L e M i s t r a l


最初で最後のファーストクラスシートの旅


鉄道趣味に目覚めた中学生の頃の夢は「ユーレイル・パスでヨーロッパのTEE(トランス・ヨーロッパ・エクスプレス)に乗りまくること」だった。そのTEEの代表格といえば、パリとコート・ダジュールを結ぶ「ル・ミストラル」号だった。ゲンコツ形の機関車に牽引された豪華列車で、バカンスに向かうパリの上流階級の人々をマルセイユ・カンヌ・ニースへと運んでいた。1980年代にTGVにその座を譲り引退していったが、私の中では依然として南仏への憧れは残った。そして今回、20数年来の夢は叶った…。

♪ 最初で最後
本当は新婚旅行で使うためにせっせと貯めたマイルも3年間の期限切れを迎え、泣く泣くひとり旅に使うハメになってしまった。昨年末まで有効の12万マイルをパリ往復のファーストクラス航空券に交換し、2007年2月8日、私の人生で初めて、そしておそらく最後になるファーストクラスの旅が始まった。

割引運賃のないFのチケットは往復で1,675,700円(!)。マイル消化で乗ろうが、表面上は待遇の差があるわけでもなく、搭乗前から上げ膳据え膳の世界だった。ラウンジでは、GHさんが飲み物の注文を取りに来たのにまずビックリ。いつものsignetではセルフ・サービスが当たり前なので、逆に調子が狂ってしまった。機内では、それに輪をかける高待遇で、いちいち恐縮してしまった。

和食をチョイスすればふぐ刺し、洋食ならキャビア、フォアグラの類と、よっぽどのことがない限り普段は口にしない料理が運ばれ、ワインも赤4種類、白4種類がリストを飾っていた。アルコールには貪欲な私は、赤ワインをリストの上から順々に持ってきてもらい、離陸して3時間後には酔っ払って寝てしまった。すると、気付かないうちに毛布が掛かっており、途中でトイレに立った後にはフル・フラットにされたシートにマットレスが敷かれていた。機内に居ながらにして旅館のサービスを受けていた様な感じである。

到着前の食事は時間もメニューも自由で、アラカルトメニューを適当に組み合わせて注文するスタイル。15インチの大画面で気になっていた映画が観られ、ずいぶんといい思いをさせてもらった。でも自分にとっては、あまりにも贅沢すぎて、正直なところビジネスで十分と思った。まぁ、一度乗ってみないことには分からないことなので、今回の搭乗は大きな意味があった。

♪ Nightmare
パリの玄関口シャルル・ド・ゴール空港には、ほぼ定刻の16時半過ぎに到着。第1ターミナルから第2ターミナルにシャトルバスで移動して、エール・フランスのニース行きに乗る手筈だが、シャトルバスの乗り場が分からず、いきなり迷った。次の出発まで3時間あるのでパニックにはならなかったが、行く場所行く場所が全て初めてなので、かなりストレスがあった。さんざん歩いた末、ようやくバス乗り場にたどり着きシャトルバスに乗車。第1ターミナルのFサテライトで降りるまでは良かったが、自動チェックイン機でまたまごついた。様子を伺っていた空港の係りのお兄さんに「ノースウエストの会員番号を入れたいのだけど…」と英語で尋ねるも、一言「No!」と言われ、「まぁ事後申請すればいいか」と思い、おとなしく引き下がった。

搭乗口まで来てしまうと、今度はやることが無くなった。パソコンは電池切れで起動せず、持って来た本は「初めてのフランス旅行会話」と「これだけで通じる!海外旅行の英会話集」なので、とてもじっくり読む気にはなれなかった。搭乗までの2時間あまりは、ただただボーっとしているだけだった。

ただでさえ、時間を持て余しているところに、機材の遅れで出発時間が30分ほど遅れたため、ようやく機内に通された時には、待ち疲れのためあっという間に睡魔に襲われた。食いしん坊のサガで、軽食と飲み物のサービスの時にはパッと目覚めたが、それ以外は延々とうつらうつらしていた。気付いた時には眼下にコートダジュールの街の灯が広がっていた。

