大陸への野望〜名護屋城


名護屋城博物館のジオラマ展示


1988年春の「関門歩いて渡ろうTour」で九州の地に初めて足跡を残して以来、数えきれないほど九州を訪問した。もうほとんど目ぼしい観光地を回り尽くした感じだが、意外なことに玄界灘に面した福岡、佐賀は未踏の場所が多いことに気付いた。しばらく前には戦国時代から安土・桃山あたりの戦跡めぐりに精を出していたこともあって、朝鮮出兵の前線基地である名護屋城に是非行ってみたくなった。そうと決まれば話は早い。出発の10日くらい前から飛行機や宿、レンタカーの手配を始め、勤労感謝の日である11月23日の旅にこぎ着けた。

前夜、会社から直行で福岡入りし、23日の午前10時前に福岡市内のニコニコレンタカー店舗でランクスを借り出した。目の前にある福岡高速2号線呉服町ランプから唐津方面に向けてドライブ開始。福岡高速は福岡前原道路〜国道202号〜二丈浜玉道路〜西九州自動車道と名称を次々と変え、名前が変わるたびに通行料を徴収された。唐津インターで自動車専用道路を降りて国道204号バイパスを北上、唐津市北部の佐志で県道に入った。福岡を出て1時間30分後に、ようやく名護屋城のお膝元にある道の駅「桃山天下市」に到着した。

ここで周辺の観光マップ等を仕入れ、まずは隣接している佐賀県立名護屋城博物館に入場し、予備知識を頭に詰め込んだ。博物館内はかなり広く、展示物も豊富だった。豊臣秀吉の晩年を汚したといわれる「文禄・慶長の役」(いわゆる朝鮮出兵)は、典型的な侵略戦争であり、今でも韓国の人々に禍根を残している。そのような背景があるだけに、「義なき戦い」等の表現や、日本の武士が現地で行った残虐行為を包み隠すことなく展示し、韓国人旅行客(特に九州北部を訪れる人が多い)に配慮がなされていた。ちなみに入場は無料。公開仕訳が行われればきっと「受益者負担」を叫ばれ、入場料が徴収されることになるだろう…。


韓国への配慮を感じた名護屋城博物館


博物館より名護屋城大手口方向を望む

さて、博物館で背景を学んだあとは、国道を挟んで向かい側にある名護屋城に向かった。ここも建前上は入場無料であるが、清掃協力費として100円を徴収され、代わりにリーフレットが貰える。とにかく広大な敷地面積を誇る城跡なので、このリーフレットがないと道に迷うほどである。まずは城の玄関である大手口を眺め、勝手口である搦手口方向に歩を進めた。

天守台はおろか櫓さえ建っていない城跡なので、遺物は石垣だけ。のびやかな池のほとりを散歩しながら巨大な石垣を眺め、日本中の戦国武将が集結した在りし日を偲んだ。ちなみに、ここに城が現存したのは1592年から1602年のわずか10年。前線基地でありながら、太閤秀吉の威信をかけて築城され、連日のように能や茶会が開かれていたというので、仮城でなかったことは確かである。


大手口からのびやかな弾正丸方向の池を望む


名護屋城の玄関。大手口の石垣


搦手口はトンボが飛び交う

11月も末だというのに赤とんぼが飛び交う搦手口から弾正丸に登った。名護屋城は本丸、二ノ丸、三ノ丸、弾正丸、山里丸の五主郭があり、それ以外にも11の曲輪があったとされている。そのひとつ弾正丸は浅野長政が居住していたところで、長政のミドルネームである「弾正」の名が冠せられたという。名護屋城の西の端に位置しているので、玄界灘の向うには馬渡島が望める。

弾正丸の北隣の二ノ丸には長屋建物跡が保存されていて、柱のあった場所に石が並べられていた。その北には遊撃丸があり、ちょうど天守台跡の真下に当たる。小高い丘のような天守台をバックに記念撮影をし、水手曲輪を経て本丸へと登っていった。

本丸跡は大きな広場になっていて、プロ野球の常打ち球場がすっぽり収まりそうである。ちょうど中心部あたりに東郷平八郎書による「名護屋城城址」石碑がぽつんと立っていて、それ以外は余分なものが何もないところだった。


