The Last Summer Day
熱海駅まで毎日運行する373系6連に乗車

毎年9月10日といえば、夏の青春18きっぷが使える最終日。たとえ台風で運休になろうが、青春18きっぷは期限が延長されたり、払い戻しができたりするわけではないので、最終日まで残しておくのは結構ドキドキする。関東地方に多大な被害を及ぼした台風15号を、なんとか1日違いで回避して、無事に旅立ちの日を迎えることとなった。

浜松を上りのこだま号始発でスタート。いきなり18きっぷを使えない列車に乗ったが、7時に静岡を出るホームライナー沼津2号に乗るためにはこれしかない。静岡駅の在来線改札で、きっぷに日付印を押してもらい、この夏最後の青春18きっぷの旅がスタートした。沼津行きのホームライナーであるが、沼津到着後に列車番号が変わり、そのまま熱海へ直通する。熱海からはグリーン車付きの上野東京ライン直通電車が頻発し、ロングシート地獄を回避できるので、18きっぱーにとっては狙い目の列車である。

さて予定通り熱海駅で、宇都宮行きの普通電車に乗り継いだものの、なかなか発車しない。遅れている伊東線の電車を待ち合わせているらしい。結局5分ほど遅れて発車した。約3時間先の栗橋駅で、東武線に乗り継ぐ予定だが、その乗り換え時間が6分しかないため、たとえ5分の遅延といえども致命的である。まぁ結果的に、東京までに遅れが回復し、事なきを得た(かに見えた…)。

ほぼ満席となった階下のグリーン車も、上野を発車するころにはガラガラとなった。大宮を定時に発車し、栗橋まで残り30分と、長時間乗車もいよいよ先が見えてきた。と思ったその時、次の土呂駅で予期せぬ長時間停車。しばらくすると、「非常停止ボタンが押されたため、現在安全確認中です」という車内アナウンスが流れた。前述のとおり、栗橋でカツカツの乗り継ぎを控えているため気が気ではない。約10分後に運転を再開したが、もう絶望的である。栗橋には乗るべき東武線電車の発車1分後に到着したが、あちらのホームには既に電車はいなかった。 もう二度と立ち寄らない銀河鉄道999が、発車してしまったホームに立った絶望感のようだといったら大げさだろうか…。

当初の予定では、栗橋11時07分発の東武線普通列車で新栃木に行き、そこで1分の乗り継ぎで日光行き普通電車を捕まえ、日光到着は12時43分の予定だった。しかし栗橋で乗り継げなかったので、依然として宇都宮行き普通列車のグリーン車に居座っている。幸い、グリーン券は栗橋までではなく、宇都宮まで確保していたので問題なし。18きっぷを持っているので、このまま宇都宮まで乗り越してしまい、JR日光線で日光に行くことにした。携帯で時刻を調べると、日光到着は13時03分。20分の予定繰り下げで済んでラッキーである。

さらにラッキーなことに、宇都宮で列車を待っていたら、来た列車は1編成しかない「いろは」だった。本来なら通勤型のロングシート車両が、改造によってセミクロスシートの観光列車となり、今回その1人掛け×2のボックスシートに座ることができた。アコモデーションとしては、いい雰囲気のある車両なので、昼間っから飲むしかない。私は、発車するなりビールの栓を開けた。

JR日光線に乗るのは、1993年8月以来26年ぶり。もうその頃の記憶もないので、初めて乗るみたいなものである。宇都宮から日光まで20分くらいかなと思っていたが、ことのほか駅間が長く、なかなか乗りでがあった。結局、宇都宮から43分かかって日光に到着。これから歩かねばならないのに、アルコールが満タンになってしまった。

同じ電車で日光に着いた、インバウンドの外国人客といっしょに、バスで東照宮に向かう。世界遺産めぐりバスという小ぶりなバスに、4両編成分の乗客が集中したものだから、立錐の余地もないくらいに混んだ。本来、表参道バス停で降りるべき外国の方々が、「東照宮」という文字に惑わされて、手前の東照宮東参道入口で降りていくのを注意したいのに、注意できないもどかしさ。それにしても、外国でバスにのるなんて度胸があるものだ。私も外国の路線バスでは、数々の失敗をした経験がある。

表参道バス停で降り、杉木立の参道を歩いて、いよいよ日光東照宮に初見参である。「日光を観ずに結構というな」なんていう格言があったような気がしたが、乗りテツで、昔から乗り物で移動することが好きだった私にとっては、こんな世界遺産クラスの場所でも、この歳まで未訪問のところが割とある。まぁ、ここ日光東照宮は、静岡の久能山東照宮に行ったことがあるからいいかと思って、来ていないのだが。