現地時間の21時半といえば、日本時間の翌朝5時半だが、ここから大仕事をしなければならない。ニース空港のレンタカーブースで手続きをし、係りのお姉さんに「クルマの場所はあー行って、こー行って、5分くらい歩いたところにある別の事務所です」と説明されたが、一発で行けるわけがない。やっぱりさんざん迷って、ようやく説明された事務所に到着した。渡されたクルマのキーは、想定していたトヨタ・ヴィッツ(現地名ヤリス)ではなく、フィアット・プント。ヴィッツなら左ハンドルのマニュアル車でもまだ救われるのだが、得体の知れないイタリア車ではちと苦労する。ヴィッツに比べてひと回り車体がデカイため、狭い営業所の駐車場を何度も切り返して、やっとこさ公道に出ることができた。

右側通行の左ハンドルならアメリカで何度も運転したけど、右手のマニュアルシフトは初体験。最初のうちはローに上手く入れることができず、サード発進でエンストばかりしていた。おまけにアメリカと違って道幅に余裕が無く、右側の車幅感覚をつかむまでは、かなりとまどった。おっかなびっくり15分ほど海岸沿いを走り、ニースの街中に入った。

カーナビが付いていないので、自分の目で今夜の宿泊場所である「フォーポイント・バイ・シェラトン・エリーゼ・パレス」を探さねばならない。しかし、ホテルの場所をうろ覚えのまま来てしまったため、探すのにかなり苦労した。日本でもよくやらかすミスを、外国の見知らぬ夜の街でやってしまったため、心の中のエマージェンシー・ランプが点滅を始めた。一方通行の路地を行ったり来たり、途中でクルマを停めて歩いてみたり、いろいろな手を尽くしたが見つからない。そうこうするうちに時計は23時を指していた。何度か同じ道を行き来するうちに、幸運にも目指すホテルが見つかった。もう1回一方通行をぐるりと一周して、ホテルの車寄せに無事到着。悪夢の時間は過ぎ去った。チェックインもそこそこに割り当てられた部屋に入ると、ようやく人心地がついた。自宅を朝6時に出発して以来、同じ2月8日とは思えぬほどいろいろなことがあり、長い一日だった。

♪ モナコ〜GPコースを走る
翌日は、この旅のハイライトであるモナコへのドライブである。フロントに預けてあったレンタカーのキーを貰い、地下の駐車場でフィアット・プントと再び対面。駐車場の出口のシャッターの開け方がわからず手間取ったが、これは昨夜の苦労を思えばトラブルのうちに入らない。平日の朝ということで、ニースの街は昨夜よりずっと混み合っていたが、昨夜の悪夢のドライブの成果で、すいすいと運転できた。いったん返却場所のニース駅の営業所の場所を確認するため、山の手を走ってみたが、駅にうまく入れず断念。「ま、いっか」と軽く考えていたが、これは後々困る事態を巻き起こすことになる。それはさておき、海岸通りに向かい、突き当たりを左に曲がればモナコ方面なのだが、右折オンリー。「Uターンすれば、いいか…」と軽い思いで右折し、片側3車線の中央寄りの車線をモナコとは逆方向に走る。そのうちUターンできると思って走っているものの、いつまでたってもUターンはできない。それもそのはず、左手は海岸だから左折可能な交差点はあり得ない。後から考えれば簡単なことだが、その時は「おかしい、おかしい」と思いながら、どんどんモナコから遠ざかっていった。

ニース空港を通り過ぎ、「そろそろやばい」と思い、右端の車線に寄って海岸通りを脱出した。右折を繰り返していれば、海岸通りに再び戻れるはずだったが、右折した道はオートルート(高速道路)のランプウェイ。それもモナコとは逆方向へ向かうインターチェンジである。逆戻りはできないので、自分のツキの無さを呪いながら、高速でモナコから遠ざかっていった。『逆方向地獄』から脱したのは、ホテルを出てから1時間後。気がつけばカンヌの手前まで運ばれてしまった。

「Nice・Monaco」と書かれた道路標識を頼りに、スタート地点に戻り始める。この標識もフランス語のうえに、字が小さくて、運転しながら確認するのには骨が折れた。見慣れたニースの街並みが見えてきて、ようやく再出発。目を皿のようにして「Monaco」の文字を探しまくり、ニース市街を抜けた。ここからはモナコへ一本道。アップダウンの激しい海岸沿いのワインディングロードを快調にドライブした。ニースから30〜40分ほどでモナコ市街への分岐点があり右折。市街地を低速で流していると、いきなり真正面に見慣れたグランカジノが出現した。

