は じ め て の 隠 岐


新神戸駅前ANACPホテル神戸客室の夜景

ここ2回後ろ向きの旅をしたので、今回は「はじめての場所」に旅をすることにした。ちょうどJALのマイルがたまっていたので、そのマイルを使って行ける近距離の国内を探していた。まだ行ったことのない屋久島や種子島に食指が動いたが、10月初めでは台風の影響を受ける恐れがあるので、来年のSpring Tourにキープ。飛行機を利用することが時間面でも費用面でも効果が高い、伊丹⇔隠岐を利用することにした。

伊丹空港と隠岐空港の間は日本エアコミューターが1日1往復だけ就航している。伊丹空港の出発時刻は10時20分なので、浜松を当日の朝出発しても間に合う時刻ではある。しかし呑みテツを自認している私としては、西に下る新幹線でも飲みたい。そんなわけで、いつものひかり481号で浜松を発ち、神戸で前泊することにした。さて、東海道新幹線は開業50周年を迎えたが、開業日の10月1日前後にIC乗車券限定で格安きっぷを販売した。それが「超超IC早得」というやつで、浜松→新神戸の普通車指定席が10,230円(ICなら9,710円)のところを、5,400円で販売した。この5,400円という金額は、昭和39年開業時の東京から新大阪までのきっぷの値段で、東京→浜松も東京→新大阪も今回同額で販売したのである。そうなってくると東海道区間限定で利用可能な「プラスEX」ユーザーの私としては、区間の真ん中の浜松からでは恩恵が少ないのが不満だが、新神戸まで6,900円(超超IC早得+特定特急料金)で行けるのだから贅沢を言っちゃいけない。発売開始同時に売り切れる人気商品だったが、往復ともきっちり1か月前の朝10時にネットを操作してきっぷをゲットした。

というわけで、10月3日金曜日。18時まで仕事をして浜松駅からひかり481号に乗車した。これから離島に行くというのに台風18号が南大東島の沖合にいるのが多少の気がかり。まぁそんな懸念も、いつもの16号車でウィスキーの水割りを飲むと霧散した。この列車には、西に向かう旅では必ずといっていいほど乗車しているが、前回乗ったのは6月の山陰旅行のアプローチの時。その時は関ヶ原を越えて米原あたりまで明るかったのに、今日は乗ったそばから車窓は真っ暗。秋の日はつるべ落としとはよく言ったものだ。後続の「のぞみ」に抜かれることなく東海道区間を快走して、1時間半後には新大阪に到着した。

当初の予定では、新大阪で改札口をいったん出て、改めて改札口を通り、17分後に出発するひかりレールスターあたりに乗車しようと思っていた。ところが、酒を飲み進むうちにめんどくさくなり、このまま新神戸まで16号車に居座ることにした。幸いきっぷは持っている。その特定特急券には「自由席にご乗車ください」と書いてあるが、もし車掌にとがめられても「居眠りしてしまった」とかなんとかいって、自由席に移動すりゃあなんとかなるさとうそぶいていた。しかし、新大阪を出て車掌の姿を見るやいなや、そそくさと荷物をまとめ自由席に移動しはじめる自分に「大物にはなれんなぁ」と実感した。新神戸駅の改札では、プラスEXのICカード処理ができないらしく、特定特急券だけ回収され、そのかわり「ICカード未処理ですよ」証明みたいな紙片をもらった。

新神戸駅を出て右手に立つホテルが今宵の宿。ANAクラウンプラザホテル神戸である。37階建てのタワーホテルで、六甲山の山裾に建っているため眺望がきく。平日宿泊ということで、株主優待を使ってルームチャージ8,800円というお得な値段になり、IHGゴールドステータスの威力(それほどたいしたことはないが)で、高層階のダブルルームにアップグレードされた。右上の画像が、その部屋から撮影した神戸の夜景である。まぁ、ホテルに着くころにはさんざん酔っぱらっていたので、夜景をそれほど楽しむことなくイビキをかいて寝てしまったけどね。おかげで翌朝は早起きとなり、朝7時過ぎにはチェックアウトしてしまった。