国宝の陽明門や、見ざる、聞かざる、言わざるの「三猿」、眠り猫や鳴竜といった見どころをくまなく回り、そのうえ奥宮の家康の墓所まで足を伸ばしたので、もう日光には来なくていいだろうと思えるくらい、お腹いっぱいだった。そもそも写真などで見たことがあるものを、もう1回実物で確認する作業は、不当に疲れる。絶景なら感動もあろうが、建築物や彫り物じゃ「一度見ればいいか」となってしまうものである。

そんな気分だったので、東照宮の西側にある二荒山神社はスルーしようかと思っていた。しかし、案内看板で二荒山神社そばに、世界遺産めぐりバスの停留所があることが分かり、ついでに参拝することにした。後で調べると、この神社も世界遺産の構成資産のひとつだということが分かり、ついででも行っておいてよかったと思った。

東照宮周辺で1時間ほど歩き回ったのちに、世界遺産めぐりバスで東武日光駅に戻った。ここから下今市経由で、今晩の宿泊地の鬼怒川温泉に向かう。日光から鬼怒川温泉まで運賃は310円。ここで、先ほど乗り遅れのため使用できなかった、東武鉄道の株主優待券を使ってしまうことにした。浅草から日光や鬼怒川まで利用できる優待券なので、こんな短区間で使ってしまうのは気が引けるが、そもそも東武に乗るために東京まで往復せねばならないので、中途半端に1枚持っていても仕方ないのである。私は複雑な思いで、優待券を自動改札に通した。

下今市で乗り換えとなるが、鬼怒川温泉までの列車は、いずれも6050系という電車である。国鉄の急行型電車を連想させる2ドアの電車で、車端部以外はクロスシートが並ぶ。ちょっと懐かしい電車で、来年度の株主優待券はこの電車に乗るために使いたいと思った。まぁその場合には、会津田島あたりが目的地となりそうで、ちゃんと事前に調べないと「何もなかった」という感想になりそうだが…。


遅延のため栗橋駅で東武に乗り換えならず


宇都宮駅に入線する205系「いろは」


ボックスシート化された「いろは」の車内


1993年8月以来26年ぶりにJR日光駅で下車


東照宮の参拝に便利な世界遺産めぐりバス


ついに日光東照宮の門前にたどりついた


木立のため空が狭く感じる表参道


見ざる、聞かざる、言わざる


左甚五郎作とされる「眠り猫」

鬼怒川温泉駅から歩いて、本日の宿であるホテルニューおおるりに向かう。鬼怒川渓谷にかかる橋のたもとにあるホテルで、竣工当初はいいホテルだっただろうなぁと思わせるロケーションにあった。チェックインをして10階の部屋に入ると、ベランダからは渓谷の景色が一望に見渡せた。古くてくすんでいることを除けば、1人で泊まって2食付き8,000円程度なので、悪くないと思っていた。

で、さっそく温泉に入りに行こうと思い、タオル片手に1階の露天風呂に行った。ここの露天風呂は、岩風呂で雰囲気がいいが、排水が鬼怒川に直結しているので石鹸使用禁止だった。普通の大風呂は2階にあるので、洗髪するためには、いったん風呂から上がって、服を来て、エレベーターに乗って、服をぬがなければならないという面倒なシステム。これがイヤだったので、部屋のシャワーでいいやと思い、露天風呂のあとそのまま部屋に戻ったが、部屋の風呂にはシャンプーも石鹸もなかった。「あちゃー」と思い、またまた体を洗いに2階の大風呂まで出かけた。ふつうのホテルのように露天風呂と大風呂が直結していれば何のことはないが、おそらく露天風呂を凝った造りにしたために、こんなことになったんじゃないかと想像した。

風呂のあと、部屋でゆっくりしていると突然館内放送が入り、びっくりした。なんでも17時30分から夕食が始まっており、18時40分で終了するので早く食べに来いということである。フェリーの個室に泊まっているとこんな放送があるが、ホテルに泊まっていてこれは初めてだった。夕食はバイキング形式で、ビールは1杯無料というありがたいサービス。食事の内容は、1泊2食付きで8,000円なので贅沢はいえないが、1,000円でランチバイキングをしているような街中の店と同レベルだった。というわけで、部屋呑みするために早々に食堂から退散した次第である。