このごろはF1にさほど興味が無くなったが、モナコグランプリだけは必ず毎年中継を見てしまう。市街地コースを使ったテクニカルコースで、ドライバーの技術がもろに左右するので見ていて楽しいためである。その市街地サーキットを自分の運転で周回する。これがかねてからの夢だった。グランカジノ前で左折し、少し行くとミラボーコーナー。駐車しているオートバイやタクシーを慎重に避けながら坂を下っていくと、世界のサーキットの中で最も有名なコーナーであるローズヘアピンを通過する。そのまま一本道を道なりに行くと海岸に出て右折。これがポルティエコーナーで、すぐにF1サーキットでは珍しいトンネルに突入する。F1マシンはこの道をぐいぐい加速し、トンネルを出てシケインの前の下り坂で最高速の290Km/hを叩き出す。この日のモナコは50Km/h制限の上に、シケインで工事をしていたからノロノロ運転だったけどね。そしてタバコ屋コーナーを左に折れ、プールサイドのシケインを抜けて、道なりに右へ曲がっていくところがラスカスコーナー。1992年のセナとマンセルの歴史的なバトルで、このコーナーをテール・トゥ・ノーズのまま抜けていったシーンが目に焼きついている。すぐに最終コーナーがあり、抜ければコントロールラインがあるアルバート大通りである。通りがY字路になっているところがサンデボットと呼ばれる第1コーナーで、ここを右折。ぐんぐんと坂道を登ってカジノ方向へ。この坂道がリバージュ・ストレートで、カジノの脇をS字のように抜けて(カジノコーナー)、グランカジノの前に出た。これで一周。所要時間は約5分。F1マシンは1分20秒を切るスピードで一周するから驚きである。私は嬉しくなって2周、3周と周回を重ねたが、さすがに78周もすれば目が回るかもと思った。4周目のタバコ屋コーナーを抜けたところでクルマを停めて、今度は歩いて半周することにした。その時に写したのが右の画像である。

モナコを訪れたもう一つの理由は、「旅打ちの夢」グランカジノ(カジノ・モンテカルロ)でゲームを楽しむことである。ただし、この日はカジノのオープンが14時から。サーキットを半周してグランカジノに着いたのが11時だったので、まだ3時間ある。幸い春のような陽気なので、カジノの裏の広場でボーっとひなたぼっこを楽しんだ。目の前には真っ青な地中海が広がっていた。コートダジュール(紺碧海岸)とはよく言ったものである。小1時間ほど佇んだ後、昼食を食べにカジノの前のカフェに行った。

モナコの物価は高く、スパゲティ・ボローネーズとコーラを頼んだだけで18.5ユーロ。このところのユーロ高で、日本円に直すと約3,000円である。食事が終わり、給仕をしてくれた担当のお兄さんに覚えたてのフランス語で「ラディスィオン・スィルヴプレ(お勘定をお願いします)」とやってみた。すると「ウイ・ムッシュー」と伝票を持ってきた。いつものクセで伝票を持ってキャッシャーに向かったが、慌ててくだんのお兄さんが飛んで来た。フランスの慣習ではテーブルで精算することを後で知り、ちょっと恥ずかしかった。

このカフェは、スロット中心のミニ・カジノを併設しており、グランカジノが開くまで運試し。1時間ちょっとの間に、スロットで20ユーロくらい儲けて昼飯代が浮いた。14時過ぎにグランカジノに入場。他のカジノでは考えられないが、入場料に10ユーロを取られた。歴史と格式を感じさせる内装で「おー」っと感嘆の声を上げたが、肝心のゲームテーブルは、オープン直後ということでルーレットとバカラが1つずつ開いているだけだった。ブラックジャックのテーブルはいつ開くのか尋ねようと思ったが、テーブルに掲げてあったミニマムベッドの表示を見て、思わず手で口を覆った。一番安いテーブルでミニマム25ユーロから50ユーロ。財布の中身は150ユーロほどだったので、テーブルに就いても、ものの2〜3分でオケラである。おとなしくスロットで50ユーロすってカジノを後にした。


