3 0 年 ぶ り に 大 島 へ
前泊はANAインターコン東京

今年は平成31年。30年前は平成元年で、私が大学を卒業し、社会人となった年である。30年前の1月には昭和天皇が崩御され、時代が平成に代わった。小渕さんが「平成」と書かれた額縁を掲げた頃、ちょうど卒論が完成し、実質的には私の学生時代は終わったのである。その年の2月には、大学時代の4年間を通して、ずっと仲の良かったタカシ、私、コーヘイ、つっちぃ(本名の五十音順、敬称略)の4人で、卒業旅行という名目で伊豆大島を旅行した。今回の旅は、卒業から30年が経つので、もう1回伊豆大島に行ってみようということで実現したのである。

つっちぃの仕事の関係で、4人が顔を合わせられるのは、1月25日金曜日の夜だけ。いや、もともとは、つっちぃの仕事が終わるのを待って、26日朝に北千住で飲む段取りだった。それが直前になって、つっちぃの予定が変わり、金曜日の夜にじっくりと飲めることになった。そんなこんなで、私は金土日と、禁断の3連休を申請し、浜松と霞が関をダイレクトに結ぶ東名バスで都内入りしたのである。

伊豆大島に向けて前泊することになるホテルは、赤坂のANAインターコンチネンタルホテル東京。私のような者には泊まれるような庶民的なホテルではないが、コツコツと貯めてきたIHGリワーズクラブのポイントで、タダで泊まることにした。一緒に泊まったコーヘイやタカシも言っていたが、タオルケットと見紛うような、ビッグサイズのバスタオルにさえ感動した。もちろん東京タワーが見える部屋からの眺望も素晴らしく、オジサンどうしで泊まるようなホテルではなかった。

霞が関で東名バスを下車した私は、赤坂の「桜坂」経由でホテルにたどり着いた。福山雅治の名曲「桜坂」は、ここが舞台ではなく、大田区の方であるが、やっぱりここを通ると鼻歌が出てしまう。ホテルには15時ころにチェックインして、日が高いうちから部屋呑みをしていたが、そのうち浅草に寄っていたコーヘイから連絡が入り、17時過ぎに到着。それからは2人で部屋呑みを始めた。その後、タカシから到着が20時を回るとの連絡が来たので、居酒屋に直接来てもらったほうがいいと考え、山口料理を出す「福の花」という居酒屋を、20時15分から4名で予約した。溜池山王駅の11番出口すぐの分かりやすい場所の店で、つっちぃもタカシも、私が迎えに行く前に店の前に立っていた。

久々に顔を合わせた、学生時代の仲良し4人組。いきなり瓦そばから注文し、店員から「もう瓦そばですか〜?」的な視線を感じたが、ここで大切なのは、「何を食べ、何を飲むか」よりも「誰と飲むか」ということ。焼きそばのごとく瓦そばを食べ、大いに痛飲した。特に、明日大島には渡らないつっちぃに対しては、他の3人のツッコミが厳しく、学生時代の飲み会を再現したようだった。


東名浜松北バス停から霞が関までダイレクト


3人で泊まって部屋呑みまで可能な広い部屋


福山雅治の歌の舞台じゃないが…

日付が変わる前に「福の花」を追い出され、タカシの荷物を置くために、いったんホテルに4人で戻った。その時見た東京タワーの夜景に、一同見とれていたが、そんなことをしている場合ではない。ホテルのはす向かいにある「庄や」が朝4時まで開いていると聞き、そこで腰を据えて飲み直すことにした。しかし、15時から延々と飲み続けている私は、ここに来て猛烈に眠くなり、テーブルに突っ伏して寝落ちしてしまった。

2時ころ、店の謀略なのか暖房を消され、寒くて目覚めるも、私以外の3人の議論は沸騰中。そのうち、また寝落ちして、そうこうしているうちに看板の時間となった。私からすると、2軒目の店に何をしに行ったのか分からなかったが、それもこれも真昼間から飲んでいたのが原因で、自業自得である。

店を出て、つっちぃが始発が出るまで部屋で待つことになり、おのおのコンビニで酒とツマミを買い込んで、東京タワーの見える部屋に戻った。その際、ホテルのロビーで泥酔し、寝落ちしている女の子を見かけた。こんな高級ホテルで、正体不明になっている女の子もそうだが、それを放置するスタッフもなんだかなぁと思ってしまう。

部屋に戻ると、気が抜けてしまい、泊まる3名は眠る態勢。対するつっちぃは何とか始発が出る時間まで、時間稼ぎをせねばならず、この対立の図式が面白かった。どうにかこうにか朝5時までは、つっちぃの飲み相手を務め、最後はベッドの上から、自宅に帰るつっちぃを見送った…。

1月26日は、朝8時前に起床。ベッドでは3時間も眠っておらず、圧倒的に睡眠不足だが、私自身は2軒目の店で寝ているので、思いのほか爽やかな目覚めだった。9時ころまでに全員目覚めるも、大島行きの船は午後の出発なので、チェックアウトタイムの11時まで、豪華なホテルライフの続きを楽しめる。タカシは「ここで暮らしたい」と言っていたような…。

10時半すぎにホテルを出て、溜池山王駅から新橋へ向かう。新橋でゆりかもめに乗り継ぐと、あっという間に高速船乗り場に着いてしまうので、昼飯を兼ねて新橋をぶらついた。入った店は、「岡山中華そば」の看板を掲げる「後楽本舗」という店。東京にお上りさんで来て、なぜか岡山県のラーメンを味わったのだが、地元のお客さんに好かれているようで、すぐにテーブルは一杯になっていた。