部屋に戻ったら、戻ったで、エアコンが全然効かないので、最後には17度に設定して、風量をMAXにした。そしたら、ウワンウワンいいながらエアコンがもがいていた。うるさかったが、そんな状態で寝入ってしまい、朝方は寒くて目が覚めた。窓を開けてベランダに出ると、山から下りてくる冷気で涼しかった。この部屋のエアコンの効きは、外気温次第であると悟った。ところで周りを見回すと、眼下の渓谷は朝霧に包まれて幻想的だった。この地にこのホテルが建った当初は、この景観が武器だったのだと思うが、いかんせん、今では場末感が漂うホテルとなってしまった。


日光東照宮の象徴「陽明門」(国宝)


徳川家康を祭神とする東照宮本殿


本殿の奥にある徳川家康の墓(奥宮宝塔)


鳴竜のある薬師堂(本地堂)


こちらも世界遺産 日光二荒山神社


国鉄急行型を思わせる東武6050系電車


16時ころ東武鬼怒川温泉駅に到着


鬼怒川沿いに建つホテルニューおおるり


贅沢はいえないバイキングの夕食

さて、チェックアウトの時間が来た。これだけドンガラが大きいホテルでありながら、宿泊代金のカード決済ができないのには閉口したが、まぁこのホテルは万事こういう昭和的なオペレーションなので、いちいちびっくりしない。温泉宿なのに朝9時半がチェックアウト期限であるのも疑問だが、まぁそうでもしないと、人工が少なくて回らないのだろうとも思った。いずれにせよ、安い値段で泊っているので、文句を言うとバチが当たるのである。

鬼怒川温泉駅を10時12分に出るスペーシアきぬ120号に乗車予定なので、少し早いが駅に向かうことにした。駅前に到着すると、ターンテーブルのまわりに、カメラや携帯を持った人々が並んでいた。これからSLが方向転換するらしく、私もその群衆に加わった。10時ごろC11の207号機がそろそろと近づき、ターンテーブルに乗った。北海道から譲渡された蒸機らしく2つ目である。そして一回転。また静々と構内に戻って行った。駅前にこのようなターンテーブルがあるのは珍しく、観光資源としてSLをうまく使っているなと思った。

改札を抜けて、ホームに出ると見覚えのある車体が待っていた。金色のベースに朱色と黒のラインをまとう「日光詣スペーシア」だった。東武の100系電車スペーシアは、来年に登場30周年を迎えるが、30年の時を感じさせないアコモデーションである。シートピッチが広く、フットレストが付いていて、これなら浅草までの2時間もゆったりくつろげそうである。

発車すると、まずは鬼怒川に沿って谷あいを走り、下今市で日光線と合流すると、今度は田園地帯を行く。昨日と同様に外は暑く、夏の車窓である。ここで松岡直也さんのアルバム「午後の水平線」を聴く。「午後の水平線」〜「夏の旅」〜「Long For The East」は、1983年から1985年にかけて、私が最も聴いたアルバムたちだ。ちょうど松岡直也さんが、大編成のウイッシングの活動を止めて、小回りの利くロックバンドのような編成(松岡直也グループ等)に活動を移したころである。もともとロックが好きで、なおかつピアノのサウンドが好きだった私に、当時の松岡直也サウンドは魅力的だった。

その後、中森明菜に楽曲を提供した「ミ・アモーレ」でレコード大賞を受賞。このころの松岡さんの曲を聴くと、あまりにメロディが綺麗すぎて歌謡曲っぽいなと思うことがある。そんな意味では、アルバム「午後の水平線」の最後の曲である「The Last Summer Day」は、インストゥメンタルながら、日本語の歌詞を付けたくなるようなメロディである。この夏の旅の終わりの車窓は、この曲をBGMに、徐々に都心の風景に戻って行くのであった…

浅草から銀座線で移動し、東名ハイウェイバスで浜松に戻ろうとしたら、これが大ハマリ。東京インターで事故渋滞。そしてリフレッシュ工事のため、左ルートのみ通行可能な大井松田〜御殿場間で、故障車が出て、またまた大渋滞。結局、2時間40分遅れで東名浜松北バス停に到着した。バスの車内にいた時間は6時間20分。東京→浜松間では最長不倒だった。


元は畳の部屋にツインベッドを入れた部屋


日の出前、朝霧が立つ鬼怒川温泉街


部屋のベランダより朝の鬼怒川渓谷を眺む


鬼怒川温泉駅の転車台に入線するC11 207


駅前にターンテーブルがあるのは珍しい


30年を経ても色あせないスペーシアで帰京

<終>

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