夜のニース便の搭乗を待つ人々


モナコのシンボル・グランカジノと噴水


モナコGPコースの象徴・ローズヘアピン


世界のサーキットで最も有名なコーナー


ポルティエコーナーからトンネルを望む


ヨットハーバーを横目にヌーヴェルシケインへ

♪ ニースにて
モナコを発つ前に再びグランプリコースを2周して、「もう自分の運転でこのコースを回ることはないな」と、ちょっと感傷的になった。オートルートを西に走り、ニース出口にあっという間に到着した。一般道は金曜日の午後ということで混雑しており、給油を挟んでニース駅までは1時間もかかった。さて、今朝AVISの営業所を確認しなかったツケをここで払うことになった。駅前の通りを何度も行ったり来たりし、血眼になって「AVIS」の文字を探したが、どこをどう探しても見つからない。「もしかしたら駅舎の中にあるのかもしれない」と思い、駅前の駐車スペースにクルマを停めた。駅前やら駅の構内をくまなく探し、クルマを停めた位置から相当離れた場所で、ようやくAVISの営業所を見つけた。右側通行のマニュアルシフトで、事故る確率は相当高かったが、無事に無傷でクルマを返却し、大きな仕事が終えた感じがした。


旅打ちの憧れグランカジノ


右手シフトに悩まされたフィアット・プント


グランカジノ前の公園にて筆者


陽光が降り注ぐコート・ダジュールを望む


グランカジノの裏でひなたぼっこを楽しむ


歴史を感じさせるニース駅舎

駅から歩いてホテルに戻ることにした。相変わらず完璧にはホテルの場所を確定できないでいたが、実質15分ほどでホテルにたどり着いた。途中ドラッグストアのようなところで、ワインと缶詰類を買い込み、部屋に戻ってからちびちび飲むことにした。レストランで食べれば30ユーロは下らないところを、朝食分まで買って15ユーロ。それも赤ワインのフルボトル付き!ファーストクラスで海を渡ってきた人間とは思えない貧相な夕食で、我ながら情けなくて笑ってしまった。この夜は一日動き回って疲れていたので、ボトル一本空けた時には強烈な睡魔が襲ってきた…

翌朝、チェックアウトの時にフロントのお兄さんから「タクシー呼ぶ?」と聞かれ、一瞬「歩ける」ことも脳裏をよぎったが、タクシーを呼んでもらった。このタクシーの運転手が雲助で、15分で歩ける距離に17ユーロを請求してきた。思わず「トゥー・エクスペンシブ」と抗議すると、「ナイト」と一言。だいたい、あと5ユーロ足せばパリまでTGVで行けてしまう。語学力があれば捲くし立てるところだが、おとなしく17ユーロ払ってタクシーを降りた。ニースではマイナートラブルが続出だった。


発車時刻表の上から4番目がパリ行きTGV


日本の改札口とはちょっと違う雰囲気


ホームにあった編成の電光掲示板


パリ方面からニース始発のTGVが入線


♪ Le Mistralの道をたどる
まだ真っ暗なニース駅だが、大きな荷物を抱えた旅行者がひっきりなしに出入りしていた。7時04分のパリ・リヨン駅行きTGV6172号の1等車をネットから予約し、自宅でeチケットのようなものをプリントアウトしたが、これでそのまま列車に乗っていいものかどうかどうも不安である。改札にたむろしていた駅員さんに「このチケットで乗れる?」と英語で聞いたところ、コンポストゥールという日付刻印機に通さずそのまま乗れるという。安心してホームに出ると、今度は電光掲示の編成表が置かれていた。指定された席は12号車の31番なので、後ろから2つめの車輌である。

7時少し前に、パリ方から銀色のTGVが入線してきた。日本の新幹線なら当たり前の号車表示が、出入口にもデッキのドア付近にもなく面食らった。後ろから2両目の31番の席にとりあえず腰を降ろしたが、なんとなく落ち着かない。この列車は南仏の小駅を丹念に停まっていくが、駅に着くたびにフランス語で「ここは何号車?」だの「この席はどこ?」と聞かれたのには参った。そのたびにチケットを見せてもらい「これはあっち」「これは一つ前」などと案内し、「俺は車掌か!」と自分にツッコミを入れるありさま。自分が鉄道に詳しいことを、フランス人は見抜いているんじゃないのかと勘繰ってしまうほどだった。

