New Zealand Rail Mini-Trip |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
. | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今回の鉄道旅日記《海外編》はニュージーランド。香港、韓国に続いて3カ国めとなる。ニュージーランドの鉄道は日本と同様、10数年前に民営化され、旅客鉄道は「Tranz
Scenic」という会社が運営している。大橋巨泉氏の週刊誌のコラムによると、この会社を含めた「Tranz」(日本でいえば「JRグループ」)の経営が芳しくなく、再び鉄道を国営化する動きもあるらしい。もとよりニュージーランドは人口の集積度が日本と比べ物にならないくらい低く、完全なクルマ社会である。そのため鉄道が最も得意とする大量輸送の機能が発揮されない。私が乗ろうとしている「Tranz
Scenic」も、その名が表すとおり、都市間輸送を担うのではなく、ほとんど観光鉄道として、ほそぼそと運行しているにすぎないのである。今回は観光鉄道として生きるTranz
Scenicの実態をつぶさに見ていこうと思う。 とはいっても、社員旅行のフリータイムを利用しての鉄道旅行であるため、日程には制限がある。今回はオークランドからオトロハンガまでの186.3`、約3時間だけの旅路である。オトロハンガ駅で同僚のレンタカーにピックアップしてもらった後は、ワイトモ洞窟やロトルアの間欠泉などを見て回るグループツアーに移行する計画である。 |
ニュージーランド版JR『Tranz Scenic』の乗車券 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2003年7月5日土曜日午前8時、私はオークランド駅に到着した。ホテルから乗ったタクシーは、いったん駅舎と思われる建物の前を素通りし、プラットホームの方向に向かった。しかしそこは工事中で、現場の案内人の指示に従ってもとの駅舎の場所まで戻り私を降ろした。すると私がタクシーから降りるのを見計らっていたように、スキンヘッドの体格のよい中年男性が私に近寄り英語で話しかけてきた。私は彼の話しかけている内容をよく理解できないまま「こいつはポン引きではなかろうか」と判断し、「NO、NO」と彼を振り払い駅舎に入った。 駅舎の車寄せの上には「RAILWAY STATION」と書かれていたのに、駅舎の中には「This Is Not The Railway Station」と掲げられており(右下の画像参照)、訳が分からない。後から考えると鉄道を民営化した時に売却してしまったのかもしれない。結局、件のスキンヘッド氏がどうやらTranz Scenicの人だと分かり、先程の彼の好意を振り払ったバツの悪さを感じながら、臨時のキップ売り場にいた彼に、つたない英語で話し掛けた。 |
オークランド駅舎は駅として使用されていない |
駅舎の軒下に臨時のキップ売り場が… |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
連絡バスでニューマーッケット駅に到着 中学生程度にも満たない英語力で、スキンヘッド氏からオトロハンガまでのキップを買うことに成功したが、キップを買った後に彼が私にした説明は要領を得なかった。「シャトルバス」とか「ニューマーケット」という単語が何回か出てきて、「駅が工事中だからバスで列車のところまで連れていってくれるんだな」というニュアンスを感じ、他の乗客の動向を見守ることにした。ほどなくバスが車寄せのところに停まり、「ウェリントン」などのタグが着いた荷物を持った乗客がバスに乗ることを確認して私もバスに乗った。バスは表通りに出て、休日の朝のオークランド市内をガンガン飛ばした。私は、先程タクシーで連れて行かれた工事中のプラットホームまで連れて行ってもらえるとばかり思っていたので、バスのこの走りっぷりにはかなり不安を覚えた。結局バスは10分くらい走った後、郊外の駅に到着した。 |
外の表示は「Railway Station」だが中はコレ |
頻度は日本と比ぶべくもない通勤列車 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ニューマーケット駅の朝の風景 |
通勤列車の路線は3系統 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
通勤路線の時刻表 郊外の駅に着いて、先程スキンヘッド氏が「ニューマーケット」という単語をさかんに発していた理由が分かった。この駅の名前が「Newmarket」だったのである。先程の私への説明を要約すると「列車はここから出るのではなく少し離れたニューマーケット駅から発車する。まもなくここに来るシャトルバスに乗ってニューマーケット駅まで行き、そこから列車に乗ってくれ」だと思われる。 ニューマーケット駅は本来長距離列車が発着する駅ではなく、通勤列車の駅である。目指す「The Overlander」号を待つ間に上下各1本の通勤列車が発着していった。ステンレス車体の近代的な車両だったが(右上の画像参照)、電化されていないので、いずれもディーゼルカーである。休日とはいえ、書き入れ時の朝だというのに頻繁に列車がやってくるわけでもない。時刻表を眺めると(上の画像参照)3系統に分かれ、それぞれ一日30本にも満たないことが分かった。これが100万都市のオークランドの鉄道の実態である。 |
