夏の終わりのレッドトレイン |
自笑亭の赤飯弁当が夕飯 |
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1988年晩夏、私は能登半島から日本海に沿って下関まで青春18きっぷで旅をした。毎年この時期になるとその旅を思い出し、何年に一度かはその旅を再現しようと試みる。34年前の旅の思い出の中で、一番印象に残っているのがているのが、確か益田から下関まで直通していたDD51牽引の50系客車鈍行である。オリジナルの50系客車が消え、牽引したDD51ディーゼル機関車も引退してしまった今、完全再現は無理だがなんとか当時の記憶をたどってみようと思い2022年8月18日の夜に旅立った。 | ||
2024年春には勇退が噂される国鉄型特急電車381系。そのパノラマグリーンに乗る PartⅡはこちら |
幕の内を赤飯にした駅弁 浜松駅で自笑亭の「赤飯弁当」を買って19時半過ぎの下りひかり号に乗車。夜の旅立ちはすぐに「呑みテツ」に移行できるので案外好きである。1時間ほど新幹線に乗車し、米原で新快速に乗り換え。ここからはJR西日本の株主優待券を使って1か月前に発券した乗車券の出番である。1時間ちょっとで新大阪に到着し、ふたたび新幹線に乗り換え。のぞみ号の自由席に乗車したが時間も時間なので空いていた。岡山駅前のANAクラウンプラザ岡山にチェックインしたのは23時半ころだった。
ルームチャージ6,800円と安い料金で泊まったが、ホテルの部屋は快適だった。まだ日の出前の時刻に目覚め、東の山にたなびく朝霧を見つけ、旅の空にいることを実感した。 |
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ANAクラウンプラザ岡山のシングルルーム |
晩夏の夜明け前。ビルの向こうに朝もや |
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出雲市以西の山陰「西線」は日本海の車窓が美しい。高速特急列車キハ187系でたどる |
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噂には聞いていたが初めて見た魔改造車 |
改札から出たのは数えるほど~出雲市駅 |
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1988年晩夏、青春18きっぷでDD51牽引の50系客車に乗車。今回はキハ40でたどる 小串→幡生間のキハ47編はこちら |
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益田からはこの旅のキモだが、いかんせん青春18きっぷシーズンなので観光客が多めである。また1988年当時は長編成の客車列車だったが、今では気動車単行なので車内は混みあっていた。とはいってもボックスに1人ずつ座っている状態だが。まぁこのごろは動画さえ撮れればロングシートも辞さずという姿勢なので、おとなしくロングシートに座った。だがこの環境では睡魔が襲い、益田~萩間の海岸線の美しい区間も夢の中。目が覚めると東萩の手前だった。 萩には10年前の夏に来ており、その時も今回同様1988年晩夏の旅を再現しようと目論んだが、今日と同じように鈍行列車が混みあい、雰囲気すら再現できなかった。その10年前に萩観光から戻った玉江駅からビデオカメラを回し始めた。またまた山陰の日本海が線路に寄り添い、どこまで行っても風光明媚な路線である。この動画は上の画像から見られる。 結局ロングシートに座ったままこの列車の終点長門市に到着。ここで小串行きの鈍行に乗り換え。乗り換えた列車もキハ40の単行なので、今度は素早く行動して、進行方向と逆向きながらキハ40特有のハーフボックスシートを確保することができた。ビデオカメラは進行方向に向けておけば、最悪人間の方はどっち向きでも構わないという鷹揚な性格になって久しい。そんなこんなで、いよいよこの旅の佳境に突入する。 |
在来線と新幹線が遠い新下関駅 |
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新下関に停車するさくら号は数えるほど。タイパが高い列車で一気に新大阪へ |
1988年晩夏の旅の中で最も記憶に残っているシーンは、「夕暮れの田舎駅、DD51が牽引する50系客車で発車を待っていると、上り列車が同じDD51+レッドトレインで到着し、列車交換をして発車していった。」というものである。この駅を特定しようと思い、この旅の前からGoogleマップで調べていたが、どうにもわからない。そして長門市発のこの鈍行で、ついにその駅を特定できた。それは長門市から2つ下った長門古市駅だった。ウィキペディアによれば平成初期まで有人駅だったそうで、私が旅をしたのは昭和の最後の夏だったので駅員さんもいたのだろう。当時この駅を通りかかったのは確か18時台。今回はそれより2時間も早いので、やはり完全再現はできなかった。青春18きっぷの時期は混みあうので、次は発想を変えて日長の時期の20時前の列車で挑戦してみようと思う。 |
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<終> |