ホテルの外観を撮影していたら、地下鉄の入口が分からなくなってしまった。仕方なく南に下りていき大通りとぶつかった。この交差点で、地下鉄の駅より先にバス停を見つけ、ちょうどバスが入ってくるところだった。バス停の名前は「布引」、バスの行き先は「阪急六甲」だった。地下鉄で三宮に出て阪急電車に乗り換えるより、より大阪に近い六甲で阪急電車に乗る方が有利だと思い、そのままバスに乗ってしまった。下車するおり、suicaが使えずあたふたしたが、pitapaなら使えたらしい。交通系カードが相互乗り入れしてしばらく経つが、関西圏のバスではこういうケースが多いらしく勉強になった。六甲から普通電車に乗り、西宮北口での特急乗り換えに誘惑されながら、結局十三まで普通電車に乗り通した。結局抜かれた特急電車は一本だけで、特急に乗り換えても7分差だったので、ゆったり座っていける普通電車もおすすめである。十三からは宝塚線の急行に乗車。伊丹空港の最寄駅である蛍池へは10分の所要時間である。

このごろ読んだ新書によると、日本は空港アクセス交通の値段が高いらしい。それは関空、セントレアに代表される海上空港の建設費が高いため、沖合部分の区間に上乗せ運賃が設定されていることがひとつの原因という。もうひとつの原因は、飛行機の旅が高嶺の花だった時代の名残りで、非日常である飛行機の旅が財布のひもを緩ませる効果があるらしい。確かに新神戸から三宮に出て、伊丹空港行きのリムジンバスに乗ると210円+1,050円で1,260円となる。今回のように、六甲までバス、六甲から蛍池まで阪急、そしてモノレールに乗ると210円+320円+200円で730円。その本には、こう書かれていた。「蛍池から伊丹空港まで、モノレールは南側をぐるっと迂回するので距離が長いように感じる。荷物が少なければ、歩けない距離ではない。」と。それじゃ歩いてアクセスして200円浮かせてやろうじゃないの。蛍池駅から宝塚方面へ線路づたいに歩き、信号を左折、阪神高速の高架橋をくぐると伊丹空港のターミナルビルが見えてきた。時間にして15分ほど。「確かに歩けない距離じゃないが、荷物が少なくて、季節がいい時限定だな。」と思った。

路線バス、普通電車、最後は徒歩と、まるでわざと時間がかかるように伊丹空港までやって来たが、それでも搭乗の1時間以上前に搭乗ゲート前に着いてしまった。そりゃ始発の新幹線でも間に合う時刻の出発だから、当たり前といえば当たり前だが。ネットもチェックし、新聞も読んで、「もうこれ以上することがない!!」というところで、隠岐行きの搭乗が始まった。日本エアコミュータのボンバルディアDHC-8-Q400(通称Q400)という機材で、低騒音、短いA滑走路を離着陸できるという伊丹空港にはうってつけの飛行機である。反面ボーディングブリッジが使えないので、荒天時には乗り降りが大変である。今日のところは穏やかに晴れているので、軽快にタラップを駆け上り、観光バスのような機内に入った。飛び立ってしまえば隠岐までは40〜50分ほど。陸路では、境港や松江まで行くのにも骨が折れることを考えれば天と地の差がある。

隠岐空港に着陸し、駐機スポットに移動している間に、窓からお馴染みの機体を見つけた。地元静岡空港を拠点とするFDAのエンブラエル175である。おそらく小牧空港からのチャーターかと思われるが、日本の果てのような場所で(失礼!)、地元の会社の機体を見るとほっとする。さて、隠岐空港は初訪問。ゆくゆくは、定期旅客路線のある日本の空港すべてを訪問したいと思っているので、証拠作りのためターミナルビルをきっちり撮影。路線バスで西郷港に向かった。ちなみにこの路線は4キロほどで510円。空港アクセスは、かなり吹っかけられる見本のような値段である。西郷港は、隠岐の島の玄関口のような港なので、ターミナルビルも立派である。無事に12時05分発の菱浦港行きフェリーに間に合ったので、とりあえず今日は島後滞在40分ほどで、島前中ノ島に渡ってしまう。台風が近づいているが、あまり揺られることはなく1時間10分後には菱浦港に到着した。