ゆりかもめで、新橋から二駅移動し、竹芝で下車。階段を下りると、東海汽船のターミナルが目の前だった。乗船券を受け取ると、1時間あまりすることがなくなった。しかし、3人でいると話題が尽きず、待ち時間を苦痛に感じることはなかった。ちなみにジェット船の乗り心地は、予想に反して優しくて、思う存分に爆睡できた。シートに座っているにも関わらず、水平のベッドで仰向けに寝ているような、不思議な感覚だった。

竹芝を出て、1時間45分で伊豆大島の岡田港に到着。東京を出るときには快晴だったのに、当地ではどんよりした曇り空。30年前に大島に来た時にも、こんな天気だったなぁと感慨深かった。その後、迎えのマイクロバスで、三原山外輪山にある大島温泉ホテルまで運ばれたが、30年前にも同じ道を通ったという記憶は一切甦らず、「本当に30年前にこの島に来たの?」という感じだった。


溜池山王の「福の花」で仲良し4人組が集う


竹芝桟橋から高速船で伊豆大島岡田港に到着


伊豆大島での宿は温泉旅館の大島温泉ホテル


雪が舞い散る屋上の三原山テラスではしゃぐ2人


雪を被った三原山を背景にコーヘイ,私,タカシ


外輪山にあるため三原山と樹海が見渡せる


夕食の「椿油フォンデュ」で天婦羅にしまくる


部屋の窓から太平洋に昇る日の出を堪能


昨日拝めなかった富士山がくっきり


登山道沿線で放牧される与那国馬

部屋に着くと、窓の外は雪が舞っていた。ホテルの屋上にある三原山テラスに行ってみると、雪を被った三原山が見渡せた。なかなか見られない光景だが、寒さには勝てずに退散。その後、早々に温泉に入り、冷え切った体が温まるまで、じっくりとお湯に浸かってきた。露天風呂は、頭の上に雪が落ちてきて、ちょっと寒かったが…。

風呂から上がれば、お待ちかねの夕食。このホテルの名物である、椿油のフォンデュを楽しんだ。野菜や海鮮を、天婦羅の衣を付けて椿油に入れるだけだが、揚がる音が軽快で楽しい。ホテルに着いてすぐに飲んだ「あしたば茶」の味は微妙だったが、椿油で揚げた明日葉は、思いのほか旨くて目を見張った。料理のコースはお手頃の「梅」だったが、金目鯛の煮つけ、鮑ごはん、マツタケの吸い物、大島牛乳のアイス等、出てくる料理がことごとく美味く、これで十分だと感じた。

さて、ホテルの周りは、集落すらなく、長い夜は部屋呑みをするほかない。ホテルの売店で、お土産として売っていた「御神火」という芋焼酎のボトルを買って、お湯割りで飲んだ。ちょうどNHKで、テニスの全豪オープンの女子決勝を放映していて、飲みながら大坂なおみを3人で応援していた。第2セット終盤で、彼女の流れが悪くなり、涙を流す場面もあったが、第3セット序盤のブレークで流れをつかみ、見事優勝。日本人としては初の世界ランク1位となった。30年前の大島旅行の際には、帰りの船で大喪の礼の中継を見たことが印象に残っているが、30年後のこの旅行では、大坂なおみの優勝シーンが、この先ずっと思い出されることだろう。


三原山テラスより雪景色と相模湾を望む


宿を発つ前に路線バスで展望台へ散歩に出た


新火口展望台〜大島を訪問したアリバイ写真


岡田港に並ぶ高速船の先に富士山が見える


セブンアイランド友号で熱海港に戻り解散

翌27日は快晴となった。朝食の後、再び三原山テラスに行ってみると、昨日は見えなかった富士山が、相模湾の向こう側にくっきりと見えていた。三原山の方角に目を移すと、相変わらず雪化粧をした山並みがそびえ立っていた。大島を代表する2つの風景を一望にできるとは、設備はともかく立地の面では一級の旅館だと感じた。

朝10時にマイクロバスで岡田港まで送ってくれるので、それまでの時間を利用して、大島に行ってきたというアリバイが欲しい。というわけで、路線バスでホテルから一区間のところにある、新火口展望台に行ってみた。わざわざ行った割には、あまりホテルと変わり映えのない景色だった。しかし、2キロ弱の距離を、歩いて戻ってきた道すがらで、タカシやコーヘイとゆっくり話ができたので、これはこれでいい体験だった。きっとこんな何気ないひとときが、30年くらい経った後で、一番印象深く心に残っているんじゃないかと思った。

ホテルから岡田港に向かうバスの中で、沿線をガイドしていた運転手さんから、「元はリス園だった」という言葉を聞き、急に30年前のことが甦った。このように、ふたたび大島に来なければ感じることができなかったことが、この2日間でも数々あった。30年ぶりに大島に来たのは意義があったのだろう。だけど同時に、残りの生涯で、また大島の地を踏むことがあるのかあなぁとも思った。そんな複雑な思いを抱えつつ、熱海港行きの高速船に乗った。船の愛称は、昨日と同じ「セブンアイランド 友」号だった。

大島の岡田港から、わずか45分で熱海港に到着。港には、あたみ桜と呼ばれる、早咲きの花が咲いていた。厳冬の留萌から来たタカシにとっては、何か月も早く春を感じたことだろう。そして正午すぎに熱海駅の改札口で解散。学生時代の仲良し4人組が、再び揃うのはいつになるだろうか…。案外すぐなのかもしれない。。。
<終>

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