Spring Tour 2007

ヤンバルクイナ とび出し注意!?


沖縄の一部でしか見られない標識


今年も「Spring Tour」の季節がやってきた。毎年恒例のSpring Tourの原点というべき「西のSideLine」ツアーから20年。そして私が初めて沖縄に足跡を残し、全都道府県への訪問を完了してから10年。いわゆる節目の年なので、前々から今年のSpring Tourは沖縄に行こうと決めていた。

さて、この時期の沖縄は曇りがちである。快晴のe-wingの車内ではT-スクエアの「宝島」を聴いて、沖縄へのSpring Tourへの思いを盛り上げたが、沖縄に近づくにつれて眼下に厚い雲海が広がった。計画段階では、万座毛や海中道路など、いわゆる晴天映えするスポットを回ろうと考えていたが、那覇空港に着陸する寸前に考えが変わった。これまで沖縄本島を数回訪ねたが、南部だけしか回っていない。せっかくレンタカーを借りていることだし、北部の山原(やんばる)地区に足を延ばしてみることにした。

トヨタレンタリース空港店は、観光シーズンの土曜日ということで大変な混みよう。13時15分に那覇空港に到着したのに、手続きやら配車待ちなどで、クルマのハンドルを握ったのは14時過ぎだった…。

伊芸SAにてヴィッツと筆者


伊芸SAからは金武湾が見渡せる

24時間5000円の料金でレンタルしたクルマは、新型ヴィッツ。とりあえず走り出してみると、いきなり那覇市内で迷ってしまった。これはいかんと、カーナビに日本最南端の高速道路インターチェンジである豊見城ICを入力した。狭い沖縄で高速道路がどれほど有効なのか疑問だったが、一般道の渋滞を避けるクルマが多く、東名並みの通行量だった。本土の高速道路と違うのは、英語表記だけの出口表示があるところ。カーラジオからAFNを流せば、アメリカのフリーウェイを流している気分になる。

1時間弱走って、沖縄道唯一のサービスエリアである伊芸SAで小休止。展望台からは金武湾が見渡せた。すっきり晴れていればもっと絶景だったろうに…。


最北端には望郷の碑が立つ


沖縄自動車道には英語表記の出口標識がある


波しぶきが舞う沖縄最北端の辺戸岬

終点の許田ICで一般道に下りる。国道58号は名護湾沿いを走り、ここも晴れていれば軽快なドライブコースだが、雨が落ちてきた。おまけに名護市内は渋滞中。ドライブを楽しむようなムードではなくなってきた…。

名護市内を抜けると交通量がぐっと減り、信号も少なくなって走りやすくなる。海沿いの国道58号をひたすら北上し、16時半ころ沖縄本島最北端の辺戸岬に着いた。クルマを降りると風が強く、波しぶきでメガネが曇る。冬の東尋坊を思わせる場所だったが、そこは沖縄。春休み真っ最中の学生グループがワイワイと記念写真を撮っていた。背景は「祖国復帰闘争碑」。かなりアンバランスな写真になるだろう…。

辺戸岬を出発して、さらに国道58号を進む。「奥」という集落に国道58号の起点があった。沖縄を南北に縦断する国道58号は、実は起点が鹿児島市で、種子島、奄美大島を通って、ここ奥集落より那覇へ向かっている。大部分は海の上という特異さに惹かれて、国道58号線の標識をデザインしたTシャツを持っているほど気に入っている道路である。

さて、奥集落から本島の東海岸を南下する。山原のジャングル地帯を縫うように走る県道70号線は、予想に反して全線2車線の立派な主要地方道だった。未開の地であることが窺えるのは、天然記念物のヤンバルクイナをデザインした警戒標識。絶滅の危機にさらされているヤンバルクイナが、道路上に出てくることなどほとんどあり得ないが、年に数件は交通事故にあっているらしい。私もヤンバルクイナがとび出してこないよう、細心の注意で運転した。


沖縄を縦断する国道58号の起点

辺戸岬に向かうことを決めた時点で、あらかじめ分かっていたことだが、ホテルの到着はとっぷり暮れた20時ころになってしまった。今日の宿であるホテルサンライズ知念は、全室オーシャンビューというリゾートホテル。でも日が暮れた後では、潮騒を聞きながらビールを飲むしかなかった。

しかし、朝を迎えると状況は一変。自分の部屋から太平洋に昇る朝日を眺めることができ、極上の時間を過ごすことができた。ツインのシングルユースで泊まり、バイキング朝食付きで1泊7,350円。決して新しくはないが、居心地のいいお値打ちなホテルだった。


ホテルの部屋にて筆者。窓の外はすぐ海


新しくはないが居心地のいいサンライズ知念

那覇空港出発11時のフライトまでは、まだ時間がある。このままホテルから空港に直行してもいいが、南部の戦跡に寄り道しても、さほど距離は変わらないと踏んで、国道331号を南下した。20分ほどで平和祈念公園に到着。ここは、私が初めて沖縄を訪れた時に最も印象に残った場所である。さて再訪してみた印象は…。

今回の印象を率直に言うと、10年前に比べるとずいぶん整備されていたように思えた。まず平和祈念資料館が建っていること。10年前にも訪れたはずの平和の礎も、初めて来たかのような印象だった…。広大な原っぱというイメージだった摩文仁の丘も、公園としてせせこましくまとまってしまった感じである。


太平洋に朝日が昇る


鉄の雨が降った戦争で南端に追い詰められた


平和の礎。10年でずいぶん変わった


この地で逝った静岡の人達の思いやいかに


平和の礎が並ぶ摩文仁の丘を見渡す


何度見ても泣ける富士山

でも、丘の先の切り立った断崖を見ると、そんな整備された公園のイメージはどこかに追いやられる。敵の攻撃にさらされて南へ南へと退却し、いよいよ行き詰った場所で非業の死を遂げていった人達の魂がこの場所に眠っている。この場所では、それを容易に想像できる。

そして、静岡の塔に足を向ける。静岡県のシンボルである富士山が塔に刻まれている。故郷から遠く離れた南の島で、美しい富士山を思い浮かべながら、心ならずも命を落としていった人達のことを思い浮かべると、やっぱり泣けてくる。この想いは10年前と何ら変わるところは無かった…。
<終>

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