菱浦港西側の丘の上に、今宵の宿「マリンポートホテル海士」が建っていた。チェックインは15時からだと知っていたが、これから乗ろうと思っている14時30分発の島内バスの時間まで、まだ1時間以上もあるのでダメモトで行ってみた。案の定チェックインは受け付けてくれなかったが、ロビーに無線LANが飛んでいるようなので、ネットにつながせてもらった。しばらく海の見えるロビーで時間調整をした後、再び菱浦港へ。14時30分発のバスは、既にターミナル建屋に横付けされており、車内で待たせてもらうことにした。時間が来て、私のほかに2〜3人の乗客を乗せたバスは発車。隠岐海士交通という会社が運航しているが、ナンバーは白の自家用。おそらくバス自体は町が所有していると思われる(いわゆるコミュニティバス)。行き先は風光明媚な海岸のある豊田だが、私は隠岐神社で降りることにしている。菱浦港から隠岐神社へは3キロほどだが、コミュニティバスらしくあっちこっちの集落に寄り道し、15分かけて隠岐神社に到着した。

隠岐は後鳥羽上皇や後醍醐天皇の流刑地であり、特に後鳥羽上皇は承久の乱の後、当地中ノ島に流された。後鳥羽上皇が居を構えたのが今の隠岐神社の周辺で、隠岐神社の祭神は後鳥羽上皇である。バスを降りると、まず目に飛び込んでくるのは立派な鳥居と、それに続く参道。落ち葉を踏みしめながら参道を歩いていると、今シーズン初めて秋を実感した。奥へと進んでいくと階段があり、右手に手水舎、正面には神門が広がっていた。神門をくぐると本殿が見えたので、すかさずアリバイ作りの記念撮影をした。歴史がなく文化財でもない神社であるが、旅の途中で立ち寄るくらいなら、雰囲気のあるいい神社だった。

隠岐神社では15分ほどで参拝を終えたので、帰りのバスの時刻までまだ20分ほどある。このままぼけーっとバス停で待つのもいいが、来た道を戻るのはなにか面白くない。往きのバスで知ったとおり、バス路線はくねくねと寄り道をしているので、一直線に菱浦港まで歩けば、ひょっとするとバスよりも早く港に着けるかもしれない。200円のバス代も惜しくなり、宿まで3キロの道のりを歩いて帰ることにした。歩いてみれば、バスでは感じられなかった景色を見ることができ、この旅にちょっとした彩りと潤いを与えることになった。菱浦港の直前で路線バスに抜かれたが、爽やかな気分は変わらなかった。


隠岐神社入口の土俵


隠岐空港は初訪問。伊丹からQ400で40分


チャーター便と思われるFDA機も飛来


隠岐空港より西郷港までバス10分


隠岐の正面玄関・西郷港ターミナルビル


早くも島後を離れ「フェリーおき」で島前へ


海上から見た今宵の宿マリンポートH海士


菱浦港…右側桟橋は島前内、逆は西郷行き


松江〜隠岐を一日一往復するフェリーおき


菱浦港から隠岐海士交通のバスで散歩


役場の通りに面した隠岐神社の鳥居


春には花見で賑わう参道。秋を感じた


隠岐神社の本殿を背景に筆者


港が見える和室に宿泊


菱浦港の夕景。島前内航船がたたずむ


朝の菱浦港。桟橋から頻発する内航船


田舎のバスより頻発する船


隠岐観光の中心・ローソク島

チェックイン後、通された部屋は汽船乗り場が見渡せる和室だった。港では島前内航船がひっきりなしに発着するのが見えた。部屋から見て奥側の乗り場には、隠岐汽船の西郷行きが発着するが、こちらにも大型フェリーと高速船レインボージェットを合わせて一日5本発着するので、船着き場には必ず船が停まっているといっても過言ではないくらいである。やがて夕刻となり、あたりが闇に包まれても、あいかわらずの賑わいで「これは船ではなくバスだな」と感じた。乗客は高齢の用務客に混じって、意外なほど中高生が多く、こんな離島にあんなに多くの子供たちがいるんだとびっくりしてしまった。