『The Overlander』号の後部展望車 |
『The Overlander』号を牽引する機関車 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
リクライニングシートの並ぶ車内 |
海外の鉄道らしく車内にはビュッフェもある |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ステンレス車体の前面に赤帯の入った、少し古めの通勤列車が発車したあと「The Overlander」号が入線してきた。いったんホームに停車した後、オークランド駅方向に引き上げ、三角線を利用して方向転換をし、反対側のホームに停車した。その間7〜8分間、まったく案内放送はなく、日本ならば乗客が「どうなってるんだ」と駅員に釈明を求めそうだが、海外の鉄道では案内のないのは当たり前らしく、乗客はおとなしく待っていた。 発車時刻を10分以上過ぎた8時40分過ぎに、ようやく乗車が開始され、私は指定されたB号車2番D席に座った。列車の編成は、ディーゼル機関車を先頭に、荷物車、A号車、B号車、そして後部が展望席になっているC号車と、ごく短かな編成である。私の乗るB号車の後部にはビュッフェカウンターが付いていて、さっきからトーストのバターの香りが漂ってくる。日本では合理化のため望むべくもないが、海外の鉄道に乗ると車内の供食設備が整備されているのに感心してしまう。 |
日本とは季節が逆で冬の格好の筆者 |
ビュッフェ横の通路にて筆者 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
オークランド郊外の貨物駅の向こうに虹が |
日本でいえば北海道のような風景が続く |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ニュージーランド北島には湖が多い |
オトロハンガ駅に到着 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
列車は8時52分にニューマーケット駅を発車した。しばらくは都市近郊の車窓が続くが、貨物駅を進行方向右手に見て川を渡ると、徐々にニュージーランドらしい風景が広がっていく。ちょうど虹もかかっていて、いいアクセントになっていた。日本の風景に例えるなら、美瑛あたりの丘の風景に良く似ている。そういえば今から通るハミルトン近郊のケンブリッジという町は美瑛と姉妹提携を結んでいるとのこと。また、この辺には湖も多く、車窓がバラエティに富んでいた。しばしの間、私は車窓から目を離すことが出来なかった。 さて、車窓をみやりながらボーっとしていると、不意に誰かが私の肩を叩いた。見上げると、先ほど駅でやりとりしたスキンヘッド氏だった。彼は笑顔で私にコインで3ドルを手渡した。実はキップを購入した時、47ドルの代金に対し50ドルを出した私に、彼はオツリがないことを告げ「後で返すから」みたいなことを言っていた。オークランド駅で訳の分からぬままバスに乗り、そのオツリのことも忘れていたが、彼はちゃんと覚えてくれていたのだ。ニュージーランドの人々は親切だという定評があるが、それを垣間見た思いで正直感激した。 |
『The Overlander』号をバックに筆者 |
観光地への玄関駅でも駅舎は小さい |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
パパクラ、プケコヘ、テ・アワムツなどヘンな名前の駅に発着しながら、目的地のオトロハンガが近づいてきた。おそらくマオリ族の言葉に由来する地名だろうが、その部分でも、アイヌの地名の残る北海道を連想してしまう。草原で草を食む羊、牛、馬など、どこまで行っても牧歌的な風景が続き、私はだんだんと眠くなってしまった。もし、オトロハンガで眠りこけていて、そのままウェリントン方面へ連れて行かれたら大事なので、自らのカラダを痛めつけながら必死で起きていた。 11時55分、約30分遅れでオトロハンガ駅に到着した。そして同僚たちと合流し、今までセルフタイマーで苦労して撮影していた自分自身の姿を思う存分写してもらった。オトロハンガ駅はツチボタルという夜光虫で有名なワイトモ洞窟への玄関駅なのだが、駅の規模は想像どおり小さかった。私ははるか500`彼方のウェリントンに向けて出発していった「The Overlander」号を見送りながら、小さな旅が終わったという感慨に耽っていた。同僚から「加藤行くぞ!」の声がかかるまでは・・・ <おしまい> |
はるか500`先のウェリントンまで線路は続く |
【おまけ】スカイダイビング直前の筆者 |