弾正丸からは玄界灘に浮かぶ馬渡島が望める


礎石が設置されている二ノ丸長屋建物跡


遊撃丸にて天守台跡をバックに筆者


広大な本丸跡に東郷平八郎書の石碑が立つ


天守台から遊撃丸方向の展望


5重7階が建っていた天守台跡にてたたずむ


古城ムード漂う大手口から東出丸への坂道

ひととおり本丸と天守台の跡を観た後、クルマに戻る。名護屋城周辺で1時間半くらい見物しており、そろそろ帰りの時間が気になってきた。三ノ丸から東出丸を経て、大手口に戻った。大手口から東出丸方向を振り返ると、石垣の上に青空が見え、古城の雰囲気を醸し出していた。日本百名城のひとつである名護屋城に別れを告げるに相応しい場所である。

予想以上に名護屋城が大物だったため、波戸岬は泣く泣くカットし、加部島にカーナビをセットした。「風の見える丘公園」というネーミングに思わず心を奪われてしまったからである。こういう場所は現地に行ってみると、得てして大した場所でなくてガックリするのだが、ここもレストハウスと風力発電の小さな風車があるだけの場所だった。それでも呼子大橋と名護屋浦の展望が素晴らしく、それだけで行った甲斐があったと思う。

逆に、加部島の最北端にある杉ノ原は、時間さえ許せばもっとのんびりしていたい場所だった。遊歩道の先には小さな灯台が建ち、玄界灘を借景にした雄大な放牧場が広がっていた。のんびりと草を食む牛たち。時がゆっくりと流れている感じである。

杉ノ原での滞在時間は10分ほど。すぐにクルマに戻って加部島を後にした。既に午後2時にならんとしており、往路に費やした時間を考えると一刻の猶予さえ許されない感じである。国道204号を海沿いに南下し、この旅最後の目的地である虹の松原にクルマを急がせた。


ネーミングに惹かれて「風の見える丘公園」へ


風の見える丘より呼子大橋と名護屋浦を望む


加部島の最北端杉ノ原にて借りたランクス


杉ノ原灯台と遊歩道、そして草を食む牛たち

唐津の市街地を予想以上にスムーズに抜け出せたため、虹の松原の駐車場では「からつバーガー」の移動売店に立ち寄る余裕ができた。朝食後、ここまで腹に入れたのはピザまんひとつきり。さすがに空腹が限界だったのだ。スペシャルバーガー460円を注文したが、いわゆる全部入りというやつで、ハンバーグ、卵、チーズ、ハム、レタスが挟まれていた。食べにくかったが、なかなかの美味だった。


虹の松原駐車場の移動売店


遅い昼食はからつバーガー


玄界灘から吹く風を浴びながら放牧中


パラセールが舞う三大松原の一つ「虹の松原」


大相撲九州場所開催中の福岡国際センター

虹の松原は、日本三大松原のひとつとされている。他のふたつは清水の三保の松原、敦賀の気比松原であり、地元の三保の松原はともかく、気比松原も20年以上前に訪れているが、意外にもここは初めてである。約5`にわたってクロマツが生い茂り、その松林の中を旧国道202号線が貫通している。浜辺に出てみると、秋の休日をパラセーリングで過ごしている人たちがいて、ちょっと羨ましい。玄界灘から打ち寄せる波に翻弄されながら、小さな旅の終盤のひとときを過ごした。「さぁ戻ろう」

来た時のように、道路の名前が変わるたびに通行料を取られるのはかなわんと思い、海沿いの国道202号線をドライブ。二丈浜玉道路の起点付近で、地元車に付いて行ったら、目論み通り側道からタダで本線に合流できた。ここまで来れば、もう大丈夫。国道202号バイパスから福岡前原道路を経て福岡高速へと戻ってきた。

呉服町ランプを出たのは午後3時20分。返却時刻の午後4時までは少し時間があったので、近くにある福岡国際センターに寄ってみた。大相撲九州場所は白鵬の連勝記録が途切れてしまったが、地元の魁皇の活躍で大盛況。この日も大勢の人が詰め掛けていた。旅の打ち上げは華やかなムードに包まれ、まさに大団円。色とりどりの幟がはためくハレの場所から、やがてケの場所へと戻るべくイグニッションキーをひねった…
<終>

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