じだが、並行する国道には大畑線と経営を同じくしていた下北バスが1日20往復以上している。過疎地に鉄道とバスを共存できるはずもなく、廃止は定められた運命だったということか…

大畑から35分で、むつバスターミナルに到着。実は大畑で初めて知ったのだが、今日から4日間は年に1度の恐山大祭とのこと。待合室はオバチャンのグループで大混雑。恐山行きの発車時刻が近づくと、バス乗り場には長蛇の列が伸びていた。こんな浮かれた日に旅をするとは、思ってもいなかったことで、果たして運が良かったのか悪かったのか…

結局、恐山行きバスは、定期バスに加えて、続行バス2台を連ねて、むつバスターミナルを出発。山道を立ちんぼで行かずに済み、ホッと胸を撫で下ろした。30分ほどバスに揺られて、いやに硫黄の匂いがするなぁと思っていると、宇曽利湖沿いに出て恐山に到着。思ったよりも険しい山ではなく、拍子抜けだった。

さっそく入山料を払って境内へ。人出は多かったが、駐車場に停まっているクルマを考えると、むしろ少ないくらいで不思議だった。その答えは本堂の左手に広がる岩山にあった。至る所から硫黄が噴き出すゴツゴツの岩山は、想像していた恐山のイメージそのもの。そして岩山を登る人並みが遠くまで延々と続いていた。このエリアに多くの人を吸収していたのである。


昔懐かしい鳥居型の駅名板


草叢の中に18キロポストがたたずむ


恐山の境内にて筆者


この日は恐山大祭ということで賑わっていた


至る所から硫黄が噴き出す岩だらけの山


荒涼とした岩山と美しい湖のコントラスト


硫黄分100%?の水たまり


宇曽利湖の岸辺は「極楽浜」と呼ばれる


極楽浜に供えられたかざぐるま

私も40を過ぎたいいオッサンなのだが、その私が若手に見えるほど、恐山に入山している人の平均年齢は高い。腰が曲がったバアサマが、一生懸命険しい岩に取りついている。その先にはかざぐるまに囲まれた卒塔婆が立つ。ここは現世とあの世のアクセスポイントなのである。きっとあのバアサマも、死別した夫に会いに、ここに来たんだろうなぁと勝手に想像してしまう。

山を反対側に降りると極楽浜。宇曽利湖に面した白い砂浜で、遠目には海水浴場のように見えなくもない。ただし子供連れの家族が皆無で、はしゃぎ声もしないため、景観と雰囲気が全くマッチしていない。浜辺に供えられたかざぐるまが、悲しげに回るだけの浜辺だった。


一見海水浴場のように見えなくもない


水子供養のかざぐるまが回る


がっかりスポットの「賽の河原」


イタコの口寄せには長蛇の列


きらきらみちのくで大湊へ一駅移動

入山の時に貰ったリーフレットの地図を頼りに、ポイントを巡ってきたが、1箇所見落とした場所があった。有名な「賽の河原」なのだが、行きつ戻りつしてもなかなか見つからなかった。ようやく見つけた「賽の河原」の看板が立つ場所は、どう見ても河原という感じではなく、がっかりだった。世界三大がっかり名所といえば、シンガポールのマーライオン、コペンハーゲンの人魚像、ブリュッセルの小便小僧。日本の三大がっかり名所は、札幌時計台、高知のはりまや橋、沖縄の守礼門だが、この賽の河原も、そこに入れてもおかしくないシロモノだった。

ひととおり恐山を回り、最後にイタコマチ(イタコのテント街)に寄ってみた。特に口寄せしたい人もいないけど、話の種に体験してみようという軽い気持ちでいたが、イタコの口寄せを待つ長蛇の列に圧倒され、簡単に挫折した。そのうち救急車が境内に入ってきて、「はは〜ん。イタコの口寄せでトランス状態になった人が気絶したんだな」と思ったが、様子を聞いてみると単なる熱射病のようだった。それだけ辛抱強く順番が来るのを待っている人が多かったということだろう。

そんなこんなで1時間以上恐山に滞在し、満足して帰りのバスに乗った。大祭がらみの臨時バスで、下北駅に1時間以上も早く戻ることができてラッキーだった。行きには気がつかなかったが恐山への道は県道4号線。そういえば東京から青森を結ぶ国道も4号線。偶然だろうが、死者とのアクセスポイントを結ぶ道路が4(=死)号線であることがおもしろかった。

下北駅に到着し、帰りの列車の混雑を見越して一計を案じた。下北から始発の大湊へ一駅戻り、座席を確保して青森へ向かうというプランである。そうと決まれば即実行。下北から浜松への乗車券を、大湊発に変更し(運賃は同額であるため追加徴収なし)、大湊へは臨時快速の「きらきらみちのく号」に試乗した。この「きらきらみちのく号」は八戸で東北新幹線に接続するリゾート列車で、1両連結している自由席には乗車券だけで乗れる。その自由席車両は、1列+2列とゆったりしており、海側の1列シートは、進行方向から45度の向きに固定でき、陸奥湾の眺望を楽しめるようになっている。わずか1駅4分間の乗車ではもったいなく感じる快適な列車だった。


海側座席は進行方向45度に固定できる


大湊の海。自衛隊があり巡視船が通り過ぎる


恐山大祭混雑を避けるため大湊駅から乗車


きらきらみちのくと並ぶ軽快気動車キハ100系


青森駅の手前で前面展望をかぶりつき


いよいよ旅の終盤。青森から上野へ一直線


DE10に牽かれてあけぼの入線


ヘッドマークが誇らしい牽引機EF81


寝台特急らしく最後尾は電源車

大湊での1時間は海を見て過ごし、14時14分の快速しもきた号で青森に向かった。始発の大湊で注文どおり座席をきっちり確保でき、予想通り次の下北でラッシュ並みの混雑となった。座席を確保できなかった乗客は、恐山でさんざん歩いた上に1時間も立ち続けることになり気の毒だった。

野辺地で特急に乗り換える乗客が降りて、かなり車内が落ち着いた。そして青森までは、複線電化された幹線を110`で快走。私は運転席の横でかぶりつきの前面展望を楽しんだ。

青森からは、この旅最後のお楽しみ、寝台特急あけぼの号の個室寝台ソロへの乗車。酒とつまみをがっぽり買い込み、5号車25番のドアを開けた。さぁ上野まで宴会だ…


往年の出世列車の5号車に乗車


ソロの鍵をロックし、さぁこれから宴会だぁ

<おしまい>

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