明るいうちに、海の見える温泉大浴場でさっぱり汗を流した後は、お待ちかねのトワイライトタイム。波の音をBGMにして、ウィスキーを飲みながら、ゆっくりと海士の夜は更けていった。翌朝起きると、思いのほか気分が優れなかったので、知らない間に相当飲んでしまったらしい。今日は7時54分のレインボージェットに乗らなければ、この中ノ島を脱出できなくなるので、気分が悪いとか、へこたれたことは言ってられない。朝食後、7時20分ころ早くもチェックアウトし港に向かう。昨日の午後は、島の人がたむろしていた菱浦港のターミナル建屋も、今朝はひっそり閑としていて、どことなく映画のセットのように見えた。数人の乗客とともに高速船に乗り込み、18時間ほど滞在した島前中ノ島を後にした。


人がいないとセットのように見える菱浦港


7時54分発のレインボージェットで中ノ島脱出


軽のレンタカーを3時間借りて島後めぐり


第一展望台から見たローソク島


第二展望台にてローソク島と筆者


領土問題で揺れる竹島は隠岐の島町

レインボージェットは定刻通り30分で西郷港に到着。このまま西郷港で降りなければ、境港には10時前に到着ということで、台風接近の中、飛ぶのかどうか分からない帰りの航空券さえ持っていなければ、たぶんそのまま乗っていったことと思う。さぁ心を入れ換えて2時間半の島後めぐりに出掛けよう。西郷で軽自動車を借り、まずは隠岐随一の観光地ローソク島を目指す。ローソク島は高さ20mほどの無人島で、通常は観光船で島の周辺に行って見るのが普通。しかし本島の方は断崖絶壁のため、クルマで行って見ようとすると標高140mの第一展望台からか、そこから徒歩で1キロ弱下った標高40mの第二展望台から見るかの選択肢になる。第一展望台の方は駐車場から徒歩1分なのでお手軽だが、そこからローソク島を見た時の感想は「こりゃ、ダメだな」だった。なにしろ遥か下の米粒のような島を見下ろす形なので、ローソクの形なのかどうかも分からないくらいである。そこで意を決して第二展望台に下ることにした。岬めぐりの旅では、しばしこのようなケースに出くわすが、まさしく「行きはよいよい、帰りは恐い」を地で行くような行路である。10分ほどで下って、思い通りの撮影ができたが、そこからの登りは大変だった。ゆっくりと登って来ればいいものを、帰りの飛行機の時間もあるので気がせいて、15分ほどで登ってきてしまった。結局そのまま運転できる状態ではなかったので、10分ほど休憩をとったのだが…。

ローソク島の展望台を出発したところで、飛行機の出発時刻まで2時間弱あった。このまま空港に戻ってもいいが、かつての隠岐随一の名勝だった白島海岸を対比の意味で見ておきたい。国道485号を北上し、白島崎を目指した。10時10分ごろ白島崎に到着。肝心の白島海岸は小雨模様だったこともあり、パッとしないものだった。代わりに展望台への小道の途中で、「竹島161Km」と書かれた案内表示を見つけた。領土問題に揺れる竹島は、隠岐の島町に属している。表示の下には、いろいろな方角を向いた矢印が付けられていて「対馬434Km」はいいが、その下の「国後島」、「尖閣諸島」の文字を見て、「これはどういう意味だ?」と思ってしまった。領土問題の喚起ならば「対馬」は要らんし、国後と竹島ではそもそも領土問題になった経緯が違う。同じ立てるなら「竹島」だけに絞っておけばと感じた。

結果的に白島海岸がこの旅の折り返し点だった。国道485号バイパスを突っ走り、隠岐空港でレンタカーを乗り捨て。隠岐から伊丹の飛行機では台風の影響で揺れに揺れたものの、まる一日ぶりに本土の土を踏んだ。ここまで来ればこっちのもの。新大阪からひかり470号の座席におさまれば、1時間半後には酔っ払いと化した私が浜松に到着する。。。

かつての隠岐観光の中心・白島海岸

<終>

旅と音楽のこころへもどる