列車はニース駅を定刻に出発し、まだ明けきらない地中海沿いを進む。TGV専用区間でないので、120〜30Km/hくらいで走る。1等の車内は山形新幹線のグリーン車を思わせる2列+1列の配列である。「Prem's」という早割に当たる運賃で予約したため、ニース〜パリ間975`が45ユーロだった。同程度の距離がある東京〜徳山間を新幹線グリーン車に乗ると26,630円。値段ではTGVに軍配が上がる。

集団見合式のTGV1等車は2列+1列の配列


ようやく7時半過ぎに朝日が昇った。紺碧海岸をオレンジ色に染める光景に、思わず息を飲んだ。かつての「ル・ミストラル」もおそらく同じくらいの速度で、このレールの上を走ったのだろう。その時の旅人達は、この海岸線を見て何を思ったのだろうか…。

マルセイユ近郊に差し掛かると、列車は敢然とスピードを上げ始めた。TGVの専用線に入ったのだ。今までののんびりムードとは一変して、世界最高速列車の片鱗を見せつけられた。線路脇の電柱が、もの凄い勢いで後ろに飛び去っていく。キロポスト間の所要時間で時速を割り出してみたが、1`12秒弱しかかからない。つまり300Km/hオーバーということである。

TGV専用線に入るとともに、線路は内陸部へと進路を変え、今度は北海道の原野のような荒涼とした車窓が連続する。ほんの少しだけならこういう景色もいいものだが、パリの近郊区間に入るまで延々と3時間以上も続くと、いい加減に飽きてくる。全車禁煙であるので、一服して気分転換というわけにもいかず、「早くパリに着かないかなぁ」と思ってしまったのが本音のところである。

12時20分ごろ専用線から在来線に乗り入れ、いよいよパリが近づいてきた。在来線に入ると、通勤列車や貨物列車などとすれ違い、車窓に変化が出てくる。そうこうしているうちに渡り線を何本か横切って、終着のパリ・リヨン駅に到着した。

ヨーロッパのターミナル駅によくある櫛形ホームの櫛の部分を列車2編成分歩いて、ようやく行き止まりホームの根元に着くと、壮観な眺めが広がっていた。広いリヨン駅を埋め尽くすTGVの姿に、思わずシャッターを押していた。リヨン駅の駅舎も歴史と風格を感じさせ、これもカメラに収めずにはいられなかった。駅舎の大きさもハンパではない。駅前広場を100bくらい下がって、ようやく全景を1枚の写真に収められるかどうかくらいだった。


紺碧海岸に朝日が昇っていく


内陸部に入ると延々と牧歌的な景色が続く


車輌には号車表示がなく混乱した


パリ・リヨン駅に勢揃いしたTGVの面々


大きな時計台が印象的


100b下がってやっとリヨン駅舎の全景を撮影


RERを乗り継いでシャルル・ド・ゴールを目指す

パリまで着いてしまえば、あとはシャルル・ド・ゴール空港を目指すだけである。RER(高速郊外地下鉄線)というメトロとは別の地下鉄を乗り継いで空港を目指した。空港までは乗り継ぎ時間を含めて45分ほど。空港に着いてしまえば、もうそこは初めての場所ではなく、余裕でシャトルバスに乗り込み第1ターミナルへ運ばれた。この旅での最後の不満は、イミグレーションを通過してしまうと、あとは成田までタバコを吸える場所がなかったこと。おかげで12時間後に成田でタバコを吸ったらニコチンでクラクラっときてしまった。

今回の旅で発生したトラブルは、後になって思えば笑えるものばかりだったが、その場面場面では「あちゃー」と思うことばかりだった。「せめて誰か連れがいれば」と思うこともたびたびで、ひとり旅の限界を思い知らされた。それでも懲りずに、またそんな経験をしたくなって、見知らぬ場所にひとり旅に出るんだろうなぁ…。
<Fin>

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